舞うが如く 第六章
(11)地租と石代納(こくだいのう)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/b8/c4a756cffff0c85da8266fdcd43a9787.jpg)
富国強兵政策を強硬におしすすめる明治新政府は、
そのための財源確保が急務となり、各方面でそれらの模索を開始します。
そのひとつとして、大蔵省や民部省では全ての土地へ賦課をして、
一定の額を金納させる新しい税制として、「地租」の導入を検討していました。
旧来までの土地の賦課への是非は、
大名や領主たちの権限と考えられていました。
従来の検地に代わる大規模な測量の必要性などもあることからも、
政府内では賛否両論があり、容易にまとまる気配がありません。
1871年(明治4年)に、廃藩置県が実施されると、
国内からは、旧藩主や大名たちが一掃をされてしまいます。
さらに同年には、江戸時代までは禁止とされてきた、米を作るべき田畑での
木綿や煙草の栽培、菜種等の商品化作物の栽培を許可する、
「田畑勝手作」を施行します。
さらにその翌年には、田畑の永代売買の禁止も解除をしてしまいます。
年貢負担者を土地所有者として認定するようになり、
土地の私的所有を認めるようになったのです。
土地の所有と、租税のための下準備を積み上げてから
新政府は、ついに新しい税制としての「地租」の導入を決定します。
封建時代から年貢制度として長年続いてきた物納(ぶつのう)から、
それに見合う貨幣での納入制度、「石代納(こくだいのう)」が制定されます。
ところが、第2次酒田県は、
政府が石代納を認めたにもかかわらず、これを領土内には一切、普及徹底をさせません。
相変わらず年貢時代のように、米での納入を継続させました。
さらに雑税も強制したまま、旧庄内藩の支配層と一部の旧藩士たちによって
米の独占的な流通機構づくりまでをも企てます。
第2次酒田県は、こうした企てを通じて
地主や農民たちによる米の商品化の道を断ったばかりか、
物納された米の価格と地租との差額分を、その懐に入れてしまいます。
こうした不公正や不正が、県の役人たちのすべてにおよぶようにもなりました。
高すぎる地租への不満が、地主や農民たちの間で時間と共に鬱積をします。
暴動は、1873(明治6年)の、11月にはじまりました。
まず田川郡・淀川村の佐藤八郎兵衛、同郡・片貝村の鈴木弥右衛門を代表とする
「石代納願」が戸長(こちょう:旧大庄屋)へ提出をされます。
こうして始まった「石代納」を求める運動が、
一気に田川郡内の各村を席巻して、それは飽海郡にまでも広がりをみせます。
さらに、要求はこれだけにとどまらず、
県官の不正追求という方向にへも、農民の運動が展開をします。
翌年に入ると、1月には、櫛引・山浜通りの村々の農民も石代納を戸長に願い出ます。
県はこうした運動の進展を抑えるために、2月には、こうした運動の先頭に立つ、
佐藤八郎兵衛ら指導者数名を検挙をしてしまいます。
しかし勢いは、一向にとどまりません。
上清水村(現鶴岡市上清水)や、高坂村(現鶴岡市高坂)の農民達は、
3月と4月の二度にわたって、代表を上京させます。
警察・地方行政・土木などを統括する役所である、内務省にたいして、
「石代上納嘆願書」を提出すると共に、己(おのれ)の士族的特権を守るために、
政府の打ち出す施策を隠し続けている第2次酒田県政の悪政を訴えて出ます。
その結果、同年の7月16日に、
内務省の小丞松平正直(後の宮城県令)が來県して、詳しい調査をはじめました。
佐藤八郎兵衛らを出獄させるとともに1874(明治7)年からの
石代納の実施と、一部雑税の廃止を県に命じます。
この命令をもとに、田川郡・上清水村の白幡五右衛門が、
酒田の酒造業者・森藤右衛門と提携して、7月中に農民の利益となる
石代会社設立を計画します。
会社は、農民から集荷した米を大阪などへ独自の販路で販売して、
政府に金納した残金を、農民に返金するという仕組みになっていました。
しかしこの計画は、またもや酒田県によって拒否をされてしまいます。
それでも、農民たちの運動はひるみません。
続いて農民達は、旧藩以来の雑税の廃止を運動の前面に掲げました。
その取立てに当たる村役人(区長・戸長・村長など)に帳簿の公開を求めます。
8月に入ると、運動は旧黒川組(現鶴岡市櫛引)や、旧青竜寺組(現三川町)・
旧淀川村を中心に、横に大きく広がりを見せはじめ、打ち壊しも発生するなど、
次第に暴動化をして、その動きは、やがて最高潮へと達していきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/24/ef1b27d4d83c072f4962b9f5150a4bc7.jpg)
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
(11)地租と石代納(こくだいのう)
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富国強兵政策を強硬におしすすめる明治新政府は、
そのための財源確保が急務となり、各方面でそれらの模索を開始します。
そのひとつとして、大蔵省や民部省では全ての土地へ賦課をして、
一定の額を金納させる新しい税制として、「地租」の導入を検討していました。
旧来までの土地の賦課への是非は、
大名や領主たちの権限と考えられていました。
従来の検地に代わる大規模な測量の必要性などもあることからも、
政府内では賛否両論があり、容易にまとまる気配がありません。
1871年(明治4年)に、廃藩置県が実施されると、
国内からは、旧藩主や大名たちが一掃をされてしまいます。
さらに同年には、江戸時代までは禁止とされてきた、米を作るべき田畑での
木綿や煙草の栽培、菜種等の商品化作物の栽培を許可する、
「田畑勝手作」を施行します。
さらにその翌年には、田畑の永代売買の禁止も解除をしてしまいます。
年貢負担者を土地所有者として認定するようになり、
土地の私的所有を認めるようになったのです。
土地の所有と、租税のための下準備を積み上げてから
新政府は、ついに新しい税制としての「地租」の導入を決定します。
封建時代から年貢制度として長年続いてきた物納(ぶつのう)から、
それに見合う貨幣での納入制度、「石代納(こくだいのう)」が制定されます。
ところが、第2次酒田県は、
政府が石代納を認めたにもかかわらず、これを領土内には一切、普及徹底をさせません。
相変わらず年貢時代のように、米での納入を継続させました。
さらに雑税も強制したまま、旧庄内藩の支配層と一部の旧藩士たちによって
米の独占的な流通機構づくりまでをも企てます。
第2次酒田県は、こうした企てを通じて
地主や農民たちによる米の商品化の道を断ったばかりか、
物納された米の価格と地租との差額分を、その懐に入れてしまいます。
こうした不公正や不正が、県の役人たちのすべてにおよぶようにもなりました。
高すぎる地租への不満が、地主や農民たちの間で時間と共に鬱積をします。
暴動は、1873(明治6年)の、11月にはじまりました。
まず田川郡・淀川村の佐藤八郎兵衛、同郡・片貝村の鈴木弥右衛門を代表とする
「石代納願」が戸長(こちょう:旧大庄屋)へ提出をされます。
こうして始まった「石代納」を求める運動が、
一気に田川郡内の各村を席巻して、それは飽海郡にまでも広がりをみせます。
さらに、要求はこれだけにとどまらず、
県官の不正追求という方向にへも、農民の運動が展開をします。
翌年に入ると、1月には、櫛引・山浜通りの村々の農民も石代納を戸長に願い出ます。
県はこうした運動の進展を抑えるために、2月には、こうした運動の先頭に立つ、
佐藤八郎兵衛ら指導者数名を検挙をしてしまいます。
しかし勢いは、一向にとどまりません。
上清水村(現鶴岡市上清水)や、高坂村(現鶴岡市高坂)の農民達は、
3月と4月の二度にわたって、代表を上京させます。
警察・地方行政・土木などを統括する役所である、内務省にたいして、
「石代上納嘆願書」を提出すると共に、己(おのれ)の士族的特権を守るために、
政府の打ち出す施策を隠し続けている第2次酒田県政の悪政を訴えて出ます。
その結果、同年の7月16日に、
内務省の小丞松平正直(後の宮城県令)が來県して、詳しい調査をはじめました。
佐藤八郎兵衛らを出獄させるとともに1874(明治7)年からの
石代納の実施と、一部雑税の廃止を県に命じます。
この命令をもとに、田川郡・上清水村の白幡五右衛門が、
酒田の酒造業者・森藤右衛門と提携して、7月中に農民の利益となる
石代会社設立を計画します。
会社は、農民から集荷した米を大阪などへ独自の販路で販売して、
政府に金納した残金を、農民に返金するという仕組みになっていました。
しかしこの計画は、またもや酒田県によって拒否をされてしまいます。
それでも、農民たちの運動はひるみません。
続いて農民達は、旧藩以来の雑税の廃止を運動の前面に掲げました。
その取立てに当たる村役人(区長・戸長・村長など)に帳簿の公開を求めます。
8月に入ると、運動は旧黒川組(現鶴岡市櫛引)や、旧青竜寺組(現三川町)・
旧淀川村を中心に、横に大きく広がりを見せはじめ、打ち壊しも発生するなど、
次第に暴動化をして、その動きは、やがて最高潮へと達していきます。
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