落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(40)ハチと自然

2020-10-28 17:58:46 | 現代小説
上州の「寅」(40)


 
 オリーブの栽培が本格化したのは1908年(明治41年)。
日露戦争に勝利した日本政府は、北方漁場の海産物を保存する方法として、
オリーブオイルを使用したオイル漬けに着目した。


 オリーブオイルを生産するため、農商務省がオリーブの試験栽培を開始。
香川・三重・鹿児島の3県が栽培地として指定された。
その中で香川県の小豆島のみが栽培に成功した。
1911年(明治44年)。74㎏の実を収穫することができた。


 小豆島の気候が地中海沿岸とよく似ていたこともあるが、技師たちの
たゆまぬ努力が実を結んだといえる。
3年後。オリーブ栽培が島全体に普及した。いまに続く栽培の礎が築かれた。


 「なるほど。それでこの島がオリーブの島になったのですか。
 で、ご老人はこの小豆島で日本ミツバチを飼う元祖になったと伺ったのですが、
 なぜハチ飼いをはじめたのですか。この島で?」


 「若いの。ワシを老人呼ばわりするのはよせ。ワシの名は徳次郎。
 敬意をこめて徳じぃと呼べ。
 ハチはな、自然を守る偉大な昆虫じゃ」


 「自然を守る偉大な昆虫、ハチが?。ホントですか?」


 「お前さんときたらホントに何も知らんな。
 大学で何を学んでいるんだ。いまどきの学生は」


 「デザインを学んでいると言ったでしょ」


 「デザイン?。そんなものを学んで何になる?」


 「食っていくためです。ぼくが」


 「デザインで飯が食えるのか?」


 「才能があれば食えます」


 「才能があるのか、おまえさんに?」


 「卒業して就職してみなければわかりません」


 「卒業できるのか?」


 「とりあえず、なんとかなると思います・・・」


 「なんだ。自信がないのか。なんとも情けない奴じゃのう」


 「ぼくのことは放っておいてください。それより先ほどの話を教えてください。
 ハチが自然を守るというのはどういう意味ですか?」


 「世界中からハチが消えているという報告があとをたたない。
 減少し始めたのは1990年代の後半から。
 2011年、国連がミツバチの激減について初の報告書を出した」


 「詳しいですね。ご老人は」


 「こら!。言ったではないか、徳ジィと呼べ。若いの!」


 「ぼくの名は寅です」
 
 「よく聞け、寅。
 ミツバチは花の蜜を集め、巣に蓄えることではちみつを作る。
 だがそれだけではない。
 はつみつをつくる以外に、じつは重要な役割をはたしているんじゃ」


 「重要な役割?」


 「そうじゃ。ハチは自然界で重要な役割を果たしている。
 どういう意味かは自分で見つけろ。
 それを学ぶため、おまえさんたちはここへ来た」


 (41)へつづく


上州の「寅」(39)オリーブの島 

2020-10-25 17:33:37 | 現代小説
上州の「寅」(39)


 「いまから15年前だ。
 作業小屋の換気口に見慣れぬものがあった。日本ミツバチの巣じゃ。
 ほう。こんな島にも日本ミツバチがいたのか。
 それがわしとハチの出会いじゃ。それからわしの養蜂がはじまった」


 自転車店の店主・麦わら帽子の老人は、小豆島における養蜂の先駆者。
大学や専門家たちに聴きながら試行錯誤の養蜂を学んだ。
いまは七ヶ所の畑に巣箱を置き、年間50キロのハチミツを採るという。


 「ひとつの巣箱に1匹の女王バチがいて、群れが暮らす。
 群れの大きさは様々だ。たいてい1万~2万匹。
 収穫は一年に一度。
 とれたはちみつは売らん。
 ちかくの人へおすそわけじゃ」


 「もったいないです・・・高価なのに」


 「欲をかくとロクなことがねぇ。
 日本ミツバチがたくさんいて、いろんな花があちこちで咲く。
 そんな風景を子や孫にのこせれば、それで充分だ。
 この島の自然の素晴らしさを残すのは、若いおまえさんたちの仕事だ。
 だからおまえさんたちに協力することにした」


 老人が目をほそめる。


 「さて。店へ戻るか」


 老人が腰を上げる。


 「あの・・・わたしたちは?」


 「わしの養蜂の原点、作業小屋を自由に使え。
 軽トラックと自転車は、大前田氏が買いそろえた。
 ただし小屋へ住むのは女の子2人じゃ。
 そっちの兄ちゃんは、わしといっしょに店で暮す。
 7歳にして席を同じゆうせず。転ばぬ先の杖じゃ。
 あっはっは」
 
 作業小屋は目の前にある。
古びた店の外観よりまだ古い建物だ。だいじょうぶか?、こんなぼろ小屋で?。


 「心配せんでいい。外観は古いが中は作り直した。
 快適とはいわんが2人が暮らすには十分だろう。
 あ、風呂とトイレはないぞ。そちらは母屋で用を足せ」


 行くぞ若いのと、老人が母屋へ戻っていく。
寅があわてて老人のあとを追いかける。
高台のここから海がひろがる。瀬戸内の青い海だ。
海面をさえぎるようにオリーブの木が、葉をさわさわと揺らしている。


 「そういえばここはなんでオリーブの島と呼ばれているのですか?」


 「そんなことも知らずに来たのか、おまえさんは?」


 「すいません。ぼく、デザイン専攻の美大生です」
 
 「美大生?。テキヤかと思ったら絵描きか。おまえさんは。
 日本にオリーブオイルが持ち込まれたのは文禄3年(1594年)。
 オリーブの樹がはじめて植えられたのは江戸時代末期の文久2年(1862年)。
 場所は横須賀じゃ。
 その後1879年(明治12年)に神戸の温帯植物試験所でフランス産オリーブの
 栽培に成功した」


 「ここじゃなかったのか。オリーブの発祥は」




(40)へつづく


上州の「寅」(38)元祖のはちみつ

2020-10-22 18:02:49 | 現代小説
上州の「寅」(38)

 
 「おやっさん。居るかい?。若い者を連れてきたぜ~」


 店の前へベンツを停めた大前田氏が窓から顔を出す。奥へ向かって呼びかける。
返事はない。明かりはついているが人の気配はない。


 古い自転車店だ。
組み立て中の自転車が数台、店の中で乱雑に置かれている。
ということはまだ自転車店として成り立っているらしい。
だが店名を書いたペンキは、すでにじゅうぶん色あせている。


 「居ねえのか。しょうがねぇ。探しに行くか」


 大前田氏が店の裏手へむかう。
足取りが慣れている。その先に店主が居ることを知っているようだ。
はたして・・・


 「なんだよ。居るじゃねぇか。居るんだったら返事してくれ」


 「おう。おまえさんか。
 おれはまた性質のわるい仲買人が、はちみつを買いに来たと思った」


 麦わら帽子が巣箱の前から立ち上がる。


 「この子たちがつくるはちみつは特別だ。
 ベンツやレクサスに乗って来る連中に、100万円積まれたって売るもんか。
 そういえばあの時のおまえさんもそうだった。
 初めて来たとき、いくらでもいいから売ってくれと高飛車だった」


 「たのむから昔の話はやめてくれ。こいつらが聞いたら本気にする」


 「人相が悪いうえベンツに乗ってやって来たんだ。
 どう見たってあくどい商売をしている極道にしか見えねぇ。
 だが話を聞いて驚いた。
 極道じゃないが全国をたばねるテキヤの若頭とは、これまた驚きだ」


 「じじぃ。昔の話はもういいって言ってるんだ。
 それよりこいつらが、これから小豆島でハチ飼いをはじめる子どもたちだ。
 おう。おまえら挨拶しろ。
 このお方はこう見えて、小豆島におけるハチ飼いの元祖様だ」


 寅です。チャコです。ユキです。と3人がつぎつぎ頭をさげる。


 「そんな風にいっぺんにあたまを下げられても、覚えきれねぇ。
 そんなことよりこっちへ来い。
 おまえさんたち。ほんものの日本ミツバチの蜜をなめたことは有るかい?」


 老人のごつい指が巣箱のふたをもちあげる。
素手のまま、巣箱の中へ手を入れる。


 「ほれ。これが日本ミツバチの蜜じゃ」
 
 巣箱の中から巣房(ハチの巣)を取り出す。


 「ミツバチが巣を探し当てて戻って来れる最長距離は5キロ。
 5キロ四方から集めてきた蜜がここに詰まってる。
 どうだ。なめてみるか?。ほれ」


 「えっ・・なめさせるのか、子どもらに!。
 おれには見せるのも嫌だとさんざん拒否しやがったくせに!」


 勿体ねぇと大前田氏が、3人をかきわけて前へ出る。
 
 「こらこら。はしたねぇ。
 レデイファストだ。
 こちらのかわいいお嬢ちゃんからなめてみな。
 遠慮すんな。巣房の中へ指をつっこんで、好きなだけなめろ。
 天国へのぼったような心地がするぞ」


 ユキが巣房へぷすりと指をさす。
蜜蝋の下からとろりと黄色い液体がこぼれだす。
引き抜いた自分の指へかぶりつく。


 「うわ~あ、おいしい~」


 絶賛の声が小豆島の海までひびいていく。


(39)へつづく



上州の「寅」(37)小豆島

2020-10-14 17:51:11 | 現代小説
上州の「寅」(37)




 九州の南端から小豆島までを、大前田氏の黒いベンツは
7時間余りで走破した。


 「ほら見ろ。おれがその気で飛ばせば、こんなものだ。
 小豆島といえば二十四の瞳とオリーブの島。
 おまえ。二十四の瞳を知ってるか?
 いろんな女優が映画やドラマで新任の教師・大石先生を演じたが
 おれがいちばん好きなのは1987年に公開された田中裕子だ。
 初々しくて、じつにチャーミングだった」


 田中裕子は知っているが、1987年と言えば寅が生まれる13年も前のことだ。
いまの田中裕子なら知っているが、生まれる前のことなどまったくわからない。
はて?、と寅が首をかしげる。




 「知らんのか。昔の田中裕子は・・・。
 そういえば男はつらいよシリーズの、30作目にも登場しているぞ。
 花も嵐も寅次郎のマドンナ、蛍子だ。
 鼻にかかった甘い声。猫のように男にしだれかかる仕草さ。
 無邪気に振りまかれるなんともいえない色香。
 いままで居なかった不思議な色気を見せたマドンナだ。
 寅さんが惚れちまうのも無理はねぇ」


 「あ・・・それ見ました。DVDで」


 「なにぃ。寅さんを見るのかお前は。へぇぇ若いくせに渋いなぁ」


 「寅さんは大好きです。
 49作目までのDVD、すべて持ってます」


 「暇なんだな。いまどきの美大生は」


 「父が男はつらいよの大ファンです。
 ぼくの名前の寅も、フーテンの寅さんにあやかったと聞いてます」


 「よく母親が納得したなぁ。
 平成生まれの子供に、寅とつけるのは勇気がいるぜ」


 「母に内緒で勝手に役所へ届け出たそうです」


 「おめえ。素質があるかもしれねぇな。
 寅さんシリーズのDVDを持っているなんて、見直したぜ」


 「ぼくのルーツです。いちおう確認しておかないと」


 「寅さんと言えば、おれらとおなじテキヤ家業。
 おまえさんの中にも、おなじ血が流れているかもしれねぇな」


 「よく言いますよ。
 こんな状況の中へぼくを勝手に引きずり込んだくせに」
 
 「不満なのか?、おまえ。
 金髪の美女が2人もいるんだ。うまく立ち回れば両手の花だぞ」


 「どういう意味ですか?」


 「意味は自分で考えろ。それより用事を思い出した。
 2~3日、面倒見てやろうと思っていたが、そうもいかなくなった。
 そのあたりで降ろしていくから、あとは自分たちでなんとかしろ」


 「えっ・・・とつぜん何ですか!」


 「安心しろ。おまえらの身元引受人はすでに探してある。
 もう少し行くと古ぼけた自転車屋がある。
 そこがおまえさんたちの住まいと仕事場だ。
 お・・・見えてきた。
 ほれ。あそこがおまえさんたちがこれから世話になる自転車だ」




(38)へつづく


上州の「寅」(36)もと暴走族 

2020-10-10 17:37:55 | 現代小説
上州の「寅」(36)

 
 鹿児島から小豆島まで756㎞。
九州縦貫自動車道と山陽自動車道を経由しておよそ11時間。


 寅を助手席に乗せ、後部座席にチャコとユキを乗せたベンツが
一ヶ月を過ごした荒れた日本庭園をあとにする。
九州縦貫自動車道へ乗る少し前、ベンツが弁当店の前で停車した。


 「昼のぶんだけでいい。
 途中はトイレ休憩以外は停まらんからな。
 夕方には小豆島へ着くだろう。着いたらうまい魚を食わせてやるから感謝しろ」


 夕方には小豆島へ着く?。


 「そういえばお前。約束手形を持っているだろう。
 そいつをよこせ。現金にかえてやる」


 寅が額面10万円の約束手形を大前田氏へ差し出す。
「たしかに。じゃこれ。遠慮なく受け取れ」分厚い封筒を寅へ手渡す。
手ごたえが有る。
10万円にしては重すぎる。寅が中を確かめる。
真新しい帯封がひとつ。100万円がおさまっている。


 「あれ・・・これはなにかの間違いでは。
 額面の10倍、入っていますが」


 「お前さんの取り分と、チャコとユキの生活費。
 ユキの高校入学の費用。インターネット環境をととのえるための費用。
 あたらしくつくる巣箱の費用。小豆島の滞在費などなど。
 もろもろ考えると足らんかもしれん」


 「この100万ですべてやりくりしろ、という意味ですか?」


 「足らん分は本業でなんとかしろ。香川県支部と話はつけてある」


 「テキヤで稼げということですか?」


 「おまえたちの本業はテキヤだ。
 そういう意味では2足のわらじのあたらしい生活だ。
 いや・・・3人いるからわらじは6足か」


 (チャコさんとユキちゃんはテキヤですが、おれの本業は学生です)


 反論しかけて、寅が言葉を呑み込んだ。
文句を言って通用する相手ではない。




 ベンツが九州縦貫自動車道へ乗り入れた。
料金所を通過したベンツが、本線へむかって加速していく。
速度計のデジタルがいっきに上昇していく。


 (ええ・・・速すぎないか。このベンツ・・・)


 100㎞を超えても大前田氏は、アクセルをゆるめない。
それどころかさらにアクセルを踏み込んでいく。
エンジンの音がかわった。ほんものの咆哮だ。
むちを入れられたエンジンが、爆走モードへ突入していく。
デジタルが150㎞をこえていく。
 
 (この人、暴走族だ・・・速度計が150キロを超えている!)


 大前田氏がサングラス越しの目を寅へ向ける。


 「心配すんな。こいつはドイツの高速道路アウトバーン育ちだ。
 そこで鍛え抜かれた心臓をもっている。
 150キロくらいチョロいもんだ」


 「アウトバーン?」


 「知らんのか?。制限速度無制限の区間があるドイツの高速道路だ。
 ただし無法地帯ではない。
 厳格なルールとマナーがちゃんとある。
 3車線あるが、各車線の役割が決まっている。
 いちばん端は遅い車と、制限速度80㎞ではしる大型のトラック。
 真ん中の車線はだいたい130㎞前後ではしる車。
 中央車線のみが無制限。
 だが180キロで走っていてもかならず追いつかれる。
 自分より速い車が来たら、道をゆずる。
 それがアウトバーンだ」


(37)へつづく