落合順平 作品集

現代小説の部屋。

農協おくりびと (60)小鳥が、泣いている?

2015-11-30 12:01:04 | 現代小説
農協おくりびと (60)小鳥が、泣いている?



 午後6時。定刻通り通夜がはじまった。
故人は、小鳥が大好きだったという、93歳のおばあちゃん。
センサー付きの小鳥の置物は、会場入り口の思い出コーナーに飾られた。


 祭壇に向かった右側に、喪主、遺族、近親者、親族の順で並ぶ。
左側に、葬儀委員長(もしくは代表世話人)、世話役、友人知人、
職場関係の代表などが顔をそろえる。



 近親者の末席。2列目の隅へ目が行ったとき。
どこか見覚えのある30そこそこの女性が座っていることに、ちひろが気が付いた。
中学生くらいだろうか。子供が2人、女性の隣にかしこまっている。



 (見た目の年齢は、わたしと同じくらいですねぇ。
 中学生くらいの子供が居るという事は、10代で出産したことになります。
 打ち合わせをした初老の喪主といい、2人の子持ちの女性と言い、なんだか、
 正体が思い出せない人たちと良く出会う日です・・・
 それにしてもわたしの頭も、鈍くなったものです。
 すぐに記憶がよみがえらないというのは、不快な気分になりますねぇ・・・)


 
 手順を確認するために、ちひろが下を向く。
その瞬間。伏せたちひろの視線の隅を、剃髪の男が横切っていく。
光悦だ。ちひろがあわてて目をあげる。
遅れてやって来た光悦が、後列の空いた椅子へ腰をおろそうとしている。
(やっぱり来た!。先輩の予言は、みごとに当たった!)



 だが、驚きを覚える光景は、さらに続く。
遅れてやって来た光悦を、ほっとしたような目で出迎える存在に気が付いた。
しっかり光悦を見つめたまま、いつまでたっても離れていかない、特別の目線が有る。
見つめているのは先ほど気にしたばかりの30歳代の女と、中学生らしい
2人の子供だ。


 (あら。あの人たちと、知り合いなのかしら光悦は・・・?)



 そのときだ。遠くから、ぴよぴよと鳴く小鳥の声が聞こえてきた。
(あら、誰かが手のひらに乗せたのかしら。小鳥のセンサーが反応したようですねぇ)
小鳥の鳴き声は、10数秒で鳴き止む。
放っておいても特に支障はないだろう。そう考えたちひろが、司会の仕事に戻る。
だが何時まで経っても、置物の小鳥は、ぴよぴよと鳴いている。



 (変ですねぇ・・・もう鳴きやんでもいいころなのに、いっこうに鳴きやみません。
 悪戯でもしているのかしら。誰かが、思い出コーナーの置物に・・・)



 厳粛な空気がただよう中。僧侶の読経が厳かに響く。
読経の声とは別に、廊下の奥から、ピヨピヨと小鳥の声が響いてくる。
さすがこれだけ続くと会場内も、ぴよぴよと鳴く小鳥の声に気が付いたようだ。
ざわざわとした波紋が、会場内にひろがっていく。
(まずい。このままでは騒ぎがおおきくなる・・・)



 ちひろが目で、スタッフに合図を送る。
「廊下へ出て、小鳥が置いてある展示コーナーの様子を見て来て。
誰かが触っていたら、お式の最中ですから静かにしてくださいとお願いして」
「わかりました」、異変に気付いたスタッフが急ぎ足で廊下へ出ていく。
だがその直後。様子を見に行ったスタッフが、怪訝な顔で戻って来る。



 「見てきましたが、小鳥の置いてある展示コーナには誰もいません」


 「展示コーナーに誰も居ない?。可笑しいですねぇ。
 誰も触っていないのに、小鳥が勝手に鳴くなんて。そんな馬鹿なことが・・・」


 「でも、誰もいないんです。本当に。
 展示コーナーで、例の小鳥がひとりで勝手に鳴いてるみたいです・・・」



 「ええっ~」とちひろがもう一度、小鳥の声に耳を傾ける。
ぴよぴよとあいかわらず、小鳥は鳴き続けている。
会場の奥まった場所に居る遺族たちも、小鳥の声に気がついたようだ。
ざわざわとした声が、やがて会場全体へひろがっていく。



 「小鳥好きだったという故人をしのんで、小鳥たちが見送りにやって来たようです。
 申し訳ありません。当ホールの演出でございます。
 故人をしのぶ小鳥たちを、本日の通夜の席にわたしどもが招待いたしました。
 決して怪奇現象ではございません。よろしくお願いいたします」



 ちひろがとっさに、即興でつくろった。
しかし相変わらず小鳥は、元気な声で鳴き続けている。
いや。鳴くというより、故人をしのんで泣いているようにさえ聞こえてくる。
(有るんだろうか、こんなことが現実に・・・悪い夢でも見ているのかなぁ私は。
いいえ。これはきっと長時間、働き過ぎた幻聴だ・・・)



(61)へつづく


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農協おくりびと (59)光悦が、やって来る?

2015-11-29 11:45:08 | 現代小説
農協おくりびと (59)光悦が、やって来る?




 ちひろの実家は、寺と密接な関係を持っている。
寺のほとんどが、個人ではなく宗教法人だ。
宗教法人は、檀家や檀家総代とは別に、責任役員制度を持っている。
3人以上の責任役員を置く。
そのうちの1人を代表役員にしなさいと、宗教法人法で規定されている。
おおくの寺に檀家組織とは別に、運営組織としての役員会が存在する。


 ちひろの実家は、「宗教法人法(昭和26年)」が誕生したときから、
代々、運営役員を受け継いできた。
家も近かった。幼いちひろが寺の境内で遊ぶのは、ごく当たり前の日常だった。
毎日のように寺の境内で遊び、双方の親にいわれるまま、
光悦と手をつないで、出来たばかりの幼稚園に通った。
『お似合いだね』と褒められて、ちひろと光悦は幼年期を過ごしてきた。



 「なによ、遠い目をしてぼんやりして。ちひろったら。
 さては、愛しい恋人の光悦クンのことでも、思い出しているのかな?。
 そういえば今日は、やってくるかもしれませんねぇ、光悦クンが・・・」



 先輩が突然、矛先を変えた。光悦の名前がいきなり出てきた。
キュウリ農家の山崎のことを、これ以上、聞いても埒が明かないと諦めたようだ。
だが今日、光悦が来るとは聞いていない。
まったく身に覚えのない情報に、ちひろがキョトンと目を見張る。



 「来る可能性は、間違いなく、100%あると思います。
 あ、でも、忙しくなるわよ、今日は。
 午前中のお客さんが、250人から300人。
 午後の部は、もうすこし多くなって、300人から350人。
 6時からは、原田家の通夜。
 8時間どころか、今日は3時間残業の、11時間労働になりそうです」



 そのどれかの葬儀に、光悦が来るという意味なのだろうか?。
確かめようと思ったその瞬間、「じゃあねっ」といって先輩が背中を向ける。
先輩はちひろたちのことよりも、ナス農家の荒牧とうまくいきそうなことを、
報告したかったような雰囲気が漂っている。



 光悦からは、何の連絡も入っていない。
葬儀を担当するのは、別の寺院の住職だ。光悦の寺とは関係がない。
身内や、親戚関係でもなさそうだ。
それでも先輩は「来る可能性は100%ある」と、はっきり言い切った。


 「今日の葬儀は、焼香客から目が離せなくなりそうです・・・」



 いくら見回しても午前中の葬儀に、光悦の姿はなかった。
「午後の葬儀かしら・・・」今度は午後の葬儀中。
必死に目を凝らして探してみたが、何処を見ても、光悦の姿は見当たらない。
修行中の光悦は、青々とした剃髪のはずだ。居るとすれば一目で分かる。
「じゃあ、6時からの通夜かしら?」
緊張の糸が切れたちひろが、重い足取りで事務室へ帰っていく。



 「ちひろちゃん。通夜の喪主さんがあちらに、ご相談事でお見えです」



 先輩が、応接セットに座っている人物の背中を指さす。
見覚えのない背中のように見える。
だが、何処かであったような雰囲気が、なんとなく漂っている。
(誰だったろう。遠い昔、お会いしたような記憶が、かすかにあるのですが・・)
しかしちひろの疲れた頭に、記憶はよみがえってこない。
「どのような、ご用件でしょうか?」
ちひろが、疲れきった顏にせいいっぱいの笑顔を浮かべて、夫人の正面に
腰を下ろす。



 「母(故人)は長年、ずっと、インコをいっぱい飼っていました。
 すごく可愛がっていたんです。
 本当は最後のお別れまで、ずっと一緒にいさせてあげたいのですが、
 ここ(葬儀場)へ、インコを連れてくるわけにもまいりません。
 家で留守番してるインコたちの代わりに、実は、
 この小鳥の置物を持ってきたんです」


 故人は、置物の鳥グッズを集めることも大好きだったという。
そうしたコレクションの中でも、特にお気に入りだった一羽を持って来たという。
故人が生前、趣味としていた作品や愛用していた品々を、式場に展示するのは
最近の葬儀では、よくあることだ。



 趣味で書いていた絵や書。愛用していたゴルフクラブや釣り竿。
仕事の道具や、旅行が好きで、旅先で撮った思い出の写真などなど・・・
それらを並べて、展示コーナーを形作っていく。
故人をしのぶ演出として、展示コーナーはすっかり定着してきている。



 「そうそう、この小鳥の置物ね、鳴くんですよ、
 こうやって手にのせると・・・ほらっ」


 
 婦人の手に乗った瞬間、小鳥がぴょぴよと鳴き始めた。
ホントだ!。小鳥の足の裏に、温度で反応する優秀なセンサーがついている。


 
(60)へつづく


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農協おくりびと (58)映画館でレイトショー

2015-11-28 11:09:02 | 現代小説
農協おくりびと (58)映画館でレイトショー




 合コンを終えた次の日の朝。
早めに出勤したちひろのもとへ、先輩が飛んできた。



 友引明けの斎場は、とにもかくにも忙しい。
地方によって異なるがこのあたりでは、友引の日の葬儀は敬遠される。
余裕が有れば通夜であっても1日先送りする。
次の日に本葬をおこなう。つまり、3日がかりの葬儀になることも有る。
したがって友引明けは、新規の予定も含めて2重の忙しさになる。



 今日は午前中に1件。午後には2件、葬儀の予定が詰まっている。
それだけではない。6時から通夜の予定が入っている。
斎場のスタッフたちは今日1日で、2日分以上を稼ぐことになる。


 「ねぇちひろ。あれからあんたたち、どこへ消えたのさ。
 解散したのが午後の7時でしょ。
 カップルごとにデートを楽しんだわけだけど、遅い時間までどこへ居たのよ。
 あんたの家の前を通過したのが、深夜の11時40分。
 あんたの車はまだ、駐車場になかったわ。
 不良じゃあるまいし、午前様になるまで何をしていたのさ、あなたたち」



 ちひろの家の前を通り過ぎたのが、深夜の11時40分なら、
隣町に有る先輩のアパートまで帰りつくのは、午前零時を過ぎることになる。
当人も午前様だというのに、自分の不具合は平然と棚にあげる。



 「最近出来た、隣町のショッピングモールです。
 モールの中をぶらぶら歩いたあと、お腹が空いたので8時過ぎに食事しました。
 そのあとは映画館で、レイトショーを楽しみました」

 
 「レイトショーなら、上映終了は11時過ぎになるわよねぇ。
 奇遇ねぇ。同じ映画館に居たんだょ、あたしたちも。
 何見てきたの?。あたしたちも行ったのよ、最後に2人で映画でも見ようかって」



 「3D版のジュラシック・ワールド。上映が終わったのが、11時40分。
 さようならもそこそこに、あわてて自宅へ飛んで帰りました」


 
 「わたしたちが観たのは、アンフェア のthe end。
 終了したのが23時20分。なぁ~んだ、たったそれだけの差か、
 つまらないわね。
 てっきりホテルにでもしけこんで、いちゃいちゃしているのかと思っていたのに。
 心配しただけ損しちゃいました。
 味気ないわねぇ、お互いに、健全過ぎる午前様で」



 健全過ぎたかどうか、自分では判断できない。
誘われるままデートに応じたが、それを楽しんでいるちひろ自身がどこかに居た。
昨夜の午後7時。群馬まで無事に帰ってきた一行が、祐三のいきなりの提案で
突然、解散する羽目になる。



 「1日、ご苦労、諸君。
 突然だが、いまの時間をもって、本日の合コンを解散とする。
 俺は妙子さんを送っていきながら、どこかで軽い食事をする予定だ。
 心配するな。戒律を破るわけにはいかん。
 午後8時までに、妙子さんを臨勝寺へ送り届ける。
 その点は、これから別行動をとる松島と圭子ちゃんも、同じことだ。
 戒律と無関係の残った2組は、好きにするがいい。
 こころいくまでデートを満喫するがいい。
 たまにはゆっくり羽を伸ばせ。さくら会館のお2人さんも!」



 キュウリ農家の山崎に誘われるまま、ちひろがデートに応じる。
断り切れない空気も、何処かに漂っていた。
先輩とナス農家の荒牧も、ひそひそと、さきほどから密談をかわしている。
即席でつくられたカップルだ。「どこか行こうよ、2人だけで」と誘われても、
「ありがとう。でも今日は疲れたから帰りたい」と、断ることもできた。



 拒否しないで、素直に応じたのは、ちひろの気持ちの中に、
あたらしい何かが、生まれ始めてきているからだ。
「昔から好きでした」と正面切って言われると、誰でも心が動く。
信じていた部分が揺れ始めていることに、ちひろ自身も気がつきはじめている。
ちひろと光悦は、産まれたときからの幼なじみだ。
だが、ただそれだけの仲であって、将来を誓いあっている2人ではない。



(いいか、たまには別の男の人と、デートを楽しんでも・・・)



 微妙に揺れはじめているちひろが、実は、その場所に居た。

 


 
(59)へつづく


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農協おくりびと (57)受け止めてやる 

2015-11-27 11:34:19 | 現代小説
農協おくりびと (57)受け止めてやる 



 「跳べよ。受け止めてやるから」


 砂浜に立ったキュウリ農家の山崎が、自信たっぷりにちひろを見上げる。
地面まで、2メートルあまりの高さ。
だが、小路の上に立ち往生しているちひろの目は、さらに高い位置に有る。
砂浜で両手を広げている山崎が、はるか眼下にいるように思えてくる。

 
 「無理。上に戻るから、わたしのことは心配しないで・・・」



 草につかまったまま、ちひろが斜面の上を振り返る。
目に飛び込んでくるのは、絶望的な高さだ。
戻ることを拒絶しているような、絶望な急斜面の様子が目に飛び込んでくる。
(戻るのは、とてもじゃありませんが、無理なようですねぇ・・・)
生唾を呑み込んだちひろが(飛び降りるのも、正直こわい)と両目を閉じる。



 「跳べよ。大丈夫だって。必ず俺がちひろさんを受け止めてやるから」


 『迷うなよ、ためらうほど恐怖は増えるぞ!』下から、山崎が大きく両手を差し伸べる。
恐怖をおぼえた時。躊躇すればするほど、時間とともに恐怖心は大きくなっていく。
足元に居る山崎が、途方もなく下にいるように見えてくる。
2階どころか、3階の窓から砂浜を見下ろしているような気分になってくる。



 「もとは高校球児だぜ。体力と腕力には自信が有る。
 安心して跳べ。俺が全力でしっかりちひろさんを、受け止めてやるから」



 「駄目。最近、わたし肥ったのよ。見かけによらず、少しばかり重いのよ」


 「2キロや3キロ、増えたところで、どうってことはないさ。
 多少重くても、俺が責任をもって受け止めてやる。俺を信じて、跳べよ」


 「2キロや3キロじゃないのよ。増えてしまったあたしの体重は・・・」



 「何キロ太ったんだ?。君の体重はいったいいま、どのくらい有るんだ?」



 「50キロと・・・あっ、何を言わせるのさ、あんたって子は。
 油断も隙もないわねぇ・・・まったく。
 嫁入り前の女性に体重を聞くなんて、失礼を言うにも限度があるわ!」



 「じゃあ、聞かねぇよ、ちひろさんの体重なんか。いいからさっさと跳べ。
 いいかげん俺も、待ちくたびれた」



 「いいわよ、自分でおりるから・・・」ぼそっとつぶやいたちひろが
狭い足場の上で、そろりそろりと態勢を変えながら、跳ぶための前傾姿勢を取る。
(跳び降りられるかしら、大丈夫かしら)身体の向きを、強引に変えたとき。
ちひろの尻が、草の斜面に突き当たる。
(あっ!)短い悲鳴を上げたちひろが、尻を押された形で空中へ前のめりになる。


 ばたばたと必死に両手を動かすが、つかめるモノなど何もない。
覚悟を決めて、自分から空中へ飛び出す。
自分では形よく、ふわりと、空中へ飛び出したつもりだ。
だが運動不足のちひろの全身は、想いとは裏腹に、すぐに空中でバランスを崩す。
バランスを失ったちひろが、頭を下にして、そのまま砂浜に向かって落ちていく。



 (万事窮す・・・ああ、わたしの人生も、これまでかしら・・・)



 激しい衝撃を、とっさに予感する。
「死んじゃうのかしら、もしかして・・・」ちひろがさらに固く、両目を閉じる。
どさりと落ちた背中が、柔らかいものに包まれて衝撃が吸収されていく。
(あら・・・柔らかいショックです?。変ねぇ)激しい痛みを覚悟していたちひろが
予期せぬ軟着陸に、驚きを覚える。
砂浜にしては、柔らか過ぎる。まるでマットの上にでも落ちたようだ。
ちひろが目を開けた瞬間。背中から、かすかなうめきの声が聞こえてきた。


 
 「ホントに重いな・・・お前。俺の全身の骨が、砕けるかと思ったぜ」



 間一髪で山崎が、ちひろの下へ身体を滑り込ませた。
高校野球で鍛えてきたスライディングが、ちひろのピンチを見事に救った。
あわてて身体を起こそうとするちひろを、山崎が下から制止する。



 「お願いだから、動かないでくれ・・・気持ちが・・・」


 「どうしたの。どこか、怪我でもした?。
 骨が折れて、気持ちが悪いのかしら。痛くない?。ねぇホントに大丈夫?」


 「いや、痛いわけじゃない。
 君のお尻が、とても柔らかくて、気持ちが良い。
 それに、なんともいえない良いにおいがする。
 お願いだ。もう少しでいいから、このままの態勢でいてくれないかなぁ。
 君のピンチを救ったお礼としてさ・・・」

 
(58)へつづく


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農協おくりびと (56)遭難、一歩手前 

2015-11-26 11:55:50 | 現代小説
農協おくりびと (56)遭難、一歩手前 



 
 「そうだな。集合時間は午後4時。2時間半も見れば群馬まで戻れる。
 途中で渋滞しても、8時前には帰り着く。
 ということでこれから2時間は、カップルごとに行動する。
 俺たちは、高台から君たちの行動を監視・・・いや、見守ることにする。
 指示は以上。では、各自、自由に解散」



 もと地域分団の団長だった祐三は、指示を出すとき軍隊調になる。
バーベキューとワンタッチテントを片づけたあと、2時間ほどの余裕が生まれた。
せっかくだから好き勝手に過ごせと、祐三が自由行動の許可を出す。



 松島と圭子は解散と言われた瞬間。どちらからともなく、手をつなぐ。
海岸へつづく遊歩道を、軽い足取りで降りていく。
ナス農家の荒牧と先輩は、さっさとキャンプ場の管理棟に向かって歩き出す。
キュウリ農家の山崎とちひろだけが、高台にポツンと取り残される。



 「どうした。お前ら。
 パートナーが気に入らんのか、それとも場所が見つからないのか。
 似合いだと思うぞ。お前さんたち2人も。
 気張れ山崎。4歳も年上の姉さん女房なんて、探してもなかなか見つからん。
 たっぷり餌をばらまいて、なんとしてでも釣り上げろ。あっはっは」



 これ以上ここへ居ると、何を言われるか分からない。
とりあえず行きましょうとちひろが、キュウリ農家の山崎の手を握る。
当てもなく高台の道を歩きはじめる。
尾根に沿って歩いて行くと、目の前に断崖があらわれる。
急角度で落ち込んでいく斜面が、そのまま碧い海の中へ吸い込まれていく。



 海に面した陸地が、急な角度で海の中へ落ち込む。
そうした景観が、日本海の特徴だ。
海に沿った道路を走ると、そのことが如実にわかる。
岬の突端を曲がるたび、同じような絶景がふたたび前方にあらわれる。
荒海に浮かぶ大小の岩礁。砕け散る白い波。見事に切り立った緑の断崖。
そして青くまぶしく光る北の海。



 「降りられそうだ・・・」



 斜面を覗き込んだキュウリ農家の山崎が、荒れた小路を発見する。
だが小路に手すりは無い。斜面に、身体を支えるための木々も見当たらない。
足を滑らせれば、一気に30メートルちかくを滑り落ちることになる。
そんな気がする、草だらけの急斜面だ。



 「降りてみようぜ」


 キュウリ農家の山崎が、急斜面へ1歩踏み出す。
荒れた小路は、草が生い茂っている。まるで海に面した、けもの道のようだ。
それでもかろうじて、人ひとりが降りて行けそうな雰囲気は有る。
数歩降りたところで「大丈夫だ。」と、山崎がちひろに向かって手を伸ばす。
(尻込みしている場合じゃないな・・・)
覚悟を決めたちひろが、斜面に向かって、こわごわと足を出す。



 歩きはじめると草に覆われた小路が、意外にしっかりしていることがわかる。
おそらく。長い時間をかけ、人が踏み固めたものだろう。
だが急斜面を下った小路が、最後の2メートルほどで途絶えてしまう。
崩れ落ちた跡が、真新しく見える。
最近の台風か大雨の影響で、崩落してしまったようだ。
2階のひさしほどの高さを、山崎が軽々とジャンプしてみせる。
山崎の身体が、ふわりと砂浜へ着地する。



 「あんたはいいけど、残った私はどうするの?」



 小路が途絶えていたことは、おおきな誤算だ。
高さにおびえたちひろが、近くの草を両手で握り締める。
つま先立ちした足元から、小さな石がパラパラと、砂浜に向かって落ちていく。


 
(57)へつづく

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