落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (48)被災地へ帰る?

2014-07-31 11:15:47 | 現代小説
東京電力集金人 (48)被災地へ帰る?




 「うるせぇ、大きなお世話だ。俺が不機嫌そうな顔をしているのは、いつものことだ。
 話が終わったのなら、とっとと席を代われ。藪医者」

 わかってるさ。言われなくても退散するよと杉原医師が、伝票を持って立ち上がる。
「おい。そいつは置いて行け」と岡本がすかさず、追い打ちをかける。


 「先日、福島のスナックでおごってもらったからな。借りは、きっちり返しておく」

 「この間のスナックの奢りと帳消しか。すこぶるのケチだな、お前も。
 支払い額が、一桁どころか2桁も違うだろうが・・・
 しょうがねぇなぁ、とりあえず、お前さんの厚意に甘えておこう。
 こんど行ったらスナックの勘定と2次会の支払いまでお前さんが持てよ。
 それでよければ、今日のところは喜んで御馳走になる」


 「俺は、化粧の濃すぎる女と、やたら香水のキツイ女は大嫌いだ。
 スッピンの女将がやっている、行きつけの居酒屋で良ければいつでも喜んで招待する」


 「それで充分だ。じゃ、また福島で会おうぜ」ニコリと笑った杉原医師が
ポンと岡本組長の肩を叩き、退席をしていく。



 「医者ってやつは偏屈だ。どうしても庶民と一緒に酒を飲みたがらない。
 自分を特別な人種だと、ハナから勘違いをしているからだ。
 俺に言わせりゃ人種のるつぼの居酒屋のほうが、よっぽど情報収集の役に立つ。
 待ってりゃ病気の客が勝手にやって来る医者と、仕事先は自分で見つける必要がある
 人材派遣業との違いだな」

 「話と言うのは、その、人材派遣業のことですか?」


 「それなりに、感は働くようだな。大当たりだ。
 もっとも、今のおめえに話が有ると言えば、俺がやっている人材派遣業の話だけだがな。
 集金人なんていう、誰にでもできるような単純な仕事はとっととやめて、
 いい加減で、俺の人材派遣業を手伝え」

 「それは何度も断ったはずです。
 それに俺は、好き好んで極道の世界に足を踏み入れるつもりも、一切ありません」


 「馬鹿野郎。口を慎め。誰が極道の世界へ足を踏み入れて来いとお前に言った。
 俺のやっている人材派遣業を、手伝えと言ったはずだ。
 おふくろの民に苦労をさせて、やっとのことで大学を出たというのに、
 いまの体たらくぶりはいったいなんだ。見ていて情けなくて、涙も出てこねぇや」


 「それでもまだ、俺の選択肢の中に人材派遣業は有りません。
 それに集金屋は、くだらない仕事だと言いますが、俺は俺なりに満足をしています」



 「満足してんのかよ、他人の金を預かってくるだけの、だれでもできる単純な仕事に。
 そうだよな、昔から、お前は欲が足りねぇ男だからな。
 取り立てて急ぐ話でもないが、俺もそういつまでも若くねぇ。
 ちかい将来でいい。跡取りとして人材派遣業を継いでくれれば、俺も助かるという申し出だ。
 頭の片隅に必ず置いておけよ。なんかの拍子に、瓢箪から駒が出る場合もあるからな」


 自信たっぷりににやりと笑った岡本が、スーツの懐からタバコの箱を取り出す。


 「おねえちゃんがトラウマに悩まされている話は、杉原から聞いただろう。
 いっぱい居るんだぜ。おねえちゃんみたいに震災トラウマでこころを病んでる連中は。
 あれから3年という月日が経つが、東北3県の復興はまったく進んじゃいねぇ。
 ねぇちゃんと同じように、震災トラウマで病んでいる人の数は水面下でじわじわと増加中だ。
 仕方ねぇだろう。政府が本気になって、心の病気を取り上げないからだ。
 マスコミも報道をしないが、震災トラウマと復興のストレスが、被災地には蔓延している。
 現実をよく見てみろ。相変わらず、26万7千人もの人間が避難したままだ。
 家にも戻れず、復帰の見通しも見えないまま、いまだに放置をされているんだぜ。
 この国の政府や役人のレベルはそんなもんだ。
 だいいち政府の関心は、いまや東北の復興を忘れて、6年後の東京オリンピックに
 向かって有頂天になっている。まさに、のど元過ぎれば熱さをわすれるという典型だな」


 「しかし、油断できませんねぇ。個人情報のはずのるみの症状が、筒抜けになっています。
 るみの震災トラウマと、俺の人材派遣業が、いったいどこでどんな風に結びつくのですか?。
 なんだか見えないところで、どす黒い大きな陰謀が渦巻いているように見えます」



 「おっ、ドス黒い陰謀と来たか。うん、当たらずとも遠からずだな。
 おねえちゃんの出身は、福島の浪江町だ。
 おおくの人間が放射能から逃れるために、一度は福島を捨てて県外に避難した。
 だがここに来て、じわじわとだが、地元へ戻る人間が増えつつある。
 やっぱり生まれ育った土地が一番だという思いもあるが、実はそれだけじゃねぇ。
 心の病をいやすために、被災地の姿と正面から向き合う必要があるからだ」

 「病気を治すために、ま正面から、被災地と向き合う?」


 「そうさ。いつまでも現実から逃げ回っていたんじゃ、病気のらちがあかねぇ。
 すこぶるの荒療治だが、そうすることで充分、効果はあがる。
 復興の様子を真正面から見つめていくことで、震災のトラウマからもやがて脱却ができる。
 杉原のやつが、そんな治療法も有ると俺に耳打ちをした。
 そんときになったらお前には、福島であたらしい仕事が必要になる。
 そのときに俺の人材派遣業を、お前が引き受けてくれれば、俺も助かるということになる。
 杉原の話を聞いていたら、何故かふとそんな予感がしてきた。
 だから、おふくろの民には内緒で、こうしてまたお前さんに相談をもちかけたわけだ」


 岡本がタバコの箱の中から、ひょいと喫煙パイプを取り出す。
トントンとパイプをテーブルで叩いた後、「どうだ、可能性はあるだろう?。
決して悪い話じゃないと思うが。良く考えてくれ」と、おもむろにパイプを口にくわえる。


(49)へつづく

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東京電力集金人 (47)トラウマ

2014-07-19 12:51:48 | 現代小説
東京電力集金人 (47)トラウマ




 るみの診察を終えた杉原医師が、「向こうでコーヒーでも飲むか」と俺の肩を叩いた。
鎮静剤を飲んだあと、点滴を受けはじめたるみは、ベッドで静かに目をつぶっている
「行っておいで」とおふくろが、目で俺に合図を送る。

 市民病院の最上階に、市街地を一望できる喫茶ルームが有る。
昼の前後にはランチの客でにぎわうが、2時を過ぎたいまは人の姿も見えず閑散としている。
「お前さんに話が有るのは俺じゃない。実は、極道の岡本だ」
コーヒーを一口ゆっくりとすすったあと、杉原医師が意外なことを言い出した。


 「岡本が、どうしても君と話がしたいそうだ。
 そのうちにやってくると思うが、なにしろ忙しい男だから、いつ来るのかあてにならん。
 やっこさんが来る前にお前さんに、トラウマについて詳しく説明をしておこう」


 「トラウマ?。重度の心的外傷のことを言いますよねぇ。
 るみの病気に、トラウマが密接にかかわっているという意味ですか?。」



 「トラウマは、人の耐久力や対処能力をはるかに超えた激しい苦痛や、
 悲しみを伴う経験をする事により、心に受けてしまう深い傷跡のことを言う。
 身近なものとして、いじめや、幼児期の虐待体験などがあげられる。
 身体が受けた精神的な苦痛や、性的な虐待なども同じようにトラウマのもとになる。
 脅迫や暴力、レイプや殺傷の現場を目撃するなどの犯罪体験などからも生まれてくる。
 近親者の死去や、生命の危険がおよぶ自然災害、地震や火災など体験することも
 トラウマのきっかけになる」


 「それらのトラウマがのすべてが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の原因になるわけですか?」



 「その通りだ。PTSDは、日常とかけ離れた強烈なストレスにその原因を持つ。
 心に深いトラウマを負った後に、かならず発症をする心の病気だ。
 トラウマの後遺症として、日常生活に支障をもたらすような障害がいくつも発生をしてくる」

 「詳しく聞かせてください」


 「どのような経験が、心の傷であるトラウマになるのかは一概に言えん。
 ストレスへの耐性や、環境への適応力、物事の受け止め方に性格などの個人差があるからだ。
 他人からの批判や攻撃に弱い、繊細で傷つきやすい心の持ち主の場合は、
 先生や上司に、皆の前で大声で怒鳴りつけられたりしただけでトラウマになる事もある。
 なかには友人や恋人から、少し性格の難点を指摘されただけで、
 自分の全てが否定されたと受け取ってしまい、トラウマになるケースもある。
 だがPTSDにおけるトラウマは、日常的なこうしたストレスから受ける経験とは
 かけ離れた出来事によって受ける、深い心の傷のものだ。
 彼女の場合、3.11で身体に受けたさまざまな体験が、そのまま心の傷になって残っている。
 突然倒れた原因は、たぶん、突然のフラッシュバックによるものだろう」



 「フラッシュバック・・・・脳裏によみがえってくる、あの幻影のことですか?」



 「フラッシュバックは、PTSDであらわれる最も特徴的な症状だ。
 トラウマを負うきっかけになった衝撃的な事件や出来事、苦痛を感じた光景が、
 突然、目の前にリアリティを持って甦ってくる。
 白昼夢に近い感覚と言えるだろう。
 フラッシュバックにおちいると、本人は、突然の強い恐怖や不安に駆り立てられる。
 混乱を起こし、パニック状態に陥ってしまう。
 どうすれば良いのか分からなくなり、その場に、しゃがみ込んでしまう場合もある。
 息苦しくなり、呼吸困難を起こし心臓がドキドキと激しく脈打ち、動悸を起こす。
 だが、問題はそれだけじゃない。
 それ以外にも、周囲の事に興味や関心が湧かなくなり、自分の殻の中に閉じこもりはじめる。
 感情表現が少なくなり、外部との接触を絶つといった無気力・無関心な抑鬱状態に陥る。
 些細な出来事にもすぐ驚くようになり、周囲の環境の変化や、他者の言動に対して
 異常なまでに敏感になる。
 やがて神経質で、不安定な心理状態の中に常に溺れることになる」


 「先生。それじゃいつまで経っても、るみは助からないことになりますが・・・」



 「慌てるな。話の結論を急ぐんじゃない。
 るみちゃんは、お前さんが考えているよりも、はるかに逞しいこころを持った女の子だ。
 トラウマから来るフラッシュバックの初戦に、手段を知らずに負けたというだけのことだ。
 だが自分の病気と、正面から対峙したという姿勢は評価できる。
 PTSDという病気を乗り越えるためには、自分自身の心に勝つ必要がある。
 苦しい戦いを乗り越えたものだけが、はじめてPTSDの症状から抜け出すことが出来るんだ。
 彼女はそのことを、本能で理解し始めた。
 だが、震災で受けたこころの傷とトラウマは、いまだにはるかに強いものが有る。
 簡単には病気を乗り越えられないということだ。だがそれでも彼女は、ひるまないだろう。
 一度目は負けたが、彼女は勝利するまで自分のトラウマと何度も戦うだろう。
 PTSDというのは、そういう病気なんだ、太一くん。
 そのことを頭に置いて、お前さんはどうしたら彼女を支えられるのかを、しっかりと考えろ。
 それが俺からの、現時点での唯一のアドバイスだ。
 お、来たぞ。話が終ってグッドタイミングだな。岡本のやつが姿を見せたぜ」

 ほらと指さす先に、黒のスーツ姿に同色のサンブラスと言ういでたちの岡本が、
喫茶ルームの入り口に、ぬっと不機嫌そうな顔で現れた。



(48)へつづく

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東京電力集金人 (46)ビニールハウスの解体作業

2014-07-18 10:55:44 | 現代小説
東京電力集金人 (46)ビニールハウスの解体作業




 このあたりのビニールハウスには、主に直径19ミリの鉄製パイプが使われている。
19ミリの鉄製パイプは、ビニールハウスの強度としては最低のものだ。
雪国や寒冷地、強度が必要とされる大型のビニールハウスには、さらに太い22ミリや
25ミリ、28ミリなどのパイプが用意されている。
正確にいえば、19、1ミリ。22、2ミリ。25、4ミリと厳密に規格分けされている。
数字が半端なのは、インチを基準に決められたからだ。


 北関東のビニールハウスは、19ミリのパイプを骨組みにして温室の空間をつくりあげる。
パイプのみで建てられたものを、「パイプハウス」と呼ぶ。
これにたいし、四角い支柱や板状のフレームなどを要所に用いて強化したものを、
「エコノミーハウス」と別に呼ぶ。
エコノミーハウスは大規模な連棟が可能になる。強化部分を増やすことで、さらに
広い面積を、ひとつのビニールハウスとして全面的に覆うことが可能になる。


 だがいずれの場合でも屋根を覆うために使われるのは、湾曲した19ミリのパイプだ。
45センチの等間隔で、屋根を覆うためのパイプが設置されていく。
奥行きが30メートル有る場合、屋根を覆うパイプの本数は70本ちかくなる。
等間隔に建てられたパイプには、ビニールを固定するためのフレームが取り付けられる。
フレームの固定はもちろん、パイプ同士が交差する部分においても、溶接は使われない。
交差する部分のすべてが、専用に開発された金具によって固定されていく。



 
 金具で固定することにより、ビニールハウスの増改築と解体が容易になるからだ。
だが固定をしていくためのポイントの数は、半端じゃない。
すべての交点を固定していくわけだから、一棟のハウスで金具の数は1千を軽く超える。
すべて人の手による手作業によって、金具が固定されていく。
言い換えればビニールハウスは、人海戦術によってはじめて完成をするという建物だ。
建てるときに多くの人手を必要とする建物は、解体時にも同等の人手を必要とする。
倒壊したビニールハウスの撤去が、いっこうにすすまないという最大の原因が、
実はここに潜んでいる。


 巨大な屋根を覆うためのビニール張りは、おおくの人手を必要とする。
繊細な作業のため、機械化することが難しく、いっさいを人の手に頼ることになるからだ。
劣化したビニールシートの張替え作業は、野菜農家の一大イベントになる。
風の無い日を選び、親類縁者総出でのビニールシートの張り替え作業がはじまる。
とにもかくにもビニールハウスは、人の手による作業が、膨大に費やされている建造物だ。


 解体も、やはり多くの人手を必要とする。
潰れてしまったハウスの解体は、通常の解体作業よりもはるかに困難がつきまとう。
足場は悪いうえ、ねじれたパイプはいうことを聞かず、簡単に取り外せるはずの固定金具も
倒壊の影響を受けているために、四苦八苦をしながら取りはずすことになる。



 最初にすることは、屋根全体を覆っている黒いビニール紐を外すことだ。
屋根のビニールシートを強風から守るため、ビニール紐が規則正しくがっしりと架けられている。
外した紐の下からは、ビニールシートをしっかり固定しているコイル状のばねが出てくる。
このばねの利いたコイルの取り外しが、すこぶる厄介だ。
というのも30メートルの距離をこいつがぎっちりと、ビニールシートを抑え込んでいるからだ。
ビニールシートの屋根が、ぴったりとパイプに張り付いたまま抑え込まれているのは、
まさにこの、コイル状ばねの働きぶりのおかげだ。


 こいつをすべて取り外さない限り、屋根からビニールを撤去することはできない。
横に連結しているアルミのフレームの溝に、しっかりとばねを効かせて収まっているこいつを、
引きはがしていくのは、見た目以上の重労働だ。
末端にドライバーの先端をこじ入れ、浮いてきたら、力の限りこいつをバリバリと引き立てる。

 だが、ここに難敵がひとり居た。
関東地方では2月の大雪以来、一ヵ月近くにわたって雨が降っていない。
乾燥しきった畑に連日強い風が吹いたため、コイルの溝にはたくさんの土埃が降り積もっている。
コイルを力任せに引っ張るたびに、すさまじい土ぼこりがばねと一緒に舞い上がってくる。



 先頭の人間がビニール紐を外し、そのあとにコイル外しの人間が続いていく。
ビリビリ、バリバリという音の響きとともに、ようやくビニールシート剥がす準備が整っていく。
たったこれだけの単純な作業でも一棟当たり、1時間以上の時間がかかる。


 作業開始から2時間が経過した頃、「お茶にしょうぜ「」とキャプテンが声をかける。
「おう」と応じた部員たちが、それぞれに作業中の手を停める。
「結構、思っていた以上にきつい作業だな」と愚痴をこぼしつつ、ぞろぞろとハウスの
屋根から、慎重に下へと降りていく。
一番高い屋根の部分から、そろそろ下ろうとしたとき、人目をはばかるような雰囲気で
先輩の奥さんが俺の足元へ近づいてきた。
「ちょっと」と小声で呼んで、周りにきずかれないようにそっと手招きをする。



 先輩の奥さんは、千葉県で生まれたすこぶるがつくほどの別嬪さんだ。
研修のため、2年間千葉に派遣されていた先輩が、一目で見初めて恋愛に発展したという逸話が有る。
「ひとつ歳上の姉さん女房なら、金のわらじを履いてでも探せという宝物だ。
トマトを作るための研修に出したはずのせがれが、千葉から年上の嫁さんを連れて、
2年後に意気揚々と帰ってきおった。
わしも、あの時ばかりは、さすがにおったまげたもんじゃ。
これで後継ぎが無事に産まれれば万々歳じゃったが、惜しいことに、
生まれたのは3人とも女の子じゃ。人生すべてにわたって、そう旨い具合にはいかん。
だからこそ、生きていて面白いんじゃ」と、爺さんは顔を崩して笑う。



 そのいわくつきの奥さんが、足元から遠慮がちに俺を呼んでいる。
滑らないように気をつけながら下まで降りていくと、「急いで実家へ戻って」と奥さんが耳打ちをする。
「実家へ?。なんか重大事態でも発生したんですか?」と問い返すと、
「るみちゃんが倒れたの。いいから早く行きなさい。」ほら、と俺の尻をいきなり平手で叩く。


 姉とも親しかった先輩の奥さんは、まるで歳の離れた弟の様に、俺のことまで身内のように扱う。
ほとんどの場合において、いきなり「太一」と俺のことを呼び捨てる。
るみが倒れた?・・・・?。どういう意味だろうと首をひねっていたら、


 「太一。お前は、融通の利かない錆ついた頭を動かす前に、さっさと足を踏み出せ。
 あんたはいつも理屈っぽくものごとを考えすぎる。
 るみちゃんが、具合が悪くて倒れたんだ。
 あれこれ考える前にさっさと飛んでいって、看病するほうが先だろう。このうつけ者!」

 と、全員に聞こえるような、大きな声で怒鳴られた。



(47)へつづく


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東京電力集金人 (45)再建用の資材が足りない

2014-07-17 11:38:05 | 現代小説
東京電力集金人 (45)再建用の資材が足りない




 午前7時。指定された居酒屋・慶介の駐車場に、チームのほぼ全員が顔をそろえた。
「ご苦労さん」と挨拶に立った最長老の監督が、嬉しそうに選手の顔を眺め回す。
「出発前に、諸君に注意事項が有る」キャプテンが、全員の中心に立った。


 「本日は2手に分かれて、ハウス撤去のボランティアをする。
 諸君は慣れない作業をするゆえ、無理だけは禁物だ。
 怪我に、くれぐれも注意してくれ
 ボランティアに行ったものの、怪我をしたとあっては、先方に迷惑をかける。
 その点をしっかり踏まえ、それぞれ仕事に励んでほしい。
 A班は監督とともに、キュウリハウスへ直行する。
 B班は俺とともに、トマト農家のビニールハウスへ行く。
 終業は、午後の5時を予定している。長い一日になると思うがよろしく頼む。
 じゃ2手に分かれて、早速出発しょう」


 AとBの班分けは、前夜のうちに完了している。
心配された天候は薄曇りの空を保ったままだが、なんとか雨にはならずに済みそうだ。
ジャージ姿に長靴といういでたちの部員たちが、4台の車に分乗して出発をする。
るみとは、あとで先輩のハウスで合流をするという予定になった。



 ビニールハウスは倒壊したあの日から、まもなく一ヶ月が経過をするというのに、
ぐしゃりと潰れたままの状態で、あの日の惨状をさらしている。
むき出しになった19ミリのパイプは、雨にさらされ、早くも真っ赤に錆びついている。


 群馬の2月と3月は、特に「赤城おろし」と呼ばれる強風が吹く。
強風の影響を避けるために、屋根のビニールシートだけを剥がしたハウスは多く見かける。
だがその先の撤去作業は、何処のビニールハウスでも一向にすすんでいない。
管轄する行政の窓口から、とりあえず「写真に記録しておけ」と言う指示だけは出た。
しかしそこから先の具体的な支援策が、いつまで待っても提示をされない。
9割を支給すると言ったものの、行政の窓口にいくら尋ねても、「それ以上のことは、
当面は分かりません」という、冷たい返事が返ってくるだけだ。



 支援が明らかにされない状態では、ハウスの撤去を始めることができない。
政府の支援金支給の日時が明確にならないかぎり、誰も動き出すことが出来ないからだ。
撤去がはじまったのは、農協関係のボランティアや、学生たちで編成された
ボランティアが投入されたハウスだけだ。
農協が募集した第一次の撤去希望ハウスでも、いまだに業者は動き始めていない。
誰が撤去の費用を払うのかが明確にならない限り、だれも先陣を切って動こうとしないからだ。
かくして倒壊から早くも一ヶ月が経過したというのに、まったく撤去作業がはじまらない
という異常な事態が、北関東の群馬や栃木、埼玉の秩父地方で続いている。


 ハウス農家には、もうひとつの深刻な現実が突き付けられている。
ビニールハウスを再建するための資材が、まったくもって不足をしているという現実が有る。
メーカーに問い合わせても、いつ届けられるか明言できないと言葉を濁す。
壊れたビニールハウスを早くに片づけ、年内の早い時期に再建しようと考えても、
そのための資材が全く間に合わないという現実が、農家の再起の夢に水をかけている。

 ビニールハウスは夏がやってくる前の4月や、猛暑が落ち着く秋口に立て替えられる。
作業効率が悪くなる真夏を避け、農作業が一段落する時期を選らんでハウスを立て替える。
そうした従来の流れを考慮しながら、メーカ側もそれなりのペースで資材を生産する。


 だが今回に限り、資材を必要とする規模がべらぼうに異なる。
ハウスの損壊は、31都道府県で、1万4千件を越えた。
群馬県だけでも、被害を受けたビニールハウスが1万8000棟をかるく超えた。


20年前後で立て替えられるビニールハウスの、ほぼ半数以上が倒壊をした計算になる。
政府は実数を明らかにしていないが、大雪で倒壊したビニールハウスは、おそらく
15万棟から、20万棟ちかいとみられている。



 すべての資材が揃うのに、早くても、3年から5年はかかるだろうという見方がある。
製造メーカーは、急ペースでの生産体制を最初から持っていないからだ。
早くても1年後。場合によれば2年ちかく待つことになるだろうと、誰しもが諦めている。
政府はメーカにたいし増産要請をしたというが、おそらく焼け石に水だろう。
一過性のピンチを救うために、生産設備を増強する民間会社なんていうのは聞いたことがない。
24時間の生産態勢をとり、増産に励みますと答えるのが関の山だろう。


 国内で生産が間に合わない場合、中国製や台湾製といった低品質で粗悪な資材を
輸入するケースが出てくるだろうと、すでに、関係者たちは公然と巷でささやいている。
ビニールハウスの再生の道には、誰が見ても、八方ふさがりといえる赤信号が点っている。
ハウスの再建が出来なければ、野菜農家は仕事ができない
生産手段が復活しないかぎり、野菜農家の収入は皆無と言うことになる。


 半年から1年も未収入のままでは、今度は農家が連鎖的に倒壊をしていく。
ハウスの倒壊からはじまった野菜農家の負の連鎖に、歯止めがかからなくなる。
北関東の野菜農家のビニールハウスの大半が倒壊したという現実は、やがて首都圏へ
供給するための野菜が、半減することを意味する。
だが、産地をやりくりすることで北関東の犠牲を横目に見たまま、ある程度の
量の野菜が、首都圏用として流通をしていくだろう。
「野菜の暴騰までは招かないだろう」と見る楽観が、どこかで農家への支援の手を
遅らせる事態を生んでいる。



 早く復活をさせたいのだが、資材の決定的な不足と、政府の補助金がいつ支給されるのか
まったく明らかにされないままでは、復興に向かって誰ひとり足を踏み出すことができない。
まったくもって歯がゆくて仕方にない話だが、これもまた、この国の政治と政府の、
いつもの見慣れた実態だ・・・・


(46)へつづく

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東京電力集金人 (44)「あたしも行く」と、るみが言う

2014-07-16 12:35:16 | 現代小説
東京電力集金人 (44)「あたしも行く」と、るみが言う




 指定された日曜日の朝。
ごそごそと起き出し、ボランティアの準備をしている俺のところへ、ひょいとるみが顔を出した。
「どうした?」と青白い顔を見上げると、「私も行く」とるみが短く答える。


 「無理すんな。今日はソフトボールチームのボランティアだ。
 体調が良くなってから、また、先輩のところへ仕事に行けばいいだろう。
 無理させるなと先輩も言っていたし、ハウス壊しと言う仕事は、見かけ以上に重労働だ」

 「それでも行く」とるみが、俺の顔をじっと見つめる。
「分かった。居酒屋の駐車場へ7時集合だから、間に合うように着替えて来いよ」と返す。
「はい」と答えたるみが、トントンと2階の部屋へ戻っていく。



 「あたしと一緒に差し入れのお弁当を作ろうと言ったら、それじゃ気が済まないそうだ。
 ここ数日で、いくらかは前向きの気分になったんだろう。
 油断できないけど、自分から表に出ようという気持ちになったのは、病人にはいいことだ。
 でもさ。何が有るか分からないから、目を離さないでおくれ。頼んだよ」


 入れ違いに2階から降りてきたおふくろが、るみの様子をそんな風に解説する。
心因性のストレスが再発してから、早くも、一ヶ月余りが経つ。
投薬と通院の日々を繰り返しているが、るみにこれといった改善の様子は見られない。



 「メンタル面の後遺症だ」と、診察に当たった杉原医師が言い切った。
「阪神淡路大震災や、北海道南西沖地震のときも、同じような症状がたくさん見られた。
東北の3.11では揺れの激しさばかりではなく、揺れている時間も長かった。
そのぶんだけ、こころに刻み込まれた恐怖には、大きいものがある。
直後から発生した停電、ライフラインの断絶や交通機関のマヒ。絶え間ない余震への不安。
いきなり避難生活がはじまったことから発生する、生活の混乱。
津波の惨状と、被害の状況を目の当たりにしたまま、逃れられずに暮らすことがはじまる。
こうしたいくつもの積み重ねが、ひとびとの心に深い傷跡を残す。
災害に遭遇した直後から数週間にわたりつづく、急性の反応や症状のことを、
急性ストレス障害(ASD)と呼ぶ。
これにたいし、外傷後ストレス障害(PSD)は、ストレス症の症状が、
半年から、1年以上の長期にわたってつづく。
彼女の場合。ようやく沈静しかけていた症状が、たぶん、ハウスの倒壊を見たことで
おそらく再発をしたようだ。
内陸部を襲った津波の様だ、という彼女のひとことが、如実にそのことを示している」


 「俺はどうしたら、いいんですか?」という問いかけに、杉原医師が優しく笑う。



 「君は何もしなくてもいい。特別なことは特に必要ない。
 本人が日常性を取り戻すことが、なによりも大切なことになる。
 日常性が戻れば、症状は自然に回復をするだろう。
 だが、当然それにも個人差が出る。
 こんな風にしているとホッとするという日常性を、数多く取り戻すことが大切だ。
 外国人と接することの多い仕事をしていたある被災者が、震災後2~3ヶ月後に、
 コーヒーショップで休んでいたら、英語で話をしている声を耳にした。
 その瞬間、ふいに自分の気持ちが落ち着いてくるのを感じたという。
 「日常性を取り戻すってこういうことなんだと、そのときに思いました」と語っている。
 震災の直後に発生した原発事故のため、彼女の周囲にいた外国人たちがみんな一斉に、
 国へ帰って、姿が皆無になっていたと語っていた。
 自分の気持ちや思いを、ありのままに話すことができる場を持つことも大切だ。
 メンタルケアや、メンタルサポートと呼ばれる療法のことだ。
 外傷後ストレス障害は治らない病気じゃないが、個人差が大きく出るメンタルな病気だ。
 ゆえに焦りは、一番の禁物になる。
 いまは黙って彼女の気持ちに寄り添え。それが最善だ。
 効果的な治療法を探っていくから、その間は君も辛抱強く、彼女の心に寄り添ってやれ。
 そのくらいのことなら、君にもできるだろう。
 何しろ君は俺たちの憧れの乙女、マドンナだった民ちゃんの息子なんだから、さ」


 あははと笑った杉原医師が、ポンと大きな手で俺の肩を叩いた。
(美人じゃないか、あの子も。若いころの民ちゃんによく似ている。
母親に似た美人を好きになるというのは、見慣れたものを好きになるという一般的な傾向だ。
いいかい、パートナーと言うのは、君自身を映し出す鏡になる。
君の気持ちやふとした何気ない行為が、そのまま相手のこころに映し出される。
外傷後ストレス障害(PSD)は、実に精細な、こころの病だ。
繊細過ぎる神経が、現実に押しつぶされることから、心身の病気として表面に現れてくる。
病気を治すのは患者本人の努力だが、一般の病気以上に、周囲の支援が必要になる病気だ。
マドンナだったおふくろさんを見習って、お前も、太陽の様に彼女のこころに寄り添え」



 頼んだぜともう一度、俺の肩をポンと叩き、杉原医師が立ち去っていく。
こころの病に苦しんでいるるみが、ボランティア活動に参加すると、自ら言い出した。
ビニールハウスの倒壊は、彼女自身の中に、いくつもの苦い記憶を呼び覚ました。
自分の心を傷つけている3.11の辛い記憶と、対峙をする決意を固めたのかもしれない・・・・
そんな淡い期待が、俺の何処かにたしかに有った。
そんな思いも含めて同行することを承認したが、だが、やっぱり現実はそれほど甘くはなかった。
外傷後ストレス障害という病気の本当の怖さを、俺はまもなく思い知ることになる。



(45)へつづく

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