落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (94)旅立ちの朝

2014-09-30 13:32:11 | 現代小説
東京電力集金人 (94)旅立ちの朝



 翌日の朝6時。ラインの着信音が鳴った。
「予定通り、これから佐渡に向かって出発します」と、おふくろが書き送って来た。
あわてて飛び起き、窓から駐車場を見下ろした。
旅姿を整えた中年の5人組が岡本組長のワンボックスへ乗り込む寸前だった。


 すかさず「ご無事で」とるみが返事を返し、ガラス越しに駐車場に向かって手を振る。
事故防止のためなのか。はたまた空調費を節約するためなのか、最近のホテルの窓は、
簡単には開かない構造になっている。
頭上の人影に気ずいたおふくろが、メールを一読した後、「あんたたちもね」と口を動かし、
ゆっくりと手を振りながら、ワンボックスの中に消えていった。



 駐車場をくるりと旋回したワンボックスは、ホテルの前を静かに通り過ぎる。
松島湾へ降りていく坂道を、クンと加速を加えながら俺たちの視界から遠ざかっていく。
「行っちまったぞ。不良中年どもが」と、ワンボックスの後姿を見送っていると、
「何言ってんの。悪口を言うとバチが当たるわよ。みんなから、たくさん愛されているくせに」
うふふとるみが、意味有りそうに鼻にかけて笑う。


 「みんなから愛されている?。俺が?。なんだよ。どういう意味だ、それ」



 「あなたの顔を見るために、わざわざ松島までやって来たのよ、あの人たちは。
 お母さんから、本気で旅立つのは初めてなんですって、太一は。
 親離れと子離れの時期がやってきたんだろうね、てお母さんが愚痴をこぼしていました。
 頼りない子だけど、面倒見て下さいねと、あらためて挨拶をされてしまいました」


 「なんだよ。そんなことを君に言うために、わざわざやって来たのか、おふくろのやつは。
 まるで息子を婿に出すかのような、口ぶりだな。
 待てよ。ということは俺が東北で暮らし始める可能性を、予見していたということになる。
 旅立とうとする男を、子ども扱いするとはおふくろも大人げないな。まったくぅ」


 「ここまでわざわざやって来たのには、別の意味もあるようです。
 東北の復興の様子をご自分の目で、確かめたていきたいと言っていました。
 途中で私が生まれた浪江町に寄り、いまの様子をつぶさに見ていってくれるそうです。
 実家の所在地と、月の輪酒造の場所も地図で教えてておきました」


 「ますます、婿の嫁ぎ先の様子を確認に来た母親みたいな行動ぶりだな、おふくろときたら。
 これっきり群馬に帰らないわけでもあるまいし。
 いいかげんで、子離れをしてほしいもんだぜ。まったくもって」


 「あら。聞き捨てならない発言ですねぇ。
 ということは太一はもう、東北で私と暮らしていくと決めたのかしら。もしかして」



 くるりと背中側から回り込んできたるみが、嬉しそうに俺の顔を見上げる。
東北で生きていこうと、すでに決めたわけではない。
だが俺は、おそらくこの先を、目に見えない放射能と長くたたかわなければならない
東北の地で、暮らしていくことになるだろうと、漠然とだが感じはじめている。


 手始めに岡本組長が持っている人材派遣業の様子を見に行く必要がある、と考えている。
見知らぬ土地に腰を据えるためには、まず、生活の基盤を固める必要がある。
岡本組長からは、福島にある俺の人材派遣業を引き継げと、何度もしつこく説得されている。
たまたまの話題のひとつとして聞いてきただけで、現実問題として受け止めたことは
一度もなかった。



 だがそれがいま、にわかに現実味を帯びてきた。
いや。被災地の様子を、直にこの目で確認し始めた瞬間から、俺のこころが揺れ始めた。
被災から丸3年が経つというのに、放射能とのたたかいはまだまだ始まったばかりの状態だ。
福島第一原発の廃炉は、順調にすすんでも40年はかかるだろうと言われている。


 だが40年と言う数字には、技術的に未解決な問題も含まれていうため、
あくまでも暫定的な見通しに過ぎない。
核物質の安全な廃棄までのことも含めて考えれば、完全廃棄まであと何十年かかるか、
だれにも計算が出来ないというのが、本音だろう



 しかし、るみが健康に生きていきていくためには、ここが必要だろうと俺は考えている。
「まるで智恵子抄みたいな展開だな」そんな言葉が、思わずポツリと口からこぼれ出た。
「なぁに、智恵子抄って?。もしかして、智恵子は東京に空がないと言うあの智恵子抄のこと?」
とるみが不思議そうな顔で、下から俺を見上げる。



 「智恵子は東京に空がないと言ふ。ほんとの空が見たいと言ふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、切つても切れないむかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは、うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ。
 阿多多羅山の上に毎日出てゐる青い空が、智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。
 私も大好きなの、高村幸太郎の智恵子の詩は」


 ゆっくりと暗唱するるみの顔に、いつものあのあどけない笑顔が戻ってきた。
やはり故郷の空気が、るみのこころの中をのびのぼと開放させるのだろう。
今日のるみはいつになく、生き生きとして輝いている。


 ※智恵子は、明治19年に福島県二本松町(現在は市)で生まれる。
  日本女子大学校家政科に入学後、洋画に興味を持つ。卒業後も東京にとどまり
 油絵を学び、その一方で女子思想運動にも参加する。
 その後、高村光太郎と知り合い、大正3年に結婚する。※



 (最終話)に続く

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東京電力集金人 (93)親父のオン・ザ・ロック

2014-09-29 10:10:27 | 現代小説
東京電力集金人 (93)親父のオン・ザ・ロック




 まぁ呑めと、岡本組長がオン・ザ・ロックを作ってくれた。
オン・ザ・ロックは、氷を入れたグラスにウィスキーを注いだだけの飲み物だ。


 アルコール度数の高い酒を飲むための、ちょっとした工夫だ。
氷が徐々に溶けるにつれて、味も風味も少しずつだが変化をしていく。
それを舌で楽しみのが醍醐味だ。ただし、あまりゆっくり飲んでいると氷が溶けすぎてしまう。
ただの水割りになってしまうので、注意が必要になる。
亡くなった親父が大好きだった、ウイスキーの飲み方だ。


 「こうやって、お前の親父と良く飲んだもんだ」


 カラカラと氷を鳴らして、岡本組長が目を細める。


 「男には節目の時期がある。
 お前は今、ちょうどその時期にあたるようだ。
 たった一日とはいえ、被災地の様子を見てきたお前さんのいまの顔を見て、俺も安堵した。
 ちょっと見ない間に、良い顔になったじゃないか。
 集金員をしているときの腑抜けた顔とは、まったく別人の顔だ。
 と言うことはお前。次にとるべき行動をちゃんとわかっているんだろうな。
 お袋の民はお前さんのことが心配でここまで飛んできたが、俺は別の目的で此処まで来た。
 被災地の様子を見て、お前さんの顔がどう変わったのか、それを確認しに来たんだ。
 目的地の変更にあっさりと同意した杉原医師も、きっと同じ思いでいるだろう。
 いいね今のお前は。そういうのをまさに、男の顔というんだぜ」


 意味が分からまいまま俺は、オン・ザ・ロックをゆっくりと胃の中に流し込んだ。
何が変わったのか、自分ではまったく気が付いていない。
これから先のるみを守るために、俺が変らなければという決意だけは強くなってきた。
だが岡本組長が言うように、この先で何をすべきかが、はっきりと見えているわけじゃない。
ポカンとしている俺の顔を見て、岡本組長が大きな声を出して笑った。



 「馬鹿野郎。たった一日、被災地の様子を見てきただけで生き方が変わってたまるもんか。
 俺が言いたいのは、そういう意味じゃねぇ。
 愛する女のために、一生かけてそばに居てやろうという決意が、固まっただろうという意味だ。
 どうだ、図星だろう。るみのためにこの東北に住んでもいいと考えはじめているだろう。
 いまのお前は」

 「はい。るみのためにそうすることが一番だろうと、考え始めています。
 何が出来るのかはまだ見えませんが、ここへ来てそういう思いが一層強くなりました」


 「それでいいんだ。やるべきことはそのうちに少しづつ見えてくる。
 それに対して正直に生きることが肝心だ。
 男の顔ってやつは、そういう風にしながら徐々に出来上がっていくものだ。
 お前の顏には今、そんな決意がみなぎっている。
 その顔を、まもなく風呂から戻ってくるおふくろさんに見せてやれ。
 そいつを確認したら俺たちは、明日の朝もう一度、佐渡に向かって出発をする」



 「佐渡へ向かって出発をする」と言う岡本組長の言葉に、思わず俺は自分の耳を疑った。
「お前さんとるみちゃんの無事な姿と元気な顔が確認できれば、俺たちは満足だ。
そういうわけだから、明日の朝、早めに此処を出る。
なに。佐渡へ渡るのが一日延びたと考えれば、どうってことはないさ。
そういうわけだ。とりあえず、たっぷりと飲め。親父が大好きだったオン・ザ・ロックだ」
と、組長が満足そうに微笑みを浮かべる。


 ひとつ聞いてもいいですかと口にしかけた時、バーラウンジの入り口あたりが
がやがやと賑やかになった。
風呂上がりの女たちが、浴衣姿のまま俺たちの席を目で探していた。
おまけに、女たちの背後には、松島の夜景を楽しんでいたはずの杉原夫妻までが現れた。
騒ぎに気がついた岡本組長が、「おう」と仲間に向かって片手を上げる。



 「男同士の会話は終わりましたか」とるみが笑顔で、真っ先に駆け寄ってきた。
「おう、おかげさんでな。どうだ、喉が渇いただろう、一杯飲むか?」
いつの間に用意したのだろうか、新しいグラスにオン・ザ・ロックの液体が揺れている。
「待て待て。子供にオン・ザ・ロックは強すぎる。飲ませるのなら焼酎の果実割りにしろ。
こいつは、俺が責任をもって飲む」と、杉原医師が横からグラスを奪い取る。


 戻って来た一団が、俺と岡本組長を取り囲むように腰を下ろす。
カラオケに合わせ、社交ダンスを披露している中高年のカップルがいつの間にか増えている。
この日のために新調したのだろうか、派手なダンスウェアが舞台上に溢れている。
どうやらここでは舞台でカラオケを歌うのは脇役で、ダンスを披露する人たちのほうが
主役として扱われているようだ。

 ともあれ、岡本夫妻と杉原夫妻。るみとおふくろを含めた一団が、「カンパ~イ」という
大きな声を何回も上げて、深夜まで酒を飲んだことは言うまでもない。



(94)へつづく

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東京電力集金人 (92)呼び出しの電話

2014-09-27 10:54:23 | 現代小説
東京電力集金人 (92)呼び出しの電話



 最初に鳴ったのは、るみのスマートフォンだった。
液晶画面を覗いたるみが、「あら、もう着いたのかしら」と、にっこりと笑って電話に出る。
「もう着いた?」何のことだといぶかっていたら、今度は俺の携帯が鳴った。
誰からだと画面を覗いたが表示されている番号に、まったく心当たりがない。
出ようかどうか戸惑っていたら、「大丈夫。出なさいよ早く」とるみが催促をする。
電話の相手が誰だか、るみはすでに察知しているようだ。


 「おう、俺だ。どうだ、元気にしているか、2人とも」


 聞こえてきたのは、岡本組長のだみ声だ。
「俺たちは外で夕食を済ませてきた。女どもは温泉に入りたいからとるみを誘っている。
杉原の奴は松島の夜景が見たいからと、かみさんと2人で街に出ていった。
ということで、俺はいま、たったひとりでバーに残された。
すぐに降りて来い。場所は地下のバーラウンジだ」

 地下のバーラウンジ?。どういうことだ一体、と思わず首をひねる。
るみは、「そういうことですから、私はお母さんたちと温泉へ行ってきます」と浴衣を
抱え、いそいそと部屋から出て行ってしまう。
おふくろも一緒なのかと驚いていると、岡本組長からふたたび催促の電話がかかってきた。



 「この野郎。いつまでも愚図愚図するんじゃねぇ。
 俺もひとりだが、今頃はるみちゃんに出ていかれて、お前さんもひとりのはずだ。
 いい大人をいつまでも待たせるんじゃねぇ、いいからとっとと覚悟を決めて降りて来い」



 もう酔っているのだろう。いつも以上に岡本組長の語気が荒い。
リニューアルが終わったばかりのホテルの地下には、あきらかに中高年層を意識した
ちょっとおしゃれなバーラウンジが有る。
バーと言うよりも、昭和の時代に流行ったスナックの豪華版と言う雰囲気が漂っている。
大きなステージがデンと正面に有り、本格的なダンス衣装に身を固めた中高年のカップルたちが、
曲に合わせて、優雅に社交ダンスを披露している。


 「なぜ此処に居るのですか、岡本さんたちが。
 いまごろは佐渡で、水入らずの大宴会をする予定と聞いた覚えが有りますが」


 「まぁ、そう言うな。途中でたんに予定が変更になっただけだ。
 旅と言うものは、目的地に着くだけがすべてじゃない。
 いや、そうでもないな。
 関越道を使って新潟港までは走ったから、あながち変更という訳でもない。
 磐越高速に乗り込んで、郡山から東北道を経由して、仙台まで足を伸ばしただけの話だ。
 佐渡へ行くか、松島へ行くかで、少々目的地が変っただけだ」


 「どこが、少しばかりの変更ですか。
 今頃は佐渡で日本海の海の幸を満喫しているはずのみなさんが、太平洋側に居るんですよ。
 だいいち、俺たちがホテル壮観に泊まっていることが、よくわかりましたねぇ」



 「お前たちのことは、ココセコムと言う盗難対策GPS装置のおかげで、すべてお見通しだ。
 ココセコムという装置を車に搭載しておけば、たとえ盗難に遭った場合でも、
 車の現在地が、パソコンや携帯電話などから一発でわかる。
 お前さんたちの車に装備されているのは、車のバッテリーから直接電力をとる
 車両取付タイプというやつで充電の手間がかからない、優れものだ」


 「ということは群馬を出発したときから、俺たちの動きはずっと、
 おじさんたちに、監視されていたということになりますねぇ。まったくぅ・・・
 大人げないですねぇ、オジサンたちも、やることが」


 「大人げないのは俺じゃねぇ。おふくろさんの民だ。
 強がりを言っていたくせに、いざとなったら息子のことが心配でしょうがねぇ。
 新潟港に到着したあたりから、心配でしょうがないを、ひっきりなしに連発する。
 そんなに心配なら自分の目で確かめたらいいだろう、と言う話になった。
 そんな訳で急遽行く先を軽く変更して、松島で落ち合うことを決めたんだ」


 「ということは松島に着く前から、るみも知っていたということになりますねぇ」



 「おう。ラインでメールを送っておいたから、浪江に着く前にすでに見ていたはずだ。
 便利になったもんだよな。
 位置はGPSで一発で把握できるし、そのうえラインで送るメールは無料だ。
 なんだ。本当に何も知らなかったのか、お前さんは?」

 
 「ということは、るみは此処へ来る前から、すべてを知っていたことになりますね。
 道理で松島まで行こうなんて、突然言い出すわけだ」



 「ここだけの話だ。実はな、お前さんたちが警戒区域に入った瞬間から、
 何故か突然、航跡をしめすGPSの動きが不安定になった。
 それを見ていたおふくろさんが、急に不安を覚えて、狼狽え始めたんだ」


 それなら、俺にも心当たりが有る。
車が警戒区域に突入した瞬間から、それまで順調だったカーナビが急に不安定に変った。
地図データーが最新のものに更新されていないことが原因かもしれない、と考えたが
どうやら不安定になったのは、それだけではなさそうだ。
事故を起こした福島第一原発は、名前だけがポツンと表示されている。
だが広大な広さを誇る敷地は、グレーゾーンのまま一切、画面に表示されていない。
「地上に存在しない場所として、警戒区域内が扱われている・・・」
はじめてそのことに気がついた瞬間、何故か俺の背中が、ぞくりと震えたのを、
いまでもはっきりと覚えている・・・

 
(93)へつづく

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東京電力集金人 (91)松島海岸、ホテル壮観

2014-09-26 10:53:54 | 現代小説
東京電力集金人 (91)松島海岸、ホテル壮観




 途中で30分ほど休憩をしたが、あとは何処にも止まらず車は5時間あまりで
目的地の松島海岸に到着した。
松島海岸は言わずと知れた日本を代表する、3大景勝地の一つだ。


 震災で他の沿岸市町村より少ないとはいえ、松島海岸も大きな被害を被っている。
260あまりの島々が点在していたことが幸いし、湾内の美しい景観はかろうじて守られた。
だが津波による浸水面積は、2平方㎞に及んだ。
床上浸水の被害は、188戸。床下浸水82戸。家屋の全壊216戸。大規模半壊341戸。
半壊および一部損壊は、2493戸を記録した。
島々を巡る遊覧船も小型船73隻のうち26隻が、係留していた桟橋ごと海に流された。



 津波が去った後、松島海岸は一面の瓦礫と真っ黒い泥に覆われた。
電気と水道が途絶えている中、観光の中心地でもある中央広場や物産店、観光施設などが
真っ黒い泥の中に完全に埋没していた。


 多くの被災地の動きと同じように、3月19日になると多くのボランティア達が
全国から、泥に埋もれた松島海岸に駆けつけた。
地元の人々や瑞巌寺で修行している雲水(うんすい)達と一緒になり、海岸を埋め尽くした
泥の片づけと、清掃作業に汗を流した。
悲報を聞き、遠くカナダからヒッチハイクで駆けつけたという人もいた。
新潟県や長野県、兵庫県を中心に、750人を超える人たちが松島海岸に駆け付けた。

 
 4月上旬、松島海岸地区の黒い泥の撤去がほぼ完了した。
それぞれの観光施設は、いちはやい復旧にむけてさらに急ピッチでの作業をすすめたという。
松島の存在なくして、宮城県の観光の復活はないと信じたからだ。
当然のことながら駆けつけてきたボランティアの中に、俺の先輩の姿も含まれていた。



 あの日の痕跡が全く残っていないと言えば、嘘になる。
それでも目の前にひろがる美しい光景を目にすると、どこかでこころが癒される。
それにしても、時刻はすでに6時を回っている。
北国の日暮れは早い。
すでに日は西の山に落ちて、早くも北国の海岸はうす暗く暮れはじめてきた。



 「そろそろ宿を探そうか。日も落ちたことだし」

 「それならもう、決めてあるの。
 実は、前から一度でいいから泊まってみたいと、心に決めていたお宿があるの。
 壮観というところですけど、そこに向かってもいいですか?」

 「そうかん?。瑞巌寺の坊さんみたいな名前だな」

 
 「お坊さんの名前の宗鑑ではなくて、景色をあらわす壮観です」



 抗議するかのように、るみがぷくっと頬を膨らませる。
お茶目な様子が出てきたのは、こころと気持ちが少しずつ解放されてきた証だろう。
実際、さきほどまで目にしてきた警戒区域内の景色は、胸にずしりと重いものを残した。
ボクシングのボディブローのように、俺の気持ちの中に暗い影を充分すぎるほど落とした。
松島まで行こうと提案したるみの気持ちに、何故か救われた俺が居た。

 
 松島湾に浮かぶ260あまりの島々を一望できる名所が湾の周囲に、4つある。
松島四大観(しだいかん)と呼ばれる絶景地だ。
そのうちのひとつに、標高105.8mの高さを誇る大高森がある。
大高森は松島四大観の筆頭にあげられている景勝地だ。
周囲と比べひときわ小高い山頂からは、そのまま360度の大パノラマが楽しめる。



 西から南にむかってひろがる松島湾の美しい島々を、一望で眺められる。
東には嵯峨渓の島々と広大な太平洋がひろがっている。
北には海水浴場で知られる野蒜(のびる)海岸と、遠くには石巻の市街地を一望できる。
まさに壮観の名にふさわしい、松島で一番ならではの絶景だ。
るみが泊まりたいと言っていたホテル壮観は、海岸から10分ほどの山腹に建っている。



 景勝地に建っている温泉ホテルの割に、料金がリーズナブルなことに疑問が残った。
だがホテルに到着した瞬間、俺の疑問が氷解した。
最近人気が急上昇中の、大江戸温泉物語株式会社が運営しているホテルのひとつだ。
大江戸温泉物語株式会社は2007年から全国で、温泉施設の運営をはじめている。
経営破綻した地方の温泉宿を買収し、個性的な温泉施設としてリニューアルしてから、
薄利多売方式で営業している。


 なるほど高品質の割に安いはずだと納得をしたが、2人で遅めの夕食を終えた頃、
驚きの人物からいきなり呼び出しの電話が、俺のところへかかってきた。



(92)へつづく

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東京電力集金人 (90)美しい景色へ

2014-09-25 12:13:03 | 現代小説
東京電力集金人 (90)美しい景色へ



 大津波から必死で逃げ回ったあの日のことを、思い出したのだろうか、
るみが、焦点の合わない遠い目をしている。
漁港からここまで続いている緩い坂道を、複雑な想いで見下ろしている。
女将さんとともに、年寄りの手を引いて必死で駆け上がった、あの日の坂道と階段だ。


 遠い記憶を、確かなものとして甦らせようとしているのが、よくわかる。
「大丈夫か?、るみ」と問いかけても、反応の様子に、すこぶる鈍いものがある。
「え?」とるみは反応をみせたが、瞳は、あの日の記憶の中にいまだに埋没をしている。


 「辛いことを思い出したんじゃないのか?。あまり無理をしないほうがいい」


 「すっかり忘れたと思っていたのに、やっぱり、此処まで来たら、
 あの日の記憶が、少しずつだけどよみがえって来たわ。
 あの日起こった良いことも、悪いことも、全部そのまま包み隠さずに・・・」


 
 高台の駐車場から、請戸漁港のすべてを見下ろすことが出来る。
手つかずのまま放置されたあの日から、3年あまり。
港の周辺にはいまも、打ち上げられたままの漁船が、無残な姿で横たわっている。


 そんななか、北側にある塩地区には、町内から集めてきた被災がれきの仮置き場が見える。
国はここに仮設の焼却炉を作ろうとしている。
来年7月から、本格的に焼却をはじめていく予定をたてている。

 浪江町には、推定で17万8000トンの災害廃棄物がある。
倒壊家屋なども含めると、震災で出たがれきの総量は、28万9000トンを上回る。
これまでに焼却前の選別を終えた量は、わずか4万トン。
ここはまだ復興どころか、ようやく、震災がれきの撤去が始まったばかりの町だ。



 「美しいものが、見たいわね」と、るみが意外な言葉を口にした。
「美しいもの?なんだいそれ」意味が良く分からないがと、俺が、いぶかって見せる。
「ここまで見てきたものは、痛々しいあの日の痕跡ばかり。
あの日のままだろうということは、来る前からわかっていたけど、さすがに私の心が痛んできた。
貴方だって見たいでしょ。災害に負けず、見事に復興をみせた、東北の姿が」
行きましょう、とるみが、漁港の赤茶けた風景に背中を向ける。


 車に戻ったるみが、何のためらいも見せず運転席のドアを開ける。
「ここから先は、わたしが運転します」と、ニコリと笑う。
「よそ者のあんたより、ここで生まれ育った私のほうが、絶対的に地理には詳しいもの。
私がハンドルを握るのは当然でしょ」と、ようやくいつもの笑顔を見せる。


 「で。美しい場所って、いったいどこへ案内してくれるつもりだい、君は」


 「着いてのお楽しみ。
 と言いたいところですが、早速ですが、ナビで検索をしてくださるかしら。
 スタート点はここの請戸漁港。
 ゴールの地点は、松島海岸駅でお願いします」



 請戸漁港はいま居る地点だ。
松島海岸駅というのは、仙台市の松島海岸のことだろう。
先輩のナビは、駅の名前を入れたほうが検索が早い。検索の結果は、あっという間に出た。
出発地は、福島県双葉郡浪江町請戸北久保という、いま車が停まっているこの地点だ。
到着地の松島海岸駅は、宮城県宮城郡松島町松島字浪打浜と住所も出た。


 総距離が116.93km。
高速道路は使わずに、海岸沿いを北上していくルートが提示された。
推定所要時間は244分。およそ4時間ほどかかるドライブだ。
ルート図が出来てきたが、驚いたことに最初の10キロが「警戒区域内」のグレーゾーン
として、地図に表示されてきた。
そういえば国道の検問所を越えたあたりから、カーナビの案内が不安定になった。


 警戒区域内の国道の脇には、びっしりと短管のバリケードが立ち並んでいる。
こうしたバリケード柵の存在を、車に搭載したカーナビは、まったく表示をしない。
小さ過ぎる障害物のため表示しないのだろうと勝手に受け止めてきたが、グレーゾーンという
表示を見て、はじめてここが地図の上でも存在しない区域で有ることを、
あらためて、ようやくのことで実感をした。



 だがるみはもう、沈痛な表情をしていない。
「行くわよ」と口にした瞬間、笑顔を見せて車を元気にスタートさせた。
理由は簡単なことだ。カーナビがグレーゾーンとして順路の表示などをしなくても、
ここはるみが生まれて育った町だ。
幹線道路どころか、生活道路の狭い道まで、すべてをるみは知り尽くしている。
たしかにこの先は、地元を知り尽くしたるみの運転のほうが安全だ・・・
そう思った瞬間。
はやくもるみは狭い通りに飛び込んで、北に向かって軽快に走り始めた。


(注・短管とは 建築工事で用いられる機材の一種。 単管パイプの略。
        建築現場などで作業をするための足場用資材として利用されることが多い)



(91)へつづく

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