落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (19)真冬のフルーツトマト

2014-05-31 12:45:35 | 現代小説
東京電力集金人 (19)真冬のフルーツトマト




 長屋の雪下ろしと、実家の屋根の雪下ろしを終えると、時刻はもう10時を回っていた。
『お昼を御馳走するから食べておいき』というお袋の言葉に、丁寧に頭を下げてから、
るみが、『着替えをしたいので、一度アパートへ戻ってきます』と辞退した。
 
 『じゃ、間に合うだけの着替えを持って、早めに戻っておいで』とおふくろが
追い打ちをかけた。
えっと驚く俺を尻目に、玄関先でお袋がるみに優しくほほ笑んでいる。
(着替えを持って戻ってくる?)お袋とるみの間で何やら密談が、既に成立しているようだ。
機嫌のよさそうなお袋を玄関先に残し、俺たちはとりあえず来た道を逆に戻り始めた。
だが昨夜から40センチ以上も積もった道路の雪は、やっぱり難敵だ。


 わずかに薄い日が射してきたが、雪を解かすほどの勢いは無い。
足跡ひとつ残っていない真っ白な絨毯は、畑と道の境界が見えないほどの厚みを持っている。
朝つけてきたはずの俺の足跡も、いつのまにか強風の影響で、あっさりと消えかけている。

 先輩がビニールハウスから降ろした雪が、連棟の谷間から脇道へ溢れだしている。
谷間から溢れた雪は狭い脇道に雪崩のように広がり、小山のような壁を生み出している。

 「ビニールハウスの雪下ろしも大変ですねぇ」とるみが、雪の小山を足で蹴る。
「大変なんてもんじゃねぇ。出荷間際だというのに、丹精込めたハウスが潰れちまったら、
俺たちは一文にもならねぇ。大金が目の前にぶら下がっているから雪下ろしにも精が出る。
どうだ、ネエチャン。食ってみるか、俺の自慢のトマトを!」と、
見えないところから突然、先輩の声が飛んできた。


 「トマトですか?。2月の初めというのに、トマトなんか出来るんですか?」



 「おう。真冬でも、俺のところではトマトが出来る。
 食って驚くな。そんじょそこらに有る普通のトマトじゃねぇぞ。
 ブリックスナインと言って、糖度が9%以上もあるフルーツトマトだ。
 騙されたと思って一度食ってみろ。くどくど説明するより舌で理解するほうが話が早い」

 ほらよ、と言う先輩の声とともに、ピンポン玉大のトマトがいきなり空中から降ってくる。
ふわりとるみの足元に落ちたトマトが、雪の絨毯の上に真っ赤な花を咲かせる。
「小さいわねぇ。家庭菜園で作るようなミニトマトの仲間なのかしら?」
雪の中からトマトを拾い上げたるみが、手のひらの上で、真っ赤な塊をコロコロと転がす。


 「馬鹿野郎。
 ミニトマトなどという家庭菜園の俗物と、俺のフルーツトマトを一緒にするな。
 普通に育てれば大玉になる品種を、特別な栽培法でぎゅっと小玉に完熟させたものだ。
 いいから騙されたと思って、とっとと食ってみろ!」 

 急かされたるみが白い歯を見せて、真っ赤なトマトを2つに噛み切る。
口の中いっぱいに甘い香りと芳醇なトマトの水分が広がった瞬間、るみが瞳を丸くする。
『なにこれ・・・・ほんとだ。おいしいじゃん、私の知っているトマトとは全く違います!』
芳醇に口の中いっぱいに広がる甘みに、るみがにんまりと目を輝かせる。
味覚として後からやってくるほんのりとした酸味に、さらにまたるみが目を細める。

 「こんなトマト、食べたことが有りません。ほんとうの奇跡の味がします。
 これって、どんな風にして育てているのですか!」


 「おっ、気に入ったか。奇跡の味とは、嬉しいことを言ってくれるネエチャンだな。
 作っているところを見せてやるから、太一と一緒に入り口へ回って来い。
 ただし東側は降ろしたばかりの雪で大山になっているから、
 垣根の方から大回りして来いと言え」

 『垣根からですか?。了解しました。太一、垣根から大回りして来いって』
そう言えば分かると言っていたけど、いったい垣根の大回りにはどんな意味が有るのと
るみが、不思議そうな顔で俺の目を覗き込む。
『このあたりは真冬になると、赤城おろしと言う季節風が吹く。
強風から屋敷を守るために、西と北側に面して常緑の生垣や巨木を植える。
屋敷に入るために、外を大きく迂回する必要があるから風よけの垣根のことを、
わざわざ『外回り』と洒落で呼んでいるんだ』


 「そういえば、巨木がたくさん植えられています。
 雪に覆われて、まるで季節外れのクリスマスツリーみたいですねぇ。うふふ」

 群馬では1月から3月の初めかけて、赤城おろしと呼ばれる強烈な季節風が吹き荒れる。
赤城山の山肌を駆け下りてきた雪風は、乾いた畑の土を問答無用に吹き飛ばす。
多くの農家がこうした被害から家屋敷を守るために、垣根代わりとして巨木を植える。

 終戦直後には耕作地を守るために、南北に帯の様な防風林がいくつも有った。
防風林の幅が、1キロを超える巨大なものがあったそうだが、戦後の食糧難の時代に
満州から引き揚げてきた人たちにより、すべて開墾され尽くしてしまった。
いまでも畑の畝(うね)に、ポツンと巨木がそびえているのを見ることが有るが、
それらは、こうして消えていった過去の防風林の名残だ。


 垣根沿いの道は、概に除雪が済んでいた。
わずかに残った路面の雪に、ギザギザしたタイヤ痕が残っている様子からみると、
どうやら朝一番に、トラクターで除雪作業をしたようだ。
このあたりの雪を先に片づけないと、先輩のビニールハウスまで歩いてたどり着けない。
(確かに初めて見る、圧倒的すぎる積雪量だな・・・・)
道の両側にうず高く積まれている雪の壁を見て、今回のこのあたりの降雪量が
半端でないことを、あらためて実感をした・・・・


(20)へつづく

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東京電力集金人 (18)雪下ろしのコツ、教えます

2014-05-30 12:00:44 | 現代小説
東京電力集金人 (18)雪下ろしのコツ、教えます




 このあたりで30センチ以上の雪が積もるのは、尋常じゃない。
群馬は中央にそびえている活火山の赤城山を境に、北側と南面で気候が異なる。
日本海からやって来た湿った寒気は、赤城山の北側一帯に大量の雪を降らせる。
水分を落とし、からからに乾ききった日本海からの寒気は一気に1800メートルの山頂を越える。
関東平野に向かってなだらかに下る山肌を、加速をしながら駆け下る。
これが群馬の真冬の名物。上州のからっ風と呼ばれる、「赤城おろし」の正体だ。

 これほどの積雪を平地で見るのは、俺も生まれて初めてのことだ。
酒屋のトラックは凍てついた道路で横転したあげく、積み荷を一面に散乱させた。
畑伝いの小路には、いつもの新聞配達のバイクのわだち跡も、今朝に限っては見当たらない。
生垣の北側には、風にあおられてた細かい雪がびっしりとこびりついている。
ところどころには、氷の結晶までが出来ている。

 
 「もう9時だ。新妻を放置したまま、朝まで呑気に眠りこけるとは見上げた根性だ。
 雪下ろしのコツを教えますから、早く、屋根の上まであがっておいで」



 すでに2つ目の雪玉を手にしているるみは、長屋の屋根の上でハイテンションだ。
「9時!」と言われ、初めて遅い朝を実感した。
雪道への対応ができていないこのあたりでは、積雪が10センチを超えると、
そのとたんに、あっというまに交通事情が麻痺をする。
夏用タイヤしか履いていない車は、通りへ出るどころか、自宅の庭からさえも出られない。
当然の結果として、この時間帯になっても各家庭に朝の新聞は届かない。


 るみが着ている青い運動着に、なんだか見覚えが有る。
どうやら中学生の頃、部活動で俺が着ていた、お気に入りの青いジャージのようだ。
10年が経つというのに、いまだにタンスの中に残っていたとは驚きだ。



『さすがに乙女が、朝から屋根の上で、ミニスカートというわけにはいかないからね』
とるみが雪下ろし用のシャベルを片手に、庇の上で笑う。
『俺が160センチしかなかった頃のジャージだ。へぇぇ、お前。160センチしかないのか』
ピッタリとサイズが有っている様子に、思わず、俺の口が滑った。

 『大きなお世話だ。いいから、とっととシャベルを持って上がって来い!』
るみが手にした2発目の雪玉を、俺に向かってふわりと投げる。
どうやら本気で当てるつもりは無いようだ。

 屋根の突端で仁王立ちしているるみが、盛り上がった青いジャージの胸を
これ見よがしに、こんもりと反らしている。
(あの胸は絶対に偽装だ。一か月少々で、胸の膨らみが復活するはずがない!)
絶対に真相を暴いてやると密かにささやきながら、玄関の前に置いてある雪かき用の
シャベルをつかみ、ゆっくりと梯子を登る。


 屋根の上に立っているるみは、傾斜にたいして身体を横方向に構えている。
『屋根の傾斜にたいして正面を向くと危険だ。横に構えたまま、下の足で自分の体重を支える。
自分の足元から雪を取り除いていく。シャベルに乗せた雪は遠くまで放り投げないこと。
軒下にそのまま落とすくらいの感覚でちょうどいい。
まんいち落ちた時のクッションになるからね。以上で講義は終わりです。
何か質問は有るかね。雪下ろしの新米ボランティア君』


 るみが青いジャージの胸を、これでもかとばかりにまた天に向かって反らす。
(硬いままだ。ピクリとも動かない。揺れない胸の様子がますますもって偽装っぽいな。
もしかしたら、あげ底仕様になっているのかもしれないな・・・・)などと、
るみの説明をろくに聞かず、胸にばかり視線を集中していたら、いきなり目の前に、
ひょいと3つ目の雪玉が飛んできた。

 雪玉を避けるために、慌てて身体を反らしたら足元のバランスを崩しちまった。
あっというまに、身体の平衡を失った。
掴まるもののないない庇(ひさし)の上で、バタバタと俺の両手が空気をつかむ。
空気が、俺を支えてくれるはずがない。
そのままバランスを失って、頭から真っ逆さまに地上へ落ちた。


 こんなことで人生が終わるのかと、観念をして瞬間的に両目をつぶった。
(南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏、)地上へ向かって落下しているわずかな時間、
口に出来たのはこの言葉だけだ。
思えば短い人生だった。
と自分の人生を回想した瞬間、俺の体が、雪で作られた布団の上にふわりと着地をした。
(あれ、助かったぞ!)屋根から降ろされた雪の堆積の中に、すっぽりと全身が沈み込んだ。
『ほら見ろ。やっぱり言った通りだろう』とるみが、庇の上から俺の身体を
にんまりとした顔で見下ろしてくる。
起き上がろうとしたその瞬間、4つ目の雪玉が、俺の顔面めがけて飛んできた。



 「やばい」と直感し、素早く起き上がり身体の向きを変えた。
上手く雪玉を避けたつもりだったが、るみのやつは俺の逃げる方向を完璧に読み取っていた。
ゆるく握られた5発目の雪玉が、ものの見事にぴしゃりと音を立て俺の顔面を見事に直撃した。
『してやったり!』と庇の上で、るみが胸を揺らして大きな声で笑っている。

 反撃してやろうと思ったが、いまから雪玉を握っている余裕はない。
脱いだ長靴を手にすると、るみの顔面めがけて思い切り下から投げつけた。
くるくると回る長靴が空しく宙を舞ったあと、屋根にずしりと音を立てて突き刺さる。

 狙い済ませたつもりだが、照準が甘かったようだ。
『へたくそ~』と俺を覗き込んだるみが、勢い余って、屋根の上で態勢を崩しはじめた。
『危ない!』と下から声をかけたが、すでにときは遅かった。
足を滑らせたるみが、両方の手をバタバタとさせながら、俺に覆いかぶさるような形で
真上から、まともにこちらに向かって落ちてくる。


 受け止めてやろうと一瞬は思ったが、万が一のこと考えて、慌ててその場から飛びのいた。
勢いよく落ちてきたるみは、顔面からまともに雪の布団の中へ突っ込んだ。
『逃げたな、この薄情者!』顔を上げた瞬間のるみから、鋭く右足が飛んできた。
あっとかわす間もなく、俺の身体が足元から刈り取られる。
どさりと背中から落ちた俺の身体の上へ、雪で真っ白になったるみがのし掛かってきた。
『目にものを見せてやるぞ』とるみが両手で、雪の塊を持ち上げたときのことだった。


 「こらこら。雪だるまをつくるなら、屋根の雪を片づけてからにしておくれ。
 若い者が、朝っぱらからじゃれているとは、まるで盛りのついたそこいらの野良猫と同じだ。
 こら、太一。さっさと屋根に上がって雪を降ろしておいで。
 まったくぅ。若い者は朝から元気が溢れているから、目を離すとすぐに
 イチャイチャとするんだから。現場を監督するのは大変だ。あっはっは」

 お袋の出現で、「助かった~」と思った瞬間、るみのやつがお袋の声に驚いて、
そのまま、雪の塊から両手を離してしまった。
馬鹿野郎!・・・・俺の顔の真上で、雪の塊から手を離すんじゃねぇ!。
それじゃ俺の顔の上へ雪の塊が、まともにどさりと落ちてくることになるだろうが・・・。



(19)へつづく


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東京電力集金人 (17)早くも立ち往生。

2014-05-29 11:10:13 | 現代小説
東京電力集金人 (17)早くも立ち往生。



 先輩の言葉の意味は、すぐに分かった。
ビニールハウス群を抜け、実家へ続く細い脇道へ出てまもなくのこと。
狙いすませた1発目の雪玉が、いきなり俺の顔をめがけて音を立てて飛んできた。
『危ねぇ!』。雪玉をひらりと避けた瞬間、足元を滑らせて、
垣根に積もった柔らかい雪のかたまりの中へ、顔面から、思い切り倒れこんだ。


 不意を突くとは卑怯なやつだと顔を上げれば、長屋の屋根でるみが笑っている。
長屋の屋根の上にるみが居る?・・・・
昨晩の一連の出来事をようやくのことで思い出した。
屋台のラーメン屋で熱燗を4本も飲んだ後、先輩が営業している深夜の蕎麦屋へ寄りこんだ。
『いい加減に帰らないと、全員が雪だるまになっちまうぜ』
と言われたのが、深夜の午前2時のことだ。
表に出てみると、どこもかしこも別世界のように真っ白だった。
発達した低気圧の影響で、地鳴りをあげて強い風まで吹き荒れている。


 (本格的に遭難するぞ、こりゃぁ)とつぶやいたら、『帰れるかしら』とるみが、
俺の脇から眉にしわを寄せて、吠え狂っている空を見上げる。
『無理だろうな』と応えたら、『じゃ、どこかにしけ込んで朝まで飲もうか。うふふ』
とるみが、悪戯っぽく目を細める。


 地方の小さな町とはいえ、この町は生糸でおおいに繁盛したという歴史を持っている。
そのおかげで、このあたりは、北関東でも有数の歓楽街として栄えた歴史も持っている。
明治の頃には置屋が数軒有り、20人以上の生糸芸者が小さな町を彩った。
戦後になっても、そうした繁栄の歴史が続いたという。
繊維産業が最盛期と言われた昭和20年代の後半には、北関東いちの繁華街になった。
だが、海外から安い絹と生糸が入ってくると、歓楽街はあっというまに斜陽期を迎えた。



 それでも細い路地裏の道をたどると、かつての名店が細々と営業をつづけている。
風営法のために歓楽街は、広い通りに面した店舗から順番に営業の明かりが消える。
飲み足りない連中は、めいめい露地の道へ入りこむ。
風営法の適用を受けない飲食業は、朝まで営業することができる。
表通りから撤退をした、かつての老舗の小料理屋などへ常連客達が入り込む。
るみが口にしたのは、そうした路地裏にある小料理屋群のことだ。
『どうしようかな』と思案していたら、先輩の車が俺たち2人の前に、急停止した。

 「まだいたのか、そんなところに。呑気過ぎるだろう、お前らたちは。
 帰るのなら送っていくが、この雪だ。ぐずぐずしているといつ滑りはじめるかわからん。
 お前のアパートか、実家なら、俺の帰り道の途中だ。
 だが、そっちのネエチャンはどうする?。このあたりじゃ見かけない顔だが」

 「あたしは福島です」


 「馬鹿野郎。寝ぼけたことを言ってんじゃねぇ!。
 出身地を聞いているわけじゃねぇ。今の住まいはどこかという話だ。
 まぁいい。話なら車の中でもできるから、とりあえず乗れ。酔っ払いども」


 降りしきる雪は、強風にあおられて地吹雪のようになっている。
『住まいはどこだ?』とあらためて聞き直す先輩の声に、
『歓楽街の裏手、山の手のアパートです』とるみが、後部座席から身体を乗り出して答える。



 山の手かよ。難しい場所に住んでいるなぁ、と先輩がつぶやく。
『だがまぁ、一応は行って見るか。あの坂が上れたら送り届けてやるから』
先輩の言う『あの坂』とは、だらだらと50メートル余りも続く山の手の坂道の事だ。
ワイパーがあせわしなく動く中、横殴りの雪に視線を翻弄されながら、ようやくのことで、
先輩の車が、ゆるやかな坂道の麓に到着する。


 『駄目だな、こりゃぁ・・・・諦めろという光景が、すでにひろがっている』
ハンドルに身を乗り出した先輩が、絶望的につぶやく。
ハザードランプを点滅させた数台の車が、すでに坂の中腹で点々と立ち往生している。
『ノーマル(タイヤ)じゃ無理だな。ネエチャン、ここからアパートへ帰るのは諦めろ。
それとも自力で歩いて帰るというのなら、ここで降ろしてやるが、どうする?』
好きな方を選べと先輩が、後部座席のるみを振り返りる。

 地吹雪のような坂を見上げて、るみが絶望的な溜息をもらす。
るみのアパートは、坂道を越えてからさらに、500メートルほど山の手の道を歩く。
この状態では、その先のほうがよっぽども怖いと、るみが俺の耳元でささやく。

 
 「でも今夜は、勝負パンツを履いていないので、太一のアパートに寄るのは無理だわ。
 こんな時間に突然実家に押しかけて、太一のお母さんが迷惑をしないかしら?
 『不束者(ふつつかもの)ですが、よろしくお願いします、と挨拶すれば大丈夫かしら?」


 「そっちのほうがナイスだな。ネエチャン。
 太一。いまから花嫁さんを連れていくから、実家で預かってくれと電話を入れておけ。
 困ったときは、お互い様だ。
 だが、郊外はもっと降り積もっているだろうから、たぶん、実家までは無理だろう。
 最後の50メートルは、自力で歩くことになるから、いまから2人とも覚悟しておけ。
 じゃ行くか。こんな場所で、3人して立ち往生しちまう前に」


 方向転換させ、郊外にある俺の実家を目指し、先輩の車がゆっくりと雪道を走り始める。
大通りに出ても路面は、白い絨毯を敷き詰めたように真っ白のままだ。
車の姿は、まったく何処にも見えない。
1時間前までは残っていたはずのわだち跡も、いまは積雪の下に消えかかっている。
『予想以上に降り積もりそうだな、この雪は。甘く見ると明日の朝がおおごとだ・・・・』
慎重にハンドルを握る先輩が、自分に言い聞かせるようにつぶやく。


 指先が凍え始めてきたころ、ようやく全ての出来事を思い出した。
そうだ・・・50メートルの雪道を必死の思いで歩き、るみを実家へ送り届けんだ。
おや大変だったねぇ。雪だるまのように真っ白だと、愛想よく玄関を開けたお袋は、
俺の顔を見るなり、『婚姻前の男女は、別の家で寝るもんだ。
あんたまで泊めるわけにはいかないから、とっとと自分のアパートへ歩いて帰れ』
と問答無用に、俺に拒絶を告げる。
ぴしゃりと無慈悲に、俺の目の前で玄関の戸を閉め切られる・・・
仕方がないので、ふたたび地吹雪の中を雪だるまになりながら、自分のアパートへ
息を切らせながら、駆け戻ったんだ。昨夜の俺は・・・・
 


(18)へつづく

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東京電力集金人 (16)最初の大雪

2014-05-28 12:56:50 | 現代小説
東京電力集金人 (16)最初の大雪



 2014年2月7日から9日にかけて、本州の南海上を南岸低気圧が発達しながら通過した。
発達した低気圧は、関東地方に、観測史上まれにみる大雪をもたらした。
最大積雪は東京では、20年ぶり(1994年2月12日以来)に20cmを超えて27cm。熊谷で43cm。
千葉では33cm。いずれの地域でも過去最大を記録した。

 東京は8日の深夜1時過ぎから、雪が降ってきたというウェザーリポートが届き始めた。
同じく午前6時には、関東地方のほぼ全域から雪のリポートが集まってきた。
さらに8日昼頃から午後にかけ、徐々に雪の降りかたが強まってきた
1時間に3~5cmのペースで増えつづけ、19時には東京や千葉では積雪が20cmを越えた。


 8日の朝。7時に目を覚ました俺が窓から最初に目撃したのは、酒屋のトラックの横転だ。
窓の下の道路は、朝から見るからにピカピカに凍てついている。
横転したトラックから散乱したビール瓶や焼酎などの瓶を、近所の人が総出で片づけている。
割れている瓶が少ないのは、積もった雪がクッションの役目をしたからだろう。
『不幸中の幸いだな』とつぶやきながら、俺もみんなの手伝いのために部屋から外へ出る。


 雪道に慣れていないこのあたりでは、5センチ積もっただけで交通が麻痺をする。
冬用タイヤを履いていないうえに、雪道を体験していない素人たちが運転をしているためだ。
タイヤが滑って驚いた瞬間、ほとんどの運転手が反射的にブレーキを踏む。
バランスを失った車はそのままの勢いで道路外へ飛び出すか、酒屋のトラックの様に横転をする。

 高級ウイスキーの瓶を拾い上げたら、『手間賃がわりに持っていけ』と、
頭を雪で真っ白にした酒屋の店主に、肩を叩かれた。
『ウィスキーは飲まねぇ』と返品したら、『じゃあこっちの焼酎を持っていけ』と別のをくれた。
真っ白に凍てついた道路には、中央に2本のわだち跡しか残っていない。
誰もが道路の外へ飛び出すことを恐れ、慎重を期して道路の中央のみを走るからだ。


 ところどころに対向車を避けた、わずかな迂回の跡が残っている。
だが、対向車をやり過ごしたあとは、ふたたび中央の2本しかないわだちに戻る。
歩道付きの8メートル道路なのに、わだちの跡が2本しか見えないのは実に異様な光景だ。

 7時30分を過ぎた頃、営業所から『今日は休め』という連絡が来た。
基本的に土日は休みだが、土日の集金を希望する客がいる場合、仕事に出る時も有る。
『雪下ろしを頼むよ』というお袋の言葉を思い出し、新雪の畑道の中を実家へ歩く。
俺のアパートから実家までは、細い畑道を歩いて5分くらいだ。
途中ですぐに人家が途切れ、農業用のビニールハウス群が現れる。


 真ん中にある6反の巨大ビニールハウスは、ソフトボールチームの先輩のものだ。
温暖な気候に恵まれているこのあたりの農業は、ビニールハウスを使った野菜作りが盛んだ。
農地は空いているが、ほとんどの農家がビニールハウスだけで収益を上げている。
四季を通じて生産するトマトと、キュウリは有名だ。
糖度が9%を超える「ブリックスナイン」という特産品のトマトを生み出している。
有機土壌から生み出すキュウリも、安全で美味しいと、市場で高く評価されている。
だがどうみても今の農家が、ビニールハウスによる生産に偏りすぎているのが気にかかる。

 大地を耕し、地域に合った野菜や作物を育ててきたのが、もともとからある日本の農業だ。
露地の野菜は天候の影響を受けながら育つ。旬の時期を迎えて大量に収穫される。
だが農産物というやつは大量に採れ過ぎれば、価格が暴落をする。
需要と供給のバランスは、自分で生産物の価格が決められない農家の経営を
さらに、不安定な局面へと追い込んでいく。


 生産の効率化と、気候と気温を逆手に取って利用した生産が、ビニールハウス農業だ。
初期の頃のビニールハウスは、竹を4つに割った支柱で造られた。
竹の支柱にビニールを張り巡らせて、天井を覆った。
ビニールを開け閉めすることで、ハウス内は常に適切な温度管理が可能となる。
こうした結果、真冬でも、夏野菜のはずのトマトやキュウリが大量に出回るようになった。

 ビニールハウスを使った初期の頃の農業は、べらぼうに儲かったという。
ビニールハウスの売り上げで、1反から2反のあたらしい農地が買えたという。
こうした成功をきっかけに、多くの農家が露地での野菜作りからビニールハウスに転向をした。
その結果が、きわめて大規模なビニールハウス群の出現だ。
いまの日本の農業は、ビニールハウスに支えられているといっても過言ではないだろう。


 『よう!』とビニールーハウスの隙間から、先輩の声が飛んできた。
ビニールパイプの先に繊維を巻き付けた道具で、先輩がビニールハウスの雪を落としている。
『降りましたねぇ』と声をかけると、『馬鹿野郎、降りすぎだ。朝から雪落としで汗だくだ』
なんだ実家の雪下ろしに行くのか、ご苦労だなと言った後、
『で、昨夜のあの子は何処の子だ。未来の嫁か彼女か、それとも一晩の浮気相手か?
ようやくお前にも、春が来たようだな。あっはっは』と先輩が雪落としの合間に笑顔を見せる。

 (何の話をしているんだ先輩は、いったい?)意味がわからんと首を傾げながら、
真っ白な新雪の畑道を、ふたたび実家に向かって歩き出す。



(17)へつづく

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東京電力集金人 (15)筋金入りの極悪人

2014-05-26 13:17:18 | 現代小説
東京電力集金人 (15)筋金入りの極悪人



 「ねぇ太一。どこの何者なの、あの人相の悪いおじさんは?」

 るみの態度がいやに馴れ馴れしい。
いつのまにか俺の名前も、いきなりの呼び捨てに変わっている。
ベンチコートの中で少しだけお互いの体温を感じあっただけで、この有様だ。
もう一歩踏み込んでいったら一体今頃はどうなっていたことやらと・・・
それを考えただけでも、ぞっとする。

 「お袋の同級生で、このあたりを仕切っている、こわもてのおじさんだ」

 「ふぅ~ん。お袋さんの初恋のお相手か。
 ということは、いまだに、高嶺の花のままということになる訳だわね。
 道理であんたに特別、優しいわけだ。
 いつの日か、あんたはあのこわもてを、『お父さん』と呼ぶ日がくるのかしら。
 そうなるとお先真っ暗ですね太一は。万が一そんな事態の日が来たら」
 
 『誰がお先真っ暗になるって?。それはどういう意味だ、このお節介小猫!』


 いきなり背後に現れた岡本が、顔を真っ赤にして大きな声で怒鳴る。
去ったとばかり思っていた岡本がふたたび現れたため、るみがまた慌てて俺の背後へ隠れる。


 「いまいましい小娘だな。チョロチョロと逃げ回りやがって。
 誰が見たってそれじゃあ、俺が、お前さんをいじめている悪党のように見えるだろうが。
 取って食うわけじゃねぇから、安心をしろ。
 お前さんみたいな小便臭い小娘は俺の趣味じゃねぇ。絶対に手は出さねえから安心しろ。
 戻ってきたのは、まったく別の用事だ。
 此処のシュウマイは醤油じゃなくて、辛子を溶いたソースで食うんだぜ。
 屋台のシュウマイは大昔から、辛子ソースで食うと相場が決まっている。
 いいか。醤油を使うような野暮な真似だけは、間違ってもするんじゃねぇぞ。
 俺が言いたいのはそれだけだ。邪魔をしたな。
 おい、親父。若い2人に熱燗を2、3本出しておけ。俺のおごりでな。
 悪かったなネエチャン。たまがせちまってよう(※)。
 じゃな太一、また会おうぜ。あばよ」


    (※『たまがせちまって』は由緒正しい上州弁で → 脅す・驚かすの意味)


 
 おう、と踵を返し今度こそ極道の岡本が後ろを振り向かずに立ち去っていく。
屋台の店主は、ぶっきらぼうが売り物だ。
しかし常連客との会話で時々見せる笑顔が何ともいえず、良いキャラクターを醸し出す。
中学を卒業後、工場勤務、パチプロなど10数種の職業を転々としたあげく、
20代半ばでラーメン店に就職し、31歳で独立したという筋金入りのラーメン職人だ。


 チャーシュー、メンマ、刻みネギ、海苔が入っているだけのシンプルな中華そばだ。
スープは透き通っており、地元の人たちは”黄金スープ”などと呼んでいる。
クセは無く、あっさりとしている。
麺はちょっと固めだが、ほどよい歯ごたえがある。
チャーシューの味は丁度良い塩加減。脂っこさが無いので箸がどんどん進む。
近年パンチの効いた脂だらけの独特なラーメンが流行る中、屋台の中華そばを食べると
舌と心が、なんだか落ち着いてくるから不思議だ。

 ちなみにスープを飲むためのレンゲは付いてこない。
客は、どんぶりに口を付けて直接スープを飲む。これもまた屋台における定番だ。
『え~え。レンゲが無いの?。直にどんぶりから飲むなんて、野蛮ねぇ!』
と言いながら当の本人が一番熱心にずるずると音を立て、どんぶりからスープを飲んでいる。


 「なんで群馬は、シュウマイにソースなの?」


 「栃木と群馬の県境にある『肉なしシュウマイ』の成分は、
 北海道産男爵じゃがいもと、タマネギだけだ。
 このあたりで作られている『コロリンシュウマイ』は、男爵いもを使っている。
 これだけだと精進料理になっちまうので、豚脂を練りこんで肉っぽい味を加味する。
 隣の足利市の場合、肉入りシュウマイ同様に薄皮で包まれているが、
 こっちのコロリンシュウマイに、皮はない。
 出来立てのアツアツを、15分以内に食べることが鉄則だ。
 15分以上経つと固くなりすぎて、温め直しても、カチンカチンでまったく歯が立たねぇ」

 「いわれは分かったけど、ソースを使う答えになっていないわよ!」

 「ソース使ういわれは、俺も知らん。
 生まれた時からこのあたりでは、シュウマイに使うのはソースだ。
 桐生市はソースかつ丼で有名だから、おおかたそのあたりから来ているんだろう。
 天ぷらに、ソースをかけるやつも居るくらいだからな」

 『天ぷらにもソースを使うの?。コロッケやメンチならわかるけど・・・・ん、ん』と、
るみが可愛い唇に割り箸を加えた瞬間、空から綿毛のような雪がひらひらと舞い落ちてきた。
北関東を襲った、2週にわたる2度の大雪。
そのうちの第一弾。2月7日深夜からの大雪が、ついに繁華街の夜空を舞いはじめた。


(16)へつづく

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