落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(67) 函館夜景②

2019-12-31 11:20:47 | 現代小説
北へふたり旅(67) 


 (何時だ?・・・)1時間ほどで目がさめた。
部屋へ着くなり荷物を投げ出した。
カーテンも開けずベッドへ倒れ込み、そのまま眠りへ落ちた。


 (よく寝た。なんだか暗いな・・・)


 カーテンを閉めたままの部屋はうす暗い。
ベッドから起き上がり、窓際まで歩き、おもいきりカーテンを開けた。
(おっ!・・・)思わず声が出た。


 「なに?。どうしたの?。何か有った?」


 眠そうな声が背後からきこえた。


 「すごい光景だ。自分で見てごらん」


 妻がわたしの横へやってきた。「あっ・・・」


 一枚ガラスの向こう。これぞ港町函館といえる景色がひろがっている。
窓枠いっぱいに函館山。
あしもとへ目を転じると、赤レンガの倉庫が連なっている。
海沿いの道路の先。遊覧船の発着場が見える。
左に、おおきな坂がある。(あれが二十間坂かな・・・)
函館で見たい景色が、すべてひとつの窓におさまっている。


 「あ・・・ロープウェイ!」


 ひだりに見える白い建物から、山頂へ行くゴンドラが出てきた。
おおきい。おそらく100人以上乗れるだろう。
山頂からゴンドラが降りてくる。
2台が空中ですれ違う。
およそ3分。ゴンドラの動きに、思わず2人で見とれてしまう。


 「散歩に行こうか」


 足元の赤レンガ倉庫を指さす。


 「いいわね。でもちょっと待って。
 群馬のおばちゃんから、観光に来たシニアレディに着替えます」


 妻は眠るとき、かならずパジャマに着替える。
わたしのようにバタンと、ベッドへ倒れこむことは絶対しない。
面倒だろうと言えば「少しの時間でも、快眠のために着替えるの」
と笑う。


 ロビーへ降りて驚いた。いつの間にか人があふれている。
チェックインの順番待ちが長蛇の列をつくっている。
どこからこれほど集まってきたのだろう。
わたしたちが着いたとき、ひろいロビーはガラガラだった。


 「ここは人種のるつぼですねぇ。
 世界中から、いろいろなお客様がお見えです」


 たしかに異国の人があふれている。
白人がいる。黒人もいる。アラブ系の人もいる。
東南アジアから来た人も混じっている。
あらゆる国から来た人が、此処に集まっている。
 
 妻は人ごみの中。人間を観察するのが大好きだ。
時間をわすれ没頭できるという。


「人を観察すると、なにが面白いの?」
「暇つぶしになります」「君は暇なとき、人間を観察するのか?」
「忙しくてもしています」「どっちにしてもするのか。よくわからないな・・・」


 「人が好きなの。
 興味があるから観察するの。知りたくなるの。
 人ごみを外から観客のように、言動や雰囲気を観察するの。
 ゆっくり見ていくと、さまざまな人物が見えてきます」
 
 「たとえば?」


 「普通ではない人が、この中に混じってます」
 


(68)へつづく


 2019年がおわります。
小説を書きはじめて10年。
こちらで掲載するようになって2800日余。
ここまで続くとは、考えてもいませんでした。


 最初の作品は「アイラブ桐生」の3部作。
西の西陣、東の桐生とうたわれ、おおいに栄えた糸の町、
そこで産まれそこで育ちました。
いつの日か書きたいと思っていたふるさとの物語を、実現できたのは60歳の春。
青春時代の想い出を還暦まじかで書きはじめたことになりました。
あれから10年。思えば歳をとりました。
毎日、更新してきたことが嘘のようです。


 のんびりペースの更新になってしまいましたが、
気力の続く限り、創作を楽しんでいきたいと考えています。
2019年の訪問、ありがとうございました。


 来年は二度目の東京オリンピックの年。
若いエネルギーをもらいつつ、満足の出来る作品を書きあげるまで
ひきつづき、悪あがきをつづけてまいります。
2020年も本年同様、よろしくお願いいたします。


 2019年12月31日 落合順平



北へふたり旅(66) 函館夜景①

2019-12-24 17:22:34 | 現代小説

北へふたり旅(66) 

 午後2時35分。列車が函館駅へすべりこむ。
線路はここで終点。この先は市電かバスが観光客の足になる。
出発から8時間。ようやく1日目の宿泊地・函館へたどり着いた。

 ホームと駅舎は段差のないバリアフリー。
中央口にひろがる広い空間を、降りたばかりの中国人たちが占拠している。
窓のむこう。綺麗な駅前ロータリーが見える。
大きなビルも見える。

(なかなかの町だ・・・函館も)

 しかし。街中を歩きはじめてから、違和感が湧いてきた。
ホテルへ向かって移動していく観光客の姿は有る。
だが地元の人の姿が見えない。
人口26万の町にしては、人の姿がすくない。
そういえばひろい通りも、なんだか閑散としている。

 (過疎地か・・・函館は?)

 ホテルまでおよそ1キロ。すこし迷ったが歩くことにした。
「海を見ながら行きましょう」
目の前に朝市ひろばの店舗があり、右手の先に海が見える。
函館湾だ。

 チェックインまで、まだ時間がある。
ゆっくり歩いてもまだ余る。
海に面した道路へ出る。路面がすこし荒れていた。
妻のキャリーバックが路面に弾かれ、カタコトと不規則に踊る。

 裏通りのせいか、ここにも人の姿がない。
誰にもあわず、海の匂いを嗅ぎながらあるくこと15分。
妻もわたしも汗ばんだころ、
前方に今日泊るラビスタ函館ベイが見えてきた。

 「おおきなホテルです。でも、入り口が見当たりません」

 「裏からは入れないようだ。
 反対側かな入り口は。しかたねぇ。もうすこし歩くか」

 「赤レンガの壁がずっとつづいています。
 やはり入り口は見えません」

 「そこのドアは?」

 「ホテルのレストランです。
 あ・・・駄目。クローズの札がさがっています」

 「要塞じゃあるまいし、入り口はいったいどこだ?。
 建物を半周しちまったぞ」

 「あら?」

 「あったか。入り口」

 「あれかしら。なんとなくエントランスのような雰囲気です。
 でも小さいですねぇ・・・
 車で乗り着け、横づけするような立派な玄関を想定していたのですが
 こじんまりとしています」

 「ほかにないなら、それが玄関だろう。
 ホントだ。小さいな」

 キツネにつままれたような気分で、入り口を通過する。

 「中はひろいですねぇ」

 「異国の雰囲気と、大正ロマンが混在しているような空間だ」

 「異国情緒の町ですもの、函館は」

 「♪~は~るばる来たぜ函館へ~じゃないのか函館は。北島三郎の」

 「函館が開港したのは1859年。
 横浜や長崎とともに、日本でいち早く国際貿易を始めた町です函館は。
 当時のレトロモダンな雰囲気が、そのまま残っています。
 町をあるけば、レトロな建物がたくさんあります」

 「最新の新幹線で、180年前の歴史がのこる町に来たのか、おれたちは。
 テンションがあげるな。いやが上にも。
 しかし朝から電車に乗りっぱなしで、いいかげん疲れた。
 フロントでさっさと手続きして、部屋で昼寝をするか。とりあえず」

 「賛成。それもいいですね。うっふっふ」

(67)へつづく


北へふたり旅(65) 行くぜ北海道⑨

2019-12-19 17:56:28 | 現代小説
北へふたり旅(65) 


 北斗駅から在来線に乗り換えて、函館駅を目指す。
乗車したのは快速。途中の駅は停まらず五稜郭で停車したあと、終点の函館へ着く。
周囲を見回しておどろいた。


 日本人がひとりも見当たらない・・・
乗っているのは、中国人をはじめとする観光客ばかり。
足元に置かれたボストンバッグの大きさが、長旅を意味している。


 「シエン チュヨン ゥリー ベン ゥレン ?(さっきの日本人?)」


 さきほどの中国人が妻に話しかけてきた。


 「シー , シー ウォ(はい、わたしです)」


 「ヌオン シュオ ジョーン ウエン(中国語を話せるの?)」


 「ドゥイ ブゥ チイ「ごめんなさい) 。
 シー ブゥ ホーァ シー ディー(無理です)」


 「スゥイ ゥラン ヌオン ダン シー(上手なのに)」


 「ナー リー ディー ホワ(とんでもない)」


 これだけです。わたしが会話できるのは、と妻がささやく。


 「ビー ジー ?(筆記は?)」


 中国人がメモ帳を取り出した。五稜郭と書いた。


 「五稜郭ね。つぎの停車駅が五稜郭です。
 よかったぁ。漢字が読めて」


 中国人カップルは五稜郭で降りるらしい。
全員が同じ観光地へ行くと思い込んでいたが、別のグループもいるようだ。
それにしても右を見ても左を見ても、前を向いてもうしろを見ても
見えるのはおおきな荷物を持った中国人ばかり。


 電車が五稜郭駅のホームへ滑り込んだ。
「謝謝」中国人カップルが片手を揚げ、笑顔で降りていく。


 「トンに教えてもらった中国語。
 短期間にしては、上手に話していたじゃないか」


 「トンの教え方がよかったの。
 お礼にトンに、すこし日本語を教えてあげました」


 「Sさんが聞いたら泣いて喜ぶ話だ。
 でどうなったの。すこしは進歩したか、トンの日本語は?」


 「それがね。ぜんぜん上手にならないの。
 いくら教えても次の日は、きれいさっぱり忘れちゃうのよ」


 「覚える気がないんだな。トンのやつ」


 「あいかわらず日本語が駄目なの、トン君は。
 それでね。通訳さんがトン君のために、とっておきの作戦を考案したの」


 「ほう。どんな作戦だ?」


 「スマホをつかった個人レッスン。
 毎晩ひとフレーズづつ、日本語のレッスンをおこなうの」


 「なんだよ。いたって普通じゃないか」


 「トン君のやる気を引き出すため特別に、美人の先生を用意したの」
 
 「おっ。俺でもやる気になるな。相手が美人の先生なら。
 それでどうした。レッスンはうまくいったのかい?」
 
 「トン君のテンションがべらぼうに上がったそうです。
 まわりが心配するほど、スマホの個人授業に集中したそうです」


 「大成功だ!。トンのやつ。ついにやる気になったんだな」


 「それがね・・・じつは大失敗です。
 トン君が集中したのは日本語ではなく、まったくべつのものでした」


 「別のもの?。なんだ別のものとは?」


 「巨乳です。日本語の美人先生、じつは巨乳なんです。
 トン君は巨乳が大好き。
 目をおおきく見開いて、じっと巨乳ばかり見つめていたんです」


 「あはは。目の付け所が違うな。さすがトン君だ」


(66)へつづく


 北へふたり旅(64) 行くぜ北海道⑧

2019-12-16 17:53:52 | 現代小説
 北へふたり旅(64) 
 
 
 仙台駅から2時間26分。終点の函館北斗駅が近づいてきた。
途中。「進行方向の右、函館山が見えます」のアナウンスが有った。
あわてて車窓へ目を向ける。
しかし、見えるのは防音壁だけ。
厚い壁にさえぎられ、景色はまったく見えない。


 (見えない。駄目か・・・)
あきらめかけたとき防音壁が低くなった。とつぜん視界がひらけた。
工場らしい建物の向こうに、海が見える。
海のうえに、こんもりと島のような山が見える。
「あれかな?。函館山・・・」
また高い防音壁がやってきた。
函館山らしい山影があっというまに、防音壁のむこうへ消えた。


 「車窓の景色を楽しむつもりでいたのに、新幹線は無粋です。
 トンネルがおおいし、防音壁も高すぎるます」


 北斗駅へおりるとき。妻が不満そうに口をとがらした。


 「ここは豪雪地帯だ。
 防音壁は音以外に強風や、横なぐりの吹雪をふせぐ意味もある」


 「せめて半分でいいから、透明な防音壁にならないかしら。
 コンクリートの防音壁ばかり見ていたのでは、旅情が半減してしまいます。
 北の大地のそうだいな景色を期待していたのに・・・
 裏切らた気分です。う~ん、残念」


  鉄道旅の魅力のひとつが、車窓の風景。
つぎつぎ変わっていく異郷の風景は、旅人気分をもりあげてくれる。


 昭和39年。東海道新幹線が開業したとき。
広い窓からの眺望が、乗客を魅了した。
窓は客席2列に1枚のおおきさで、幅は1460mm。
防音壁はほとんどなかった。
高架線から富士山や、浜名湖の景色を存分に楽しめた。


 しかし。窓がおおきいのは初代だけ。
速度があがるにつれ、窓がどんどん小型化していく。
次世代型の新幹線・アルファエックスは、航空機のようなちいさな窓。
札幌まで路線が伸びても、高い防音壁と、ところどころ開いた小窓からでは
北の旅情は味わえないだろう。


 「あら。よけい見えなくなっちゃうの?。どうしましょう。
 やっぱり、飛行機に乗れる女になる必要があるかしら。あたし・・・」


 「無理することはない。いまのままで充分さ。
 それより道を譲らないと厄介だ。
 うしろからすごい勢いで、中国人のグループやって来た」


 妻がうしろを振り返る。
ひと車両を占領していた中国人観光客の一団が、けたたましい会話とともに
わたしたちのすぐ真後ろへ迫っていた。
あわてて妻が道をゆずる。


 「シエシエ」の声に、「ブーヨンシエ」と妻が即座に返す。
ありがとうと言われたことにたいし、不用(ブーヨン・いらない)と、
謝(シエ・ありがとう)をつけると、ありがとうはいらないよ、
どういたしましての意味になる。


 「おっ・・・いつの間に中国語を覚えたんだ?」


 「研修生のトンに教わったの。
 日本へやってくる観光客の中で、中国人がとくに多いと言ったら、
 便利に使える言葉を、いくつか教えてくれました」


 「あいつ。大学を出たと言っていたからな。
 へぇぇ。中国語も堪能なんだ。あいつ」


 「英語と中国語は理解できるの。
 でも日本語だけがからっきし駄目。
 どうなっているんでしょうね。あの子の頭の中は」


 中国人の一行が函館と書かれた通路を曲がっていく。
そのさきは、在来線の函館行きホーム。
どうやらかれらの行先は、われわれと同じらしい。
 
 
 (65)へつづく


北へふたり旅(63) 行くぜ北海道⑦

2019-12-13 17:51:17 | 現代小説
 北へふたり旅(63) 


 上野発の夜行列車に乗り、雪の青森駅で降り、青函連絡船に乗りかえ、
こごえそうな鴎を見た津軽海峡は、いまはトンネルでこえる。


 風の音が胸をゆする、泣けとばかりに、ああ・・・津軽海峡冬景色・・・
と歌っているあいだ、はやぶさ号は海の底を140㎞で走り抜ける。


 青函トンネルは全長53.85km。世界最長の海底トンネル。
海峡の水深は140m。そこから100mの地下にトンネルが掘られた。
北海道を海底トンネルで結ぼうという構想は、戦前からあった。


 青函連絡船5隻の転覆。
1430人が死亡した洞爺丸事故がきっかけとなり、1964年。
調査坑の掘削がはじまった。


 「28分ですって・・・トンネルを通過するのに」


 「その28分を、さらに短縮しようという構想がある」


 「さらに短縮する?。できるの?。そんなことが」


 「トンネルをふくめた82㎞の区間を、新幹線と在来線の貨物列車が走っている。
 仲良く同じレールの上を走っている。
 君も知っているように、在来線と新幹線はレール幅が異なる。
 そのためここにはレールが3本ある。
 外側のひろいほうを新幹線。内側のせまいほうが貨物列車用。
 こうすることで海底トンネルの共有が可能になった」
 
 「レールが3本あるのですか。ここには」


 「在来線と新幹線が同じ軌道上を走っているのは、ここだけさ」


 「なぜ、そんなことになっているのですか?」


 「トンネルを利用する20両編成のコンテナ列車は、1日25往復はしっている。
 北海道産のじゃがいもや玉ねぎを送り出す大動脈だ。
 止めるわけにはいかない。
 トンネルを通る新幹線は、10両編成。1日に13往復。
 とうぜんトンネル内ですれ違うこともある。
 すれ違いの不安を解消するため、新幹線は本来の260キロから
 140キロに減速している。
 これを240キロで走れるよう改善すると、およそ18分短縮できる」


 「マジックでも使うのですか?。
 新幹線がそこまで速度をあげてしまうと、在来線の貨物とのすれ違いが
 たいへんなことになると思いますが」


 「心配はない。在来線を廃止するんだ。
 貨物のコンテナを、専用新幹線に積み替える。
 このアイデアが魅力なのは、札幌まで新幹線が伸びた時。
 7時間30分かかっているいまの輸送時間が、新幹線を使えば2時間30分に短縮される。
 旅客がすくなく、不効率な新幹線が貨物で威力を発揮する。
 そんな構想が、この地下トンネルの中で密かにすすんでいるらしい」


 「赤字なのですか、北海道新幹線は?」


 「飛行機を使うのが一般的だからね。北海道旅行は」


 「ごめんなさい。飛行機に乗れない女で」


 思わず苦笑した時。窓の外が一瞬明るくなった。
明るく見えたのは貨物列車の運転席。一瞬で見えなくなった。
しかし窓の外は、何かとすれ違っている気配がある。
振動もないし揺れもない。
それほど最新の新幹線は気密性に優れている。


 「飛行機に乗っているようなものさ。
 航空機のパイロットは、200~240kmで操縦かんを引き起こす。
 300km前後で離陸する。
 はやぶさは320㎞で走ってる。
 速度的には充分だ。翼をつければ津軽海峡のうえを飛ぶことができる」


 「10両編成の新幹線が空を飛ぶのですか・・・
 なんとも壮観ですねぇ」


 「次世代型の新幹線・アルファエックスの最高速度は400キロ。
 海底なんか走っている場合じゃない。
 こいつは間違いなく空を飛べる。翼をつけたらの話だけどね」


 「そうなったら北海道まで、あっという間です。
 うふっ。面白そう。
 あ、いけない。空を飛ぶものには乗れません、わたし。
 やはり地上を走るものにしてください。後生ですから。うっふっふ」


 (64)へつづく