落合順平 作品集

現代小説の部屋。

居酒屋日記・オムニバス (19)     第二話 小悪魔と呼ばれたい ⑧

2016-02-28 09:46:22 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (19)
    第二話 小悪魔と呼ばれたい ⑧



 それから2時間。
疲れたはてた顔をして智恵子が、戻ってきた。
暖簾をしまおうとして幸作が、店先へ出た時のことだ。



 「よかった。無事に戻って来て、なによりだ。
 中に入って一杯飲んでいけ。大変だったろう極道の事務所じゃ・・・うん?」



 智恵子の後方に小さな人影が見える。
「あんたも入んな。わたしが世話になっている居酒屋さんだ、遠慮はいらない」
うながされて背後から出てきたのは、20歳そこそこに見える若い女だ。
(若い女?、ということはこの子がもしかして、例の母娘3Pの片割れか?・・・)
うつむいた横顔が、無言を守ったまま店の中へ入る。



 明るい電灯のしたで見ると、女はさらに若く見える。
大人びた服装をしている。しかしどこかに、高校生と言っても通用するような
あどけなさが漂っている
「あたしは熱燗。この子になにか、温かいものをあげておくれ」
疲れたよと小さくつぶやいて、智恵子が崩れるように椅子に腰をおろす。



 厨房に戻った幸平が、急いで熱燗を準備する。
「温かいウーロン茶でもいいかい?。うちには、そんなものしか置いてないが・・・」
幸平の問いかけに3Pの片割れが、「はい」と小さく答える。



 「あんたが小悪魔のように生きたい、と考えているのは勝手だ。
 誰も止やしない。あんたの人生だ。どうでも好き勝手に生きるがいいさ。
 だけどね。まわりの大人を巻き込んで、迷惑をかけるのは駄目だ。
 見てきただろう。極道の世界の恐ろしさを。
 あいつらの手にかかったら、あんたの人生なんかあっというまに潰されちまう。
 この程度で帰って来れたのは、運がよかっただけだ。
 この先、たっぷり反省する必要があるね、あんたには・・・」



 「はい」3Pの少女が、素直にうなずく。
(素直な子だ。なんでこんな子が、マグロ女の片棒を担いでいるんだ?。おかしいだろう)
熱燗を手にした幸平が、ちらりと3P少女の横顔を見る。
至近距離で見ると、少女の横顔がさらに幼く見える。
(どうやら、マグロ女の娘じゃなさそうだ。ツンケンしているマグロ女の顔に似ていない。
 じゃ。いったいどこの何者なんだ。この小娘は・・・)




 「携帯を出しな。持っているんだろう?」智恵子の問い詰めに、
少女が「はい」と素直に答える。バックの中からピンクの携帯を取り出す。
「学生証も持っているだろう。そいつも出しな」智恵子がさらに鋭い目で少女を睨む。



 (学生証だって?、この子は学生なのか。もしかして・・・)



 幸平の驚きが最高点に達していく。
だが少女が差し出した学生証が、さらなる驚きを呼ぶ。
「茨城県の那珂湊市、N高校の2年生か、ということは16歳だ。道理で若いと思った」
学生証を手にした智恵子が「あきれたね、まったく」と重いため息を吐く。


 「マグロ女と何処で知り合いになったんだい。ネットかい?」



 正直に答えたほうがあんたの身のためだ、と智恵子がすごんで見せる。
鉄筋で鍛えぬいた体は、こういうときにモノを言う。
智恵子の怖い顔よりも、筋肉質の全身から滲み出す気迫の方がはるかに怖い。
はたして。全身を硬くしていた16歳が観念して、スラスラとすべてを語りはじめた。



 「風俗求人・高収入アルバイトというサイトを検索していたら、
 娘急募、年齢17歳から20歳まで、という書き込みを見つけました。
 報酬は即金で、3万円。すぐに飛びつきました」


 (20)へつづく

 
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居酒屋日記・オムニバス (18)     第二話 小悪魔と呼ばれたい ⑦

2016-02-26 11:29:56 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (18)
    第二話 小悪魔と呼ばれたい ⑦




 呑み屋で正論を言うとその瞬間から、重い空気が流れはじめる。
正論を言うと、いっぺんに興が覚めて、場がしらけるからだ。
果たして。2人の間の会話がプツリと途切れて、重い沈黙タイムの幕が開く。
(まいったなぁ)と幸作が深く後悔する。
だがすでに遅い。
いちど口にした言葉は、もう元には戻らない。



 そのときだ。突然、智恵子のスマホが鳴りはじめた。
重い空気を救ってくれる、絶好のタイミングだ。
(助かった。天はまだ、俺を見捨てなかったようだ。どこの誰だか知らないが、
絶好のタイミングでのこの電話。こころの底から感謝するぜ・・・)



 小さなガッツポーズを見せて、幸作が厨房へ下がっていく。
だが喜んでばかりいられない。電話の内容は、いたって深刻のようだ。
智恵子の横顔から、笑顔が消えていく。
それどころか、じわじわと緊張の色が浮かんできた。
智恵子の声が、話の内容とともに低くなっていく。
声が低くなるのは、よくないことの前触れだ。



 「わかりました。タクシーが到着次第、そちらへ伺います。
 はぁ・・・ではのちほど。詳しいことはまたその時に」



 智恵子が、ため息交じりに通話を切る。
「幸作さん。タクシーを呼んでください。急用が出来ました」
大丈夫です。たいした出来事じゃありませんから、とあわてて付け加える。
だが、顔色は普通じゃない。
ふっともらした溜息の深さが、事の重大さを象徴している。



 「緊急事態が発生したようですねぇ。俺でよければ相談にのります」



 「だいじょうぶ、だいじょうぶ。
 あのバカが調子に乗り過ぎて、失敗をしでかすのはいつものことだから。
 そんなに心配しないで。
 わたしが行けば身柄を引き渡してくれるそうです。それだけの話です」



 「身柄を引き取る?。警察からかかってきた電話ですか?」



 「いえ。電話をかけてきたのは、関東大前田一家のわか頭。
 マグロ主婦といっしょに、うちの若い者が、大前田一家に拉致されました」


 
 「大前田一家のわか頭が、あんたのところの若い者を拉致した?。
 どうしてだ。極道が素人に手を出すのはよっぽどのことだ。
 マグロ女もいっしょだって・・・。
 そうか。マグロ女と言えば、主婦売春グループのリーダーとして
 このあたりじゃ有名人だ。
 若頭に狙われていたのは、リーダーのマグロ女だろう。
 好き勝手に売春されたんじゃ、このあたりを仕切っている極道の立場が丸つぶれだ。
 ずっと狙っていたんだろう、マグロ女が尻尾を出すのを」



 「大前田一家のホントの狙いは、マグロ女だったのですか・・・。
 でも、事態は厄介なようです。
 女といっしょに組の事務所まで連れていかれたんじゃ、ただではすみません」




 「その通りだ。気の毒だけどな。
 あんたのとこの若い者は、マグロ女の巻き添えを食っただけだ。
 だからといって、穏便にすまないだろう。
 拉致した相手が、関東大前田一家じゃなおさらだ。
 こいつはちょいとばかり、厄介な展開になってきたなぁ・・・」



 大前田一家と言えば、このあたりを仕切っている生え抜きの極道一家だ。
総長の愛人は、太陽の子と書く、あの陽子。
拉致が事実なら、厄介なことになるぞと幸作が、思わず天を仰ぎ見る。


 (19)へつづく

 
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居酒屋日記・オムニバス (17)     第二話 小悪魔と呼ばれたい ⑥

2016-02-25 11:27:44 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (17)
    第二話 小悪魔と呼ばれたい ⑥



 「そういえば、毎晩来ているのに、まだ名前を聞いてねぇな。
 君、名前はなんていうんだ?」



 「ちえこ。東京には空が無いといふ。ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る・・・とうたわれた智恵子です。
 あっちのほうの智恵子は、二男六女の長女として生まれて、戸籍名は「チヱ」。
 わたしはとび職の長女。通称は、鉄筋のチエ。
 月とスッポンほどの差がありますねぇ。生まれも育ちも。うっふっふ」



 「チエちゃんか。俺は幸作。幸福を作ると書くが、実際のところはバツいちだ。
 13歳の娘がひとり居る」



 「男ひとりで寂しくないの、幸作さんは?」



 「女には、懲りた」



 「たとえば相手が、あたしみたいにいい女でも?」



 「その気になったら電話する。だがいまは、その気分じゃねぇ」



 「じゃこれ。あたしの電話番号。受け取って」



 智恵子がサラサラと走り書きした箸の袋を、幸平に差し出す。
「本気か?」目を丸くする幸作に、「はい」と嬉しそうに智恵子が頬を赤くする。
「ま、考えておこう」箸の袋を受け取った幸作が、丁寧に2つにたたんで
胸のポケットへしまい込む。



 「とび職の親父さんは、元気なのか?」


 「亡くなった。母さんも、父さんのあとを追うように2年後に死んじゃった」


 「そうか。身内はいるのか?」


 「2つ違いの妹が居た。
 けど妹は、わたしよりも出来がいいから5年も前に嫁いでいった」


 
 「じゃひとりなのか、いまは・・・」



 「うん。気ままな鉄筋工の流れ旅。現場が有れば日本中のどこへでも行く。
 でもさ。最近、つらいんだ、背中がときどき痛んでさ。
 あ、誰にも言わないでおくれ。ここだけの内緒の話にしておいてね。
 若い者には、まだ知られたくないもの」


 「おめえだってまだ、充分に、若いだろう」



 「31歳。まだ31だけど、もう31。
 鉄筋暮らしの流れ旅も、そろそろ辞めようかなんて思案している。
 あたしの背中が、悲鳴をあげているからね・・・」



 
 「そんなに痛むのか、背中?」


 「いまは大丈夫。薬がきいているから」



 「ほら、これが何よりの薬です」と智恵子が、
焼酎のグラスを持ち上げてみせる。



 「ばかやろう。アルコールで麻痺しているだけじゃねぇか。
 親からもらった大切な身体だ。大事にしろ、早めに養生すれば長く持つ。
 我慢していないで早く医者へ行け」


 幸作の忠告に「そうだね、親からもらった大切な身体だ。壊したら叱られるね・・・」
智恵子がぼそりと、小さな声でつぶやく。
だがその瞬間から、2人の間に気まずい空気がながれはじめた。


 (あっ、柄にもなく、まともなことを言っちまった。まずいぞ、失敗した!)


 (18)へつづく
 
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居酒屋日記・オムニバス (16)     第二話 小悪魔と呼ばれたい ⑤

2016-02-24 11:46:56 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (16)
    第二話 小悪魔と呼ばれたい ⑤




 いまの時代。専業主婦や所得証明書を出せない客に、金融会社が金を貸すと法令違反になる。
そのため。どこの消費者金融も主婦へ金を貸さなくなった。
困り果てた主婦たちが、生活費の不足分を夫の給料を使い、一攫千金のパチンコで
稼ぎ出そうと胸算用をたてる。



 だが願いもむなしく、玉はすべて、回収穴に吸い込まれていく。
内緒で持ってきた軍資金は、あっという間に底をつく。
そこでドル箱を抱えている勝ち組男に声をかけ、体を武器に「パチンコ売春」で
負けた金の穴埋めしょうと企てる。
最近は信じられないほどの美女が、声をかけてくるケースもあるという。



 「たしかに顏は美人だったが、反応はいまいちだった。
 もったいないよなぁ、あんないい女が無反応のマグロとはよう」



 マグロとは、性行為に反応しない女のことだ。
まるで魚市場にゴロゴロと並んでいる冷凍のマグロのようだ、と表現したことから
この名前がついた。
「あんたがただ、下手だっただけじゃないの?」と鉄筋女が笑う。



 「アネゴ。そんな馬鹿な女はいねぇ。
 普通は早く終わりにするために、演技のあえぎ声を出して男をあおるもんだ。
 無反応のままじゃ、男の方もそのうちにしらけちまう。
 また会おうねと名刺をもらったけど、こんなものには用はねぇ。
 捨てちまおうか、こんなもの」



 「名刺をもらってきた?。ふぅ~ん。
 ・・・となると組織売春の可能性があるね、そいつには」



 「組織売春?。そうすると、こいつはいまはやりの主婦売春のサークルなのかな?
 やばいな。これ以上、あの女に深入りし過ぎると・・・」



 「なんだ。まだその気が有るんじゃないか、あんたには。
 無反応のマグロ女とまだエッチをする気かい?。呆れたねぇ、あんたにも」



 「そうじゃねぇ。
 母と娘の3Pってやつを、マグロ女のほうから言い出してきたんだ。
 金はかかるが、母と娘の親子どんぶりというのも面白い。
 娘がOKしたら、すぐ電話して来いと、マグロ女に言い残してきた」



 (母と娘による3Pか、なんだか、とんでもないことになりそうだな・・・)
事件にでもならなければいいがと、盗み聞きしていた幸作が首をひねる。 



 その次の日も鉄筋女がやって来た。
今日も風呂上がりのいい匂いが、女といっしょに店の中へ入って来た。



 「どうなった?。3Pの話は?」



 「あら、聞いていたのかい、隅におけないわねぇ、あんたも」



 「そりゃな気になるさ。母と娘の親子どんぶりだ。
 男なら、一度くらいは味見してみたいもんだと、食指が動く」



 「娘の承諾に、すこし時間がかかっているみたいだ。
 男ってやつはなんでこんなに必死になって、女の尻を追い回すんだろう。
 信じられないよ。男の生きる目的は、女だけじゃないはずだ」


 
 「君の場合はどうなんだ?。たまに、男が欲しくなるときはないのか?」


 「相手によるさ。あんたとならデートしてもいいよ。
 あんたみたいな、なよっとした年上の男が、実はあたしの好みだもの」



 ばかやろう。大人をからかうんじゃねぇ!、と幸作が、鉄筋女に背中を向ける。
「本気なんだけどなぁ、あたし・・・」と、さらに女の声が追いかけてくる。
ホントに本気かもしれないな、と思うほど、妙に鼻にかかった声だ。


 (17)へつづく

 
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居酒屋日記・オムニバス (15)     第二話 小悪魔と呼ばれたい ④

2016-02-23 10:00:30 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (15)
    第二話 小悪魔と呼ばれたい ④




 「男なんか居ないよ。渡り歩きの鉄筋職人だからね。
 チームの平均年齢は若い。
 この間まで突っ張っていた、金髪の派手な連中も何人かいる。
 けどね。ひと夏が過ぎるころには、みんな真人間に変身しちまう。
 仕事が厳し過ぎるから、不良してた時の中途半端な根性じゃ通用しないのさ。
 全員がもうひとまわりたくましくなる。
 それが鉄筋工という世界なんだよ」



 この女から、どこからともなく、逞しさのようなものが漂ってくる。
だが、横顔を見ると普通に美しい。
このアンバランスは何処からくるのだろうと幸作が首をひねったとき、
ふらりと女鉄筋工が立ち上がった。



 「帰る。今夜はすこし呑み過ぎた。
 主任が朝からグズグズの2日酔いじゃ、若い者にしめしがつかない。
 勘定しておくれ。気分がいいから、またやって来る。
 このあたりの現場が続くから、1ヶ月くらいは此処に居るはずだ。
 いい店と知り合いになった」



 立ち上がった女鉄筋工の、足元がおぼつかない。
送っていこうかと声をかけると、「送りオオカミはまっぴらだ」といきなり女が啖呵を切る。
だがそれを口にした瞬間、女があわてて手で口元をおおう。



 「うそっ・・・あたしったら、なにを言ってんだろう。こころにもないことを。
 明日も来るから、またあたしと呑んでいただけますか。
 お世話になりましたぁ。わたしのタイプの、マス~タ~さん!」



 どうやらこの女。
大丈夫だと言いながら、いつの間にか完璧なまでに酔っぱらっていたようだ。
カラリと戸を開けて、女がヨロヨロと走り去っていく・・・



 その次の日も約束通り、鉄筋女が顔を見せた。
昨日と同じように風呂上がりの、小さっぱりとした格好であらわれた。
だが、あとから連れがやって来るような気配が有る。
カウンター席に座らず、いちばん端のテーブル席にどんと腰をおろした。



 ほどなく連れがあらわれた。いずれも見覚えがある。
同じ現場で働いている、若い衆と思われる2人だ。
「おっ、なかなかいい店を見つけやしたねぇアネゴ。遠慮なくゴチになりやす」
主任と言っていた肩書は、まんざら嘘ではなさそうだ。
もうひとりの男も「すいません」と、ペコペコしながら椅子へ腰をおろす。



 男2人とアネゴの酒盛りがはじまった。
アネゴは焼酎のウーロン茶割り。若い2人は水割りとソーダ―割り。
いちばん年下と思われる茶髪の男が文句も言わず、せっせと2人の飲み物をつくりつづける。



 「どうだった。パチンコ屋で声をかけてきた女の子の味は?」



 「どうもこうもありませんや、アネゴ。話になりません。
 まったく声も出さないし、自分からはピクリとも動きません。
 どこまでいっても無反応です。
 ああいう無反応を、マグロ女っていうんでしょうね。
 だいいち。裸にひんむいたら25歳どころか、40のババァでしたよ、あれは」



 この男は、パチンコ屋で女性から誘惑されたらしい。
パチンコに負けた女性が金を工面するために、身体を売るという話は昔からよく聞く。
にわかパチンコ依存症の主婦たちが、急増しているからだ。
主婦売春が増えてきた背景には、無担保消費者ローンの総量規制の徹底がある。


 (16)へつづく
 


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