落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(68) 第三幕・第二章「稽古場にて」 

2012-10-31 13:24:24 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(68)
第三幕・第二章「稽古場にて」 




 「この稽古場で上演をするというアイデアは、たしかに面白い。
 なるほど、脚本を読んだときに、それも良いなと思ったが
 問題は、今回の舞台設定だ」



 のこぎり工場の、全部の明かりを点灯させてから、
稽古場の中央に戻ってきた西口が、振り返って順平を手招きします。


 「それにしても途方もないアイデアだ。
 舞台装置を一切使わずに、照明と色彩だけで情景を表現しろって言うんだから
 今回は相当苦戦しそうな気配がするぜ」


 「色彩や空間感覚に関しては、
 お二人とも美術のプロですので、さほど心配などはしていません。
 お手の物だと思って大いに期待をしているくらいですから」



 思案顔の二人を前にして、順平がさらりと言ってのけます。 
まずは少しでもいいからその辺のイメージが欲しいところだな、と、
西口がつぶやいた処へ、女性陣と石川君、雄二が食材と酒を持って到着をしました。
「おい主演女優が到着だ」という小山の声に、西口がすかさず反応をします。



 「茜ちゃん、丁度いいところにやってきた。
 頼みがあるので、台本を持ってちょっと此処まできてくれないか。
 酒の支度は残った人に任せて・・・・
 おお、そうだ、相手役は雄二でいいか。
 おい、お前も台本を持って、ちょっと此処に来い」



 呼ばれた二人が、稽古場の中央に立ちました。



 「うしろには、北アルプスを屏風のように立てひろげて、
 隅々にまで、紫雲英(れんげ)の花絨緞(じゅうたん)を敷きつめた風景がある。
 と書いてあるが、たしかにこれで、安曇野の初夏の雰囲気はわかる。
 だが、色と光だけでそれを表現しろというのは、どういう意味だ。
 景色を書けと言うのなら簡単だが、
 空間を描けとかいてあるぞ、この台本には。
 順平君、これはどういう意味だ」



 「そういう空間を演出してください、と言うだけの意味です。
 空間と言うよりは、穂高の空気を感じさせるような情景を色あいと
 光の加減で、表現をしてくださいと言うお願いです。
 例えば、天井には真っ青な空をイメージするような青い光を当て、
 中間部には緑の山々を感じさせる薄い緑色を使って、
 床には、草やレンゲ草を思わせるような色彩をちりばめる・・・・
 こんなイメージででどうですか」



 「実に簡単に大胆なことを言うね君も、途方もない話だというのに・・・・
 と言うことは、この稽古場の空間のすべてに、光と色を充満させろと言うことだな。
 ずいぶんと無茶な注文を、さりげなく口にするもんだ。
 この新進で規格外の脚本家は」



 西口が腕を組むと高さを誇る三角の、のこぎり屋根を見上げました。
天井までは普通の民家の約2倍、2階建ての屋根ほどの高さがありました。
床一面に置かれた織物機械を動かすために、天井に近い部分にモーター用のシャフトを通して
そこからベルトで駆動輪を回していたために、構造的に必要とされた高さでした。
北側の斜面に取りつけられた、大きな開口部の明かり採りの窓からは、
10月なかばの明るい月の光が差し込んできています。



 「天井までは充分な高さが有るから、照明だけでも十分だろう。
 ただし床や壁面は、色を変えるためにホリゾントの効果が必要になる。
 代用の布でも紙でも問題は無いが、とりあえずすべての面に張るようになるか。
 なかなかの、大工事だぜ」




 中央に立ちすくんだままの雄二が、しびれを切らせて西口を呼びました。



 「あのう・・・俺たちは一体何をすればいいんですか。
 このまま、ここに立ちすくんでいても、なんの役にも立たないと思いますが」



 「おう、忘れてた。
 そこで、茜と二人で台本を読んでくれ。
 まだ本読みの段階だから、感情は込めずにただの棒読みでいいぞ。
 演技をしろって言ったって、ど新人の今の雄二には無理な話だからな。
 碌山のセリフだけでいいから、読んで茜を補助してやれ」




 「西口さん、旨く読めたら僕に次の主役をくれますか?」


 「やるやる、やるから早く読め」


 「あまり誠意を感じませんが・・・・」



 そういいながらも、まんざらでなさそうに雄二が台本をめくります。
茜も第一幕目のページを開けました。





 初夏に近い春の昼下がり、荻原守衛(のちの碌山)と、
相馬良(りょう)黒光は、明治30年(1897)に、矢原の田んぼ道で出会いました。
17歳の守衛は、午前中の農作業を終え北アルプスに向かって写生をしています。
そこへ相馬愛蔵と結婚して穂高入りをしたものの、心身の状態が優れず、
柏矢町の臼井医院で診察を受けるために、良がやって来ます。
良は守衛の4つ年上で、美貌のインテリ女性としても知られハイカラな洋傘を差していました。



 17歳の農業青年とはいえ、文学を好み、絵を描き、
自己研さんに励む守衛にとって、この日のまったく思いがけない良と2人きりで
会話をする機会が訪れたということは、どれほどの喜びであったのか
胸の鼓動までが聞こえてきそうです。
相馬家の嫁として都会からやってきた、理知にあふれた良の美貌ぶりに
遠くから初めて見た瞬間からすでに守衛は虜(とりこ)になっていました。



 この出会いを振り返った、良の文章が残っています。



「矢原の田圃みちに、山を見て立っている1人の少年があった。
木綿縞(もめんじま)の袢纏に、雪袴(ゆきばかま)を穿(は)いて、
それでひとしおに、ずんぐりと小肥りに見え、まるい顔が邪気なく初々しかった」




 ・・・・・・


黒光 「ごきげんよう、こんにちは。
    先日、愛蔵の禁酒会でお会いをした守衛さん。
    あの美しい輝く穂高の山は、なんとよぶのでしょう」


碌山 「黒々と光るのは常念岳。
    白馬のように残雪の形が残り、田植えの季節を駆けていくのは乗鞍。
    いずれも安曇野の美しい水を育む山たちです」






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「舞台裏の仲間たち」(67) 第三幕・第二章「悪女・ふたり」

2012-10-30 10:18:12 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(67)
第三幕・第二章「悪女・ふたり」




 「せっかくの酒宴だが、どうやら無礼講という気配にはいかないようだ。
 久しぶりに座長とちずるさんが行き会ったことだし、積もる話もあるだろう。
 どうだろう提案だが、俺たちは稽古場へ移動して
 さっき順平君が言っていた、大胆な舞台装置と言う話を
 検討しょうじゃないか、なあ、西口」



 「おう、それも一興だ。
 じゃあ、雄二、せっかくのご馳走と酒の支度だ。
 もったいないから、向こうで呑むと言うことにして、
 時絵と座長とちずるさんの分だけは残して、あとはレイコさんと茜に手伝ってもらって
 稽古場の方へ運んでくれないか。
 俺たちは石川さんも連れて、男4人で先に移動する。
 いいかい、みんな、そういう事で」



 早くも立ちあがった西口くんが、順平を目で促しました。



 「じゃ、そういうことでとりあえずの話は決まりました。
 座長、我々は一足先に稽古場へ行っていますので、こちらが一段落をしたら
 むこうへ顔を見せてください。
 こんどの黒光の舞台は、装置などは一切使わずに、
 光と色彩で構成をするそうです。
 無い知恵を最大限に振り絞っても順平君の構想には、ついていけそうもありません。
 おい雄二、お前の快気祝いも続行中なんだから、
 しっかりと女性陣に手伝ってもらって荷物を持ち運んでくれよ、
 頼んだぜ」



 じゃあと座長に手を振りながら、
男たち4人は連れだって、あっというまに立ち去ってしまいます。
茜とレイコも手際よく食材をまとめいます。
ちずるに会釈をしてから、一人だけ当惑をしている雄二をせきたてて、
時絵のスナックを後にしてしまいました。



 「なんだよ、あいつら・・・・
 随分と手際よく、あっさりと消えちまって。
 そういうところだけは、つまらなく気を回す連中だな」



 「あら、私も居ると邪魔と言う意味かしら。
 いま、そういう風に聞こえたわ。
 いいのよ、私もみんなと一緒に稽古場へ消えてしまっても」



 「いや、君はここにいてくれ。
 過ぎ去ったこととはいえ、つい先日に君にプロポーズをしたのは事実だし、
 それをちずるに隠す必要もないだろう。
 申しわけない、ちずる。
 実はそういうこじれたいきさつも、この俺がつくっちまった」



 「そうなの?、でも、別に問題は無いでしょう。
 時絵もひとり、あなたもひとり、どちらも自由な独身の大人だもの。
 で、どうなるの、そのプロポーズの先は」



 「私が断ってその話は終わりになるの、ちずる。
 私も座長のことは大好きだけど、それでも好きな順番で言えば座長は2番目。
 実はね、一番好きな男はちゃんと別にいるの。
 しかも私は、一生をかけてその男のことを愛しつづけるのよ。
 だから、私の心の中に、座長が入ってくる隙間なんか、
 これっぽっちもありません」



 「あらぁまぁ・・・・
 ものの見事に座長を切り捨てるわね、時絵も。
 病人が相手だというのに、まったくもって手加減もしないわね。
 座長、残念ながら駄目ですって、ご愁傷さま」



 「あのなぁ、お前たち・・・
 下手な芝居はいい加減でやめてくれ。
 もうその話はお互いについているんだろう、たぶん。
 しかし、気になるなぁ、時絵が一生をかけてもいいと言い切っている
 その、一番愛している男というのは」



 「私は30過ぎの男よりも、5歳の坊やの方が大好きなの。
 なんのために稼いでいると思っているの、家で可愛い5歳の坊やがいるからなのよ。
 だからもう、私の人生の中で男は必要が無いの。
 それに、けっこう忙しいのよ子育ては」


 
 「知らなかったぞ、5歳になる子供がいたのかよ」




 「悪かったわね、私が子供を産んでて。
 言っておきますが子供を産んだ女は、きわめて強くて無敵だわ。
 これ以上の痛い目も、怖いものもないし、本能で子育てに走り始めるんだもの、
 あっというまに逞しくもなるわ。
 でも座長に口説かれた時は、私もそれなりに女としてジンときました。
 それだけは、はっきり言って事実です。
 でも、どう頑張ってもこの今の現実には勝てないわ。
 ちずるだってまだ30だもの、子供だってできるわよ、
 あきらめることはありません。
 せっぱ詰まった時の方が、男は生存本能が高まるんだって・・・・
 種の保存のために、必死になると言う話は良く聞くわ。
 もしかしたら必死ゆえに環境が変わって、今度はうまくいくかもしれないし、
 あ・・・・やばいわねぇ・・・・
 私としたことが何と、はしたない事を口にしているのかしら、
 ずいぶんと過激なことを、平然と口走っているわ。
 私ったら」



 「うん、確かにそれもある。
 こんなときだからこそ、本気で考えたいと思った私も子供のことを。
 たしかに、可能性がゼロになった訳じゃないんだもの。
 でもね、私はいつでもOKなんだけど、肝心の座長は何も言ってくれないし、
 やっぱり帰ろうかな・・・・日立へ」



 「帰る事なんかないだろう、日立になんか」



 「一人で桐生にいても仕方がないし」



 「俺が居るだろう」



 「赤の他人のままだもの」



 「そんな・・・・ついさっきまで、桐生の戻ってくるって言ってただろう。
 俺のためにって、」



 「時絵は口説かれたけど、私は貴方から口説かれていないもの」



 「な、なにをいまさら・・・・」




 「駄目みたいだから、やっぱり日立に帰る。
 時絵、きりがないから、稽古場のみんなに会いに行こう。
 いつまでも待っても、煮え切らない男なんかには興味がないもの、
 みんなにお別れを言って、さっさと帰ります」




ちずるがまったくの演技で頬をふくらませ、つんと横をむいてしまいます。
すかさず近寄ってきた時絵が、ちずるにそっと耳打ちをしました。



 (ねぇ、結構元気だよあの病人。それにまったく反省の色もないし。
 あんたが戻ってきたということで、すっかり有頂天になっているみたい・・・・
 もうこのまま全部が旨く行くと安心して思っているわよ、あの顔は。
 簡単に納得するのも癪だから、もうすこし二人で最後の抵抗をしてみょうか。
 どうする、ちずるは・・・・)



 (そうよねぇ、あそこまでそれが当然みたいな顔をされてると、
 さすがにカチンとくるものがあるわ。
 男って図にのると後で暴走をする生きものだから、
 このあたりでガツンと、少しいじめておきましょう。
 時絵、適当にあおりたてて頂戴、よろしくね・・・・)



 密談を終えたちずると時絵が、ともに流し目で座長を見据えます。


 
 「そうね、それがいいわよ。
 上手く行くと思って御膳だてをしてあげたけど、座長が腰くだけじゃ仕方ないもんね。
 好きの一言もいわないし、口説いてもくれないんじゃ、
 面倒なんか見る必要はないわよね、ちずる。
 車で送るから、稽古場へ寄ってそれから駅まで行っても
 たぶん最終電車には間に合うと思うわ」



 「ちょ・・・・ちょっと待て。
 お願いだから待ってくれ。
 まったく、女優二人にタッグを組まれると、こちらも翻弄されっぱなしだ。
 わかった、わかったから、此処へ戻ってくれ。
 口説くから此処に座ってくれ、たのむ
 ちずる・・・」



 「あら、やっと口説いてくれるって、ちずる。
 ようやく覚悟を決めて、本気で口説いてくれそうな雰囲気になってきたわね。
 じゃ、先に車にいるから、ゆっくりと口説かれて頂戴。
 いいわよ、時間なんかいくらかかっても、
 表でゆっくりと待っているから」



 「あら時絵は、消えちゃうの・・・・」



 「あたりまえじゃないの、聞いてなんかいられないわよ。
 人の恋路なんか、馬鹿らしくって」




 
 
 
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「舞台裏の仲間たち」(66) 第三幕・第二章「もう一度口説いてよ」

2012-10-29 11:16:56 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(66)
第三幕・第二章「もう一度口説いてよ」


 

 『黒光』の脚本が書きあがったことで、
劇団員たちに、時絵のスナックに集まれという連絡が入ったのは、
順平とレイコが日立市にちずるを訪ねてから、二週間ほど経ってからのことでした。
口実のトップにあげられたのは雄二の快気祝いで、二番目が脚本の披露です。
そのほかにも色々とありますがと、連絡を担当した時絵は、
最後まで言葉を濁したままでした。



 再結成の旗揚げ公演からはすでに、半年余りが経過をしています。
一番乗りが順平とレイコで、ほどなく雄二がやってきました。
茜と石川さんが一緒に登場をして仲の良いところを見せ付けていると、間も無く
美術担当の西口と小山もやってきました。
「あとは座長だけかしら」とつぶやいているところへ、頃愛を見計らったかのように
当の座長も現れました。



 「微妙に時間をずらしながらやってくるところなんか、
 やはり皆さんは、そうとうな役者です・・・・
 さて、お揃いになりましたね。
 まずは、この間のひと騒動の張本人でもある、
 雄二君から、快気祝いの報告をしてもらいたいと思います。
 本日は色々と発表と報告の予定もありますが、とりあえず
 全員の久々の再会を祝して、雄二君には
 乾杯のあいさつなども兼ねて、よろしくお願いたします」



時絵に紹介をされて、雄二がはにかみながら立ちあがります。
まばらに起こった拍手を手で制しながら、全員をゆっくりと見回しました。




 「その節には、
 皆さんに、大変ご迷惑をおかけしてしまいました。
 無事に退院をして、それ以降は順平さんの会社でお世話になっています。
 ようやく親子三人の平穏な生活が、戻ってきたといえるこの頃です。
 新入団員として、ほとんど何もしていないうちに、
 迷惑だけをかけたことを本当に心苦しく思っている次第ですが、
 先ほど座長から、水臭い事は言うなと
 怒られてしまいました・・・・」




 「当たり前だ」の野次に、雄二があわてたあまり、言葉に詰まってしまいました。


 
 「元気な顔を見せたのだから、
 まぁ、その先で語るであろう雄二くんの、懺悔の話は後回しにして、
 とりあえず先に乾杯を済ませましょう」



 と、時絵がグラスを持って立ち上がります。
賛成と茜も立ちあがりました。
雄二が目を白黒させているうちに、女たちがグラスをあわせて乾杯をしてしまいます。



 「なぁに真面目に、挨拶なんかをしているのさ。
 あんたも冗談の分からない子だわね、雄二くん。
 まだ劇団になんの貢献もしていないど新人に、本気で
 快気祝いをさせてあげるなんて、10年も早いわよ・・・・
 と、此処に居る美術担当の、小山くんと西口君が先ほどから言っておりました。
 要するに、早く呑みたいだけですけどね」



 苦笑している雄二を、時絵が目で合図をして着席させました。



 「冗談です、雄二君。
 皆さんもうすうすとは聞いているでしょうから、手っとり早く本題と行きましょう。
 座長が病気だと言うのはすでに皆さん、ご承知だと思います。
 あれこれ詮索をされる前に、ご本人から直接の報告が有ります。
 ごめんねぇ、雄二君、
 あなたは元気になったからいいけれど、
 これから、長い闘病が始まるかもしれない人が居るの。
 それと今夜はもうひとり、紹介をしたいゲストもいるし、なんだか
 ややっこしくなりそうだから、先に登場してもらいましょう。
 いらっしゃい、ちずる」




 えっと、どよめく一同の空気のなかで、カウンターの奥から
そのちづるが現れました。
何も知らずにいた座長が思わず立ちあがり、つられて茜も再び立ちあがりました。
時絵が座ってくださいと手で指示を出しながら、目で全員を鎮めます。



 
 「私が是非にと呼びました。
 ちずるが此処に来た訳は、二人に復縁の可能性があるからです。
 そうなるとこの中で、残念ながら、二人の人間が失恋をすることになります。
 ひとりは、座長と10年ぶりの恋仲が復活したのではないかと
 ちかごろ噂をされてきたこの私です。
 もうひとりは、10年越しの恋もまたまた実らない結果となってしまった、小山君です。
 そしてこの二人分の悲しみと引き換えに、ちずるが座長とおそらく復縁をはたします。
 でもこの企みのことは、今日まで座長は一切知りません。
 わたしひとりの独断で用意をしてしまった、再会の場です。
 どう言う結果が出るのかは、私にもちずるにも、そしてほかの誰にもわかりません。
 この場で結果が出せるのは、座長ただ一人です。
 では、皆さんで、座長の決意を聴きたいと思います」



 どよめきが鎮まった頃に、座長が立ちあがりました。
すこしだけ空中に眼を泳がせた後、ちずるに向かって話し始めます。



 「慢性の白血病の診断を受けたという話は、既に知っていると思う。
 いままでの鉄鋼業をやめて、実家に戻って百姓をするという決意もした。
 皆目先の分からない治療の世界だが、根負けをせずに頑張ろうとは思っている。
 この先の人生設計と言うか、生き方と闘病生活については
 とりあえず、そんな風に腹を決めた。
 誰にも迷惑をかけるわけにもいかないし、俺一人で頑張ろうとは思うが、
 まだ自信もなければ、それをクリアするであろうという勇気も
 実はまだ無いままだ。
 しかし、お前には、すでにまる10年も苦労をかけてきた。
 この先でも面倒を見てくれなんて言えないさ、
 いままでだって充分に辛かったのに、この先さらに辛い思いをしてくれなんて
 いまさら言えた義理じゃない」



 「辛かったのは、あなたも一緒です。
 10年間で手に入らなかったものを、あと10年かけて取り戻すために
 私も桐生に戻ってくることを決めました」




 「戻ってくる?
 しかし、後10年も俺の命が持つという保証はどこにもない」



 「わたしの命を削ってでも、私がきっと、あなたを守ります。
 10年どころか、20年でも30年でも私があなたを守り通します。
 あなたと二人で本当に幸せになるまで、わたしはあなたを生かします。
 あなたは全力で病気と闘ってください。
 わたしが精一杯にささえます。
 あなたに精いっぱいに病気と闘ってもらうために
 私はそのために戻ってきました。
 そのためにも、あなたのそばに戻りたい」




 「実家にもどれば、今まで以上の針のむしろだ」


 「承知のうえです」


 「農家の仕事だぞ。 楽じゃないし汚れるし、
 そのうちには、大嫌いな俺の親父やお袋の老後の世話もするようだ」


 「覚悟しています」


 「お前の気持ちは充分に嬉しいが、俺は何もしてやれないかもしれない。
 辛いし苦しいだけだろうし・・・・」




 「座長、もう観念しろ」


 小山君が立ちあがりました。
座長の肩に手を置くと、そのままちずるの前へ突き出します。




 「もってけ、ちずる。
 こいつは一生、お前のもんだ。
 死なせるんじゃないぞ、病気と闘わせていつまでも長生きをさせろ。
 たしかにこれから先は、そいつがお前の仕事になる。
 しかもお前が、一生をかけるだけの値打ちの有る大切な仕事だ。
 座長が何と言おうが、俺たちもしっかりと後押しをする。
 死なれたらお前も困るだろうが、それ以上に俺たちや劇団も困っちまう。
 そうだろう、みんなも。
 座長、ちずるを迎えてやれよ、気持ちよく。
 こんな良い女はめったにいねえ、一生かけて大事にしてくれ。
 座長、絶対に死ぬんじゃねえぞ、ちずるのためにも
 みんなのためにも」




 ふぅん、なかなかに良いとこあるんじゃん、小山にも・・・・
時絵が目頭をそっとぬぐいながら、ぽつりとつぶやいています。




 
  
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「舞台裏の仲間たち」(65) 第三幕・第一章「茜の涙」

2012-10-28 06:08:54 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(65)
第三幕・第一章「茜の涙」




 「もうひとつは、本当は内緒にしておくべき話だと思いますが、
 実は、座長が慢性白血病の診断を受けたその日に、
 茜が深夜にやってきました」



 ちずるが、真正面から順平の目を見つめました。
月下の美人と称される時絵に比べて、ちづるは真昼のダリアと呼ばれています。
その魅力をたたえた瞳にはいまでも充分すぎるほど、その内部に溢れている
情熱を伝えるための、澄んだ目の力をもっていました。
クリクリとさせながら、理性に満ちた輝きをもつその瞳に見つめられてしまうと、
思わず、心まで見抜かれそうな危機感を順平はドキリとしながら感じました。
ひとつ間違うと、この人も魔性の女に変身をする・・・・
そんな漠然とした想像が、思わず順平の頭の中で巡りました。





 「たぶん、座長の診断書を見てしまったせいでしょう。
 仕事が手につかなくなり、ずいぶんうろたえてしまったと泣いていました。
 気がついたら電車に乗っていて、遠い昔の記憶を辿りながらやっとのことで
 深夜までかかって、茜が此処までやってきたのです。
 そりゃぁびっくりしました・・・・
 でも、10年ぶりに突然訪ねて来たくせに、後は何を聴いても泣くばかり。
 お姉ちゃんの顔が無性に見たくなったから突然やってきたと、
 それだけ言うのが精いっぱいで、ほんとうにたくさん泣かれてしまいました。
 座長の病気のことは、翌日の朝になってからぽつぽつと語り始めました。
 それは承知したけど、それでは、
 あなたは何しに此処へ来たのと聞いたら、『迎えに来た』とだけ言ってくれました。
 座長の診断書を見た瞬間に、お姉ちゃんを迎えに行かなければと、
 それだけを考えていたそうです・・・・」



 「そうですか、茜ちゃんが此処まで。
 茜ちゃんは、お姉ちゃんが大好きだといつも言っていましたからね・・・・
 それにしても、その日のうちに飛んでくるとはびっくりさせられることばかりです。
 黒光を演じたいと言い出した時も、おおいに驚きましたが
 ここまで、一人で来る行動力も、また大したもんです」



 「何かがあの子を、動かし始めたようですね」



 ちずるがレイコを振り返ります。



 「レイコちゃんの笑顔が、人の気持ちを動かすように、
 茜は、本当に人を好きになったことで、自分を動かすための原点を見つけたようです。
 いつも受身ばかりで、頼まれればと嫌と言えずにいた子が、
 やっと自分の意思で歩き始めました。
 その勢いが、座長の窮地を知った時に
 ひとりで、此処までやってくる勇気を産んだようです。
 でも私は冷たく別れてしまった後だもの、もう赤の他人の出来事で
 私にはまったく関係の無い話でしょうと言ってしまいました。
 そしたらあの子、何て言ったと思います」



 口元に、その時のことを思い出して微笑を浮かべたちずるが
嬉しそうに目元を細めてから、またその続きを静かに話し始めました。



 「だから私が迎えに来たの、と、たったそれだけを言いきるの。
 だから帰ろうって、また泣くの。
 後のことなどは一切何も言わない癖にそれだけは、妙にはっきりと言うの。
 不器用なくせに、相手を説得することもできない癖に
 身体いっぱいで、そういう風に表現をするんだもの・・・・
 茜は、まったく、いつまでたっても的を得ない
 いまだに下手な女優だわ」



 ちずるが、滲み始めた目じりの涙をぬぐいました。
「帰らないわけにいかないでしょう、そこまで茜にいわれたら」潤んだ瞳が
レイコと順平を交互に見つめます。




 「時絵といい、レイコさんといい、順平くんといい
 劇団の仲間たちの優しい気持ちが、今の私には痛すぎる・・・・
 今すぐにでも飛んでいきたい気持ちの自分がここに居ても、
 座長の本心は、私には解らないもの。
 逢いたいけど、逢いに行けない臆病な自分がここに居るの。
 だから、いち早く茜が来て、
 笑顔のレイコちゃんも来てくれた。
 でもね、順平君、
 茜は、黒光からいったい、何をみつけたのかしら。
 あの子の中で変ったものはなんだろう・・・・」



 「それは僕にも解りません。
 本(脚本)の大部分は書きあげましたが、
 まだ実は、最後の黒光の長い独白の部分が完成をしていません。
 黒光が、最後に長い告白をする場面が有るのですが、
 そこでの本当のテーマ―が僕の中では、まだ見えてこないのです。
 黒光の経歴を追いながら、碌山とのドラマチックな愛の場面を見せ、
 素晴らしい彫刻作品の話を書いても、
 まだ、黒光の生き方の真意と本音が見えてはきません。
 はっきり言って、結論をに行き詰まっていました。
 ただ・・・・たった今、また
 ひとつのヒントはもらいました。
 なにかが、おぼろげながらまた見えてきました。
 座長が碌山とすれば、今のちずるさんは黒光だ・・・・
 人が人らしく生きるために今必要なものは何なのか、おぼろに
 また、見えてきました」



 「テーマが見えたのですか・・・・
 私の中に? 」


 
 「あきらめた瞬間に、すべてが終わります。
 碌山が作りあげた『女』は彼の絶作ですが、実はそこから物語が始まりました。
 碌山の黒光への秘めた思いや愛情は、彼の日記が焼かれたことで
 愛の証拠は、すべて形の上では消滅をしました。
 しかし黒光が心底願っていたのは、
 碌山が、生きて生き抜くことに期待を寄せていたのだと思います。
 病に打ち勝ち、生きるためにたたかい続ける碌山に、
 実は、大きな望みを託していたと思います。
 相馬愛蔵の妻として、中村堂の経営者の一人として
 芸術家たちのパトロン役を務めてきたのも、どこかで碌山と共に生きる
 可能性とその未来を夢に見ていたかもしれません。
 9人もの子供を産み、育てながら、なおかつ、
 碌山との行く末に、夢を描いていたのかもしれません。
 人は生きることにこそ、その意味があります。
 碌山が病に打ち勝って、生き続けていたならば、
 実は、その先でまったく別の未来が開けていたかもしれません・・・・
 ふと、そんな風に考えました。
 運命を受け入れて、座長はこれから長い病と向きあわなければなりません。
 その時に誰が必要なのか、茜さんは本能的に感じたのだと思います。
 一番先にそれを見つけたのが、茜さんでしょう。
 その思いだけで、必死に此処まで来たのだと思います。
 人を本気で愛するようになると、
 ちゃんと自分の回りが、見えるようになります。
 おそらく碌山と黒光も、そういう大人らしい、
 高い次元の恋愛だったと感じました。
 茜ちゃんはもうしっかりと、自分の意思で歩き始めています。
 次は、ちずるさん、
 あなたの番だと私も思っています」




 
第三幕・第一章 (完)





 
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「舞台裏の仲間たち」(64) 第三幕・第一章「東海村の原子力銀座」

2012-10-27 11:27:24 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(64)
第三幕・第一章「東海村の原子力銀座」






 「見て見て、順平、凄い建物。
 真四角で窓も何もない頑丈なコンクリートの塊よ、なんだろうね。
 ちょっと不気味」


 「日本で最初に完成をさせた、東海発電所の原子炉だ。
 此処は、この原子力発電所を筆頭に、
 原子力に関わる10近い施設や研究組織が密集をしている場所だよ。
 別名を『東海村の原子力銀座」と呼ばれている一帯だ」



 車は茨城県・水戸市から、北東へ15kmあまり北上をしました。
東は太平洋に面し、西は那珂市、南はひたちなか市、北は久慈川を境として
日立市に燐接している日本最初の原子力の村『東海村』があります。



 国道50号を4時間余りかけてひた走ってきました。
水戸市を通過して、海岸沿いを北へ向かい始めた道路は、ここから急にひろくなり
進路に沿ってどこまでも、たくさんの原子力施設が立ち並んでいます。



 「それにしても、大きな建物と広大な敷地が続いているわね。
 松林が途切れるたびに、大きな建築物が突然に現れるんだもの、
 とても田舎とは言えない光景ね」



 「国家予算をつぎ込んだ一大プロジェクトだ。
 桁違いのお金をふんだんに使って、造られたものばかりだよ。
 発電も水力から始まって、火力になったと思ったら
 あっという間に、効率性だけを前面に出して、国民の合意を計る前に、
 うやむやのまま原子力発電を作り始めてしまった。
 広い敷地と言うが、このくらい広範囲にしておかないと
 何かあった時には大変な事態になると言う、そんな意味もある」



 「原子力の安全利用と言っておきながら、
 実際の建物たちは、ずいぶんと隔離されて造られているのね。
 やっぱりどこかで万一のことも、考えているということかしら・・・・
 本当に安全ならば、こんなに広い敷地は必要ないもの」



 「いや、これでも足りないくらいだろう。
 万一、放射能漏れなどが発生をしたら、10キロや20キロはおろか、
 大きな範囲にわたって、とてつもない被害が出る。
 敷地を広くしているというその意味は、
 それでもやはり人の本能として、不気味な破壊力を持つ
 危険なものには近づきたくない、と言う本音が潜んでいるかもしれないね」



 「物騒な話だわ。
 ほんとうに安全は、大丈夫なのかしら・・・・」



 「国は安全だと宣伝をしている。
 ただし、安全ならば火力発電所などと同じように、
 もっと首都圏に近いところに、たくさん建設してもいいはずだ。
 こんな海と田んぼしか見当たらない、辺鄙な場所に
 わざわざ建設をするということは暗にそう言う意味が隠されているかもしれない。
 キューリー婦人がラジウムを発見して以来
 長年にわたって研究されてきた原子力は、平和利用とは言え、
 いまだに使用済みの燃料の最終処理方法さえ見つかっていないんだよ。
 危険なことに変わりはないさ・・・・
 実際に、1957年には、イギリスのウィンズケールで原子炉事故が起きているし、
 映画の『チャイナ・シンドローム』公開の12日後には、アメリカでも事故が発生をしている。
 それが、1979年3月28日に、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州の
 スリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故だ。
 原子力は、いちどその暴走が始まると、まだ現在の科学では制御ができない代物だ。
 そんなことには、ならないように、ただ我々は祈るしかないけどね・・・・」




■東海村の原子力銀座とは

 
 日本原子力研究開発機構、日本原子力発電東海発電所・東海第二発電所など
多くの原子力施設が村内に存在し、また近隣の那珂市や大洗町にも
大規模な原子力関連施設が存在をしています。
東海村を中心とした茨城県の太平洋沿岸部は、日本の
原子力産業の重要な拠点となっています。



■東海発電所(日本初の原子力発電所)


 1960年代、高度経済成長と共に日本の電力需要が高まり、
エネルギーの活路を原子力発電に求めした。
軽水炉の導入も検討されたが、当時まだ実績が十分では無かったため、
世界初の商用発電炉である英国製の黒鉛減速ガス冷却炉(いわゆるコルダーホール型)
を輸入することになった。。
しかし、英国設計の炉心では、日本の地震に対する十分な
耐震強度が得られないため、設計に改良を加える必要があった。


 炉心を構成しているのは、およそ1,600tにも及ぶ黒鉛ブロック(減速材)で、
英国製の黒鉛ブロックの断面は正四角形だった。
そこで、関東大震災の3倍の震度に耐えられるように、黒鉛ブロックの断面を正六角形に改め、
さらに凹凸でかみ合わせることにより耐震強度を大幅に向上した。
これには英国側の機密が多く、日本人の技術者らが東海発電所の原子炉理論を
手に入れるまでには大変な苦労があった。
その後、1960年1月に着工し、1965年5月4日、初臨界に到達。
日本初の商業用原子炉となった。





 「順平。
 原子力銀座が終わったところから2キロほど行くと橋があって
 その先の交差点を山側のほうに曲がれば、
 あとは一直線だって。
 遠いわね、結局5時間近いドライブだわ・・・
 生まれて初めての、原子力発電所もみられたけど」



 10数キロにわたって続いてきた原子力関連の建物たちが遠ざかると
また周囲には、平たん地に続く水田と、海と隔てる厚みのある松林がもどってきました。
しかし振り返る後方には、松林越しに紅白に塗られた原子炉の強大な煙突群が
いくら走ってもいつまでも見えています。



 「このあたりから東北にかけては
 東日本を代表するコメどころだからね。
 刈り入れが終わったばかりとはいえ、やはり広大な水田が
 何処までも続いている光景というのは、いつ見ても壮観だ」



 「田んぼをみるとほっとするのは、
 農耕民族の本能かしら・・・・
 それとも、私たちがただの田舎育ちのせいかしら? 」


 「どちらもあてはまるようだ。
 さて、あのあたりかな、
 すこし登ったところで、カ―ブの先にある小さな家というのは」




 時絵ママに書いてもらった地図には、
細かい道筋の目印と共に「東海村の原子力銀座も良く見てくるように」という
注意書きも書き込まれていました。



 「もうひとつの日本の心臓だから、
 しっかりと目に焼き付けてくるのも一興よ。
 だってそれ以外には、あのあたりで見るものなんか一切無いの。
 4時間以上も走って、会話もなくなるころに丁度いい退屈しのぎになるはずよ。
 え?誰とそこまで行ったんだって、言えるわけがないじゃないの、
 そんな野暮なこと」



 そう言いながら笑う、時絵ママに見送られてはるばると
こんな海沿いの町までやってきました。



 ちづるの家は、すぐに解りました。


 家を発見するその前に、左へとゆるやかに曲がり始めた道路の脇に、
日傘をさしたちずるさんが、石垣に腰をおろして待っていてくれました。


 停止した車から、レイコが元気に駆けだしました。
2歳先輩にあたるちずるさんは、実は高校時代からレイコがあこがれ続けたひとりです。
うす青いワンピースで日傘を傾けているちずるさんに向かって、
レイコが子猫のように戯れています・・・・






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