落合順平 作品集

現代小説の部屋。

 舞うが如く 第六章 (5)新徴住宅

2013-02-02 11:41:25 | 現代小説
 舞うが如く 第六章
(5)新徴住宅



 
 明治二年の九月二十九日。
庄内戦争の戦後処理にともない庄内藩は、
最上川南下だけに縮小をされて、大泉藩と名前を変えました。
翌年の三年の春になってから、現在の鶴岡市大宝寺と道形の間に、
羽越本線の南北に亘って新徴組の家屋が建てられました。


 一戸当りの宅地は一二〇坪です。
さらに畑地が三〇坪ほどつき、計一五〇坪の土地に
長さが六間・幅は三間半、押入付の六畳三間と板敷を加えた二十一坪の
石置き屋根で板壁つくりの平屋の屋敷が作られました。

 これは当時の三十一坪ほどあった、足軽屋敷よりも小さなものです。
しかし藩財政としては、これ以上大きなものは建てられないために、
せめて門だけは士分の門にしたと言われています。



 この地域は旧藩の煙硝蔵(火薬庫)があった場所で、
一番丁から六番丁までに区分をされ、その中には役所や道場なども作られ、
棟数は全部で一三六棟にもなります。

 その形は概ね矩形で、東西は約一八〇メートル、
南北は約三四〇メートルで、面積は六へクター余になりました。
明治の人々はこの家屋のことを新徴屋敷と呼び、
一三六棟の全域のことを指して、新徴町と呼んでいました。


 これらの家屋は、戊辰戟争における戦死者の遺族たちにも割当てられました。
同年三年の八月下旬にはほとんどが完成をして、
九月より十月にかけて湯田川に本拠を置いていた新徴組の隊士たちも
相次いで、この新徴町へと移住してきました。



 
 しかし山形県西部、旧羽黒町に位置する此処は、
古くからの門前町であるとともに、修験道の霊場である出羽三山が
背後にひかえるという、まさに山村といえる辺境でした。
同時に、冬ともなると自然が厳しい極寒の地でもあります。

 廃藩と士族の解体から逃れるために
旧庄内藩は、独自にいち早い大規模な開墾事業をたちあげました。
手つかずの丘陵地帯・松ヶ岡一帯に、桑園場の開拓を計画しました。
3000人の旧藩士たちとともに、新徴組もこの開拓事業へ駆り出されます。
いわば、新徴屋敷はそのための前進基地であり
ここから厳しい労役へとでかけることになるのです。

 山形から山越えをした琴が
新徴住宅に兄を訪ねたのは、会津を出てから4日後のことです。
さして驚かぬ兄とは対照的に、妻のおつねが手をとり涙を流して喜びました。
二人の子供も、久し振りに再会した琴の傍らから
片時も離れません。

 建てられたばかりの新徴住宅には、飾りなどの類は一切ありません。
板張りの囲炉裏の部屋があり、残るふた部屋には真新しい畳が敷かれているだけで、
他に家具などは見当たらず、質素ばかりが目立ちます。

 10月とはいえ、生まれ育った上州とは異なり、
夜になると、足元からは冷気が忍び寄ってきました。
あれほど騒ぎまわっていた子供たちも今は、疲れ果てておつねの膝で、
寝息をたたて寝入ってしまいました。

 「ひとつだけ兄上に、
 是非に
 お伺いしたいことがありまする。」

 かたわらの薪に手を伸ばす良之助に、身を乗り出して琴が尋ねます。
焚火のはぜる音に、もっそりと起き出した二人の子供を連れて
おつねが奥の6畳へと消えていきます。


 「去る秋田の合戦の折りに、
 命を救われたという、官軍の兵士と行き会いました。
 なにゆえの、お手加減でしょうか、
 剣を交えるにあたり
 もう、武士道を重んじる時代にあらず、
 という意味なのでしょうか。」

 「他愛もない事にある。
 大義なき無用な戦い故、
 それ以上の、命のやりとりをする意味も
 ないということに尽きる。」

 「大義がないとは?」


 「考えてもみよ。
 我が東軍はいずれも、
 武士や、浪士たちの剣士の部隊ではあるが、
 すでに生命をかけて尽くすべき、主君と呼べる存在を持たぬ身でもある。
 東北の地を、なりゆきでただ転戦をするだけの泡沫の輩に有る。
 いっぽうの薩摩や長州の西軍たちは、
 武士とともに、おおくが志願兵や町人、農民等などの一般兵だ。
 従来の武士集団を越えた西洋式の、混成部隊ともいえるだろう。
 武器も、新式銃や大砲を主にしてのたたかいになってきた。
 昔のような、白兵戦での斬り合いなどは、
 すでに皆無に近いものともなった。
 いくさ事態も、明治の年号と共におおいに様変わりをした。
 そんな時代に・・・・
 武士を相手にならまだしも、
 農民や志願兵を相手に、武士道を貫いてもいた仕方なかろう。」

 「しかし、敵にかわりはありませぬ。」



 「その通りである。
 だが戦いとは、命を粗末にすることにはあらず。
 優劣の形勢さえ決まれば、
 あとは、流れがすべてを支配する。
 それ以上に、追いつめる意味も必要もないであろう。
 ましてや・・・・
 浪士組の発案者たる清河氏は、すでに幕府によって暗殺をされ、
 頼みとした徳川幕府はすでに崩壊し、
 奥羽列強も、次々と降伏するという世の流れと相成った。
 大局を見よ。
 三つ葉葵(徳川の紋)が枯れて、菊(朝廷)が栄える時代に
 武士の面子はどこにある?
 既に剣士に生きる道などは残っておらぬ。
 事ここに居たって、一人や二人を殺生したところで、
 世の中の何の役に立とう。
 これから必要となるのは、なによりも若者たちの力である。
 わしのような、老いぼれた剣士などよりも、
 希望に満ちた官軍たちの、若者たちのほうが
 これからの日本の役にたつかもしれぬ・・・
 ふと、そう考えただけのことである。
 それだけのことにすぎん。」


 琴が言葉に詰まります。
顔をあげた良之助が、囲炉裏の火へ薪を放り込みながら
琴に向かってさらに言葉をつづけます。




 「それよりも、琴。
 これから庄内藩が取り組もうとしている開拓事業は
 実に、壮大なものがあるぞ。
 剣で武人を相手に己を磨くもの良いが、
 たまには大自然を相手に、己を磨いてみるのもまた一興であろう。
 どうだ、手伝ってみんか。」


 琴の目の前で、焚火の炎が
吹きこんできた夜風に揺られ、一瞬だけ大きく燃え上がります。






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