落合順平 作品集

現代小説の部屋。

舞うが如く 最終章 (1)水沼製糸場

2013-02-27 08:27:05 | 現代小説
舞うが如く 最終章
(1)水沼製糸場




 明治維新から15年がたちました。

 富岡製糸場に学んだ後、前橋に新設された製糸工場で
6年間にわたって工女たちを指導してきた琴が、地元の水沼の地へようやく帰ってきました。
水沼は琴を育てた深山・法神流の故郷です。


 琴が生まれ故郷に戻って来た理由は、
急成長を遂げている水沼製糸場からの要請によるものです。
直接、米国へ単身で乗り込み、生糸の取引の道を切り開いてきた水沼製糸場は、
さらなる飛躍のために、工場の拡大に取り組みはじめます。


 前橋の大渡製糸場で技術指導を受けた星野長太郎が、
明治7年(1874)2月に、勢多郡水沼で開業したのがはじまりでした。
渡良瀬渓谷を見下ろす高台の長屋門を入ると、目の前にはすぐ工場が建っていて、
その裏手には乾燥場と、揚げ場が作られています。



 工場が東西の二つの棟に分かれているために、
工女たちも、2つのグループに分けられていました。
グループには、16人の工女と小工女(見習い工女)の19人が配置されました。
さらに差配方(世話人)1人と、師婦(技術指導者)の1人をくわえて、
その合計が、37人という大所帯です。
この二つのグループを束ねて監督することが琴の仕事になりました。


 此処で働く工女たちは、1等から12等まで厳密に区分されています。
月給は、1等工女が4円50銭で、12等になると37銭5厘でした。
さらに一ヶ月の皆勤手当として、20銭から25銭が支給されます。
3年間の年季明けで帰郷するときの旅費は、全額を製糸所で負担をしました。
工女の食事や夜具、蚊帳などは支給されますが、身につける衣類や小間物は、
すべて個人持ちとなっています。


 就業時には、全員が着物に帯を締めています。
その支度の上には、白いかっぽう着を羽織りました。
指導と監視役の教婦(きょうふ)が、はかま姿で工場内を見て回ります。


 工場内は、常にたいへんに静かです。
黙々と作業をこなして、隣と無駄話をしている風景などは見たことがありません。
午前10時と午後3時には、チリン、チリンと鐘が鳴り、作業を止めて麦茶を飲んで休みます。



 釜場で使う石炭は、桐生から半日をかけて毎日輸送されます。
渡良瀬川沿いに荷車で運ばれてきますが、工場の直下で馬に積み替えられました。
馬の背に袋を振り分け、その中に石炭を入れて運びあげます。
狭く急な坂道が続いているために、何回も往復をしなければなりません。



 「馬方さんは若い男性で、
 手ぬぐいをキリッと巻いて、頭の横にチョンと端を立てています。
 それが、たいへんに粋にありまする。」


 と、若い女工さん達は色めきます。
馬方たちは、シャツに半纏(はんてん)で、下はもも引きに素足です。
まとった半纏には「勢多水沼組」の文字が鮮やかに染め抜かれていました。

 この水沼製糸場が急成長した背景には、
身内を米国に派遣して、生糸の直接の取引を切り開いたことに有ります。
好調な取引に支えられて、さらに規模を拡大し、工女たちの数も増えてきました。
ついに、200人を越えようとしています。


 琴が水沼製糸場に着任してからまもなく、
新しく雇い入れた工女のなかに、なんと、咲の姿もありました。
沼田城下出身の咲は、身分は士族の娘です。
士族の中でも、上士(いわゆる侍)と、下級武士という身分の違いは歴然とあり
咲は下級武士(足軽に近い)の次女という立場です。


 明治維新以降の、廃藩置県によって武士たちが一斉に失業をしました。
下級武士たちは生計のために、それぞれ個別に仕事を探しはじめます。
多くが農民などに転身する中で、内職などで身に付けてきた技術を生かして
製造業を営む者などもでてきます。



 また新天地を求めて故郷を捨て、北海道への開拓民や
各地の開墾事業へ、一家を上げて移転するという例なども数多くみられました。
いずれにしても、封建時代から延々と続いてきた士農工商という身分制度の崩壊は、
従来の支配層から武士集団と言う、大量の失業者を大量に生み出しました。
明治政府が力を入れた興国産業政策とは、武士たちの再就職を促すための国策でした。
開拓や開墾政策などによって、救済策を作りだしたものです。
 
 かろうじて沼田の城下に踏みとどまっていた咲の一家も、
新たな糧を求めて、北海道への移住を決意をします。
開拓の進む北海道で、新たに屯田兵制度が導入されたのをきっかけに
一家を上げての移住を決意しました。


 しかし、咲だけは自らの決心で地元にひとりだけ残ります。
生糸工女のひとりとして、琴を頼りに単身、水沼へと琴を頼ってやってきました。





※屯田(とんでん)とは、一般に、
兵士に新しく耕地を開墾させ、平時は農業を行って自らを養い、
戦時には軍隊に従事させる制度のことです。
また、その場所や地域などを指して、そのようにも呼んでいます。
 

 


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