落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『夜の糸ぐるま』(11)

2012-04-30 06:10:18 | 現代小説
短編『夜の糸ぐるま』(11)
「花いかだ」




 「もう葉桜だもの。花筏(はないかだ)も、終わりね・・・・」

 川面を覗きこみながら、あゆみがつぶやいています。
その背後へ、遠慮がちにかすかな煙草の香りが近づいてきました。
「どうぞっ」というように、あゆみが身体傾けて川べりへの隙間を開けました。



 流れの滞(とどこお)りに、桜の花びらが溜まっています。
イルミネーションの明かりの下にも、渦巻きながら流れていくのが見えました。
見上げる桜の幹には、もうかすかに花弁が残っているだけで、こずえの先には早くも
黄緑色の葉が元気に萌えています。


 「言い忘れていたが、去年からは、3月19日から4月23日まで、
 「桜と競演する春のイルミネーション」という新しいイベントが始まったんだ。
 花博覧会の置き土産みたいなものさ」



 「あら、温かい季節にも点灯するようになったんだ。
 へぇぇ。それなら、赤ちゃんが風邪をひかなくてもすむわねぇ・・・・
 来てみようかな。それなら」



 その言葉とは裏腹に、あゆみが寒さを覚えて思わずひとつ、身震いをします。
背後に回った康平が、首に巻いたマフラーを外すと、それをあゆみへ手渡しました。
あまりにも柔らかい肌触りに、あゆみが驚きの声を上げます。



 「あら、シルクだわ。
 それも、純国産ブランドの、『ぐんま200』の上級限定品じゃないの!
 良く手に入れたわねぇ・・・・すこぶるの、最上級品を」


 「さすがに、もと座繰り糸作家だ。
 手に触れただけの一瞬で、ぐんま200の繭と見破るとは大したもんだ。
 それ、とても温かいし、肌さわりも最高だ」



 「とても形の良い、綺麗な繭なのよ。ぐんま200の限定の繭は。
 養蚕農家で丹精込めて育てられた繭だもの、私たちも糸につむぐときには
 最大限の注意をはらって製品に仕上げるの。
 最大の努力の結果が、宝石のような絹の製品になるの。
 でもね、これは、高すぎる作品です。
 私たちは、高級品を作るために、糸をつむいでいるのではなく
 多くの人たちに使ってもらえる、日常品を作るために頑張っていたはずなのに
 結局は、伝統工芸品としての仕事の域を出られなかった。
 そこが、毎日の仕事のジレンマでした。
 私には乗り越えることが出来なかった、とても高い壁でした」



 「庶民的な場所にこだわり続けている、君らしい。
 だが、それも無理もない。
 たしかに群馬は養蚕と、絹の産地として歴史に名前を残してきたが、
 それも過去の栄光に過ぎないと言う時代に変ってしまったんだ。
 生糸や織物では、食えない時代が始まった。
 生き残るためには、大量生産よりも効率の良い高級品の生産で、
 生き残るくらいしか、もう、道は残されていないだろう。
 それもまた、やむを得ない、時代の波だ」



 「私は、夢を持って始めた座繰りの仕事に、自分から見切りをつけてしまった。
 ひと桁違う、その金額を見たときに、自分の心に迷いが生まれたの・・・・
 これが本当に、自分がやりたかった仕事なんだろうかって、正直、迷いはじめた。
 根が貧乏性なんだろうか、高級品やブランドには、
 まったく縁が無く生きてきたんだもの。無理もない話だった。
 で、結局選んだのが、流行歌の歌手だもの。
 庶民派すぎるのかしら、あたしって」



 「織り上がるまで、模様は解らないもんだ。
 経糸(たていと)と横糸が交互に織りなされて、初めて模様が作りあげられる。
 途中で、横糸がひとつ変っただけでも、その瞬間からまた模様も色も変わり始める。
 織り物も、人生も、たぶん一緒だよ。
 織りなしていくうちに、すこしずつ絵柄も変わるし、色も変化する。
 なにかの拍子に、横糸がいっぺんに変わってしまえば、まったく違う反物を
 織り始めてしまうことになる。
 人生は一生をかけて、自分の織物を織りあげる、未知の旅だと思う」



 「一生をかけて、人は自分の、反物を織る・・・・?」


 シルクマフラーの温かさにくるまれながら、あゆみが
康平の言葉を、頭の中で反芻をしています。


 (でも、いったいどんな模様に変わるのかしら。この先の私の人生は・・・・)






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『夜の糸ぐるま』(10)

2012-04-28 23:58:04 | 現代小説
短編『夜の糸ぐるま』(10)
「広瀬川河畔」


(前橋の市内を流れる、広瀬川です)



 康平の店が有る呑竜仲店のアーケードから、市内を流れる広瀬川までは、
路地をゆっくりと抜けていっても、5分とかかりません
広瀬川は、前橋市のシンボルと呼べる美しい河川で、
街の真ん中を流れる、整備が行き届いた河川緑地です。
遊歩道に沿って、ツツジや柳がどこまでも続き、水量は常に豊かに流れます。
「水と緑と詩のまちの前橋」を象徴する景色が、いたるところに点在をします。



 ほとりには、「萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち前橋文学館」や
「広瀬川美術館」、萩原朔太郎や伊藤信吉らの詩人の詩碑なども、
多数が点在をしていて、川に沿いながら文学と芸術の散策を楽しむことができます。



 「私は、真冬の8万球のイルミネーションが、大好き」


 一歩先にお店を出て、広瀬川のほとりを歩き始めたあゆみが、
独り言を、ぽつりとつぶやいています。
前橋市の冬の風物詩、広瀬川河畔を彩るイルミネーションは、
諏訪橋から比刀根橋までの620mにわたって、8万球の灯りが幻想的に点灯します。




 「俺もイルミネーションは好きだが、
 一人で歩いて失敗をした。
 どこを見ても、アツアツのカップルばかりで、目のやり場に困った・・・・
 やはりロマンチックなものは、女性と二人に限る」



 後から追いついてきた康平が、厚手のコートをあゆみに羽織らせながら、
そんな去年のにがいイルミネーションの経験を、ぽろりと口走ります。
『じゃあ、今年は誘ってくださる?』、そんな目つきで、あゆみが見上げてきました。
アッと気がついたあゆみが、頬を赤らめそんな自分の気持ちに、
あわてて訂正をくわえています。



(何言ってんの、妊婦のくせに。順調に育てば、生まれてくるのはその頃だ。
 馬っ鹿みたい、あたしったら。何考えているんだろう)



 「そうだろうな。
 生まれてくるとしたら、その頃だ。
 上手くいったら、3人で歩けるかな。そのイルミネーション」

 立ち止まって煙草に火をつけた康平が、川面を見つめたまま、
ごく普通の様子で言い放ちます。
「別に他意は、無いさ」向き直った康平が、無邪気な笑顔を見せています。



 「どうせ、その頃になっても、俺はひとりだし、
 君も実家が前橋だから、どうせこっちに戻ってきているような気がしただけだ。
 年内が無理でも、年明けだってイルミネーションは、点いている。
 歩いてみたいなぁ、君と3人で」


 「私が、すっかり、もう産むと決めているような口ぶりね。
 どこから来るの、そのあなたの自信は。
 私はまだ、何も決めていないし、考えても居ないわよ。
 ただ、そう言う事実が、今日になってから判明したと言う事実が有るだけだわ。
 そりゃあ、私も・・・・」



 と言いかけた処で、あゆみが口をつぐんでしまいます。
よく考えてみれば、昨日から今日にかけての連続した負の出来事が続く中で、
まだ冷静になっていない自分がいることに、初めて気がつきました。


 (昨日は、あいつが出て行って、それっきりのまま、
 頭の中は錯綜したままだ・・・・
 今日は、もしやと思って検診を受けた病院で、
 懐妊の事実だけがはっきりとした。
 なのに私はいまだ、なにひとつ冷静になって物事を考えて、
 次にするべきことも、はっきり決めても居ないし、何一つ考えてもいない状態だ。
 このままで、明日からの私は、いったいどうなるのだろう・・・・
 どうなっちゃうのだろうか・・・)



 あゆみが、暗い川面をみつめたまま立ち止まってしまいました。
煙草の煙が、あゆみへ届くのを気にしているのか、さっきから康平は、
常に5~6歩ほどの間隔を保ったまま、静かに後ろから歩いています。
立ち止まってしまったあゆみの様子に気がつくと、康平も
その場で歩みを止めてしまいました。


11へつづく




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『夜の糸ぐるま』(9)

2012-04-28 07:25:33 | 現代小説
短編『夜の糸ぐるま』(9)
「男もいろいろ、女もいろいろ」


(日本で最初の富岡製糸場の内部です)


  
 「それって、島倉千代子の歌でしょう。
 男もいろいろ、女もいろいろ~♪って、聞いたことあるもの」


 貞園が、大きな目をクリクリさせながら、酔った勢いのままあゆみの顔を覗きこんでいます。
うふふ、と笑いながらあゆみも頬を染めたまま、それを出迎えています。



 「だから人生、いろいろなのよ。
 女だってピンからキリで、いろいろとあるわ。
 座繰り糸作家の東さんは真面目だけど、わたしだって
 それに負けないくらい仕事には、真面目に取り組みました。
 でもね、真面目にも、いろいろと種類というものがあるの。
 私の場合は、恋する気持ちが強すぎて、殿方に対して気持ちがスト―レート過ぎるのよ。
 ただそれだけの違いだわ」



 「要するにあゆみさんは、きわめて敏感でスケベ。だったわけ?」


 「貞園ちゃん。ものの言い方には神経を使って頂戴。
 恋多き女と、言ってほしいわね。
 実際あたしって、すぐにのぼせあがるし、惚れやすい性質なの。
 そのくせ、男運はすこぶる悪いのよ。あとになってから、いつでも決まって、
 酷い目に会うもの・・・・」


 「それでも懲りずに、また別の男に惚れるわけでしょう?
 見境もなく、あゆみさんは」


 「お前さんたちは、酔っ払い過ぎだ」




 カウンター越しに康平がたしなめています。
「あら、マスターの機嫌を損ねちゃった・・・・そろそろ帰ろうか?」
あゆみが、ふらりと立ち上がります。
後方へバランスを崩しかけたあゆみを、貞園がいち早く手を伸ばして支えました。


 「ほらほら、大事な身体じゃないの。気をつけて」

 「そうだった・・・・。
 降ってわいたような事実だもの。まだ実感が無くて、母親の自覚がないんだ、あたし。
 ありがとう貞園ちゃん。もう大丈夫」


 「最初はそうだわよ、誰だって。
 お腹の中で育つうちに実感をするんだもの、今は無理だわ」

 「あら、経験者みたいな口ぶりだわね。貞園ちゃん・・・・」


 「女にも色々あるけど、愛人の暮らし方にだって、色々とある。
 産めるわけがないじゃないの。
 愛人なんかをやっている、私の立場で。
 そう言う意味では・・・・、わたしはそちらのほうで前科一犯の、バツいちだ。
 もう、随分と前の、とっておきの内緒話なんだけど。さ」



 「内緒にしておけばいいのに。なんでわざわざ暴露なんかするの」



 「あゆみさんには、なにがあっても産んでほしいからよ。
 どういう事情であれ、お腹の赤ちゃんを始末するのは、女の本能と良心が
 後になってから、つくづくと痛みます。
 あたしだって、それくらいのことは解ります・・・・
 わたしもマスターほどではないけれど、あゆみさんのファンの一人です。
 応援は、いつでもするわ。
 ・・・・じゃあね、お二人さん。私はお先に失礼します。
 いつまでも居ると、お二人には邪魔だろうし、帰れと言われる前に、
 自分から退散をします。
 といっても、暇な身だから、もう一軒寄ってからですけど。
 じゃあね、お二人さん。
 後は二人で、しんみりとやって頂戴。
 ご馳走さま、マスター。またね、あゆみさん」



 よろめきながら立ちあがった貞園が、戸口で一度、立ち止まります。
軽く二人に向かって手を振ります。
建てつけが悪いはずのガラス戸は、苦もなくするりと開いて、
貞園が路地道へ先へ消えていきます。



 「呑むかい? もう少し・・・・」



 「どうしょうかな。
 充分に呑んだ気もするし、その割にあまり酔ってないし・・・・
 これ以上呑んでも、無駄なのかな、今日は。
 ねぇ。すこし夜道を歩こうか・・・・付き合ってくださる?」


 10へつづく


 




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デジブック 『桜とチューリップ』

2012-04-28 07:14:40 | 現代小説


デジブック 『桜とチューリップ』



 おはようございます。
デジブックと連携していることを初めて知りました。
撮りためたものから、順次アップをしたいと思います。

 まずは、桜とチューリップと子供たちで溢れている吾妻公園を紹介します。

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『夜の糸ぐるま』(8)

2012-04-27 07:02:10 | 現代小説
短編『夜の糸ぐるま』(8)
「6年と言う月日」


(日本で最初の製糸工場、赤レンガ造りの『富岡製糸場』です)

 
 「若いのに熱心だな。これは面白い」といって、
 最初に東さんの面倒をみてくれたのは、当時、碓氷製糸農業協同組合の
 組合長をしていた、茂木雅雄さん(75歳)です。
 まだ群馬ではなんの実績も、技術もない新人の東さんを
 よろこんで引き受けてくれました。
 もちろん、採算が合わないことも、覚悟の上だったと聞いています」



 あゆみが、座繰り糸作家を目指し始めたころの、思い出話をはじめました。
貞園が注いでくれた熱燗を一口だけ含んでから、貞園の盃へなみなみと注ぎ返しています。
女同士が、目でほほ笑み合いながらの歓談がはじまりました。



 「趣味で、座繰り糸の織物を作っている人たちは、何人かいます。
 でも、本気で仕事としてそれで食べていけるなんて、当時は誰も考えていません。
 だから私たちも、最初のうちは、碓氷製糸場で働くことになりました。
 朝8時から夕方5時までは、器械製糸の仕事につきます。
 その後に、寮の自室に帰ってから、パンパンに張った足を休める暇もなく、
 ふたりして、座繰り器を回す日々がはじまりました。
 座繰り器を使って小枠にひき上げた生糸は、その日のうちに
 枠から外す揚げ返しの作業が必要になります。
 そのために夜更けに真っ暗な工場へ走って戻り、糸の仕上げ作業をしました。
 寝る間も惜しんで、そんな座繰り糸の修業を続けました。
 大変でしたが、充実していました」



 康平が、お店の戸締りを始めました。
狭い路地に小さなお店がひしめく呑竜仲店では、戸口が開いている限り、営業中とみて
無遠慮な常連客たちがひょっこりと顔を出していきます。
今日はこれくらいで、もういいだろう。そう言いながら康平が戸口に
疲れ切った看板を立てかけています。
カウンターでは女ふたりが、肩を寄せ合い、日本酒を差しつ差されつしています。



『だってさ。今帰ったって主さんが居ない、冷たいお蒲団が待っているだけだよ。
寂しいったらありゃしない・・・・』と、貞園は、康平の背中を見送りながら、
独り言を、いまさらのように愚痴っています。




 「先が見えないという、不安はたしかにありました。
 でもそれ以上に、絹を仕事にできるという充実感のほうが上でした。
 半年くらい経ってから、目に見えて出来あがる生糸の質が良くなりました。
 『これならば売り物になる』という上司の判断で、
 昼間の勤務時にも、仕事として座繰り器を回すことが認められました。
 私たち二人が、プロの座繰り糸のひき手として認められたのです。
 碓氷製糸工場内の一室に、2台の上州座繰り器が、並んで設置をされました。
 歯車が奏でる「カラ、カラ、カラ」という小気味よい音は、
 不思議に、製糸工場に働く職員たちの心まで、なぜか和ませたようです。
 けれどもそれは、わたしたち2人にとって、
 生産効率とのせめぎ合いの始まりを意味しました。
 実演を、見せるだけでは商売になりません。
 良いものを確実に作りあげて、採算ベースに乗せる必要がありました。
 私たちの、座繰り糸作家としての本当のスタートラインは、実は
 この時から始まったんです」



 あゆみの目は、すでに6年前の自分を見つめています。
いまでこそ、絹の産地や生糸関係の有名施設などでは、実演が再現され、
イベントの目玉として、こうした様子が常設展示などをされています。
しかしこの当時はまだ、珍しさだけが先行をして、話題として取り上げられても、
座繰り糸は、ただの『古き良き時代の、過去の伝統とその遺物』として紹介をされました。
座繰り糸作家として現在活躍中の東さんも、あゆみも、こうして
『もしかしたら』という世界へ、ささやかな希望と夢だけを頼りに、
まったく前人のいない道を歩き始めました。



 「頼りなくて、不安で、毎日カラカラと糸をつむぎながら、
 東さんとふたりで、励まし合って暮らしていた頃に、ぽつんと生まれてきたのが、
 私の最初の作品、夜の糸ぐるまなの。
 一途な思いだけで書きこんでいたら、いつのまにか哀しい恋の話になってしまいました。
 ふたりとも、工場の後押しを受けながら、紬糸の作家になるはずだったのだけど、
 それが壊れてしまったのは・・・・
 別れてしまった、あの亭主との出会いでした。
 全国各地の呑み屋街を流して歩く、流れの演歌歌手だもの、
 世間知らずの小娘を、手玉に取るのなんか、あっと言う間で、
 朝飯前の出来事だったのよ。
 あ・・・・いま言った、世間知らずの小娘と言うには、私のことよ。
 解っている?。貞園ちゃん」



 「解っているわよ。
 あたしにだって有ったもの。小娘と呼ばれた時代なら」




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