落合順平 作品集

現代小説の部屋。

舞うが如く 第六章 (12)老農のため息

2013-02-09 09:47:51 | 現代小説
舞うが如く 第六章
(12)老農のため息




 「百姓は、昔から菜種(なたね)みたいなもので、
 生かさず殺さず、時の支配者たちに、
 油のように絞りぬかれてきたもんだ。」

 陸稲畑の様子を眺めながら、
老農が一つ、大きなため息をつきました。


 「作柄(さくがら)が、良くありますせぬか?」

 琴の問いかけに、老農が目を細めます。
先日の此処での出会い以降、足まめに通ってくる琴がたいそう気に入っています。


 「作柄のことにはあらず。
 近頃の村々での騒動のことだ。
 取り過ぎた地租の返還を求めた騒動が
 日を追うごとに、大きくなってきているようだ。」

 「ワッパ騒動のことですか。」


 「左様。
 租税の取り戻しにとどまらず、
 県の役人や役所を相手取って、不正をあばくということになれば、
 以前の天狗騒動よりも、騒ぎが大きくなるのは必定である。
 役職を解かれた、元庄内藩の武士たちも、
 知恵と力を貸していると聞く。
 なかなかのキレ者たちが多いと、もっぱらの評判のようだ。」


 「士族たちが、農民を応援しているのですか」


 「士族といっても、
 特権階級と言えるのは、ごく一部の上層部だけのことである。
 あとは利用されたり、使い潰される者たちがほとんどだ。
 下級の武士たちの立場は、それほど農民たちと変わらないのであろう。
 農民をたぶらかして、相変わらず私腹を肥やしている、
 腐敗した特権階級の、
 そんなやり方を許せないという気持ちは、
 いまの時代となれば農民も失職したおおくの下級武士も
 同じことなのであろう。」
 
 「何処までも燃え広がる、野火のようですね。」


 「旨い事を言うのう。
 確かに、その通りになるであろう。
 ワッパとは、ヒノキや杉で作った弁当箱のことであるが、
 納め過ぎた租税を、この弁当箱に一杯になるほど
 取り戻せるぞという話を聞けば、
 飢えた農民たちが、本気で、必死になるのも無理はない。
 大騒動となる要因は、それだけでも十二分にある。」


 「それは・・・
 ご老人が指揮をされた天狗騒動のとき以来、
 ず~といだいている、根の深い、
 支配層へのやりきれない不満の様ですね。」
 


 「年貢を、絞り取られていたころは、
 武士の天下で、文句を言えばたちどころに問答無用で、
 切り捨て御免の時代であった。
 百姓一揆にしろ、打ち壊しの騒動にしろそのいずれもが、
 命をかけての百姓たちの、抗議行動そのものであったと言える。
 ところがあれほど大騒ぎをして、
 時代が変わり、明治という新政府ができても、
 県を支配するのは、あいかわらず旧庄内藩の役人たちだ。
 慶応から明治にと、またひとつ年号が変わっただけで、
 庄内は、昔となにひとつ、
 いまだ変わってはおらんようだな。」


 老人がまぶしそうに、目を細めます。
見やった彼方から一人の大柄な青年が、こちらに駆けてくるのが見えます。
あちこちがほつれた野良着からは、強靭そうな若い筋肉が覗いています。


 「おう、爺、ここにおったか・・・
 村で一大事が始まりおったぞ。
 急いで戻って、みんなを指示してくれ。

 もう、上へ下への大騒ぎになっちまった。」

 「これこれ、待たぬか、
 ここには客人が居る。
 琴殿、この若者は良太といって、
 村でもなかなかの若者の一人であるが、
 少々、気の早いのが玉にきずだ。
 読み書きは出来ぬが、そこそこには機転は利く。
 まァ、一番の取り柄といえば、
 見た通りの、頑丈な身体だけだがのう。」


 老農が、大汗を流す青年を見上げながら、嬉しそうに大きな声で笑い始めます。
しかし、この大柄な青年は顔を真っ赤にしたまま、老農をせかし続けます。


 「役人どもがやってきて、
 県に盾つく反乱などは、もってのほかだと脅したあげ句、
 主だった指導者たちを、片っ端から連行すると意気込んでいる始末だ。
 現に、隣村では20人余りが、一斉につかまったと言う噂だ、
 呑気に構えてないで、急いで戻っておくれ。」

 「ご老体は、やはり
 天狗騒動の時の、名のある指導者の
 お一人だったのですね。」


 「いやいや、
 只の年老いた、百姓だ。
 物好きだけが取り柄の、おいぼれじゃよ。」


 ようやくのことで、「どれっ」と、
老農が、ゆっくりと腰を上げ始めます。





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