落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第24話

2013-03-31 09:42:06 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第24話
「家電量販店でのトラブル」




 「よし、話は決まった。
 お礼と言ってはなんだが、我儘をきいてくれた礼に、旨い昼飯でもご馳走しょう。
 そのまえに、電機屋へ寄りたいが、かまわないか?」

 金髪の英治が、伝票を手にしてたちあがります。
もう片方の手で携帯を取り出し、こいつの機種を変更したいと笑いました。



 「変えるの?」


 「流行りのスマートフォンにする。
 言っておくが、ゲーム三昧をやりたくて変更をするわけじゃないぞ。
 ネットと効率よく連動させるために変更をするんだ」



 英治が電機屋と呼んでいるのは、
最近市内に進出してきたばかりの巨大家電量販店のことです。
老舗といわれた大型百貨店が閉店をした後、全面的に改装をされて、
巨大な売り場面積を誇る業界トップの量販店が、最近になって開業をしました。
市内の中心部にある建物で、ここからなら歩いても5~6分の距離です。


 舗道を先に立って歩く英治の様子は、
後ろから見ていると、がに股で、心持ち肩が微妙に揺れ続けています。
(いやだ、こいつったら。表に出るとチンピラの習性が丸出しで、
歩き方からして、見るからに危ないわ・・・)
響が、2歩ほど後ろを歩きながら密かに笑っています。
(なんだかんだと偉そうに言ったって、まだまだ子供だわね、英治は・)



 前方の交差点が赤に変わりました。
家電量販店は反対側にあるために、英治が響の手を取って横断歩道を渡り始めます。
唐突に握られてしまった手を、あえて振りほどきもしないまま、
響も黙って素直に、英治の後を着いて歩いていきます。
横断歩道の突き当たりにあるコンビニの駐車場では、座りこんだまま奇声をあげて、
インスタント麺をすすっている二人の少年の姿が、響の視界に入ります。


(いまどきの子は、ああいうことが平気できるんだ。
恥ずかしさを知らないと言うか・・・・躾(しつけ)も何も有ったもんじゃない。
まったく、親の顔が見てみたいわね)


 響が横目で少年たちを見つめながら歩いていくと、突然けたたましい
クラクションの音が前方から響いてきました。



 目を上げた瞬間、コンビニの駐車場を横切るような形で一台の車が
速度も緩めずに斜めに突き進んでくる様子が視界に入りました
コンビニ駐車場のショートカットを目論んだその暴走車は、
響の目の前をぎりぎりで擦りぬけた後、麺をすすっている二人の少年たちの
すぐ脇もかすめて、反対側の車線へ猛然と飛び出して行きます。
いきり立った少年たちが手にしたカップ麺の器を、立ち去る車めがけて投げつけます。
呑み残していた汁は空中へ飛び散り、食いかけの麺が地面に四散します。



(あの子たちったら・・・・車の運転手も最悪だけど、あいつらのマナ―も最低だ。
まったくもって、常識ってものを知らないのかしら!)
毅然となって足を踏み出し、少年たちに迫ろうとした響の手首を、
英治があわてて、きつく握りしめました。


 「あいつらの挑発に乗るんじゃない、響。
 あれは、あの連中がぐるになって、善意の人間をひっかけるための三文芝居だ。
 止めに入ったり、偉そうに小言をいう者を待ちかまえている、ただのきっかけ作りだ。
 難癖をつけたあげく、逆にゆすって金を巻き上げようと言う連中の常套手段さ。
 ほら見ろ・・・・もうコンビニの店員が、箒を片手に掃除に飛んできた。
 今日の収穫は、これで、ゼロと言う訳だ。
 お前、意外と気が早いから、あんな単純な猿芝居にひっかからないように
 充分に気をつけろよ・・・あっはは、」



 なるほど・・・
平然として駐車場にカップめんの残骸を播き散らかした少年の二人は、
掃除をしているコンビニの店員とは、慨に顔見知りのような雰囲気さえ見て取れます。



(当たり前のように平然として店員が、掃除をしているということは、
 こういうことが常に行われていると言う意味か・・・・
まったくもって、今どきのガキどもには、油断ができないわねぇ)



 2度、3度と駐車場を振り返り、そんないわくありの光景を見届けてから
響が先を行く英治の背中を追って走りだしました。
(意外と冷静な部分もあるようだな。こいつにも。)
もうひとつの交差点を過ぎてから、ようやく英治の背中へ響が追いつきます。



 (あの人たちは(不良ややくざは)・・・・きわめて羽ぶりはいいけど、
 男っぷりを良く見せるために、色々と男を演じて見せるのが実は商売なのよ。
 任侠の世界で生きるために男たちは、男を魅了するために
 精いっぱいの男気と虚勢を張るの。
 義理人情をひたすら口にして、弱きを助け強きをくじくなどと言うけれど、
 それはあくまでも、世間を欺く表向きの話です。
 私に言葉巧みに言い寄ってきたその筋の男たちは、沢山居たけれど、
 本当の狙いは、女を囲っているぞというステータスを誇示したいだけなのよ。
 連中は、女に本気でなんか惚れないもの。
 見せびらかすための、良い女を捕まえたくらいにしか考えていないもの。
 良い車や、良い時計を身につけると同じ感覚で、
 女もただの『道具』のひとつに過ぎないの。
 男たちの間で、切った貼ったを繰り返している日々だもの、
 油断したたら自分の命がなくなるの。
 女は欲求不満のはけ口か、ただの道具くらいにしか見ていないのよ。
 あんたも、そんな不良たちには充分に気をつけなさい。
 男の外見なんかに、簡単に騙されないでね・・・・)


 (たしか、そんなことを言ってたなぁ・・・)
母親の清子がそんな風にやくざについて語っていたことを、響が懐かしく思い出しています。
しかし今、響の前を歩いている金髪の英治からは、そんな任侠の風格や
匂いといったものは、まったく微塵にも見当たりません
(こいつ、調子に乗ると暴走するから気をつけろと、たしか岡本さんも言っていた。
そういえば、さっきよりも肩がそびえて、揺れはじめているみたいだけど・・・
大丈夫かしら。こいつったら)
また、だいぶ遅れて歩いている響を、量販店の入口で英治が待っています。



 家電量販店は、立て混んでいます。



 開店セールと大々的に銘打って、連日にわたって廉価販売が催されているためです。
それらを目当てに、午前中から大勢のお客さんが詰めかけています。
一歩店内へ足を踏み入れると、目の前に、二階へ向かう巨大な階段が現れました。
「迷子になるなよ。」
再び英治の手が伸びて来て、有無を言わせずに響の左手を握りしめます。
(まあ、いいか、減るもんでもないし・・)響も自ら英治の身体に近づいて
寄り添うような形で階段を上り始めました。


 階段の中央まで差し掛かった時、談笑しながら急ぎ足で降りてくる
男女のカップルと、危うくぶつかりそうになりました。
英治が先に気がついて、進路を譲る形をとります。
とっさに響へ目配せをした金髪の英治が、その背中を押しながら、右方向へ避けようとします。
が運悪く、男の下げていた紙袋が英治の膝へ、鈍い音をたたてぶつかりました。
咄嗟のことで、英治が膝を抑え、その場へうずくまってしまいます。


 「お~、痛ってぇー!。おーいマジかよ。クソったれ!」



 紙袋を当ててしまった男も、ほとんど同時に立ち止まりました。
身長が160センチくらいの紙袋の男と、175センチ以上ある金髪の英治の視線が
階段の上下で、険悪な空気を含んで激しく交錯をします。
瞬間的に吐きだされた英治の声は、相手が小柄すぎて、どことなく気の弱そうな
雰囲気のある男だと、勝手に思い込んでしまったために、
思わず発してしまったひと言でした。
しかし、この小柄な男の目にも、金髪の英治に負けないほどの、
すこぶる強い光が宿っています。

(25)へつづく


 
 
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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (57)銀河のど真ん中
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連載小説「六連星(むつらぼし)」第23話

2013-03-30 11:11:27 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第23話
「英治の片思い?」




 その翌日、10時を過ぎたころに響の携帯が鳴り始めました。
布団をかぶったままの響が、枕元に有るはずの携帯を手さぐりをしています。
(やっぱり気がついたら、呑みすぎている・・・・これが2日酔いというものかしら)

「・・・・はい。」
電話の相手は、金髪の英治です。


 急用があるので午後から逢ってくれと切り出されました。
(別にとりたてた用事が有る訳ではなし、久々だ、まぁいいか・・・)
1時過ぎなら大丈夫、と答えて響が電話を切ります。
ぼさぼさの頭のまま階下へ降りて行くと、冷めた味噌汁とくわえ煙草の俊彦が
食卓で待ちかまえていました。



 「みそ汁はすっかりと冷めちまった。
 どうもお前さんのための食事は、いつもタイミングを外して、
 作り直さなければならない運命らしい。
 それにしても、すごいことになっているぞ・・・お前の頭。
 うら若き乙女が、まるで草野球のキャッチャー状態だ」


 「どういう意味?」

 「キャッチャーのミットもない。みっともない、と言う意味」


 
 (朝からおやじギャグだ・・・)苦笑しながら、響が洗面所へ向かいます。
そうだ、呑み過ぎたとはいえ、朝からの身だしなみの配慮に欠けている・・・・
背後から俊彦の声が追い掛けてきました。



 「今日は外で約束が有る。
 遅くなるかもしれないから、蕎麦屋は今日は臨時休業だ。
 そんなわけだから、俺はもう出かける。
 もしかしたら朝帰りになるかもしれん、戸締りだけは頼んだぜ」


 「あら、今、これから女に逢いに行くという風に、私には聞こえましたが・・・・」


 「そうとは言っていないが、そういう可能性もある。
 相手が有ることだし、行きがかり上のことだから、その先での展開のことはわからない。
 振られたら帰ってくるが、上手くいったらそのまま泊まる事になる」


 「あら、お母さん以外にも愛人が居るの! トシさんには」


 
 「居たら悪いか? 俺も45歳になる健康な男だ。
 お母さんと縁があったのは、もう25年も前の話さ。
 それから先の今日までは、ただの同級生で、清く正しい関係だけだ。
 あ・・・・うまく騙されて、また口が滑っちまった。
 大人の秘密まで、ついつい上手く乗せられて、しゃべっちまったぜ!
 気にすんな、響、今の話は全部忘れろ。
 じゃ、行ってくる」


 あわただしく俊彦が出掛けて行ってしまいます。
(25年前に、母さんとトシさんとは、絶対に何かが有ったんだ。やっぱり)
廊下を振りかえった響が、俊彦が消えていった玄関先をいつまでも見送っています。

(可能性があるという話で、まだ決まったわけではない・・・
それでもやっぱり、どこかで、ひっかかる話だわ)



 鏡の前に立ちながら、雀の巣のようになってしまっている自分の髪の毛を、
あちこちへと引っ張りながら、響がそんな風につぶやいています。

 指定された喫茶店では、すでに英治が退屈をしながら待っていました。
手元に置かれているコーヒーカップの中が、すでに乾いているところを見ると
随分と前から待ちかまえていた様子がうかがえます。
響が座った瞬間を待ち構えて、英治が周囲を気にしつつ分厚い茶封筒を取り出しました。
手元に隠した茶封筒をすばやく、響の手の内側へと押し込みます。



 「なあに、これ?」


 「100万と少しある。
 とりあえず、何も聞かないでしばらく預かってくれ。
 身内で、頼める人といえば、君くらいしかいない。お願いだ頼む」


 「身内?。・・・・いつから身内なったの。私とあなたは!」


 「まぁまぁ、そう言わずに頼む」


 なにやら理由がありそうです。
店内を一度見回した響が、立ち上がりさっさと英治の隣へ席を移しました。
座った瞬間に、唖然としている英治の手元へその訳ありだという茶封筒を押し戻します。
響は鋭い視線のまま、英治の顔を覗き込みます。


 「なにをやってきたの。 これってどうせ、やばいお金でしょう。
 理由も言わずに、ただ黙って預かってくれなんて、昔の任侠映画の愛人じゃあるまいし、
 私は、まっぴらご免です。
 第一、あんたには就職でお世話にはなったけど、
 恋人どころか、お友達関係にすらまだなっていないでしょう。
 断っても、当然でしょ」


 「じゃあ、訳を話したら、これを預かってくれるのか」


 「まあね・・・・。
 貴方たちがよく使う『一宿一飯の恩義』ということもあるし、
 私も、それなりには対応を考えます。
 危ないお金であることは、おおかたの予想がつくけれど、それにしたって、
 なぜそんな真似をするのか、私が納得できるように説明をしてくれれば、ですが」

 「分かった、話すよ。
 その前に少し俺から離れてくれ。
 お前の色気のせいで、俺の心臓は爆発しそうだ・・・・
 男の目の前に、無防備でおっぱいをチラつかせるとは、
 お前もまったく良い根性をしている。
 おかげで、鼻血は出そうだし、俺の目もクラクラする」


 「あっ」、響が大きく開いている胸元をあわてて押さえます。
「ごめん」と、真っ赤になって立ちあがりました。
そんな響を見上げながら、英治が、反対側の椅子に座ってくれと目で合図を送ります。
ばつの悪そうな響が、小さくなったまま小猫のように座ります。


 「お前、見かけによらず、いい胸してんなぁ。びっくりしたぁ」

 「ばか・・・・」



 「きっかけになったのは、被災地の1つで宮城県の石巻市だ。
 いまだにがれきの山が積み上げられたままだし、
 復旧作業も、ようやく始まったばかりの町さ。
 で、ここの避難所の5カ所に、「西日本小売業協会」や「西日本有志の会」
 などと名乗る集団が現れて、現金3万円入りの茶封筒を被災者に配って回りはじめた。
 もちろん、全員に配る訳じゃない。あくまでも無造作に配るんだ。
 不公平感をうむことも、連中にしてみれば狙い目のひとつだ。
 北隣りの南三陸町でも、町の災害対策本部に3万円ずつ入った茶封筒の束を
 置いていったグループがいる。
 ここで配られた現金の総額は、1千万円以上もあったと言う話だ。
 石巻市とあわせれば、総額で3千万~5千万円に上るとみられる現金が、
 実態不明の団体によって配られた」


 「それって、暴力団によるばらまきなの?。
 狙いはなんなのさ。
 なんのために、わざわざ被災地でそんなことをするの」


 「被災地の復旧や復興事業のためには、巨大な金と利権が動く。
 がれきの除去や建物の建設、道路工事などが、長年にわたって続くことになる。
 被災者に金を配ることで存在感を発揮して、事業に食い込んでいく腹つもりだ。
 最初に仁義に厚いところをみせて、徐々に利権に向かって浸透していくのは
 暴力団がいつも使う典型的な手口だ。
 ゴミ処理施設や、埋め立て地などの情報収集作業もはじまった。
 道路工事だの建物建設のために、リースの需要も高まってきた。
 そのために、暴力団たちによる資金力にものをいわせた重機の買い占めなども始まった。
 がれきの山は、暴力団にしてみれば宝の山だ。
 至る所に金脈が眠っているようなものだ。
 金のばらまきは、こうした一連の手口の地元工作のためのひとつだ」



 「ばっかじゃないの、あんた。
 そんな金をくすねて来て、いったいどうするつもりなの。
 ばらまき自体が反社会的だと言うのに、そのうえにたっている不良の金を
 胡麻化してくるなんて、あんた、一体何を考えてるの。
 小指の一本くらいですむ話じゃないわよ」


 「響。任侠映画じゃあるまいし、今時期は小指なんか切らねえよ。
 まあ冗談を言っている場合じゃねえことは、俺もよく承知している。
 だが、これを機会に俺も、こんな稼業から足を洗いたい。
 これを退職金がわりに頂いて、東北で行方不明になっている
 茂伯父さんを探しに行きたい。そのための
 当座の、活動資金だ」

 「あ。・・・・あの長年仕送りをしてくれたと言う、あんたのあの伯父さん。
 そうか、行方不明のままだったわねぇ、たしか。
 う~ん、それにしても、困ったなぁ・・・・
 それにしたって八方塞がりの展開じゃないの。
 第一、そんなに上手くやくざの世界から足が洗えるの、簡単に・・・・
 入るのは簡単だけど、ぬけるのは大変だって聞いたわよ。
 そのうえ、不良の危ないお金を退職金代わりに、前もって失敬してくるなんて、
 前代未聞の話じゃないの」

 「もう、動き始めてくれている人が居る」



 「え?」


 「俊彦さんだ。
 今朝一番に会いに行ってきた。
 お前は、寝ていたから何も覚えていないだろうが、
 一通りの話を聞いてくれて、すべてまかせろと胸を叩いてくれた。
 簡単にいくとは思わないが、お前のその伯父さんのために、
 なんとかしょうと言ってくれた。
 金の件もそうだ。
 俊彦さんの指示で、響に預けろと言っていた
 だから頼む、持っていてくれ、この通りだ」


 (あの爺ィめ。、私には、女に会いに行くなんて洒落た嘘をついたくせに・・・・)
響があらためて、今朝の俊彦とのやりとりを思い出しています。


 

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連載小説「六連星(むつらぼし)」第22話

2013-03-29 05:47:04 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第22話
「マズローの欲求段階説」




 時計が1時を回りました。
テーブルに両手をついて勇作が、ゆっくりと立ち上がりました。
響が背中へまわって、勇作の揺れる身体を支えます。

 「響。そこのタクシー乗り場まで送ってやれ。
 俺も片付けて店を閉めたらそぐに二人の後を追う。頼んだよ」



 頼まれた響も、実は足元はおぼつきません。
お互いに支え合うような形で、ふらつきながら表へ出ます。
外へ一歩踏み出した瞬間、4月前の夜気の冷たさに思わず響が身震いをしました。


 「お嬢さんは学生でも稀なほど、
 実に質の良い、探究心をお持ちのようです。
 人の話を、正面から受け止めて、姿勢を正して丁寧に聞くうえに、
 なるべく吸収をしようと言う、そんな熱意が私にはしっかりと見えました。
 そういった道や、職業に進もうと考えたことなどはなかったのですか」

 勇作が、響にとっては意外なことを口にしました。
「いいえ、考えたことは一度もありません・・・・(質の良い探究心? 何の事だろう)」
即座に応えたものの、響の頭の中はその言葉の意味を反芻(はんすう)しています。


 「疑問をひたすら探究をする、研究者のような嗅覚のことです。
 たくさんの学生たちをみてきましたが、あなたのそれはすこぶる良質のもののようです。
 アメリカ合衆国の心理学者で、アブラハム・マズローという人が
 自己実現理論(じこじつげんりろん)という学説で、それをうちたてました。
 『人間とは、自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、
 人間の欲求を、5段階の階層で理論化しました。
 「マズローの欲求段階説」と称されています。

 
  食欲や性欲などをはじめとする、生存に関するものから、
 『大金持ちになりたい』『賞賛を得たい』、『一つの道を極めたい』などなど、
 人間は、実にさまざまな欲求に基づいて行動をしていると考えられています。
 マズローによって階層化された欲求とは、
 生理的欲求・安全欲求・愛情欲求・尊敬欲求・自己実現欲求の5つです。


  一つ目の『生理的欲求』とは、人間が生きていくために最低限必要な、
 生理現象を満たすための欲求で、食物、排泄、睡眠など、個体として生命を
 維持するために必要な基本的な欲求などのです。


  二つ目の『安全欲求(安定性欲求)』とは、
 誰にも脅かされることなく、安全に安心して生活をしていきたいという欲求のことです。
 雨や風をしのぐための住居を欲するというものから、戦争などの
 争いごとのない環境で過ごしたいという欲求までが、これらに含まれます。
 食べるものに不自由しなくなると、次は安心して食事や睡眠を取れる場所が欲しくなる
 という意味がふくまれています。

  三つ目は、『愛情欲求』です。
 所属欲求や社会的欲求といわれるもので、集団に属したり、
 仲間から愛情を得たいという欲求です。
 寝食が満たされると、誰かにかまってほしくなるのが、人間です。


  四つ目は、『尊敬欲求』で、承認欲求とも言われています。
 他者から、独立した個人として認められ、尊敬されたいという欲求のことです。
 今度は、かまってもらうだけではなく、自立した個人として尊重されたくなるわけです。

  最後の五つ目が、『自己実現欲求』です。
 自分自身の持っている能力や可能性を最大限に引き出し、創造的活動をしたい、
 目標を達成したい、あるいは自己成長したいという欲求のことです。
 社会的に成功を収めた人が、社会貢献活動をする理由は、実はここにあります。



  人間は満たされない欲求があると、それを充足しようとして
 行動(欲求満足化行動)をおこすとされています。
 そうした上で、欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、
 より高次の欲求へと、段階的に移行するものとされています。
 ・・・・例えば、ある人が高次の欲求の段階にいたとしても、
 病気になるなどして低次の欲求が満たされなくなると、
 一時的に段階を降りて、その欲求の回復に向かい、その欲求が満たされると、
 再び元に居た欲求の段階へ戻る、とされています。
 このように、段階は一方通行ではなく、
 双方向に行き来するものであるとも定義がされています。
 また、最高次の自己実現欲求のみが、一度充足したとしても
 より強く充足させようと志向するし、行動をするという特徴もあるようです。


  ・・・・どうですか、お譲さん、何か心に響くものがありましたか?
 あなたなら、もうなにかに気がついたと思います。
 たまには、ゆっくりと自分自身を見つめてみたらどうですか。
 自分でも、意外な発見がけっこう有ると思います」



 蕎麦屋『六連星』から、横へ路地をふたつほど抜けると
やがて本町通りに面している、タクシー営業所の裏手へと出ます。
丁度その辺りまで歩いたところで、後ろから来た俊彦が二人に追いつきました。
『酔っ払い同士にしては、足が速い』笑いながら追いついた俊彦が、
振り返った響へ上着を手渡すと、手にしたマフラーを寒そうな響の首筋へ巻き付けます。
無精ひげの勇作が目を細め、その様子を嬉しそうに眺めています。


 
 「トシさん、今日はすっかりご馳走になりました。
 自慢の蕎麦も堪能させてもらいましたので、またこころおきなく、
 いつもの、原発労働者に復帰をしたいと思います。
 さて、聡明なお譲さん。またいずれお逢いをいたしましょう。
 おふたりとも、三月半ば過ぎとはいえ、夜はまだまだ冷え込みます。
 私はここらで大丈夫ですので、もうお引き取りください。
 本当に、ありがとうございました」


 笑顔の勇作が、タクシーの営業所へ消えていきます。
見送っていた響がくるりと振り返ると、いち早く(最初から目をつけていた)、
温かそうで充分な大きさのある俊彦のコートの中に、身体を丸めて潜り込んでしまいました。
驚きながらもしっかりと受け止めた俊彦が、コートを大きく広げ直すと、
あらためて、すっぽりと響の全身を包み込みます。
ぐるぐる巻きにされたマフラーの間から、目だけを出した響きが
嬉しそうに俊彦を見上げています。



 「ねぇ、トシさん。もしかしたら・・・・
 私のために、わざわざ准教授の勇作さんを呼んだのですか?
 あんなに嬉しそうに、たくさんの講義を私にしてくれたんだもの。
 感謝しなくっちゃね」


 「さあてな・・・・。俺は、なにも知らんぞ」

 
 「そう。・・・・ねぇ、トシ。
 子供がいるとしたら、男の子と女の子の、どっちが好き?」


 「響みたいな女の子以外なら、いつでも大歓迎する」


 「なんだぁ・・・・聞いて損した。
 私ったら自ら、墓穴を掘ってしまったわ。聞くんじゃなかった」


 「なんだ、それじゃ不満か?」

 「だってぇ・・・・」


 「いや、お前さんみたいな娘がいたら、
 たぶん・・・・俺もきっと楽しかっただろうと、確かに思う」

 「本当?」


 「武士に、いや・・・・男に、二言は無い」




 
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連載小説「六連星(むつらぼし)」第21話

2013-03-28 10:02:57 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第21話
「雄作の病名は・・・」



 深夜0時を回った蕎麦屋「六連星(むつらぼし)」では、
家出娘の響と、店主の俊彦、もと大学の准教授で今は原発労働者の戸田勇作の
三人による酒盛りが、いまだに終わる気配を見せません。
テーブル上にはたくさんのビール瓶があふれていて、すでにほとんど隙間がありません。

 
 「宴も佳境に入りました。
 それではいよいよ、本日の本題でもある、私の
 原爆ぶらぶら病についての話に、移りたいと思います」


 「原爆ぶらぶら病?
 原発では無く、原爆に起因するという意味ですか?、
 不思議な病名です」



 「ぶらぶら病は、原爆が投下された、広島の市民の方が命名した病名のことです。
 主に『極度の疲労感や倦怠感』などの症状を表しています。
 これは、原爆症の後障害のひとつです。
 解りやすく言えば・・・・
 体力や抵抗力が弱くなり、疲れやすい、身体がだるい、などの症状が続きます。
 人並みに働けないためにまともな職業につけず、病気にもかかりやすく、
 かかると重症化する率が高くなるなどの、傾向があります。


  広島市への原子爆弾投下後、市民のあいだで名付けられ、
 医師の肥田舜太郎氏が、被爆患者の臨床経験をもとに、その研究がされてきました。
 当時よく呼ばれていたこの"ぶらぶら病"は、認知されるまでに、
 大変に長い時間がかかりました。
 症状が曖昧なために、医師などに相談をして、いろいろな検査を受けても、
 どこにも異常がないと診断をされてきた人が多かったためです。
 仲間や家族からは、怠け者というレッテルを貼られ、
 たいへんにつらい体験をした者が、多いと言われてきました。


  ぶらぶら病の証言としては、
 広島への原爆投下時に宇品港の近くにいた、岸本久三と言う人の実話が残っています。
 この人は、沖縄県の出身者です。
 広島で原爆を体験してから終戦後に、生まれ故郷の沖縄へ戻りました。
 被ばくはしたものの爆心地からは遠かったため、被ばくの程度は低濃度です。
 低濃度と言うのは、即死や致死量には至りませんが、
 将来的に、なんらかの症状や病気の『危険性』が心配をされると言うレベルです。
 実は生き残った被爆者の大半が、この低濃度の被爆者たちです。
 体内に潜伏した低濃度の放射線が、やがて人体に深刻な影響を及ぼすのです。
 沖縄に戻った岸本久三もまた、例外なくその一人になりました。
 数年もたたないうちに、岸本氏を奇妙な病気が襲い始めました。


 『私もこの原因不明の病気にやられてから仕事もすっかりやめ、
 毎日家にごろごろしているんですが、
 近所の人たちからは、“なまけ者”と言われているような気がしています。
 十数年も前からの倦怠感、四~五年前からの痛み、吐き気を呈し、
 医者も原因不明だというんです。
 名護にある保健所ではまったく手に負えず、那覇では胃が悪いといわれて、
 とうとう開腹手術までやりましたが、結局、胃に異常はありません。
 次は神経科へ回されまして……ノイローゼだろうということなんでしょうが。
 この痛みは、いつまでたっても誰にもわかってもらえません。』


 『表面は丈夫そうに見えるから、かえっていけない。
 手か足に傷でもあるほうが、世間の人にはよくわかってもらえるだろうに…』
 と、自身の回想で、ぶらぶら病の経緯をまとめています。
 のちになってから『原爆ぶらぶら病』と呼ばれるようになった、この病気は、
 別の研究によって、全身倦怠感や疲労感を中心とした症候群である
 「慢性放射能症」や「慢性原子爆弾症」などと呼ばれるようになりました。


  広島と長崎で被爆をして、幸にして死亡を免れた人々のうちに、
 晩発症として、白内障や白血病、再生不能性貧血(再生不良性貧血)などが
 発生していることは、すでに世間で知られています。
 しかし、被ばくによる病気はこれだけではありません。
 疲れやすく、根気がなくなり、感冒や下痢などにかかりやすく、
 生気の乏しい状態に陥るなどの症状などが出てきます。
 放射能による健康被害として、内臓や骨髄、肝や腎、内分泌臓器、
 生殖腺などへの深刻な障害なども深刻です。
 これらは、内部被曝や低線量被曝が原因という見方もありますが、
 残念ながらこれらは、いまだにそうした因果関係が立証をされていません。
 まだまだ、研究中という段階にも有るようです。

 
 私の発症も突然でした。
 倦怠感には波があって、突然、急激に襲ってきます。
 各地を転々とする原発ジプシーや、被ばくをして健康を損ねた
 原発労働者たちの生活ぶりは、いずれも極めて悲惨です・・・・
 生命保険にも入れないし、その後の就職や結婚などにもさしさわります。
 診察の際にも医者の前にきてからようやく、被ばくしたことを
 医師にだけ、密かに告げる場合などもあります。
 しかし、被ばくの事実を告げた瞬間から、私たちは、
 どこで、いつ、どう被ばくしたのかを細かく聞かれる羽目になります。
 これもまた、たいへんに煩雑で、すこぶる面倒な話です・・・・
 ゆえに、私たちのほとんどは、まともに医療にかかるころはできません。
 驚くべきことに、いまはアメリカやロシア、中国などでも
 こうした「ぶらぶら病」の患者さんたちが、たくさん居るそうです。
 米国には、核実験の被害者、原爆製造の従事者や工場の周辺住民などに
 24万人以上もの被害者が出ています。
 しかし今なお政府や医療者は一貫して、この病気の存在を無視しています。
 旧ソ連や中国などをはじめ、原発のあるすべての国には、
 この「ぶらぶら病」の患者さんが大勢います。
 だがどの国も、どの医療者も、一貫してこれらの原爆症の事実を隠ぺいしています。
 それはこの国、わが日本でもまったく同じです。


  これはまた、完治するという簡単な病気では有りません。
 私がある程度まで健康を取り戻せたのは、ここにいる俊彦さんのおかげです。
 初めてここへふらりと伺ったときに、あまりにも容態が悪かったため
 救急病院へ運び込まれたことが、私の治療の始まりでした。
 ホームレスで原発作業員でもあった私には、健康保険がありません。
 すべてが俊彦さんの機転で治療が開始されましたが、
 しかしどこまで調べても、原因不明による体調不良だろうと診断をされました。
 転機となったのが、広島から戻ってきた、俊彦さんの同級生の杉原医師でした。
 原爆症と各地の原発で、問題となりはじめた低被爆の原爆症の資料を取り寄せて、
 まず、その実態と症例を研究することから、手探りがはじまりました。
 日本の原発で働く労働者の健康被害については、かん口令が敷かれています。
 すべての出来事が政府と電力会社によって、水面下の闇に葬られています。
 私の病気への研究がきっかけとなって、
 桐生では水面下で、体被爆の治療とその研究が始まりました。
 窓口になったのが俊彦さんで、其れを受け入れて治療するのが、
 同級生の広島帰りの杉原医師で、資金と治療費を提供しているのが
 原発の手配師で、かつ任侠道をまい進する岡本氏です。
 体調を崩したおおくの原発労働者が、この内緒のルートを頼って
 何人も桐生市を訪れています。
 まぁ、その記念すべき第一号が、わたしということです。
 六連星は、望みを断たれた原発労働者たちにとっては、大いなる希望の星です。
 なぜなら、一度ひばくしてしまった私たち原発労働者たちは
 原発からも、健康被害からも、一生かかっても逃げられない定めなのです。

 

  日本は、第二次世界大戦の戦災による廃墟の中から、
 世界で最も発達した先進的な技術国へと、目覚しい変革を成しとげました。
 しかしそのためには、膨大なエネルギーとしての、電力の確保を必要としました。
 そのことが、日本を世界有数の原子力エネルギー依存国に変貌させたのです。
 その結果、常に7万人以上が全国9電力の原発と、54の原子炉で働らくようになりました。
 すべての原発では、技術部門には自社の従業員をあてていますが
 現場で働く90%以上は、社会で最も恵まれない層に属している、
 一時雇用の労働者たちばかりです。
 下請けの労働者たちは、最も危険な仕事にふり分けられます。
 原子炉の清掃から、漏出が起きた時の汚染部分の除去まで、身体をはって仕事をします。
 つまり、電力会社の技術者たちが決して近づこうとしない、、
 もっとも危険な現場で、彼らは日夜、原子炉の修理と復旧の仕事を担当するのです。
 そしてその代償として、彼らは、自分の命と健康を削ることになるのです」



 
 
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連載小説「六連星(むつらぼし)」第20話

2013-03-27 10:31:56 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第20話
「平塚らいてう(雷鳥)」




 「明治の時代に、女性の主体性について
 熱く説いた人がいたなんて、たいへん驚きです。
 でも雄作さんは、随分と、なんに関しても詳しく良く知ってらっしゃいます。
 まるで学校の先生のようです」


 「響。この人の、無精ひげの外観に騙されてはいけないよ。
 この人は、原発労働者に『転落』する前は、実はれっきとした大学の准教授だ。
 訳ありでねぇこれが。 あまり大きな声ではいえないが・・・・」


 厨房から俊彦が響きに向かって、笑いながらそんな言葉を掛けます。
その俊彦の言葉を受けて、当の勇作が、あははと大きな声を上げ、
腹をゆすって笑い始めてしまいます。



 「その通りです!お嬢さん。
 私は、これ(女)で、実は、仕事をしくじりました ! 」



 目を細めた雄作が、右手の小指を響の前で立てて見せます。
作り直した蕎麦を片手に、俊彦が響のテーブルへ戻ってきました。
唖然としている響の目の前へ、美味しそうに湯気をあげている蕎麦の器が置かれます。



 「男なんかもろいものです。
 家庭が有り、妻子持ちで、将来も嘱望されていたというのに、
 一人の小悪魔に、あっというまにしてやられました。
 見境もなく、小娘の誘惑にいとも簡単に落とされたと言う次第です。
 いや、よくある話のひとつです。
 色仕掛といいますが可愛い顔をして、女性に妖艶に迫られてしまうと、
 世の男どもなんか、みんなイチコロです。
 男の性は、攻める時にはすこぶる強いのですが、
 あの手この手で、女性の方から攻められてしまうと、案外簡単に陥落をしてしまいます。
 お、いやいや、全員がそうだと言う訳ではありません、
 私がただ、すこぶる誘惑に弱かった、というだけの話です」


 「そちらのお話も、(できれば)後ほどゆっくりとお聞きしたいと思います。
 でも先ほどの、らいてうの青鞜(せいたふ)という雑誌のお話は、もっと面白そうです。
 よかったら、もう少し教えていただけますか」


 「おっ。ようやく、私の講義に食いついてきましたね。お譲さん。
 知的誘惑に即反応をするところをみると、あなたも、
 もしかしたら、『らいてう』と同じタイプかもしれません。
 久々に、懐かしい大学の講義のようになってきましたねぇ。
 なんだか、熱い血が、騒いできました」



 『へぇ面白そうだ、俺にも聞かせろ」俊彦が冷蔵庫から
あたらしいビール瓶を取り出し、2本3本とテーブルの真ん中へドンと置きます。
先に授業料を払うからと、グラスを片手に勇作へ笑いかけます。
雄作のグラスになみなみと注がれ、響のグラスもビールで満たされました。
その瓶を受け取った響が、俊彦のグラスへビールをそそいでいます。


 「それでは、深夜の女性解放史の講義を記念して、まずは乾杯。
 さて、平塚らいてうは、
 明治19年に東京で生まれいます。
 父は会計検査院に務めており、母は田安家の専門医の娘です。
 この時代においては、きわめて裕福な家庭に生まれました。
 日本女子大に入学しましたが、「良妻賢母」の教えに嫌気が差してきたらいてうは、
 卒業後に、津田塾や英語学校などに通うようになります。
 この時期に、生田長江(いくたちょうこう)が主催している
 閨秀文学会にも顔を出し、ここで与謝野晶子と出会います。
 晶子からは、短歌の書き方などを教授されています。


  青鞜(せいとう)は、1911年(明治44年)9月から
 1916年(大正5年)2月までに、合計52冊が発行された、女性による
 女性のための月刊誌です。
 主に平塚らいてうが担当をして、最後の方だけ伊藤野枝が中心になりました。
 『文学史的にはさほどの役割は果たさなかったが、
 婦人問題を世に印象づけた意義はたいへんに大きい』という評価があります。
 この青鞜(せいとう)のきっかけは、生田長江が作りました。
 生田長江がらいてうに「女性だけの手で文芸誌を発行してみないか?」
 と持ちかけてきたのが、その始まりです。


  当初、らいてうはおおいに悩み、姉の友人である
 保持研子(やすもちよしこ)に、相談を持ちかけます。
 すると研子のほうが大乗り気にとなり、同級生の中野初子らを集めてきて
 この結果、女性だけの手で文芸誌を作ることになりました。
 この時に、多くの費用を出してくれたのが、らいてうの母親です。
 「この子は普通の道は歩きそうにない」と、らいてうの結婚費用として
 貯めておいたお金を、すべて出してくれたそうです。
 準備が整ってからは、大忙しとなります。
 社員の募集や原稿書き、編集などで、めまぐるしい毎日が始まります。



  その文芸誌の名前は「青鞜」ということになりましたが、
 これにも当時らしい逸話が残っています。 
 生田長江が
 「18世紀、ロンドンで文学や芸術論議に花を咲かせていた新しいタイプの女性達は、
 みんな青色の靴下(ブルー・ストッキング)をはいていた。」
 ということで、それにちなんで「青鞜」という名前に決まりました。
 創刊第一号は千部が発行されました。
 その表紙を、高村智恵子(高村光太郎の妻)が書いています。


  そして明治44年。有名な、
 「原始 女性は実に太陽であった 真正の人であった 今、女性は月である。
 他に依って生き 他の光によって輝く 病人のような蒼白い顔の月である」
 という有名な一文から始まる「青鞜」がスタートをしました。
 「女性は今、青白い月と化している。原始、女性は太陽だったのだ。
 女性は主体性を取り戻して、再び輝かねばならないのである」という意味です。
 与謝野晶子は、この青鞜の創刊を知ると、高なる気持ちとともに、
 「山が動く日がくる」と、たからかに宣言をしています。
 その予言は当たり、青鞜は発売した瞬間に売り切れて、
 全国から、多くの激励の手紙が、らいてうのもとへ舞い込んできました。
  やがて、青鞜には多くの女性が集まりはじめます。
 長谷川時雨・岡田八千代・加藤かずこ・国木田治子(国木田独歩の妻)
 森しげ(森鴎外の妻)小金井喜美子(森鴎外の妹)・与謝野晶子などです。
 社員には、後に有名となる尾竹紅吉・伊藤野枝・岡本かの子などもいました。
 そして、この中心でいつも静かに微笑んでいたのが、らいてうです。

 この青鞜は、日本に一大センセーションを巻き起こしました。
「新しい女」が良妻賢母の時代へ躍り出てきたためです。
 しかし、男がすべての中心であった男性社会のこの時代は、痛烈に
 らいてうと「新しい女」たちを、批判しました。
 青鞜の教えは、今までの日本の女性のあり方を覆すものだったからです。
 ある教師は、自分の学生が青鞜の講演会に行ったと知ると
 「おお、哀れな彼女を、悪魔から救いたまえ」とまで言いのけました。
 それほどまでに、この時代の「女性解放」は、
 実に衝撃的な出来後になりました。


 そのらいてうに、年下の彼氏ができます。
 名前は、奥村博史といいます。
 らいてうは博史とは結婚をせずに、共同生活(同棲)をはじめます。
 またしても「新しい女」は、スキャンダラスな話題になりました。
 この後にらいてうは、「青鞜」を後輩の伊藤野枝にまかせ、評論家として
 活躍するようになり、後に、市川房枝とも知り合いになります。
 らいてうは一貫して女性解放のための活動を続け、
 昭和46年に85歳で亡くなるまで、一生を女性運動に捧げます。
 まあ大急ぎで解説をすると、そんな話ですが、時代が変わる前には
 かならず、こういう先進的な人物が歴史上、例外なく、かならず登場をします。
 幕末から明治維新期の坂本竜馬、女性解放の、平塚らいてう。
 東日本大震災の復興のために献身的にがんばる、ジャンヌダルクたち・・・・
 これは、被災地でたくましく頑張っている女性たちへの、私からの総称です。
 日本の原子力行政と原発は、重大な岐路に立っています。
 そのうちのひとつ、福島第一原発は、津波で壊滅的な被害を受けました。

  
  まだ、50数基の原発が、再稼働をめざして待機中です。
 ひとつの原発が被災しただけで、東北3県ならず東日本全体が放射能で
 重大な被害を受けました。
 飛散した放射能の被害は、数十年から半永久的に深刻な影響を残しつづけます。
 最近の大地震予測では、ここ30年以内に未曾有の規模で
 大地震がやってくると相次いで発表をしています。
 予期される大地震の危険性を前にして、無防備の原発をこのまま放置をする訳には
 すでにいかなくなりました。
 だが、現実には、原発抜きの日本の未来図がまだ描けていません。
 人の命に関わる問題なのに、いまだに日本の支配階級は、曖昧な決着を
 つけようとしているのです。
 今こそ、日本の未来が、再び問われる転換点がやってきているのです。
 原発と闘い、立ち向かう、真のジャンヌダルクが登場するといいですね・・・・」



 「原発に立ち向かう、ジャンヌダルク・・・・」


 響がその言葉に反応をして、思わず息をのみました。

(21)へ、つづく



 
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