落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (95)  第六章 天保の大飢饉 ⑫  

2016-11-27 21:09:35 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (95)
 第六章 天保の大飢饉 ⑫  





 「伊三郎のやつ。本当に世良田へ行きますかねぇ?」


 文蔵が心配そうな顔で、忠治を見つめる。


 「軍師は必ず行くと言い切った。俺もそれを信じてぇ。
 だが、まんにひとつ行かなかったら、そのときはまた別の機会を狙うしかねぇ」



 「畜生。あの用心棒さえいなかったら、いつでも片づけられるのになぁ」


 文蔵がふたたび桐屋の入り口を覗き込む。
入り口に人の動きはない。伊三郎の一行は中へ入ったきり、出てくる様子はない。



 「たしかにあいつは腕が立つ。噂じゃ、かなり凶暴な男らしいな」


 「悪賢い伊三郎の用心棒をしているくれぇの、くだらねぇ男だ。
 どうせあいつも、まともな人間じゃあるめぇ」


 
 一刻(いっとき・2時間)余りが経っても、伊三郎一行は出てこない。
(さてと・・・ここから先が勝負だぜ。伊三郎が世良田へ行くか、行かないか。
ここから先の行動が問題だ)
忠治が、文蔵へささやく。
2人は、桐屋が見下ろせる部屋で息をひそめている。
かねてから手配しておいた部屋だ。ここからなら桐屋の動きが丸見えになる。



 「焦ってもしょうがねぇ」一杯やろうと、忠治が置いてあった徳利を持ち上げる。
「勝利の美酒にはちっとばかり早い。だがじっくり待つときには、やっぱりこれが一番だ」
敵が動き出すまで、じっくり待つとするかと、盃を差し出す。



 やがて日が西へ傾いてきた。
いつもなら島村へ向かって歩きはじめる時刻だ。だが今日の伊三郎は動かない。
桐屋へ入ったきりで、いつまで待っても出てこない。
会合がひらかれる世良田村まで、1里あまり。
夕刻から歩きはじめれば半刻すこしで、有力者たちの会合に間に合う。



 (いつもなら今ごろから動く。陽のあるうちに島村へ帰る。
 いまだに動き出さねぇということは、もう、世良田行きが決まったということだ。
 たいしたもんだ。円蔵の読みが、ぴたりと見事に当たったぜ)



 忠治がぐびりと、盃に残った酒を呑み込む。
(もう伊三郎が世良田へ行くのは間違いねぇ。そうと決まれば長居は無用だ)
行くぜと忠治が文蔵を促す。
裏口から出た忠治と文蔵が、刺客たちが待つ熊野神社へ急ぐ。



 「親分。伊三郎のやつは、ホントに来るんですかい?」


 熊野神社に隠れていた6人が顔を出す。


 「安心しな。やつは間違いなく世良田へやって来る。
 いまごろは桐屋で何も知らず、最後のメシを食っている頃だ」


 「じゃ手はずの通り、挟み討ちにする形で、待ち伏せするか・・・」



 富五郎、才市、友五郎、新十郎の4人が、熊野神社の森の中へふたたび隠れていく。
忠治と文蔵、板割の浅太郎の3人は、近くの桑畑へ移動する。
2手に別れた刺客が、伊三郎がやってくるのを息を殺して待ち構える。


 日が暮れると街道から、急に人の姿が消えていく。
目の前には、どこまでも広がる水田と、ところどころに黒く桑畑が横たわる。
見上げると月は出ていない。しかし、無数の星が輝いている。


 地面に伏して待つこと、さらに半刻(1時間)あまり。
街道の向こうに、提灯があらわれた。かすかに、5人の人影が見える。
(来たぞ・・・伊三郎の一行だ。間違いはねぇだろう・・・)
獲物がやってきたぞと忠治が、ごくりと生唾を呑み込む。
 
 
(96)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (94)  第六章 天保の大飢饉 ⑪ 

2016-11-25 17:12:44 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (94)
 第六章 天保の大飢饉 ⑪ 



 
 忠治は文蔵とともに祇園祭の賭場を、割り振られた場末でひらいた。
場所が悪いと文句を言っている場合ではない。
賭場をひらかなければ、不審を感じた伊三郎が警戒をつよめる。


 「伊三郎だって馬鹿じゃねぇ。
 俺たちがどんな風に出てくるか、鵜の目タカの目で監視している。
 髪の毛ひとつでも、疑われちゃならねぇ。
 勝負は7月にひらかれる最初の絹市の晩だ。
 いいな。それまでは何が有っても、絶対に気付かれちゃならねぇぞ」


 くれぐれも気付かれないように用心しろと、軍師の円蔵が子分たちに念を押す。
喧嘩ッ早い文蔵に向い、特におまえは気をつけろと重ねてクギを刺す。



 しかし。軍師の心配はまったく無用だった。
決行の日を知った文蔵は、周囲が呆れるほど、なにごとにも下手に出た。
伊三郎の子分と、境内で顔を合わせる。
ペコペコと頭を下げ、「来年はもっといい場所にお願いします」と頼み込む。
まわりが呆れるほどの低姿勢ぶりだ。

 
 7月最初の絹市の晩と決めたのには、理由が有る。
市が立つ日。伊三郎は必ず、大黒屋と桐屋の賭場へやって来る。
帰りは平塚道から中島へ出て、利根川を船で渡り、島村へ帰っていく。
それがいつもの決まった道順だ。



 だが7月最初の絹市にかぎり、別の用事が発生する。
縄張りのひとつ。世良田村の長楽寺で、年に一度の特別な会合がひらかれる。
世良田の顔役たちが、この席へ顔をそろえる。
年にいちどの会合のあと。男たちは、そろって博打を楽しむ。
伊三郎は、縄張り内での評判を人一倍気にする男だ。
律儀にこの会合へ必ず顔を出す。軍師の円蔵はそう読んだ。


 普段の見回りなら、明るいうちに島村へ帰ってしまう。
しかしこの日にかぎり、世良田村まで足を延ばす。
賭場が開かれるのは日が落ちてから。とうぜん夜道を歩くことになる。
用心深い伊三郎には、珍しいことだ。
この瞬間こそ、待ちに待った襲撃のそのとき。と、円蔵は計画を決めた。



 忠治は伊三郎襲撃の人数を、7人とした。
大人数で動いては、目立ち過ぎる。
三ツ木の文蔵。曲沢の富五郎。山王道の民五郎。八寸の才市。神崎の友五郎。
甲斐の新十郎。板割の浅次郎の七人を選び出した。


 伊三郎の用心棒、永井兵庫という浪人者は腕が立つ。
斬りあいになったのではこちらが不利になる。
飛び道具で、さきに傷を負わせる作戦にでた。
そのためにまず、鉄砲名人の才市と、弓名人の新十郎を襲撃の仲間に入れた。


 飛び道具がしくじった場合も考えた。
富五郎は真庭念流の使い手で、永井兵庫と五分にわたりあえる。
民五郎は居合抜きの名手。
さらに友五郎は神道流の達人で、板割の浅次郎は槍を使う。
連れて行ってくれと願い出る子分が多かった。
しかし、伊三郎を殺したあと、島村一家が反撃してくることも考えなければならない。



 「おめえたちは万一に備えて、留守を守ってくれ」



 子分たちに言い残し、忠治と7人の刺客が百々村を出て、境の宿へ入る。
前もって用意していた隠れ家へひそむ。
伊三郎が見回りのために、大黒屋へあらわれた。
いつもの刻限だ。昼をすこし過ぎたばかりのいつも通りのいつもの時間。
供回りの顏ぶれも、いつもと変わらない。
用心棒の永井兵庫。子分の新次郎。荷物持ちの三下奴が2人の、いつもの顔ぶれ。
用心している様子は、まったくない。


 伊三郎の一行が大黒屋へ入る。
大黒屋で半時(はんとき)ほど過ごしてから、いつものように桐屋へ移っていく。
ここまでも、まったくいつもと同じ行動だ。



 「よし。いつも通りの伊三郎の一行だ。
 まんにひとつも、俺たちの動きに気が付いていないようだ。
 じゃ、おめえたちは2人づつ組んで、世良田へ急げ。
 ただし。目立つんじゃねぇぞ。
 間を置いて、きづかれないように移動するんだ。
 ひそむのは、長楽寺の手前にある熊野神社。
 くれぐれも気を付けて行け」


 2人ずつ、時間を置いて忠治が、隠れ家から刺客を送り出す。

(95)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (93)   第六章 天保の大飢饉 ⑩

2016-11-24 17:09:56 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (93)
  第六章 天保の大飢饉 ⑩




 「まずは伊三郎が、今年、どうして俺たちの賭場を隅っこにしたのか、
 そいつを考えなくちゃいけねぇな」


 黙ったままやりとりを聞いていた忠治が、目を開ける。
「そんなのは決まってらぁ。賭場割りで難癖をつけてから、境の宿へ彦六を送り込み、
俺たちのシマを乗っ取ろうと考えているからでぇ!」
文蔵が顔を冷やしていた手ぬぐいを投げ捨てる。そのまま忠治の前へ身体を乗り出す。


 「慌てるな文蔵。おめえの気持ちはよくわかる。
 たしかに、その通りかもしれねぇ。
 だが伊三郎のやつは、おめえたちが彦六に仕返しするのを、待ち構えている。
 彦六を餌に、おめえたちが騒ぎ始めるのを待っているんだ。
 そうなったら、まとめて取っ捕まえる魂胆だ」



 「彦六のやつなんざ後回しだ。
 伊三郎の奴をさきに殺(や)っちまえば、俺たちが捕まることはねぇ!」


 
 「まぁ待て、文蔵。おめえの気持ちは分かるが、無茶はいけねぇ。
 いま伊三郎を殺ったとしても、島村一家がどうなるかを考えなくちゃいけねぇ。
 島村一家が潰れるのなら伊三郎を殺したほうがいい。
 しかし伊三郎がいなくなっても、島村一家が健在のままだったら、
 こんどは、俺たちのほうが潰されることになる」


 「親分!。そんな事は、やってみなきゃわかんねぇだろう!」


 「だからおめえはしくじるんだ。いいか、よく考えろ文蔵」
2人のやり取りを聞いていた軍師の円蔵が、「まぁ落ち着け」と口を挟む。



 「わかんねぇじゃ済まねぇんだぜ、文蔵。
 おめえは頭にくると簡単に伊三郎を殺すと言って騒ぐが、相手は十手持ちだ。
 十手持ちを殺して、ただで済むと思ってんのか。
 必ず手配書が回る。
 手配された連中はしばらく帰って来られねぇ。
 その間に留守を守っている者が殺されたら、おめえたちは帰る場所がなくなる。
 そのあたりのことをよく考えてから、行動に移さなきゃいけねぇ」


 「軍師のいうことは、よく分かる。
 だがよ・・・このまま黙って引き下がったら、国定一家が笑いものにされちまう」


 文蔵が眉間にしわを寄せる。握り締めたこぶしが、ぶるぶる震えている。



 「文蔵が半殺しの目に遭ったのは、賭場の準備に来たほかの連中にも見られている。
 子分たちは帰ってから、事の成り行きをてめえの親分に知らせたはずだ。
 そうなるとこの俺がどう出るか、期待して見ているのにちげえねぇ。
 子分がこんな目に遭わされたというのに、何もしなかったら、俺が笑われちまう。
 意気地なしだと、きっと、世間から笑われる」


 忠治が再び、目を閉じる。


 「たしかにそれは言える・・・だが、彦六の奴がどうも臭え。
 ひょっとしたら先走った彦六が、伊三郎に内緒で場所割りを変えたかもしれねぇぞ。
 そうなってくるとまた、話は別になる」



 「円蔵。そんなことはどうでもいい。
 真相をはっきりさせて彦六を殺したって、伊三郎が生きてる限り国定一家はつぶされちまう。
 こうなったらもう、伊三郎を殺すよりほかに俺たちの助かる道はねぇ!」



 「そうだな。いまがやるべき時かもしれねぇな。
 大前田の英五郎親分も、久宮の親分を殺ったことで男をあげて、名前を売った。
 俺もいつかは、島村の伊三郎をやらなきゃならねぇ。
 たしかにいまが、その時だ。
 よし。よくわかった。伊三郎を殺るってことで腹を決めようじゃねぇか。
 軍師。さっそく作戦をたててくれ」


 
(94)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (92)  第六章 天保の大飢饉 ⑨

2016-11-21 17:17:51 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (92)
 第六章 天保の大飢饉 ⑨




 気が付くと腫れあがった顔の民五郎が、泣きながら文蔵の肩をゆすっていた。
セミの鳴き声が、やかましいほど頭に響く。
ようやく目を覚ました文蔵が、ぐるりと周りを見回す。


 「あいててて・・・おい、みんな、大丈夫か?」



 返事の声はない。みんな傷だらけだが、どうやら辛うじて生きている。
文蔵が口の中から血の塊を吐き出す。
「畜生め。このままにしておかねぇぞ。もう我慢できねぇ」
文蔵が、祇園の森を睨み上げる。



 「忠治が何と言おうが、俺は伊三郎のやろうをたたっ斬ってやる。
 彦六の野郎も絶対に許せねぇ。
 みんなまとめて、地獄送りにしてやる。
 おい・・・いつまでも此処に居てもしょうがねぇ。けえるぞ」



 ふらりと立ち上がった文蔵が、右足を引きずりながら歩きだす。
ぼろ雑巾のような一行が、ようやくの思いで百々村へ帰りつく。
迎えに出た円蔵が、一行を見て驚きの声をあげる。


 「軍師。見た通りの有様だ。わるいが今度ばかりは止めても無駄だ。
 ここまでされて、黙っていられるか。
 おめえが止めても今度こそ、伊三郎の首を取ってやる」


 「たしかにここまでされちゃ、もう黙っていられねぇ。
 だが、可笑しいな。どうにも腑に落ちねぇ」


 「何が腑に落ちねえんでェ?」



 「伊三郎が、勝手に賭場割りを変えたことだ。
 伊三郎といえば、親分衆の顔色を一番気にしている男だ。
 去年。一番人気だった国定一家の賭場を、わざわざ境内の外れに置くなんて、
 どうにも考えられねぇことだ。
 去年。伊三郎は、器のでっかい親分だと褒められた。
 それなのに、急にそんな場所割りをしたら、去年の評判がガタ落ちになる。
 人一倍世間の噂を気にしている男が、そんな真似をすると思うか?」


 「疑う余地があるもんか。
 いちの子分の彦六が、はっきり、そう言ってたぜ!」



 「彦六と言えば伊三郎が可愛がっている、ふところ刀だ。
 17のとき。伊三郎の子分になって以来、ずっと伊三郎のそばを守って来た男だ。
 伊三郎の跡目を継ぐのはこの男だ、と言われている。
 だが伊三郎の言動に忠実すぎて、代貸たちからの評判はよくねぇ。
 人気があるのは林蔵という男だ。
 この男が最初に、伊三郎一家の代貸をつとめている」


 「軍師。いってぇ何がいいてんでぇ!」




 「伊三郎の奴が、彦六をそそのかしたかもしれねぇ。
 境のシマを取るために、忠治一家が邪魔になる。
 跡目争いでは、人望の有る林蔵の方が、いまのところ人気を集めている。
 ここらあたりで男をあげて、境のシマを分捕ってみろ、
 と、伊三郎が彦六をけしかけた」


 「じゃ伊三郎の奴。彦六を餌にして、俺たちをおびきだそうというのか!」



 「そうさ。うまくいけば、そっくり境のシマが手に入る。
 まんいちしくじっても、彦六が暴走したと言えばそれまでだ。
 跡目なら人気のある林蔵が継いだ方が、島村一家がしっくり収まる。
 そこらあたりまで計算して、伊三郎の奴が、勝負に出てきたのかもしれねぇな。
 たしかに今が潮時かもしれねぇァ。どうしゃす、親分」


 円蔵がじっと腕組したまま、瞑想している忠治を振りかえる。

 
(93)へつづく

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忠治が愛した4人の女 (91)   第六章 天保の大飢饉 ⑧  

2016-11-20 17:00:11 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (91)
  第六章 天保の大飢饉 ⑧ 


 

 天保6年(一八三五)6月。
子分を引き連れて世良田村へ出かけて行った文蔵が、騒ぎをおこした。
騒動をおこしに行ったわけでは無い。去年につづき、祇園祭の賭場をひらくためだ。
忠治にしてみれば、予想外といえる展開だ。


 昨年の祇園祭り以来。弥七をとりこむため、忠治は積極的に動いた。
おりんを貸し出すことも有った。
祭りの前。前回と同じく、10両の袖の下を用意した。
挨拶もかねて自ら出向いて行った。袖の下を弥七に渡した。
そうした経過もあるだけに、忠治は「万事うまくいくだろう」と安心しきっていた。
そんな経緯もあり、今年のことはすべて文蔵にまかせていた。


 文蔵は民五郎と2人の三下を連れ、意気揚々と、世良田村へ乗り込んだ。
去年と同じ場所に、賭場を出すつもりで出かけて行った。
しかし。そこにはすでに伊三郎の代貸・前島の修二の賭場が出来上がっていた。
すかさず文蔵が文句をつけた。しかし、盆割りは毎年変わるものだと笑われた。
通りかかった弥七の子分を、文蔵がつかまえる。



 「おい。今年の国定一家の賭場はどこでぇ!」


 案内されたのは境内のはずれ。
見るからに淋しい場所だ。とても人が集まって来るような場所ではない。
「おい、おめえ。国定一家をおちょくってんのか?。なんでぇいってえ、この場所は。
こんな外れた場所に人が集まって来ると思ってんのか。なめんなよ!」



 「そんな風に言われても・・・おいらは何も聞いてねぇ。
 ただこの図面通りに、やっているだけのことで・・・」



 「しょうがねぇなぁ。おめえじゃ話にならねぇ。
 親分の弥七のところへ連れていけ。直接会って話をつけようじゃねぇか」



 弥七は社務所に居た。文蔵が文句を言うと、素直に「すまねぇ」と謝った。
弥七は去年と同じ場所を指定した。
しかし。その後に顔を出した伊三郎が、勝手に場所を変えたという。
親分の指図には逆らうことはできねぇ。
悪いが今年は我慢してくれと、弥七が文蔵に向かってひたすら頭をさげる。


 「祇園の盆割りは、いつも俺に任されている。
 伊三郎親分は、俺の決めた盆割りに目を通すだけだ。
 去年はいいと言っていた。
 だが、どういうわけか、今年は全部、親分が配置を変えちまった。
 俺にはわけがわからねぇ。そういうわけだ。
 この埋め合わせはあとでしっかりさせてもらうから、今回は我慢してくれ」



 「我慢してくれだと。よく言うぜ。
 あんな場所で賭場を開いて、客が集まって来るとでも思ってんのか!
 さてはうちの親分を、万座の中で笑いものにするつもりだな。
 そっちがその気ならこっちも、それなりの覚悟を決めるぜ!」



 文蔵が弥七に激しく詰め寄る。
その瞬間。思い切り背後から、文蔵の背中を蹴飛ばした奴がいる。
伊三郎から大黒屋の賭場をまかされている、小島の彦六という代貸だ。
この男。文蔵以上に喧嘩早いことで知られている。
ガキの頃から暴れ者だ。
腕っぷしの強さが見込まれて、早い時期から伊三郎の側近のひとりになった。


 「なんだこの野郎。
 伊三郎親分が決めた盆割りに、文句があるってか。
 上等だ。文句が有るなら、俺がとことん聞いてやろうじゃねぇか。
 もっともおめさんのその口が、最後まで動いたらの話だがな。
 伊三郎一家に逆らうと、こうなるんだ。
 おい、おまえら。かまうことねぇから、こいつをとことん痛めつけてやれ!」



 彦六の命令とともに、おおぜいの子分が文蔵に襲いかかる。
四方八方から、男たちの手が飛んでくる。
抵抗も敵わず、滅多打ちにされる中。
「彦さん。頼むよ。話せばわかることだ。頼むから乱暴はやめてくれ!」
と叫ぶ弥七の声を聴きながら、やがて文蔵が、意識を失っていく・・・


(92)へつづく

おとなの「上毛かるた」更新中