落合順平 作品集

現代小説の部屋。

オヤジ達の白球(8)没収試合

2017-04-28 19:06:21 | 現代小説
オヤジ達の白球(8)没収試合



 
 「どれ」カウンターの一番奥から北海の熊が立ち上がる。
熱燗徳利を片手に、つかつかと岡崎と坂上のテーブルへ歩み寄る。
北海の熊は土木の現場で重機をあやつっている。
一般になじみのある建設機械といえば、油圧ショベル(ショベルカー)や
ラフテレーンクレーン(クレーン車)などがあげられる。


 熊が動いたことで、店内の飲んべェ達も動き始めた。
やがてすべての男たちが、岡崎と坂上の周りに集まった。


 不定期にふらりとあらわれ、カウンターで一時間ほど呑んで帰っていく
謎の美女の正体は、ここに集まる飲んべェたち全員の最大の関心事だ。
その正体が判明したとなるとただ事ではない。


 「いいだろう。
 それが確かなら、今夜のお前さんの飲み代は、俺が全部払ってもいい。
 だが、いつものようにガセネタや、嘘だったら勘弁しないぞ。
 北海の熊が言うように、お前さんは信用できねぇ。
 頓珍漢な情報ばかり拾ってくる。
 どうせ今回も眉唾(まゆつば)だろうが、たまにはまぐれで当たることもある。
 聞かせろ。全員がもう固唾を飲んで、お前の周りに集まってきた」
 

 常連客を代表して、消防士上がりの寅吉が坂上に詰め寄る。
寅吉は20年ちかく東京消防庁で勤務してきた。
災害時に威力を発揮する特別レスキューの隊員として、最前線で活動してきた。
実績を積み重ね、人望も篤く、さてこれからというとき父親が倒れた。
家は代々つづくネギ農家。
家業を継ぐため昨年の冬、消防庁を勇退して故郷へ戻って来た。


 ここまで書けば寅吉は、なかなかの男のように思える。
だが実態は大いに違う。仕事に関しては生真面目だ。
どんなときでも先頭をきって出動し、身体を張り、職務をまっとうする。
だが私生活がとにかくだらしない。
女からの誘惑に弱い。まったくもって弱すぎる。
酒をしこたま飲んでは、男ならだれでもよい好色な女の餌食になって来た。


 そんな生き方が、ついに災いした。
長年連れ添った女房と3人の娘は、東京に残ったまま。
協議離婚の話が進行中で、単身というさびしいかたちの帰郷になった。
全員の顔を見上げ、坂上が自信たっぷり、ニヤリと笑う。

 
 「へへへ。聞いて驚くな。お前さんたち。
 今朝のことだ。
 俺は町内親睦のソフトボール大会の、グランド整備に駆り出された」


 「毎年おこなわれている親睦ソフトボール大会のことだろう。
 それがいったいどうした。
 最近は集まりが悪すぎるので、誰彼かまわず強引に駆り出されているそうだ。
 しかしお前さんは、運動とはまったく無縁のはずだ。
 ソフトボールもろくに出来ないくせに、よく声がかかったなぁ・・・・
 よほど人材が不足しているんだな、お前さんの地区は」
  


 「うるせぃ、ほっとけ。
 こうみえても俺は、中学生のときは野球部だ。
 万年補欠で、外野の草むしりと、グランドの石拾いが専門だったけどな。
 その気になればいまでも身体が覚えているのさ。
 グランド整備に関してはな」


 「おめえのグランド整備の話が聞きてぇわけじゃねぇ。
 女の正体はどうした?。
 おめえのグランド整備と、いったいどんな関係が有るんだ?」


 「あわてるな。俺の話を最後まで聞け。
 今年はよ、公式の審判員たちが呼ばれていた。
 去年の試合でチームぐるみの不正があり、乱闘騒ぎになったことがあるだろう。
 その対策として今年は、公認の審判員たちを呼んだそうだ」


 
 「あっ・・・例の乱闘騒ぎか!。
 あった、あった。そいつは、おめえのチームじゃねぇか、北海の熊。
 球審と審判を脅迫して、自分のチームに有利に進行させたのは。
 審判を味方につければ試合はこっちのものだ。
 自分のチームの投手が投げる球は、どんな球でもストライクになる。
 きわどい走塁も全部セーフになる。
 一塁手が落球したのに『アウト』と言われたときには、さすがに
 相手側のベンチも、ブチ切れた。
 双方のチームが入り乱れて、大乱闘がはじまった。
 結局あのときの試合は、没収試合になっちまったはずだ」

 
 「たしかにあった、そんな事が。だがよ、そいつは去年の話だ。
 それがいったいどうしたというんだ。
 もう、とっくの昔に過ぎた、どうってことのない出来事だ」


 北海の熊がくちびるをゆがめて、ぐびりと日本酒を呑み込む。

 (9)へつづく



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オヤジ達の白球(7)朗報

2017-04-27 18:14:34 | 現代小説
オヤジ達の白球(7)朗報




 「朗報だ。しかもとっておきのビッグニュースだぞ!」


 腰痛で寝込んでから8日後。祐介がひさしぶりに店を開ける。
開店してまもなく。常連客のひとりがドタバタと、息を切らせて駈け込んで来た。

 「なんだ、騒がしいなぁ。
 近所で三毛猫のオスでも生まれたか?。
 それとも、とうとうカミさんに愛想つかされて、夜逃げされたか。
 どっちにしろおまえさんのビッグニュースには、眉唾物がおおいからな」


 カウンターに陣取っていた常連客が、冷ややかな視線を男に浴びせる。
「馬鹿やろう。いつもといっしょにするんじゃねぇ。まずは黙って俺の話を聞け。
あ、そのまえに大将。水を一杯くれ。駆けてきたもんでのどがカラカラだ」

 
 駈け込んで来たのは、トラック運転手の坂上太一郎。40歳。
スポーツは大の苦手。肥満体で、走るのをもっとも苦手としている。
その坂上が、駆けてきたというからただ事ではなさそうだ。


 「聞いて驚くな。お前さんたちの期待をついに解明したぞ。
 例の謎の美人の正体が、判明した。
 どうだ。俺もやるときはやる男だということが、これで証明できただろう!」


 「へっ・・・女の正体が判明した?。
 よく言うぜ。どうせまた、いつものガセネタじゃねぇのか?」


 「一番女に縁のねぇ男が、例の謎の女の正体を解明したってか?
 ホントかよ。信じられねぇなぁ・・・」



 「なんだお前ら。疑っていやがるな。
 本当だとも。俺のこの目がしっかり、たしかに見届けてきた!。
 正真正銘のビッグニュースだぜ、今回ばかりは、な」

 
 「それが本当ならたしかにそいつはビッグ・ニュースだ。
 何やってんだ、おまえ。
 そんなところで水なんか飲んでないで、こっちへ来て詳しい話をきかせろ。
 大将も気がきかねぇなぁ。
 飲んべェに水なんか飲ませてどうすんだ。
 のどが乾いたときは、ビールと相場が決まっているだろう。
 大将。俺から一杯、ビールを出してやってくれ」


 男が奥のテーブルから、坂上を手招きする。
呼んだのは岡崎真也。こちらも40歳。坂上と同級生の間柄。
岡崎は、自動車部品のゴムを加工している。
ゴムが放つ独特の匂いと機械から発生する高温のため、若い世代から
もっとも敬遠されている職業のひとつだ。


 ドンとテーブルに置かれた生ビールを指さし、「遠慮なくやってくれ」と
岡崎がニタリと笑う。
この男も、ふらりとあらわれる例の謎の美人に熱をあげている。
坂上が「じゃ遠慮なく」と毛むくじゃらの右手を伸ばす。
その手を岡崎がかるく制止する。


 「おっとっと。
 念のために聞いておくが、ホントに例の女の正体が判明したんだろうな。
 お前には昔からそそっかしいところが有る。どうにも油断がならねぇ。
 間違いのねぇ情報なんだろうな、今回ばかりは?」


 岡崎の鋭い視線が、じろりと坂上の汗ばんだ顔を見上げる。


 「間違いなんかあるもんか。この目でしっかり見届けてきたんだ。
 なんだよ、同級生のおめえまで疑ってんのかよ、この俺のことを」


 「疑ってるわけじゃねぇが、おめえは信用できねぇ。
 だがその眼でたしかめたというのなら、どうやら今度はほんもののようだ。
 どうだ。もう一杯ビールを飲むか。何杯でもおごってやるぜ。
 おめえの話が、本物だと言うのなら」



 岡崎に呼応するように、男たちが奥のテーブルへ集まって来る。
「俺もおごってやるぜ。その話が本当なら」坂上の耳元へ、男のひとりがつぶやく。
飲んべェたちが、ぐるりと坂上と岡崎を取り囲む。


 「俺も乗ってもいいぞ、その話に。
 坂上は嘘はつかねぇ男だが、ほんとのことも言わねぇ男だ。
 世間じゃ千に3つホントのことを言えば、千3つと呼ぶが、そいつの場合、
 出まかせばかりの万空ばかりを言う男だ。

 その話が事実ならお前さんのビール代を一ヶ月分、俺が払ってやってもいいぞ」

 カウンターから人相の悪い男が声をかける。
「北海のひげ熊」と呼ばれている男だ。しかし喧嘩早いことから周りからは
「北海のがらっぱち」と呼ばれている。


 (8)へつづく

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オヤジ達の白球(6)タンポポ 

2017-04-26 17:57:21 | 現代小説
オヤジ達の白球(6)タンポポ 


 
 それから一週間。腰に全神経をあつめた祐介が、自宅から出る。
復帰トレーニングを兼ねた、朝の散歩だ。
数歩あるいたところで、あまりにも力の入らない自分の足に気が付く。

 
 (なんだよ。一週間寝込んだだけで老人並みに萎えてるのか、俺の足は。
 人の身体なんて軟弱なもんだ。
 道理で朝早くからおおくの人が、せっせと散歩しているわけだ・・・)


 5分も歩くと、堤防に出る。
流れているのは、足尾銅山の鉱毒で有名になった渡良瀬川。
渡良瀬川は、利根川最大の支流にあたる。
このあたりで、100mほどの川幅にひろがる。しかし、まだ瀬に中州は見当たらない。
5キロほどくだった市街地のあたりから、中州があらわれる。


 急流で知られるこの川は、大きな台風が来るたび、被害を生んだ。
昭和の時代。5度にわたり堤防が決壊している。
とりわけ1947年にやってきたカスリーン台風は、関東平野で1000名あまりの死者を出した。
そのうち。桐生市で146人、隣接する足利市で319人の死者行方不明者が出た。
渡良瀬川は、関東最大の被害地になった。


 そんな昔をすっかり忘れたように、いまは土手一面にタンポポが咲いている。
タンポポは何年でも生きつづける「多年草」。
邪魔するものがないかぎり、一本の根をどこまでも地中へ伸ばす。
通常で50㌢。なかには1㍍をこえるというから驚きだ。



 タンポポの花言葉は4つ。
「愛の神託」「神託」「真心の愛」「別離」の4つ。
そのうちの別離は、怠け者の南風と少女の話に由来している。


 黄色い髪をした美しい少女に、南風が一目惚れした。
もともと惚れやすい南風は、黄色い髪の少女に夢中になった。
毎日少女を見つめつづけたが、いつのまにか少女は白髪の老女に変ってしまった。
悲しみのあまり南風が、ふっと大きな溜息をついた・・・
その瞬間。ため息に飛ばされて、白髪の老女にかわったたんぽぽが大空へ
次から次へ舞い上がっていく。



 「花として咲くのは、せいぜい7日から10日。
 花粉を落とし、いったんしぼんでから、1ヶ月ほどで真っ白の綿毛にかわる。
 飛び始める季節は4月から6月の下旬。
 そうか。もう、タンポポが飛びはじめる季節になったんだ・・・」


 いっせいに綿毛にかわるわけではない。
元気に咲き誇るたんぽぽの中。ところどころに早い綿毛が目立つ。


 「南風が溜息さえつかなければ、たんぽぽは飛ばなかったのか。
 この世に生きて、たった一ヶ月で風に飛ばされて、あてのない旅に出るとは、
 苦労な生き方をしているんだねぇ、おまえさんたちも」



 背後から女の声が聞こえてきた。祐介があわててうしろを振り返る。
ジャージ姿の陽子が、そこに立っている。


 「なんだよ。誰かと思えば陽子じゃねぇか。いきなり登場するな。
 居るなら居るで、声をかけてくれたらいいだろう。
 突然すぎてびっくりしたぜ」


 「あたしだってびっくりしたわ。
 知り合いの男がタンポポにむかって、ぶつぶつ独り言を言っているんだもの。
 ついにボケがきたかと、心配したわ」


 「ぼけたわけじゃねぇ。
 久しぶりの散歩で、快活になってきた。
 うかれついでにこれから旅に出るタンポポに、語りかけていただけだ」


 「ふぅ~ん。あんたの好みは白髪の老女か。なるほどね」


 (どうりで私のことなんか、振りむかないはずだ・・・)
ふん、趣味のわるい男だ、と陽子が鼻を鳴らす。
(何か言ったか?)陽子を見上げる祐介のあしもとで、何かがうごめいた。
つぎの瞬間。足首にがぶりと子犬が噛みついてきた。


 「あっ・・・何をするんだ、いきなり・・・こいつはお前の犬か、陽子!」



 「こら!。やめなさい。ゆうすけ。
 この人は危険な人じゃないの。病み上がりの白髪が好きなわたしの同級生です。
 大丈夫だから、その口を離しなさい」


 「ゆうすけ?。こいつの名前は、ゆうすけというのか!」


 「あんたは漢字の祐介。この子はひらがなのゆうすけ。
 別に何の問題もないでしょ」


 「じゃ・・・家で待っている最愛のパートナーというのは、こいつのことか!」


 「そうよ。この子のことよ。
 あんたと違ってこの子は、わたしの言うことなら何でも聞くわ。
 こら。敵じゃないんだから、いいかげんその口を離しなさい、ゆうすけ。
 噛まれている祐介が可哀想じゃないの。うっふっふ」


(7)へつづく

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オヤジ達の白球(5)男のやきもち

2017-04-24 18:04:49 | 現代小説
オヤジ達の白球(5)男のやきもち



 陽子が煙草を取り出す。
赤い唇から、ぽかりと煙がたちのぼる。
「吸う?」陽子の問いかけに、祐介がこくりとうなずく。


 「はい」吸いかけの煙草を、祐介の唇へ差し込む。
フィルターに陽子の紅がついている。


 「・・・男なんか、うんざりだ。
 だいいち。あたしの周りには、ろくな男が居ないもの。
 気ままで身勝手で、嘘ばっかりつくんだ。男どもときたら・・・」


 「男でずいぶん、酷い目に遭ってきたような口ぶりだな?」


 「最初は、甘い言葉でちゃほやする。
 そのくせに釣り上げた瞬間から、浮気は男の甲斐性だなんてほざいて、
 好き勝手なことをはじめる。極道たちの世界はなおさらだ。
 義理がどうの、恩がどうのと、体面ばかりを気にしてる。
 それだけ見れば、人の道義にたっぷり神経をつかっているように見える」

 「任侠といえば、義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たい男の世界・・・だろう。
 なんだよ。裏側というか、実態は違うのか?」


 「表向きだけさ。義理だ恩だときれいごとを言っているのは。
 いつだって相手のスキを見つけて、陥れて、出し抜くために明け暮れている。
 どうしょうもない世界だよ。いまどきの任侠の世界なんて」


 「そういえば、総長の愛人になったという噂を聞いたことがある。
 ホントだったんだ。おまえが総長の愛人になったという噂は?」


 「昔のことさ。でもさ、ひどい話さ。
 総長がガンで倒れた。
 でも本妻は、涼しい顔を決め込んで見舞いにも来ない。
 組の若い者にいいつけて、着替えを病院へ届けてくるだけだ。
 ぜんぶの世話を、あたしに押し付けてきた。
 結局。亡くなるまでのまる4年、あたしは、総長の看病に明け暮れた。
 なんだったんだろうねぇ、看病に明け暮れたわたしのあの4年間は・・・・
 ・・・・あら、いやだ。
 余計なことを、無関係のあんたに、なんでペラペラ喋っているんだろう。
 あたしの秘密が、ぜんぶ丸裸になりそうだ」


 「へへへ、当たり前だ。
 居酒屋ってのは、客の話を聞くのが本業だ。
 酒の味は何処で呑もうが、ぜんぶ同じだ。
 味が違うのは話を聞いてくれる相手が、自分の目の前に居るからだ。
 人は、おしゃべりをしたがる生き物だ。
 酔えば誰でも、本心が出る。
 心の底から愚痴をこぼしたい時もある。ストレスもたまっている。
 だが、安心して吐き出す場所がない。
 みんな不満や愚痴を我慢しながら、その日その日を生きているんだ。
 居酒屋は庶民が、鬱憤を吐き出すたまり場だ。
 俺はみんなの愚痴を聞くことに、特化している」


 「これ以上、その手には乗らないよ。
 また来るからね。
 あんたの世話ばかりじゃなくて、うちにはもうひとり男が居る。
 そろそろ帰ってそいつの面倒を見てあげないと、あとが厄介なことになるからね」


 「なんでぇ。居るんじゃねぇか、いい相手が」


 「そうさ。首を長くして、あたしの帰りを待っている。
 そいつは、あたしの言う事ならなんでも聞くし、夜は添い寝もしてくれる。
 最高の相手さ。あたしもあの男には、デレデレさ」

 「相手がいるんじゃ仕方ねぇ。
 長い時間、引き留めて悪かったな。さっさと帰れ。
 ありがとうよ。御馳走さん」


 「あら。あたしに男がいると分かった瞬間。
 手のひらを返すなんて、あんたもそうとう薄情な男だねぇ」


 「ひとの恋路を邪魔すると、馬に蹴られて死んじまうからな。
 やっぱりおれとおめえは縁がなかったんだ。
 とっとと帰って、添い寝してくれる男と仲良くするがいい。
 おいらは冷たい布団で、膝を抱えて寝ることにする」


 「なんだぁ・・・妬いてんだ、大の男が。
 そうよ。家に帰れば、最高のパートナーが待っているんだ、あたしには。
 そういうことですから、あたしゃもう帰ります。
 無理しちゃだめだよ。いつまでたっても、腰が治らないからね」


 カチャリと玄関の鍵の開く音がして、陽子の匂いが消えていく。
(苦いな、このタバコは・・・)
最後の煙を吐き出した祐介が、枕元の灰皿へポンと煙草を投げ捨てる。

(6)へつづく



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オヤジ達の白球(4)膝枕と腐れ縁

2017-04-22 19:15:43 | 現代小説
オヤジ達の白球(4)膝枕と腐れ縁


 
 祐介が、そろりそろりと後ずさりしていく。
しかし。時間をかけて布団まで戻ったところで、動きをピタリと止める。
そのまま固まってしまった祐介を、陽子が心配そうな顔でのぞき込む。


 「どうしたの。
 痛みがまた、ひどくなったのかい?」


 「そうじゃねぇ。
 食べさせてもらう態勢について、いろいろ考えた。
 横向きがいいか、あおむけがいいのかいろいろ考えたが、
 どれもピンと来ない。イマイチだ」


 「ふぅ~ん。どんな態勢ならいいのさ。あなたが満足するためには?」


 「・・・君の膝枕」


 陽子はきっと拒絶する。
絶対に断って来るだろうと、祐介は最初からあきらめていた。
だが意外な答えが返って来た。

 「膝枕ねぇ・・・悪くないわね。いいわ、膝枕くらいなら。
 お安い御用です」

 陽子がそろりと腰をおろす。
祐介の顔の下へ、ゆっくり足を滑り込ませる。


 「ほら。顔を乗せて。ゆっくり動いてよ。
 あわてて動くと腰に痛みが走って、また、ひどいことになるからね」

 「最高だな、おまえの膝は。
 お礼に君へ最大限の感謝をこめてキスなんか、贈りたいな」

 「いらないわ。半病人のキスなんか。
 でも保留にしておくわ。
 あんたが回復して、もっと元気になったとき、もらうかもしれません。
 うふっ」


 「えっ!・・・」


 「真顔にならないで。冗談に決まっているでしょ。
 敵に塩を食わせにやって来た女の言うことを、いちいち真に受けないで。
 熱いからね。やけどしないで頂戴」

 陽子の膝は心地がいい。
すらりと伸びた指が、食べごろのおかゆを祐介の口元へ運んでくる。
悪女のわりに、陽子の料理は旨い。


 おかゆはお米から炊くのが基本。
ご飯で炊いたものは「入れがゆ」と言う。白米から炊くものが「炊きがゆ」。
弱火で時間をかけて炊き上げると、米の旨みがそのままおかゆになる。

 久しぶりの食事を済ませ、胃袋が満たされた祐介が布団の上で腰を伸ばす。
腰を伸ばすこと自体が、久しぶりだ。
凝り固まっていた腰周辺の筋肉が、ごりごりと音を立てて動いていく。


  「大丈夫、祐介?。
 いきなりそんな態勢をとって。痛みが再発してもしらないよ」


 お茶を飲んでいる陽子が、祐介へ牽制球を投げる。


 「大丈夫さ。君のおかげだ。
 飯を食ったらがぜん、元気がみなぎってきた。
 まる3日間。食うものも食わず、喉が渇くと水だけ呑んで我慢してきた。
 食いたいのは山々だが、飯を食うとトイレへ行くのが大変だ。
 持つべきものはやはり、君のように優しい、幼馴染みだな」
 
 「惚れた弱みだもの、仕方がないじゃないか。
 あんたとわたしは、どこまで行っても交わらない2本のレールみたいなものだ。
 あれから30年。世間ではこういうのを、腐れ縁と言うんだろうな」


 「腐れ縁?」

 「あっ。気にしないでおくれ。いまのは言葉の綾さ。
 さらっと聞き流しておくれ。
 純情可憐で何も知らなかった、あの頃の初心(うぶ)な私が、懐かしいねぇ。
 あの頃のわたしは、いったいどこへ消えちゃたんだろう・・・」

 「昔のままとは言わないが、いまでも充分に綺麗だぜ、お前さんは。
 50歳になったばかりだ。
 それだけの美貌があれば、そのへんに転がっている男のひとりやふたり、
 簡単に手玉にとれるだろう」


(5)へつづく

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