落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (39)       第三章 ふたたびの旅 ⑦

2016-08-30 10:11:12 | 現代小説
忠治が愛した4人の女 (39)
      第三章 ふたたびの旅 ⑦





 境宿の西はずれに、『伊勢屋』という煮売茶屋がある。
煮魚や煮豆、煮染など、すぐ食べられるように調理した惣菜を販売する店のことで、
「菜屋(さいや)」と呼ばれることもある。


 夕食のおかずとして煮売屋の惣菜を求めることが多かった反面、夜間の煮売りは
火災を起こす危険性もある。
そのため江戸では防火のため、煮売屋の夜間営業を禁じる命令が度々出ている。



 「市が立つ日、ここの2階で賭場を開帳します」と久次郎が、煮売茶屋の2階を指さす。
「ほう・・・」忠治が、風に揺れている伊勢屋の暖簾へ目をこらす。



 「此処、上町(かみちょう)の伊勢屋。中町の佐野屋。下町(しもちょう)の大黒屋。
 この三ケ所で賭場を開くんでさぁ。
 そのなかでここの伊勢屋が、なぜかいちばん繁盛します。
 ちかくに本陣があるせいでしょうかねぇ」


 
 本陣を過ぎると街道の両脇が賑やかになってくる。
居酒屋、煙草(たばこ)屋、菓子屋、荒物屋、酒屋、太物(ふともの)屋、
質屋などの商い屋が並ぶ。
宿場の中央に、高札場(こうさつば)が有り、市場の神様を祀(まつ)っている石宮が見える。
さらにその先にも、商い屋がずらりと並んでいる。
大間々へ向かう道の角に、『桐屋(きりや)』という料理屋が建っている。


 
 「市がたたねぇ日は、ここの2階で賭場を開きます。
 今日も馬見塚(まみづか)の左太郎さんが、ここで賭場をやっているはずです」



 桐屋の前に男が3人、座り込んでいる。
「文蔵の兄貴!」久次郎が声を掛けると、3人の男がいっせいに振り返る。
手拭いを肩に掛け、弁慶格子の袷(あわせ)を着た兄貴分らしい男が、
面倒臭そうな視線を久次郎に投げてくる。


 「なんでぇ。誰かと思えば、久次じゃねぇか。
 おっ、見かけねぇ顔だな、客人か?。おめえが連れているのは?」


 「へぇ。今日来たばっかりの、国定村の忠次郎さんです」



 「なにっ、国定村の忠次郎だって」



 文蔵が、ゆっくり立ち上がる。
鋭い目付きが忠次の姿を、上から下までジロリと睨む。
「へぇぇ・・・おめえが噂の国定村の忠治郎かい。うむ。たしかにいい雰囲気を持っている」
上から下まで吟味した文蔵が、急に柔らかい態度をみせる。


 「おい、久次郎。おめえは俺の代わりに、ここで見張りをしていろ。
 俺はすこし、この男に話がある」


 「文蔵の兄貴。勝手なことをしたら、また代貸に怒られます!」



 「へっ。どうってことはねぇさ、そんなもん。くそくらえだ。
 おい忠治。ちょっくら俺に付いて来い」



 文蔵に促された忠次が、たったいま歩いてきた道を引き返していく。
上町にある、小さな居酒屋まで戻ってきた。
「御免よ」声をかけて、文蔵が暖簾をくぐる。
日が高いため、まだ店の中に客の姿はない。
艶(あで)やかな着物を着た年増女が、奥からひょいと顔を出す。


 「なんだい。誰が来たかと思えば、文蔵じゃないか。
 あんた。いまじぶんに、こんなところへ顔を出して、大丈夫なのかい?
 あら、はじめて見る顔だねぇ、そちらさんはどなただい?」



 「こいつは、国定村の忠治郎だ。
 おめえも、どこかで噂を聞いたことがあるだろう」


 「へぇぇ、ニッコリ笑って人を斬る、国定村の忠治郎さんが、この人かい・・・
 なるほどねぇ。
 噂通りの苦み走ったいい男だねぇ。あんたと違ってさ」



 「うるせぇ。つべこべ言ってないで、さっさと酒を持ってこい。
 いまからこいつと、兄弟分の盃をかわすんだ!」
 

 
(40)へつづく



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忠治が愛した4人の女 (38)       第三章 ふたたびの旅 ⑥

2016-08-28 09:21:14 | 現代小説
忠治が愛した4人の女 (38)
      第三章 ふたたびの旅 ⑥




 「東の木崎一家ってのは、はじめて聞く。
 いったいどんな親分さんが、采配をふるっているんだ?」


 忠治が、久次郎の背中へ問いかける。
境の宿を見たいと言い出した忠治を、久次郎が先に立って案内しはじめたときのことだ。
例幣使街道を東に向ってあるきはじめて、間もなくだった。


 「このあたりじゃ、いちばん新しい一家です。
 木崎宿で飯盛女をたくさん置いている林屋という旅籠の主人が、親分さんです。
 名前はたしか、孝兵衛と言ってやした。
 例幣使街道の木崎宿から太田宿にかけてが、木崎一家の縄張りです」
 


 「なるほど。木崎一家の親分さんは、木崎宿で女郎屋をしているのか。
 西に居る玉村一家の親分には、ずいぶん世話んなった。
 佐重郎親分のおかげで、英五郎親分と知り合うことができたからな」


 「えっ、忠治の兄貴は、玉村一家の佐重郎親分をご存じですか!。
 そいつは話が早い。
 玉村一家は例幣使街道の五料宿から、倉賀野宿までを縄張りにしていやす」


 「伊勢崎の親分は、英五郎親分と兄弟分だと聞いた。
 実際は、どうなんでぇ?」



 「伊勢崎一家の親分は、栗ケ浜という四股名で活躍した伊勢崎出身の力士です。
 相撲好きの英五郎親分とは昔からの馴染みです。
 親分の名前は、半兵衛。
 伊勢崎の一帯が、この半兵衛親分の縄張りです」


 「川の北は、英五郎親分と盃を交わした親分衆や、兄弟分が勢力を持っているようだな。
 となると川の南で勢力をひろげている島村一家が、やっかいな存在だな」



 「へぇ。よくこのあたりの事情をよくご存じで。
 島村一家は船問屋の主人、伊三郎というのが親分をしていやす。
 利根川筋一帯の河岸と、世良田(せらだ)村あたりまでを縄張りに持っていやす。
 いま一番勢力をもっているのが、この伊三郎一家です。
 つい最近ですが、木崎宿の孝兵衛と兄弟の盃をかわしたと、もっぱらの評判です」



 木崎の孝兵衛も、玉村の佐重郎も島村の伊三郎も、伊勢崎の半兵衛も、
みんな関東取締出役の道案内を務めている。
いわゆる、2足のわらじを履いている。
紋次も島村一家の伊三郎から、道案内をやらないかと誘われたが断っている。



  百々一家の表の顔は、私設の問屋場(といやば)だ。
境宿は間(あい)の宿のため、ちかくに公設の問屋場がない。
そのため。人足や馬を用意しておく事ができない。
人馬が必要になった時は、名主が伊勢崎の役所までいちいち願い出なければならない。


 これでは急を要するとき、間に合わない。
そんな時はべらぼうに高い賃金を払い、人馬をかき集めなくてはならない。
緊急時。名主は大変な苦労を背負いこむことになる。
そのため紋次がはじめたのが、私設の問屋場だ。


 境宿のすぐ隣りの百々村に、人足と馬を確保しておいた。
ここへ集めておいた人足や馬を、必要の時、必要なだけ名主に差し出した。
人馬を差し出す代わり、賭場を黙認してもらっている。


 紋次の家のすぐ裏に、人足たちの小屋がある。
各地から流れて来たならず者が、大勢、ここにたむろしている。
雲助(くもすけ)と呼ばれている駕籠かきたちも、百々一家が仕切っている。



 表向きの勢力以上に、百々一家は力を持っている。
ならず者たちを含めて相当数の男たちが、百々一家の周辺にたむろしているからだ。

 
(39)へつづく



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忠治が愛した4人の女 (37)       第三章 ふたたびの旅 ⑤

2016-08-27 11:10:33 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (37)
      第三章 ふたたびの旅 ⑤




 忠治の付き人になった保泉(ほずみ)村の久次郎は、紋次の子分になって、
まだわずか半年あまり。
しかし。三下修業を2年余りしてきたため、縄張り内のことは熟知している。



 「ウチのしまは日光例幣使街道の、柴宿から境宿までです。
 街道筋の神社や寺院の祭りや縁日があるとき、そこで賭場をひらきます。
 その中でもっとも稼ぎがあるのは、境宿の絹糸市。
 毎月、二の日と七の日に立つ六斉市には、各地から大勢の人が集まってきます。
 大金を手にした連中は帰りにたいてい、博奕に手を出しやす」
 

 「ほう。どのくらい稼ぎがあがるんだ?」


 「俺たち下っ端にはよくわかりませんが、たぶん、
 5両から6両は有るんじゃねぇですか」


 「1日に5両から6両のあがりか。そいつは大した稼ぎぶりだ」



 10両盗めば、首が飛ぶ時代。
この時代。将軍吉宗の命により、江戸時代の刑法が確立している。
それによれば現金で十両以上、物品は金額で見積もって十両以上の場合、 
死罪と決められている。
しかし。死罪にもいろいろある。


 もっとも重いのが、主殺しなどの極刑に適用される鋸曳(のこひき)。
市中引き回しのうえ、首だけ箱の上に出して埋められる。
二日間生きたまま晒し者にされ、千住の小塚原か、品川の鈴ヶ森刑場で磔にされる。
見物人に自由に鋸挽きの真似事をさせたが、本当に実行した者がいる。
それ以降。横に血の付いた鋸を添えた。
鋸は見せるだけであって、実際に鋸挽きで処刑するわけではない。


 次に重いのが、磔(はりつけ)。
刑場で刑木に磔にされ、突き手が槍や鉾で二、三十回突き刺す。
死後三日間は、そのまま晒される。


 次が獄門。牢内で処刑された後、刑場で罪名を書いた木札とともに首を
三日、台木の上に晒す。
木札は首が捨てられた後も、三十日間その場で晒される。
以下、火罪、死罪、過失致死の順に死罪が適用されていく。
最後が下手人ということになる。
下手人は死刑の中で最も軽い刑にあたり、牢内で処刑される。


 武士のみに、体面を重んじ、自分の罪を認め自らが裁くという意味で
切腹が許されている。
武士の尊厳を保ったものである。
公事方御定書に未記載のため、厳密に言えば刑罰にあたらない。
斬首もまた、武士のみに適用される刑罰だ。
刑場で行われ、徒目付か小人目付が検視することになっている。
(以上・公事方御定書より)




 「紋次親分の下にゃ、木島の助次郎、境の新五郎、柴の啓蔵という
 3人の代貸がいやす。
 百々一家を支えている三人衆です。
 その下に武士(たけし)の惣次郎、馬見塚(まみづか)の左太郎、
 矢島の周吉という、3人の中盆(なかぼん)がいます。
 賭場で、親分(貸元)の代理を務めるのが、代貸です。
 中盆というのは賭け金を仕切ったり、壷を振る連中のことを言いやす」


 「豪勢な顔ぶれだな。
 それだけ、どの賭場も繁盛しているということなのか。
 子分は、どうなっているんだ?」


 「紋次一家には、出方(でかた)と呼ばれる若い衆が、あっしを入れて
 15~6人ほどいます。
 その下で三下修行中の者が、いま10人ほどいやす」


 「ずいぶん人が揃ってんだな、紋次一家は。
 で、周りの様子はどうなんでぇ。
 紋次一家の周りには、どんな親分衆が揃っているんだ?」



 「へぇ。
 東に木崎一家。西に玉村一家。南に島村一家。
 北に伊勢崎一家ってとこですかねぇ」


 目と鼻の先に、名の知れた親分衆たちが勢ぞろいしている。
それほどま日光例幣使街道の各宿場と、関東を流れる最大の川・利根川の河岸には、
おおくの利権が転がっている。


(38)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (36)       第三章 ふたたびの旅 ④

2016-08-26 10:50:55 | 現代小説
忠治が愛した4人の女 (36)
      第三章 ふたたびの旅 ④





 忠治がその日のうちに家を出る。
国定から百々(どうど)村まで、二刻(ふたとき)あまり。
一刻は、2時間。旅支度を整えなくても、楽に歩いていける距離だ。
百々(どうど)は境の宿場のすぐ東にある村。
宿場の南は関東を代表する大河・利根川に接している。


 木島村までやってきた忠治が、ふと立ち止まる。
伊与久村に嫁に行った幼なじみのお町の事を、思い出したからだ。
百々とお町が嫁に行った伊与久村は、一里と離れていない。
(もしかしたらそのあたりで、ばたりと行きあうかもしれねぇな。
どうしているんだろうな、お町のやつ・・・)
なつかしさが、忠治の胸をよぎっていく。



 お町の人懐っこい笑顔が、忠治の脳裏によみがえって来た。
街道の砂ほこりの中で立ち止まっていた忠治が、「馬鹿やろう」と首を振る。



 (嫁に行った女に、いまさら未練なぞ無いはずだ。
 つまらねぇことを思いだして感傷的になっているようじゃ、赤城の山に笑われちまう。
 だいいち今日は、百々の紋次親分に仁義をきる日だ。
 昔の女なんかを思いだして、女々しくなっているようじゃ俺も未熟者すぎるぜ。
 駄目だなぁ、いまいちだぜ俺って男も・・・へっへっへ・・・)



 未練を振り払うように忠治が、伊与久村と反対方向へ足を踏み出す。
ここまで来れば百々までは、あと四半刻(30分)。
急ぎ足の忠治が日の高いうち、「御免やす」と紋次一家の敷居をまたぐ。


 
  渡世人らしく忠治が、万次郎から習った仁義を切る。
応対に出た子分は若い忠次を見て、どこかの三下奴がやって来たと勘違いしたようだ。
しかし。「国定村の忠次郎です」と名乗ると、とたんに顔色が変った。
大前田英五郎の添え状を差し出すと、さらに子分の動揺が頂点に達していく。



 「ち、ちょっとお待ちを・・・いま、おっ、親分を呼んでめえりやす」



 子分があわてて、奥の部屋に向かって駆け出していく。
渡世の世界は人脈がモノを言う。
大前田英五郎の名前が出ただけで、上州人なら、だれもが黙って頭を下げる。



 「ほう・・・おめえが噂の国定村の忠治か。
 よく来た。英五郎兄貴の添え状を持っているんだってな。
 子分をとりたがらねぇ兄貴から認められるとは、てえしたもんだ。
 いいからあがってくんな。野暮な挨拶はあとまわしだ。
 おい。客人を、奥の客間へ案内してやれ」



 頬に刀傷のある紋次が、子分に向かって言い付ける。
歳は英五郎と同じ。対等の兄弟として盃を交わしている間柄だ。
子分に案内された忠治が、長火鉢が有り、鉄瓶から湯気のあがっている
奥の部屋へ通される。
ほどなくして、代貸らしい男があらわれた。
三十半ばに見える、苦み走ったいい男だ。



 「あいにく親分は、よんどころねぇ用事で外へ出やした。
 失礼がないよう、親分が戻るまで接待するようにとあっしがことずかりやした。
 代貸をつとめている木島村の助次郎と申しやす」



 「ご丁寧にありがとうございます。国定村の忠次郎です」



 「その若さで武州の無宿者を、一刀のもとに斬り捨てるとは、大したもんだ。
 おまえさんはこのあたりじゃ有名人だ。
 遠慮はいらねぇ。客人として、ゆっくりくつろいでくれ」


 「いえ。おいらは紋次親分の子分になるために、こうしてやって来やした。
 客人扱いなんておいらには身分、不相応です」


 
 「そうはいかねぇ。英五郎親分の添え状を持ってきたんだ。
 いまさら子分として預かるわけにはいかねぇと、ウチの親分も言っていた。
 遠慮しないでくつろいでくだせぇ。
 身の回りの世話役として、保泉(ほずみ)村から来た久次郎を付けやす。
 遠慮しねぇで、なんでもこいつに言い付けてくだせぇ。
 おい久次郎。そんなところへ隠れていないで、さっさと出てきて
 客人に挨拶しねぇか!」



 廊下に控えていた若者が、あわてて顔を見せる。
敷居の上に両手を突いて、「保泉村の久次郎です」とペコリと頭をさげる。


(37)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (35)       第三章 ふたたびの旅 ③

2016-08-25 10:11:01 | 時代小説

忠治が愛した4人の女 (35)
      第三章 ふたたびの旅 ③



 忠治が、清五郎の顔を見上げる。
「おまえが親分になり、あたらしい一家をたちあげろ」とはっきり清五郎は言い切った。
異議はない。忠治も博徒になりたいと、内心は思っている。
その気持ちは高萩村で、万次郎の弟分になったときから強く芽生えている。
そうした気分に浮かれたまま、忠治は国定村へ帰って来た。



 しかし。そんな忠治の想いがぐらついた。
昨日。国定村へ辿り着き、やつれ果てた母とお鶴の姿を見た瞬間。
博徒になりたいと考えていた忠治の心が、ものの見事に、木っ端みじんに砕けて散った。
しかも。夕べの床の中。
忠治はお鶴に向かい、「堅気に戻り、道場主になる」と誓いをたてている。


 しかし。「おめえが一家を構えて、久宮一家の奴らを追っ払ってくれ」
と、さらに清五郎がたたみかけてくる。



 「俺たちだけじゃねぇ。千代松や又八も、子分になると言っている。
 それだけじゃねぇ。本間道場の同期生たちも力になる。
 どうだ。悪い話じゃないだろう。
 おめえが立ち上がれば、国定村はもちろん田部井の若いもんも
 こぞって集まって来る」



 「悪いが、ちょっと待ってくれ。そんなに事を急かさないでくれ。
 もうすこし俺に考える時間をくれ。
 実はな。ゆうべ、女房のお鶴に約束しちまったんだ。
 かならず堅気に戻ると、床の中でお鶴に約束をしちまった」



 「そうか・・・そりゃあ、そうだ。
 身体どころか心が痩せるほど、おふくろさんとお鶴さんに苦労をかけたんだ。
 おめえの気持ちが揺らぐのも、よく分かる。
 だがよ。優著なことは言っていられねぇ。
 聞いた話だが、おめえが殺した無宿野郎の兄弟分ていうのが、ついこの間、
 久宮一家へワラジを脱いだそうだ」



 「なに?、俺が殺した無法者の兄弟分が、久宮一家にワラジを脱いだって?。
 本当かよ。そいつが事実なら厄介なことになる。
 俺を探して仇を討つつもりなのかな、その野郎は・・・」


 
 「たぶん。そのつもりで来ているんだろう。
 絶対に兄弟分の仇を取るって、息巻いているらしいぜ。
 気を付けたほうがいい、忠治。
 親分たちの間で話はついているが、兄弟分がかたき討ちに来たとなると、
 こいつはまた、別の話になるからな」



 「殺した男の兄弟分の出現か。
 やれやれ。まいったなぁ。
 こいつは少しばかり、厄介なことになりそうだ・・・」



 忠治が右手を顎に当てて、考え込む。
困り果てた時の忠治がよく見せる、仕草のひとつだ。



 (まいったぜ。
 思ってもいないところから、厄介な野郎があらわれたもんだ。
 こいつは、ちょいとばかり面倒だ。
 殺しの件は落着しているが、兄弟分のかたき討ちとなるとまた話は別になる。
 やっぱり。堅気に戻れないようになっているのかな・・・
 おいらの人生は・・・)



 殺人事件の下手人は、原則として幕府か藩が処罰する。
しかし。下手人が姿をくらましたり、幕府や藩が処罰できないでいる場合は、
身内に限り、仇討ちをすることが認められている。
これが武家社会における、「仇討ち」や「かたき討ち」の制度だ。



 かたき討ちの制度は江戸末期、庶民の中にもひろがりを見せる。
こうした習慣が町民や商人、農民のあいだまでひろがっていく。




 男気と義理をひときわ重んじるのが、博徒の世界だ。
親分や兄弟分の「仇討ち」や「かたき討ち」は、美徳としてとくに美化される。
落ち着きかけた忠治の腰が、またまた不安定になってきた・・・



 (ということは・・・、
 このまま国定へ居座れば、またおふくろやお鶴に迷惑をかけることになる。
 英五郎の親分は、このことを見抜いていたようだな。
 だからこそ俺に、百々(どうど)村の紋次親分を紹介してくれんだ。
 なるほどなぁ・・・
 一度人を殺すと、堅気になれないようになってんだな。
 やっぱり。博奕打ちになるしかないのかな、おいらの人生は・・・)



(36)へつづく


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