落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第49話 仕込みの生活

2014-11-30 11:36:12 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。



おちょぼ 第49話 仕込みの生活



 
 3者面談を終えた福屋の女将と佳つ乃(かつの)が、バー「S」へやって来た。
厨房を通り過ぎる瞬間、佳つ乃(かつの)が、V字のサインを作る。
(おう、無事に済んだようだな、まずは一安心か。よかった、よかった)
厨房で似顔絵師がすいとんを作り始めた頃、「ワシもお祝いを食うでぇ」と
おおきに財団の理事長が、顔を出した。


 佳つ乃(かつの)はようやく、ほっとした顏を見せている。
(ウチのほうが緊張しましたんや。でも、ええ子やったで帰国子女のサラは。
日本語が半分しかわからんのが難点やけど、住み込んでいるうちに何とかなるでしょう。
と言うより、ウチが何とかせなあきませんなぁ。
正式な姉妹の契りを交わすのはサラのお店出しの時ですが、
仕込みの時からウチが面倒を見るということで、話が落ち着きました。
ご参考までに。うふふ)
とわざわざ佳つ乃(かつの)が、厨房まで報告にやって来た。



 時刻が8時を過ぎると、パイプクラブの面々が集まって来た。
いつもより早めのご出勤だ。
これにはどうやら、訳が有りそうだ。
パイプクラブの全員が、サラの3者面談の結末を気にしている。
同じように、ほっとした顔を見せている福屋の女将を、一斉に取り巻きはじめた。
「たまには一緒にどうですか?」としきりに女将を、ボックス席に誘う。
彼らはまた、いずれも有力なお茶屋のメンバーたちなのだ。
「前祝に一杯、おごります」と言われると、女将もさすがに後に退けなくなる。



 「清乃ちゃん以来の、仕込みさんの登場や。
 どうや。帰国子女の仕込みちゅうのは、今まで以上に骨が折れそうか?」


 「あんたらときたら、情報が早すぎますなぁ。
 そうやなぁ。まもなく、身長170センチの大型新人が誕生しはりますなぁ。
 そんときは、安じょう頼んますえ。
 みなさんがたのおぶ屋で、せいぜい贔屓にしておくんなはれ」

 
 「お。もう大型新人の売り込みか。さすが女将。気が早いなぁ。
 でもどうなんや、実際のところは。
 ずっと海外で暮らしてきた女の子やろ。
 古典芸能の舞妓になるのに、不具合なんぞが多くはないか?」



 「むかしは殆どの仕込みはんが、地元の中学、もしくは高校を卒業してから
 祇園に来はりましたなぁ。
 けど、そのちょっとむかしまでは、中学を京都の学校へ転校して、
 学校へ通いながら仕込みはんをする、「学校行きさん」という子もいたんどす。
 どこが有利か云うたら、中学卒業と同時に店出しできるとこどっしゃろか。
 中学校でも仕込みの子が「先生、うちこれからお稽古ですねん」て云うたら
 授業中でも帰らしてくれたらしおす。
 祇園にはそんな時代も有りましたが、いまはインターネットの時代どす。
 海外から1人や2人、応募が有ってもええやないかと、
 あたしは思いますなぁ」



 「香港と言えば、長くイギリスに統治されていた国だ。
 中国に返還されたとはいえ、英語圏のレディファースト文化で育った子や。
 いろいろと、不具合が出てくる可能性が有るやろ?」



 「帰国子女だけではおまへん。
 今時の子は、最初から不具合がさんざん有るんどす。
 屋形によって若干の違いはおすけど、まずは行儀作法の見習いから入ります。
 身に着けなければならないことは、山のように有るんどす。
 掃除、洗濯からはじまって、使い走りはもちろん、お母さん、お姉さんの
 お手伝い、着物の着付けに行儀作法、花街ことばを覚える、
 そして肝心なお稽古ごとや。
 屋形で飼うてる猫が行方不明になったら、探しに行かんなりまへんなぁ。
 今まで家で掃除も洗濯も、したことが無いような子が受ける
 カルチャーショックの大きさは、想像するに難くはおへん。
 中には仕込み期間中に、逃げ出してしまう子もいてる位どっさかい。
 そんな修業を大体半年から1年続けてようやっと、晴れて舞妓ちゃんに
 なることが出来るんどす」


 「舞妓になるために一番苦労するのが、仕込みの期間だ。
 で、どうするんや。一人前になるまでの面倒見るのは、やっぱり
 あの、佳つ乃(かつの)か?」


 「本人が、ウチが面倒見ますと手を挙げたさかい、そうなるやろなぁ。
 ただし表向きはあくまでも、福屋で育てるおちょぼや。
 みなさんもそこんところを誤解せず、長い目で見てやって下さいな。
 今度来るおちょぼのサラも。佳つ乃(かつの)のことも」



 おう、まかせろと女将を取り囲んだ男たちが、目を輝かせる。
「とりあえず順調に動き出した前祝だ」と、一斉に乾杯のグラスを持ち上げる。
(このまますべてが、順調に進むといいんだが・・・)と、
カウンターの中で老マスターも、静かにひとりでグラスを持ち上げる。



第50話につづく

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おちょぼ 第48話 3者面談の日

2014-11-29 12:26:41 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第48話 3者面談の日



 ついにその日がやって来た。
帰国子女のサラが舞妓になるために、最初にくぐる大きな関門。
3者面談の当日がやってきた。


 朝早く、似顔絵師が、佳つ乃(かつの)からの電話で起こされた。
「なんや、まだ寝てましたんかいな。いま、髪結いさんからどす」
鬘(かつら)を被ってお座敷に出る芸妓は、髪結いさんには通わない。
美容院で、自分好みに髪をセットする。
佳つ乃(かつの)は、さらりとしたショートボブが好みだ。
「美容院からでしょう?」と反論しても当人は、「ううん。髪結いさんからや」
と、一歩も譲ろうとしない。



 「ウチが髪結いさんへ、朝早くから行くこと自体が事件どす。
 舞妓の頃は朝早くから通ったもんどすが、いまは鬘やさけ、楽なもんどす。
 間もなく終わります。どこかそのあたりで、お茶などしましょう。
 スターバックス・コーヒーでどないや?。
 烏丸通りある、ガラス張りのラウンジで逢いましょう」


 それだけを伝えると、電話は一方的に切れた。
ガラス張りのラウンジというのは、地元の人から「六角さん」と呼ばれて
親しまれている、六角堂がよく見えるように全面がバラス張りされた、
京都烏丸通り六角店のことだ。
六角さんの正式名称は、紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)。
聖徳太子が建てたと伝わっている古寺で、上から見ると本堂が六角形で
あることから「六角堂」の通称で知られている。



 佳つ乃(かつの)は、待たせるとうるさい。
急いで着替えを済ませ、髪を整えながら通りへ飛び出す。
15分ほど歩けば着くが、途中で佳つ乃(かつの)から、催促の電話がかかって来た。
「いま、どこ?。頼んだコーヒーが、冷めてしまいます」
案の定だ。駆け足で飛び込んだスターバックスの店内で、佳つ乃(かつの)はもう、
うんざりしたような顔で、コーヒーを口に運んでいる。



 「催促されて、ダッシュで飛んできた。不満そうな顔はやめてくれよ」


 「不満な顔をしているわけやあらへん。生まれつきこういう顔どす。
 ただ、いつになく、緊張しとるだけや。
 なんのために朝早くから髪結いさんへ来てると思うねん。
 今日はサラの、3者面談の日やで」


 「あ、今日が3者面談の当日か。
 女将さんとサラと、保護者のお母さんの3人で、3者面談をするわけだろう?。
 君は関係がないはずだ。でも、それにしてはおかしいねぇ。
 わざわざ髪をセットに行ったわけだから、君も同席をして、
 今日は、4者面談になるわけかな?」



 「せっかくのお休みやったのに、3者面談のせいで、デートの予定はお流れや。
 寂しいだろう思うて、こうして朝早うから電話をしてあげたんやでぇ、
 すこしはウチに、感謝しいや」


 なるほど、ようやく筋書きが読めてきた。
覚悟は決めているものの、やはり当日になると不安が先走るようだ。
舞台裏の話だが、祇園の3者面談は厳しいことで有名だ。
屋形のお母さんのところへ、舞妓志望の話が届く。
話を聞いたお母さんが、「ほな置いてみよかいな」と応じると、
「いっぺん親御さんと一緒に来とぉくれやす」と、3者面談の日時が設定される。



 3者面談は、学校で行われている進路相談と同じようなものだ。
基本的に教師の前に生徒が座り、生徒の左か右隣りに、同伴した保護者が座る。
L字や、逆L字型に座ることが多い。
よりよい将来を考える相談の場だが、極度の緊張と、精神的苦痛を伴うことが多い。
3者とも意欲と決意を持って臨むべきだと、ガイダンスには書いてある。



 屋形の3者面談も、ほぼ同じようなものだ。
お母さんはまず、仕込み時期の修業がどれほどつらいもんか、本人に説明する。
「そんな厳しいとこやったらやめとき、と思わんのゃったら、
どうか、お引き取り下さい」、と親御さんにも説明をする。
「途中で辞められたりしたら、世間体もおますし、それまでの投資が
無駄になりますさかい」と、ことさら金銭的な消失を強調する。


 それでも、頑張りますと本人が云い、親御さんもそれやったら
あんじょうお頼申します、と話がまとまったら、いよいよ
置屋に住み込むことになる。
住込みの、仕込みさんとしての修業が始まることになる。



 「君が今から緊張していて、どうするの。
 面接を受けるのは、帰国子女のサラちゃんのほうだろう」


 「そんなこと云うたかて、ウチ緊張で、もう、キリキリと胃が痛んできた。
 あかん。今からどこぞへ逃げたい気分になってきた・・・
 どないしょ。憂鬱やなぁ、3者面談なんて。
 どうしたらええんやろ。うまくいかなかったらどないしょ。
 それを相談したくて、朝早くから、あんたを此処へ呼びだしたんや」


 「君が逃げ出してどうするの。
 まったく・・・駆け出しのおちょぼじゃあるまいし。
 冗談は、顔だけにしてくれよ。
 あれ・・・髪型を変えたの?。少し、雰囲気が違うけど・・・」


 (遅いわよ、気が付くのが)と佳つ乃(かつの)が、目を細めて笑う。
(なんだよ。新しい髪型が見せたくて、わざわざ呼びつけたのかよ。朝早くから)
渋い顔を見せる似顔絵師とは裏腹に、髪のセットを終えた佳つ乃(かつの)は、
新しい髪型を見せたことだけで、実は、充分だ。
女は、何を考えているか分からないから、手に負えない部分が有る・・・
まいったなぁとぼやいた似顔絵師が、苦いコーヒーを、
ごくりと喉の奥へ流し込む。


 
第49話につづく

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おちょぼ 第47話 仲良く歩こう、2人して

2014-11-27 10:59:30 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第47話 仲良く歩こう、2人して



 茅葺きの農家を過ぎると、また竹林が近づいてくる。
颯爽と歩いていた佳つ乃(かつの)が、歩く速度を緩めた。
追いついてくるのを待っている雰囲気が、背中一面に漂っている。


 案の定、「仲良く歩こう。おおさわの池まで」と甘えた声が
風に乗って、聞こえてきた。
甘えるとき、この人は、まるで少女のようなあどけなさを見せる。
ふわりと揺れる、ショートボブも魅力がある。
笑うと30歳と言う年齢が、まるで魔法のように消えていく。
無邪気に笑う口元が、まるで、おとめの様に幼く見える。
(ホントはいくつになるんだ、あんたって人は)と聞きたいくらい、
確実に、年齢が若返る。



 「住宅の裏と、作物が実る畑道を抜けて、大沢の池までは、
 ゆっくり歩いても、たったの15分。
 いいじゃないの。そのくらいの距離は、仲良く一緒に歩いても」


 「嫌とは言いません。
 けど、さっきのようにまた、大きいお姐さんたちに出会ったら困るでしょ。
 僕は平気でも、佳つ乃(かつの)さんが大変になると思います」


 「日本最古の人造の池。おおさわの池なら可能性があるわ。、
 でも、もうこのあたりには居ないわよ。
 こんな田舎道に、いつまでも私より大きいお姐さんたちが居たら
 似合わないし、可笑しいでしょう。
 要るとすれば、農作業中のおばちゃんか。道に迷った観光客だけどす」


 「じゃ、僕たちの場合は?」と路上似顔絵師が悪戯半分に問い正す。
「目標を見失った、だいの大人。ついでに、恋に迷走している姉と弟!」
と佳つ乃(かつの)が、嬉しそうに笑いながら応える。
佳つ乃(かつの)機転は、いつでも早い。


 「やっぱり道に迷っているのか、俺たちは。そうだよなぁ・・・
 祇園甲部の売れっ子芸妓と、才能のない画家では、誰が見てもミスマッチだ。
 遊ばれているだけなんだな。気まぐれな、年上の女に・・・」

 
 「そんなことおへんて。あんたの勘ぐり過ぎや。
 ウチかてこんな風に男はんとデートするのは、久しぶりや。
 これでも精一杯、ウチなりに緊張してんのどす。
 お願いや。ウチに恥をかかさんといて。一緒に歩こう。大沢の池まで」



 根負けした似顔絵師が、日傘の下のもぐりこむ。
薄化粧の佳つ乃(かつの)から、なんともいえないいい香りが漂ってくる。
香水とは異なる、和のいい香りだ。
肩を並べて歩きはじめると、佳つ乃(かつの)の横顔が急に冷たい表情に変る。
あれほど並んで歩くことを望んだというのに、一緒に歩きはじめると
途端に何時も、こんな風な無表情に変る。



 「緊張してるぜ。君の横顔」


 「いけず。あんたが最短距離に居るからやんか。
 これでも胸のドキドキを、せいいっぱいに、我慢してんのどす」


 「接近しただけで、胸がドキドキするの?。
 海外の国賓級まで接待した君が、俺ごときが肩を並べただけで、
 そんなにも、緊張するの?」


 「心臓に毛が生えておるわけやおへん。そこまで疑うなら、論より証拠や。
 ウチのドキドキを、じかにその手で確かめたらええどしゃろ」



 いきなり似顔絵師の手にした佳つ乃(かつの)が、自分の胸元に導く。
ふくらみに触れた瞬間、釣鐘のような鼓動が、指先からしっかり伝わって来た。
「嘘やおまへんやろ」再確認をさせるように、佳つ乃(かつの)がさらに、
似顔絵師の指先を、強く胸元に抑え込む。
そのまま数秒。2人の動きが氷のように固まって動きを停める。



 「あ・・・」やがて、どちらからともなく、小さな声があがる。
「ウチったら、なんて事を・・・」
顔を真っ赤にした佳つ乃(かつの)が、慌てて、似顔絵師の指先を開放する。
開放された似顔絵師の指先が、しばしの間、次の行先を探っている。
「じゃ、ここ」と佳つ乃(かつの)が、日傘の柄を差し出す。
手渡すのかと思いきや、「ウチの指の上から掴んで」と、すかさず命令が来る。
似顔絵師が日傘の柄を、佳つ乃(かつの)の指の上から掴み取る。



 日傘を支えている佳つ乃(かつの)の指先が、かすかに震えている。
(本当に緊張しているんだ。この人は・・・)
後の言葉が出て来ない。
日傘を支えあったまま、また2人が寄り添い合う。
赤い鳥居から、おおさわの池までの短い道のりを、2人は仲良く
ゆっくりと歩き始める。


 
第48話につづく

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おちょぼ 第46話 女が泣いて歩く路

2014-11-26 10:56:37 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第46話 女が泣いて歩く路



 祇王の話を終えた佳つ乃(かつの)が、竹林の出口で立ち止まる。
鬱蒼と続いてきた竹林が、ここから紅葉(もみじ)の道に変る。
このあたりのモミジは、紅葉の時期をむかえると燃えあがる赤になる。
小路をさらに進んでいくと、前方に「嵯峨鳥居本・伝統的建造物群保存地区」
の集落が現れる。


 「鎮火の神」として広く信仰を得ている、愛宕神社の門前町だ。
農村と門前町いうふたつの性格を持ち合わせて、発展をしてきた町並みが
2人の目の前に現れる。
「むしこ窓」を持つ町家風の民家。
茅葺きの「くずや」と呼ばれる農家風の民家。
美しい自然を背景に、建ち並んでいる家屋が2人の前に迫って来る。



 「美しいだけやあらへん。ここは、女が泣いて歩く道や・・・」


 「女が泣いて歩く道?。
 こんな美しい風景の中で、なんでわざわざ女が泣いて歩くのですか。
 泣くどころか、美しすぎて、感動の溜息が出てきます」


 「紅葉の時期でもなければ、こんな山奥まで訪れる人は滅多にあらへん。
 ここは花街の女がしみじみと泣くために歩く、人里離れたそのための場所や。
 遠くから見れば、景色に感動して泣いとるように見える。
 祇王はわずか19歳で、華も身も有る人生を諦めて、尼僧の生活を送った。
 この嵯峨鳥居本(さがとりいもと)は、古くは「化野(あだしの)」と
 呼ばれた、哀れな土地や。
 寂しいのはあたりまえどす。
 此処はもともと、京の人々の埋葬の地とされた場所や。
 こんな寂しい小路を好んで歩くのは、心の底まで傷ついた
 祇園の芸妓くらいなもんやなぁ」



 「佳つ乃(かつの)さんも、この小路を泣きながら、
 とぼとぼと、歩いたことが有るのですか?」



 「あんたってお方は、何でもストレートに質問をしはるなぁ。
 はい。泣いて歩きましたと、ウチの口からは死んでも言えません。
 察っしておくれやす。浮き沈みの激しい花街で、
 15年以上も生きてきた女どす。
 心の底から泣きたいことは、1度や2度ではあらしまへんて」



 佳つ乃(かつの)の強い目が、下から似顔絵師を襲う。
佳つ乃(かつの)の目には、ときどき、人を瞬時に射抜く光りが走る。
拒絶する時も、受け入れる時も、目に、はっきりとした意思の色が現れる。
だがそれは、知る人だけが見分けることが出来る、些細な変化だ。
この人は顔色ひとつ変えずに、意思を伝えることが出来る。
それも、特定の人に限って・・・


 場数を踏んだ芸妓たちは、何が起ころうと、白塗りの顔の下に
完璧に、感情を隠すことが出来る。
想定外のことが起ころうと、その場で血相を変えることは、まず有りえない。
宴席と、酒の席の空気をコントロールする主役は、常に冷静そのものだ。
だが目には、言葉以上の感情が籠る。
「大丈夫ですか」とほほ笑みながら、きつい目で相手を叱りつける。
経験を積んだ芸妓は、表情を巧みにコントロールしながら、
何が起こるかわからないお座敷を、プロデューサとして巧みにさばいていく。



 一の鳥居が見えてくると、細い街道に人家の数が増えてくる。
だがどこからどう見ても、此処は女が泣いて歩くには、
美しすぎると思える小路だ。



 「ほんとに、こんな美しい風景の小路で泣いたのですか・・
 疑わしくなってきましたねぇ。あなたのお話が」

 日傘を揺らし、楽しそうに歩く佳つ乃(かつの)を呼び止める形で、
後方から、似顔絵師が声をかける。



 「女が泣くには、いくつか理由が有んのどす。
 たとえば、寂しくて泣く。何かで傷ついて泣く。
 愛する人と別れたくなくて泣く。例外的に、泣く事を利用する時も有る。
 女の半分は、涙で出来てるのや。
 嬉しくても、悲しくても泣くことのでける動物や。
 身体のほとんどが涙で出来てます。
 うふふ。あんたも気いつけてな。簡単には騙されいでな、女の涙なんかに。
 でもなぁ、意地の悪い質問ばかりをするのは、もうやめといて。
 せっかくの奥嵯峨野でのデートどすぇ。
 もうすこし、女の子の雰囲気を盛り上げる、洒落た会話は出来ないの?
 そないなことやから、いつまでたっても、女が振り向かないのよ。
 一生ひとり者で過ごすつもりなの。
 いつでも中途半端な絵描きはん。うふふ。ほら。また怒ったぁ」


 「大きなお世話です」ふんと、似顔絵師が頬を膨らませる。
一の鳥居が近づいてくると、周囲の様子がすこしずつ異なって来る。
手前に見えるお茶屋に、観光客たちが屯している。
このまま進んで、お茶屋に寄るのかなと思っていると、「こっち」と言って
佳つ乃(かつの)がまた、すこしだけ、うら寂しい小道を選択する。


 
第47話につづく

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おちょぼ 第45話 祇王のあらすじ

2014-11-25 09:04:15 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第45話 祇王のあらすじ




 祇王寺から奥に向かうと、さらに竹林が深くなる。
風にさらさらと鳴る竹の音以外、耳には、何も聞こえてこなくなる。
(青く苔むした庭と、どこまでも深くつづく竹林の路か。こんな景色は初めてだ・・・
さすがに京都は、奥が深い)路上似顔絵師が佳つ乃(かつの)の背中に
手を置いたまま、周りの景色に心を奪われていく。

 「平家の全盛期。天下は清盛の掌中にあった。
 その頃。都で評判の白拍子(水干を着て男舞をする舞女)の名手に、
 祇王、祇女という美人の姉妹があった。
 姉の祇王は清盛に寵愛された。、妹の祇女も世にもてはやされ、
 母の刀自も立派な家屋に住まわせてもらえるようになり、
 一家はたいそう富み栄えた」


 祇王寺に眠る祇王のあらすじを、佳つ乃(かつの)が口にした。



 「京都中の白拍子たちが祇王の幸運を羨み、祇王にあやかる。
 自分の名前に、「祇」の字をつける者まで出る始末。
 三年が経つ頃。京都にまた、評判の高い白拍子が現れた。
 加賀国の者で、年は16歳。名を仏御前という。
 「自分の舞を見てほしい」と清盛のもとを訪れる。
 けれども清盛は、「遊女は招かれて参るもの、自ら推参するとは何事ぞ。
 祇王がいるトコへ来るとは許されぬ。さっさと退出せよ」と追い出そうとする。
 祇王が「そっけなくお帰しになるのはかわいそうどす。
 同じ白拍子として、他人事とは思えませぬ。
 ご対面だけでもなさったらいかがどすか」としきりにとりなす。
 「お前がそこまで言うのなら」と清盛が、仏御前を呼びつける。
 仏御前の今様(※平安時代中期から鎌倉時代にかけて、宮廷で流行した歌謡※)
 も舞も、実に見事で、見聞きしとった者はみな一様に騒然となる。
 清盛もすぐに仏御前に心を移してしまう。仏御前をそばに置こうととり計らう。
 あわてたのは、呼び戻された仏御前どす。
 「祇王御前のおとりなしにより、呼び戻してもろうたのに、
 ウチを召し置かれるなどとなったら、祇王御前に対して面目が立ちません。
 さっさとお暇をください」と清盛に申し出る。



 清盛は、「祇王がいるので遠慮するのであれば、いっそ祇王を追い出そう。
 祇王はさっさと退出せよ」と命じ、祇王を邸から追い出してしまう。
 祇王はもとから、いつかは追い出される身であることを覚悟しとったが、
 それでもこんなに早う追い出されるとは思ってもみず、せめてもの形見にと、
 泣く泣く襖に、歌の一首を書きつける。


 「萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはではつべき」


(春に草木が芽をふくように、仏御前が清盛に愛され栄えようとするのも、
 ウチが捨てられるのも、しょせんは同じ、野辺の草(白拍子)なのや。
 どれも秋になって果てるように、やがて清盛にあきられて終わることであろう)



 我が家に戻った祇王は、倒れ伏し、ただただ泣いてばかりいた。
 そのうちに、毎月贈られとったお米やお金も止められた。
 翌年の春。清盛が祇王へ使いを出す。
 「仏御前が寂しそうにしとるから、いっぺん邸へ参り、今様をうたい
 舞を舞って、慰めてくれ」と命じる。
 母の刀自に説得をされ、祇王は泣く泣く西八条の屋敷へ赴く。
 祇王はずっと下手の所に席を置かれ、悔し涙で、そっと袖をおさえる。
 仏御前はそれを見て気の毒に思うが、清盛に強く止められて、なんもでけへん。
 祇王は清盛の言う通り、今様をひとつ舞う。


 「仏も昔は凡夫なり 我等も終には仏なり いづれも仏性具せる身を 
 へだつるのみこそ かなしけれ」



 (仏も昔は凡人どした。我等もしまいには悟りをひらいて仏になれるのや。
 誰もが仏になれる性質をもっとる身なのに、
 こんな風に仏御前と自分を分け隔てするのは、誠に悲しいことだ)


 祇王は屋敷をあとにし、自ら命を絶とうとこころみる。
 妹の祇女も一緒にと泣く。
 しかし母の刀自に泣く泣く教え諭され、都を捨て、尼になる決心をかためる。
 3人は嵯峨野の奥の山里に、そまつな庵を建てる。
 念仏を唱えて過ごし、一途に、後世の幸福のみを願う。
 春が過ぎ、夏が過ぎ、秋の風が冷たく吹き始める。
 ある夜、竹の網戸をとんとんとたたく者がある。
 こんな夜更けにこんな山里にいったい誰であろうと、恐る恐る出てみると、
 そこに仏御前が立っていた。
 驚く祇王に向かって、仏御前は言う。
 「もとは追い出されるところを、祇王御前のおとりなしにより呼び戻されたのに、
 ウチだけが残されてしまい、ほんまにつらい想いをしました。
 祇王御前のふすまの筆を見て、なるほどその通り、いつかは我が身だと思い、
 姿を変えてこちらにいらっしゃると聞き、ぜひウチもと、
 こうして参りました」。衣を払いのけた仏御前は、すでに尼の姿になっとった。


 「ウチの罪を許してください。
 許されるなら、一緒に念仏を唱えたいと思います。極楽浄土の同じ蓮の上に、
 ふたたび生まれましょう」と、仏御前が、さめざめと涙を流す。
 祇王は涙をこらえ、「これほど思っておられたとは、夢にも知りませんどした。
 さあ一緒に往生を願いましょう」と、仏御前を迎え入れる。
 4人は同じ庵に籠り、朝夕一心に往生を願い、見事に本望をとげた、
 という話が、ここには、残っとんのです」

 
 ※参考文献:「日本古典文学全集29 平家物語 一」より
 (小学館 1973年初版発行 1995年第25版発行)
 
第46話につづく

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