落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (96)   第六章 天保の大飢饉 ⑬ 

2016-11-28 18:20:56 | 現代小説
忠治が愛した4人の女 (96)
  第六章 天保の大飢饉 ⑬ 


 
 伊三郎の一行は、5人。
提灯を持った新次郎を先頭に、荷物持ちの三下が2人。
すぐうしろを伊三郎があるいている。
用心棒の永井兵庫がすこし離れて、ふらりふらりとついてくる。
警戒している様子は、まったくない。
それどころか用心棒の永井兵庫は、呑みすぎて千鳥足だ。


 (焦るんじゃねぇぞ。いちどやり過ごして、背後から襲う)



 忠治が文蔵に目配せを送る。
桑畑に隠れた忠治と文蔵の目の前を、世良田へ向かう一行が通り過ぎていく。
世良田まで、あと5町(約500m)あまり。
無警戒のまま伊三郎一行が、ゆっくりと忠治の前を通り過ぎていく。


 「やい。待ちやがれ、伊三郎!」



 頃合いは充分と見た文蔵が、背後から大きな声で呼び止める。
伊三郎が振りかえる。
その瞬間。鉄砲の音がとどろく。用心棒の永井兵庫がもんどり打って倒れる。
「卑怯だぞ、てめえら!」兵庫の声をかき消すように、2発目の銃声がとどろく。
新十郎のはなった矢が、提灯を持っている新次郎を射抜く。
三下たちが荷物を放り出し、我先に逃げ出す。


 その逃げ道を、民五郎と板割の浅次郎がふさぐ。
悲鳴をあげた三下が、街道から外れていく。泥田の中を慌てふためいて駆けまわる。
「逃がすものか」民五郎が、泥田に逃げた三下を追う。
浅次郎の槍がもうひとりの三下を、執拗に追いかけまわしていく。



 「おめえは忠治だな。こんなことをして、タダで済むと思ってんか!」


 伊三郎が腰の脇差に手を伸ばす。


 「やかましい。てめぇこそ年貢の納め時だ。覚悟しゃがれ」



 手出しをするんじゃねぇぞ、俺がやると忠治が、腰の吉兼を抜き放つ。
脇差に手をかけたまま、伊三郎が2歩3歩、うしろへ下がっていく。
忠治がかまわず間合いを詰める。
伊三郎の退路がなくなった瞬間。
するどく気合をかけて忠治が、吉兼を大上段へ振りかざす。
真庭念流の剣は、一撃必殺。



 大上段から振り下ろされた吉兼が、伊三郎を袈裟がけに斬る。
充分な手ごたえが有った。
さらに返す刀で忠治が、伊三郎の胴を横に払う。
こちらも充分すぎる手ごたえが有った。
忠治の愛刀。加賀の野鍛冶が鍛えた吉兼の切れ味は、鋭い。
かんたんに致命傷を与えることができる。それほどまで切れ味は鋭い。
2回の攻撃で、すでに伊三郎は虫の息。



 文蔵が、瀕死の永井兵庫にとどめを刺す。
泥田の中で三下の2人も、民五郎と浅太郎の攻撃を受けて絶命する。
ただひとり。提灯を持っていた新次郎だけを取り逃がす。



 「もういい。逃げたちょうちん持ちなんざ、放っておけ。
 伊三郎のやつは予定通り片づけた。
 だが、問題はこれからだ。
 留守は円蔵にまかせるとして、俺たちも2手に別れよう。
 富五郎と友五郎、新十郎と才市の4人は、行商人に化けて下総(千葉)へ向え。
 残った俺たちは、糸繭商人に化けて信州へ向かう」



 本懐をとげた忠治の一行が2手に分かれる。それぞれ国を越えていく。
天保6年7月。忠治はふたたび、人を殺してしまった。
苦い想いを抱きながら忠治が三国の山(群馬と長野の県境)を越えていく。



 第六章 天保の大飢饉 完


 第一部 完

忠治が愛した4人の女 (95)  第六章 天保の大飢饉 ⑫  

2016-11-27 21:09:35 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (95)
 第六章 天保の大飢饉 ⑫  





 「伊三郎のやつ。本当に世良田へ行きますかねぇ?」


 文蔵が心配そうな顔で、忠治を見つめる。


 「軍師は必ず行くと言い切った。俺もそれを信じてぇ。
 だが、まんにひとつ行かなかったら、そのときはまた別の機会を狙うしかねぇ」



 「畜生。あの用心棒さえいなかったら、いつでも片づけられるのになぁ」


 文蔵がふたたび桐屋の入り口を覗き込む。
入り口に人の動きはない。伊三郎の一行は中へ入ったきり、出てくる様子はない。



 「たしかにあいつは腕が立つ。噂じゃ、かなり凶暴な男らしいな」


 「悪賢い伊三郎の用心棒をしているくれぇの、くだらねぇ男だ。
 どうせあいつも、まともな人間じゃあるめぇ」


 
 一刻(いっとき・2時間)余りが経っても、伊三郎一行は出てこない。
(さてと・・・ここから先が勝負だぜ。伊三郎が世良田へ行くか、行かないか。
ここから先の行動が問題だ)
忠治が、文蔵へささやく。
2人は、桐屋が見下ろせる部屋で息をひそめている。
かねてから手配しておいた部屋だ。ここからなら桐屋の動きが丸見えになる。



 「焦ってもしょうがねぇ」一杯やろうと、忠治が置いてあった徳利を持ち上げる。
「勝利の美酒にはちっとばかり早い。だがじっくり待つときには、やっぱりこれが一番だ」
敵が動き出すまで、じっくり待つとするかと、盃を差し出す。



 やがて日が西へ傾いてきた。
いつもなら島村へ向かって歩きはじめる時刻だ。だが今日の伊三郎は動かない。
桐屋へ入ったきりで、いつまで待っても出てこない。
会合がひらかれる世良田村まで、1里あまり。
夕刻から歩きはじめれば半刻すこしで、有力者たちの会合に間に合う。



 (いつもなら今ごろから動く。陽のあるうちに島村へ帰る。
 いまだに動き出さねぇということは、もう、世良田行きが決まったということだ。
 たいしたもんだ。円蔵の読みが、ぴたりと見事に当たったぜ)



 忠治がぐびりと、盃に残った酒を呑み込む。
(もう伊三郎が世良田へ行くのは間違いねぇ。そうと決まれば長居は無用だ)
行くぜと忠治が文蔵を促す。
裏口から出た忠治と文蔵が、刺客たちが待つ熊野神社へ急ぐ。



 「親分。伊三郎のやつは、ホントに来るんですかい?」


 熊野神社に隠れていた6人が顔を出す。


 「安心しな。やつは間違いなく世良田へやって来る。
 いまごろは桐屋で何も知らず、最後のメシを食っている頃だ」


 「じゃ手はずの通り、挟み討ちにする形で、待ち伏せするか・・・」



 富五郎、才市、友五郎、新十郎の4人が、熊野神社の森の中へふたたび隠れていく。
忠治と文蔵、板割の浅太郎の3人は、近くの桑畑へ移動する。
2手に別れた刺客が、伊三郎がやってくるのを息を殺して待ち構える。


 日が暮れると街道から、急に人の姿が消えていく。
目の前には、どこまでも広がる水田と、ところどころに黒く桑畑が横たわる。
見上げると月は出ていない。しかし、無数の星が輝いている。


 地面に伏して待つこと、さらに半刻(1時間)あまり。
街道の向こうに、提灯があらわれた。かすかに、5人の人影が見える。
(来たぞ・・・伊三郎の一行だ。間違いはねぇだろう・・・)
獲物がやってきたぞと忠治が、ごくりと生唾を呑み込む。
 
 
(96)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (94)  第六章 天保の大飢饉 ⑪ 

2016-11-25 17:12:44 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (94)
 第六章 天保の大飢饉 ⑪ 



 
 忠治は文蔵とともに祇園祭の賭場を、割り振られた場末でひらいた。
場所が悪いと文句を言っている場合ではない。
賭場をひらかなければ、不審を感じた伊三郎が警戒をつよめる。


 「伊三郎だって馬鹿じゃねぇ。
 俺たちがどんな風に出てくるか、鵜の目タカの目で監視している。
 髪の毛ひとつでも、疑われちゃならねぇ。
 勝負は7月にひらかれる最初の絹市の晩だ。
 いいな。それまでは何が有っても、絶対に気付かれちゃならねぇぞ」


 くれぐれも気付かれないように用心しろと、軍師の円蔵が子分たちに念を押す。
喧嘩ッ早い文蔵に向い、特におまえは気をつけろと重ねてクギを刺す。



 しかし。軍師の心配はまったく無用だった。
決行の日を知った文蔵は、周囲が呆れるほど、なにごとにも下手に出た。
伊三郎の子分と、境内で顔を合わせる。
ペコペコと頭を下げ、「来年はもっといい場所にお願いします」と頼み込む。
まわりが呆れるほどの低姿勢ぶりだ。

 
 7月最初の絹市の晩と決めたのには、理由が有る。
市が立つ日。伊三郎は必ず、大黒屋と桐屋の賭場へやって来る。
帰りは平塚道から中島へ出て、利根川を船で渡り、島村へ帰っていく。
それがいつもの決まった道順だ。



 だが7月最初の絹市にかぎり、別の用事が発生する。
縄張りのひとつ。世良田村の長楽寺で、年に一度の特別な会合がひらかれる。
世良田の顔役たちが、この席へ顔をそろえる。
年にいちどの会合のあと。男たちは、そろって博打を楽しむ。
伊三郎は、縄張り内での評判を人一倍気にする男だ。
律儀にこの会合へ必ず顔を出す。軍師の円蔵はそう読んだ。


 普段の見回りなら、明るいうちに島村へ帰ってしまう。
しかしこの日にかぎり、世良田村まで足を延ばす。
賭場が開かれるのは日が落ちてから。とうぜん夜道を歩くことになる。
用心深い伊三郎には、珍しいことだ。
この瞬間こそ、待ちに待った襲撃のそのとき。と、円蔵は計画を決めた。



 忠治は伊三郎襲撃の人数を、7人とした。
大人数で動いては、目立ち過ぎる。
三ツ木の文蔵。曲沢の富五郎。山王道の民五郎。八寸の才市。神崎の友五郎。
甲斐の新十郎。板割の浅次郎の七人を選び出した。


 伊三郎の用心棒、永井兵庫という浪人者は腕が立つ。
斬りあいになったのではこちらが不利になる。
飛び道具で、さきに傷を負わせる作戦にでた。
そのためにまず、鉄砲名人の才市と、弓名人の新十郎を襲撃の仲間に入れた。


 飛び道具がしくじった場合も考えた。
富五郎は真庭念流の使い手で、永井兵庫と五分にわたりあえる。
民五郎は居合抜きの名手。
さらに友五郎は神道流の達人で、板割の浅次郎は槍を使う。
連れて行ってくれと願い出る子分が多かった。
しかし、伊三郎を殺したあと、島村一家が反撃してくることも考えなければならない。



 「おめえたちは万一に備えて、留守を守ってくれ」



 子分たちに言い残し、忠治と7人の刺客が百々村を出て、境の宿へ入る。
前もって用意していた隠れ家へひそむ。
伊三郎が見回りのために、大黒屋へあらわれた。
いつもの刻限だ。昼をすこし過ぎたばかりのいつも通りのいつもの時間。
供回りの顏ぶれも、いつもと変わらない。
用心棒の永井兵庫。子分の新次郎。荷物持ちの三下奴が2人の、いつもの顔ぶれ。
用心している様子は、まったくない。


 伊三郎の一行が大黒屋へ入る。
大黒屋で半時(はんとき)ほど過ごしてから、いつものように桐屋へ移っていく。
ここまでも、まったくいつもと同じ行動だ。



 「よし。いつも通りの伊三郎の一行だ。
 まんにひとつも、俺たちの動きに気が付いていないようだ。
 じゃ、おめえたちは2人づつ組んで、世良田へ急げ。
 ただし。目立つんじゃねぇぞ。
 間を置いて、きづかれないように移動するんだ。
 ひそむのは、長楽寺の手前にある熊野神社。
 くれぐれも気を付けて行け」


 2人ずつ、時間を置いて忠治が、隠れ家から刺客を送り出す。

(95)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (93)   第六章 天保の大飢饉 ⑩

2016-11-24 17:09:56 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (93)
  第六章 天保の大飢饉 ⑩




 「まずは伊三郎が、今年、どうして俺たちの賭場を隅っこにしたのか、
 そいつを考えなくちゃいけねぇな」


 黙ったままやりとりを聞いていた忠治が、目を開ける。
「そんなのは決まってらぁ。賭場割りで難癖をつけてから、境の宿へ彦六を送り込み、
俺たちのシマを乗っ取ろうと考えているからでぇ!」
文蔵が顔を冷やしていた手ぬぐいを投げ捨てる。そのまま忠治の前へ身体を乗り出す。


 「慌てるな文蔵。おめえの気持ちはよくわかる。
 たしかに、その通りかもしれねぇ。
 だが伊三郎のやつは、おめえたちが彦六に仕返しするのを、待ち構えている。
 彦六を餌に、おめえたちが騒ぎ始めるのを待っているんだ。
 そうなったら、まとめて取っ捕まえる魂胆だ」



 「彦六のやつなんざ後回しだ。
 伊三郎の奴をさきに殺(や)っちまえば、俺たちが捕まることはねぇ!」


 
 「まぁ待て、文蔵。おめえの気持ちは分かるが、無茶はいけねぇ。
 いま伊三郎を殺ったとしても、島村一家がどうなるかを考えなくちゃいけねぇ。
 島村一家が潰れるのなら伊三郎を殺したほうがいい。
 しかし伊三郎がいなくなっても、島村一家が健在のままだったら、
 こんどは、俺たちのほうが潰されることになる」


 「親分!。そんな事は、やってみなきゃわかんねぇだろう!」


 「だからおめえはしくじるんだ。いいか、よく考えろ文蔵」
2人のやり取りを聞いていた軍師の円蔵が、「まぁ落ち着け」と口を挟む。



 「わかんねぇじゃ済まねぇんだぜ、文蔵。
 おめえは頭にくると簡単に伊三郎を殺すと言って騒ぐが、相手は十手持ちだ。
 十手持ちを殺して、ただで済むと思ってんのか。
 必ず手配書が回る。
 手配された連中はしばらく帰って来られねぇ。
 その間に留守を守っている者が殺されたら、おめえたちは帰る場所がなくなる。
 そのあたりのことをよく考えてから、行動に移さなきゃいけねぇ」


 「軍師のいうことは、よく分かる。
 だがよ・・・このまま黙って引き下がったら、国定一家が笑いものにされちまう」


 文蔵が眉間にしわを寄せる。握り締めたこぶしが、ぶるぶる震えている。



 「文蔵が半殺しの目に遭ったのは、賭場の準備に来たほかの連中にも見られている。
 子分たちは帰ってから、事の成り行きをてめえの親分に知らせたはずだ。
 そうなるとこの俺がどう出るか、期待して見ているのにちげえねぇ。
 子分がこんな目に遭わされたというのに、何もしなかったら、俺が笑われちまう。
 意気地なしだと、きっと、世間から笑われる」


 忠治が再び、目を閉じる。


 「たしかにそれは言える・・・だが、彦六の奴がどうも臭え。
 ひょっとしたら先走った彦六が、伊三郎に内緒で場所割りを変えたかもしれねぇぞ。
 そうなってくるとまた、話は別になる」



 「円蔵。そんなことはどうでもいい。
 真相をはっきりさせて彦六を殺したって、伊三郎が生きてる限り国定一家はつぶされちまう。
 こうなったらもう、伊三郎を殺すよりほかに俺たちの助かる道はねぇ!」



 「そうだな。いまがやるべき時かもしれねぇな。
 大前田の英五郎親分も、久宮の親分を殺ったことで男をあげて、名前を売った。
 俺もいつかは、島村の伊三郎をやらなきゃならねぇ。
 たしかにいまが、その時だ。
 よし。よくわかった。伊三郎を殺るってことで腹を決めようじゃねぇか。
 軍師。さっそく作戦をたててくれ」


 
(94)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (92)  第六章 天保の大飢饉 ⑨

2016-11-21 17:17:51 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (92)
 第六章 天保の大飢饉 ⑨




 気が付くと腫れあがった顔の民五郎が、泣きながら文蔵の肩をゆすっていた。
セミの鳴き声が、やかましいほど頭に響く。
ようやく目を覚ました文蔵が、ぐるりと周りを見回す。


 「あいててて・・・おい、みんな、大丈夫か?」



 返事の声はない。みんな傷だらけだが、どうやら辛うじて生きている。
文蔵が口の中から血の塊を吐き出す。
「畜生め。このままにしておかねぇぞ。もう我慢できねぇ」
文蔵が、祇園の森を睨み上げる。



 「忠治が何と言おうが、俺は伊三郎のやろうをたたっ斬ってやる。
 彦六の野郎も絶対に許せねぇ。
 みんなまとめて、地獄送りにしてやる。
 おい・・・いつまでも此処に居てもしょうがねぇ。けえるぞ」



 ふらりと立ち上がった文蔵が、右足を引きずりながら歩きだす。
ぼろ雑巾のような一行が、ようやくの思いで百々村へ帰りつく。
迎えに出た円蔵が、一行を見て驚きの声をあげる。


 「軍師。見た通りの有様だ。わるいが今度ばかりは止めても無駄だ。
 ここまでされて、黙っていられるか。
 おめえが止めても今度こそ、伊三郎の首を取ってやる」


 「たしかにここまでされちゃ、もう黙っていられねぇ。
 だが、可笑しいな。どうにも腑に落ちねぇ」


 「何が腑に落ちねえんでェ?」



 「伊三郎が、勝手に賭場割りを変えたことだ。
 伊三郎といえば、親分衆の顔色を一番気にしている男だ。
 去年。一番人気だった国定一家の賭場を、わざわざ境内の外れに置くなんて、
 どうにも考えられねぇことだ。
 去年。伊三郎は、器のでっかい親分だと褒められた。
 それなのに、急にそんな場所割りをしたら、去年の評判がガタ落ちになる。
 人一倍世間の噂を気にしている男が、そんな真似をすると思うか?」


 「疑う余地があるもんか。
 いちの子分の彦六が、はっきり、そう言ってたぜ!」



 「彦六と言えば伊三郎が可愛がっている、ふところ刀だ。
 17のとき。伊三郎の子分になって以来、ずっと伊三郎のそばを守って来た男だ。
 伊三郎の跡目を継ぐのはこの男だ、と言われている。
 だが伊三郎の言動に忠実すぎて、代貸たちからの評判はよくねぇ。
 人気があるのは林蔵という男だ。
 この男が最初に、伊三郎一家の代貸をつとめている」


 「軍師。いってぇ何がいいてんでぇ!」




 「伊三郎の奴が、彦六をそそのかしたかもしれねぇ。
 境のシマを取るために、忠治一家が邪魔になる。
 跡目争いでは、人望の有る林蔵の方が、いまのところ人気を集めている。
 ここらあたりで男をあげて、境のシマを分捕ってみろ、
 と、伊三郎が彦六をけしかけた」


 「じゃ伊三郎の奴。彦六を餌にして、俺たちをおびきだそうというのか!」



 「そうさ。うまくいけば、そっくり境のシマが手に入る。
 まんいちしくじっても、彦六が暴走したと言えばそれまでだ。
 跡目なら人気のある林蔵が継いだ方が、島村一家がしっくり収まる。
 そこらあたりまで計算して、伊三郎の奴が、勝負に出てきたのかもしれねぇな。
 たしかに今が潮時かもしれねぇァ。どうしゃす、親分」


 円蔵がじっと腕組したまま、瞑想している忠治を振りかえる。

 
(93)へつづく

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