落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(25)貴重なハチ

2020-08-31 08:02:41 | 現代小説
上州の「寅」(25)
 


 「こんなひろい庭。手入れするだけでかるく3~4年かかる。
 やるだけ無駄さ。
 そうじゃない。わたしたちの目的はハチ。
 ここには特別なハチが住んでいる」


 「特別な蜂?。人をチクリと刺す、あのハチか?」


 「そう。そのハチ。貴重なハチが住んでいる」


 「貴重だって?。別にめずらしくないだろう。たかがハチだぜ」


 蜂と聞いて寅が苦笑する。


 「なんだよ。ハチのため、九州のこんな山奥まで俺を呼び寄せたのか。
 冗談じゃないぜ。まったく。
 大前田氏も君もいったい何を考えているんだ」
 
 寅があらためて周囲を見回す。
目にはいるのは荒れ果てた日本庭園、ところどころにそびえる造園の木々。
その向こうにうっそうと森が広がっている。
どこにいるというんだ。貴重なハチとやらは・・・
 
 「あなたの言っているハチは、外来種の西洋ミツバチのことでしょ。
 西洋ミツバチは畜産種だから飼育しやすい。
 いちど巣を形成すると少しくらい環境が悪くなっても巣をつかいつづけるし、
 ひとつの巣からとれる蜜の量もおおい。
 野生化しないから飼いやすい。いいことずくめです。
 残念でした。西洋ミツバチではありません」


 「西洋ミツバチと違うのか。じゃなんだ。君のいう貴重なハチというのは?」


 「日本ミツバチです」


 「日本ミツバチ?」


 「正式名は東洋みちばち。野生種です。
 東南アジア全体にひろく生息しています。
 西はパキスタン、南はインドネシア、北は中国まで。
 日本は北の限界地。
 国内の北限は下北半島で、北海道には棲んでいません」


 「へぇぇ・・・
 日本に野生のみつばちがいるなんて初めて知った」


 「野生の日本みつばちは岩穴や木のうろ、石積みの隙間、
 放置されている木箱や縁の下、屋根裏などに巣を作ります。
 日本みつばちが好むのは深山の花木で、地味な花を咲かせる樹木の蜜。
 西洋ミツバチには無い、すぐれた特徴をもっているの」


 「すぐれた特徴?。なんだい。それは」


 「伝染病にかからない。
 ということはハチに抗生物質を飲ませなくても、養蜂ができる。
 もうひとつ。ダニも寄せつけない。
 ダニ用の殺虫剤をつかわないから安全です。
 ということは世界でいちばんピュアで安全なはちみつがつくれるの」


 「世界でいちばん安全でピュアなはちみつ。凄いね!」


 「それだけじゃないの。
 日本ミツバチはたくさんの種類の木や花から蜜をあつめてくる。
 これは日本ミツバチにしかできないことなの。
 西洋ミツバチではあつめられない、すばらしい風味のはちみつがつくれます」


 「いいね。メリットがいっぱいだ。じつに素晴らしい!
 ということはここで日本ミツバチを飼って、はつみつをつくるということか」


(26)へつづく


上州の「寅」(24)夢の跡 

2020-08-28 16:46:35 | 現代小説
上州の「寅」(24) 

 
 「なんだ?。この景色は・・・」


 古民家を出た寅が目の前にひろがる景色を指さす。
荒れ果てた日本庭園が、寅の目の前に横たわっている。
荒れようが酷い。手入れが放棄されていったい何年たつだろう。


 「男の夢の跡だよ」


 「男の夢の跡?。・・・どういう意味だ?」


 「見た通りさ。広いだろ。ぜんぶどこも荒れ果てているけどね」


 「どのくらい有る。ここは」


 「4万坪」


 「よ・・・四万坪だって!」


 まわりを囲むのはすべて深い山。
その中にここだけぽっかり、異空間のように広大な日本庭園がひろがっている。
敷地はぜんぶで4万坪あるという。


 「どんな男が作ったんだ?」


 「孤高の画家。いや、陶工だったかな・・・。
 20年前のことだ。
 その男は50万円で、このあたりの山を買い取った。
 蕎麦屋をつくるためにね」
 
 「こんな山奥に蕎麦屋?。
 わからなくもないが、それにしても広すぎるだろうこの面積は。
 何を考えていたんだ。その男は」


 「うどん、ラーメン、ちゃんぽんなら街中でもいい。
 でも蕎麦には景観が必要。
 そう思い場所をさがしていた男がここを見つけた。
 ここには川が有りホタルが飛んでいた。奥には滝もある。
 ここなら特別な場所がつくれる。
 そう考えてここに、広大な庭を持つ蕎麦屋をつくることを決意したそうだ」


 「まわりはうっそうとした山だ。どう見たってジャングルだぜ。
 よくこんなところへ蕎麦屋を作ろうなんて考えたな」


 「絵をかくひとや、茶碗をつくるひとたちの頭は特別だ。
 山奥へいきなり蕎麦屋をつくっても誰も来ない。
 人を呼ぶため山の中へ、見たこともない広大な日本庭園をつくる。
 そう考えてたったひとりで20年間、ジャングルをせっせと開墾したそうだ。
 たったひとりでね」


 「たったひとりで開墾した・・・まるで令和の青の洞門だな。
 20年前か。そうすると平成の青の洞門だ。
 おそれいったね。
 で?、どうなったんだ。ここは、その後?」


 「見た通りさ。
 北陸から古民家を移築した。
 これから蕎麦屋ができるという矢先、長年の無理がたたり、
 男はぽっくり病死した。
 ということでここに、男の遺構だけが残された」


 「4万坪の日本庭園がある山奥の蕎麦屋か・・・
 とんでもないことを思いつく男が居たもんだ。
 で、おれたちはいったいなぜ、こんなところに居る?。
 目的はなんだ。
 なんのために此処に居る?。
 まさか蕎麦屋の夢を受け継ぐためじゃないだろうな」






(25)へつづく


上州の「寅」(23)かまど炊き

2020-08-25 15:23:20 | 現代小説
上州の「寅」(23)


 「なんだぁ・・・ここは!」


 翌朝。表へ出た寅が目を丸くする。
目の前に、大量の枯れたアジサイの木がひろがっている。
ところどころ桜や椿、木蓮の木が立っている。
しかしどう見ても、手入れが放棄されたままの巨大な日本庭園。


 女たちが住んでいるのは藁ぶきの古民家。
農家ではない。商いをしていたような雰囲気が漂っている。


 「起きたかい。ご飯だよ」


 古民家からチャコが呼ぶ。


 「なんだ。此処は?」


 「説明はあと。ご飯にしょう。食べたらすぐ仕事だ」


 「なんの仕事?」


 「ついてくればわかる。さぁ食べよう」


 「はい」と白米の茶碗が目の目に出る。
「ありがとう」と受け取り、ぱくりと炊きたてを口の中へほうりこむ。
旨い。いままで口にしてきたコメとあきらかに味が違う。


 「なんだ・・・これ」


 「はじめチョロチョロ、中パッパ。
 ここにはかまどが有る。慣れれば誰でも美味しいご飯が炊ける」


 「かまど?」


 「昔はかまどで炊くのがあたりまえだった。
 チョロチョロの弱火は釜全体をゆっくり温め、お米の甘みと旨みをひきだす。
 中パッパでいっきに火力を強める。
 強火で沸騰することでお米に熱がいきわたる。
 ひとつぶひとつぶ、ふっくらした食感にしあがる」


 「なるほど・・・」


 「まだある。ぶつぶつ言うころ火をひいて。
 火を弱めて沸騰を維持する。
 そうするとお米が釜の中の水分を吸収して、甘みともちもち感をさらに増す。
 つづいて一握りのわら燃やし。
 もういちど強火にすることで釜内の水分を飛ばす。
 そうするとハリを残しつつ、大きな米粒にしあがる。
 最後は赤子泣いてもふたとるな。
 これは知ってるでしょ。
 お米に旨みをとじこめるための蒸らし。
 かまどで手間かけて炊き上げると、びっくりするほど美味しいお米ができあがる」


 「君が炊いたの?」


 「わたしが覚えてユキに教えた」


 「ユキちゃんが炊いたのか。こんなおいしいご飯を!」


 「感心している場合じゃないよ。
 かまど炊きは明日からあなたの仕事だからね」


 「え・・・俺が飯を炊くのか!」


 「あたりまえです。働かざる者食うべからず。
 おいしいご飯を食べたかったら、ユキからしっかり教えてもらうんだね。
 ここへきて最初に覚える仕事、それがかまど炊きさ。
 頼んだよ。明日の朝からは5時におきてご飯をたいてくださいね」


 「あちゃぁ・・・」


(24)へつづく


上州の「寅」(22)路は2つ 

2020-08-23 17:43:18 | 現代小説
上州の「寅」(22)




 「あなたの未来に、赤信号が点灯してるのよ。
 デザイナーの才能がないことを知らないのは本人だけ。
 ホントに気がついていないんだ。
 自分にデザイナーとしての才能がないことに。
 ああ・・・可哀想。お気の毒さま」


 「だからどうだというんだ。
 おれの将来は俺が決める。テキヤの自由にさせない」
 
 「あら。わたしにそんな大口をたたいていいの?。
 じゃ警察へ行こうか。
 雑魚寝を強要されたうえ、毎晩、痴漢されたと訴えるわ。
 困るでしょ。そんなことされたら?」


 「何だよ。君までおれを脅迫するつもりか!」


 「脅迫じゃないわ。事実だもの。
 実際に触ったでしょ。わたしの胸とお尻に」


 「たまたまだ。寝返りしたらおれの手が君の胸に触れただけだ」


 「ウソつき。しっかり触ったくせに」


 「うん。まんざらでもなかった・・・」


 「ユキのお尻にも触ったでしょ。
 ユキは15歳よ。未成年に強制わいせつ。
 痴漢なら罪が軽いけど、強制わいせつは罪が重いわよ」


 「痴漢と強制わいせつは違うのか?」
 
 「大違いです。強制わいせつ罪は、6ヶ月以上10年以下の懲役。
 下着の中にまで手を入れたり、下半身を長時間触り続けたりするなどの
 悪質な痴漢行為は、場合強制わいせつ罪に問われます。
 場合によっては、人生を棒にふることになるわ」


 「たしかに触ったけど、下着の中へ手を入れたり、
 下半身を長時間さわったりしていないぜ」


 「女が2人がこんな風にやられましたと言えば、たいていは有罪になる。
 あんた次第だ。
 どうする?、道はふたつある。好きな方を選択しな」


 「一つ目は?」


 「警察へ行き、あんたを痴漢者として突き出す」


 「2つめは?」


 「助手席へ座り、このままわたしたちの隠れ家へ行く」


 「隠れ家?」


 「わたしたちはそう呼んでいる。
 ホテルでもないし、旅館でもない。しいていえば古民家だな」


 「古民家でなにやってんの?。女が2人で?」


 「行けばわかる」


 「遠いのか?」


 「遠い。携帯の電波がはいらない山の中だもの。
 パンツ1枚で過ごしても誰にも文句を言われない、秘境の環境」


 「雑魚寝は?」


 「懲りないわね。あんたも。
 わたしたちは古民家だけど、あんたの根場所は離れの物置。
 いっしょに寝てもいいけどそんなことになったら、あんた、一生上州へ
 帰れないよ。
 それでもいいのなら、いっしょに寝てあげるけど。どうする?」


 「雑魚寝は遠慮する・・・これ以上、罪を重くしたくない」


 「いい覚悟だ。うふっ」


 


(23)へつづく


上州の「寅」(21)赤信号

2020-08-20 17:07:25 | 現代小説
上州の「寅」(21)


 それから1時間後。チャコが軽トラックに乗ってやってきた。
軽トラック?。


 「軽トラ?。いままで乗っていたワンボックスはどうしたの?」


 「仕事の都合上、こいつのほうが便利なのさ。
 これ。悪路でも走れるフルタイムの4WD(4輪駆動)よ」


 「農業でもはじめたの?」


 「行けばわかる。
 これからまた携帯の圏外まで帰るけど、覚悟はいいね」


 「覚悟?。いったいなんの覚悟だ」


 「3日や4日じゃ帰れない。
 はやくて1年。ひょっとすると3~4年は帰れないかもね」


 「ちょっと待て。聞いてないぞそんな話!。初耳だ」


 「あら。義父から何も聞かされていないの?。
 おかしいな。長くいられる奴を送り込むと言っていたのに。
 候補がいるのと聞いたら、うってつけの奴が居ると自信たっぷりだった」


 「それが僕だというのか?。
 大学はどうすんだ。あと1年で卒業だ」


 「卒業したあと、どうするつもりだったの。あんたは」


 「決まっているだろう。デザイン関係の仕事へ着く」


 「あんたを採用する就職先があるの?」


 「あるさ。おれは商品デザイナーになるんだ」


 「あんた。単位足りてないでしょ。
 卒業できるかどうかもわからない落ちこぼれのくせに、よく言うわ」


 「な・・・何で知ってる。おれの成績まで!」


 「テキヤの情報力を甘くみないで」


 「大学にスパイでも居るのか?」


 「調べればわかることだわ」


 「適当に言うな。大学が個人情報をもらすはずがない」


 「大学の情報管理は完璧です。
 正攻法ではだめでも、なかにはもろい人もいるわ」


 「誰かしゃべった奴がいるのか?」


 「あんたの通っているゼミの大学教授。
 還暦ジジィのくせに、若い娘にめっぽう目がないでしょう。
 色仕掛けで誘ったら尻尾をふってついてきたわ」


 「君が誘惑したのか?」
 
 「チョロいものよ。大学の教授なんて。
 わたしが本気で色気を見せれば、それだけでイチコロさ」


 「どうやって落とした?」


 「ホテルの入り口のところで写真を盗撮させた。
 これを奥さんに見せれば、あんたもおしまいだねと脅迫した」


 「美人局(つつもたせ)で脅かしたのか」
 
 「効果はてきめんだった。
 あんたのこと、あらいざらい全部しゃべったわ。
 才能ないんだって。あんた。
 デザイナーとしての未来に赤信号がともっているそうよ」


 「あ・・・赤信号が!。ホントかよ」


(22)へつづく