落合順平 作品集

現代小説の部屋。

居酒屋日記・オムニバス (62)       第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ⑧ 

2016-04-30 09:20:25 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (62)
      第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ⑧ 



 
 湯ヶ島温泉は、伊豆半島のほぼ中央に位置している。
狩野川(かのがわ)の周辺に旅館が立ち並び、共同浴場が2ヵ所残っている。
歴史の古い温泉で、明治以後、多くの文人たちが訪れている。
川端康成の「伊豆の踊り子」。井上靖の「しろばんば」。
尾崎士郎の「人生劇場」などは、ここへ逗留して書きあげられたものだ。


 川端康成が『伊豆の踊子』を執筆したのが、旅館「湯本館」。
文豪が愛したこの宿が、俊子が予約した宿だ。
執筆に使っていたという3畳の間が、たくさんの資料とともに残されている。



 予約したのは文豪たちが愛した、趣のある8畳の和室。
『展望風呂付の特別室が取れなかったのが、残念。
でも明治38年に建てられたというだけあり、ホント、落ち着く造りですね』
俊子は部屋の中を見回しながら、自画自賛に余念がない。



 だが、夕食後に事件がおきた。
浴衣に着替えたあと。俊子と2人で館内の探索に出かけていた美穂が、
スリッパを鳴らして、8畳の部屋へ駆け戻って来た。



 「パパ。ビッグニュースです。
 耳よりの情報を聞きつけてきました!」美穂が部屋へなだれ込んで来た。



 「なんだ?、川端康成の亡霊でも現れたのかい?・・・」



 「モノ書きなんかの亡霊に、興味が有るのパパは・・・
 死んだ人間などに興味はありません、わたしは。
 それより14歳の踊子と、42歳の豊満な美女と、念願の混浴ができるようです。
 しかも場所は、川沿いの露天風呂です。
 ねぇパパ。願ってもない展開でしょ。
 手持無沙汰でテレビなんか見て、ふて寝している場合じゃないわよ」



 「別に手持無沙汰で、ふて寝しているわけじゃ無いさ。
 これでも俺なりに、宿の風情を満喫している。
 しかし混浴できるというのは嬉しいね。
 だけどお前。俺と風呂に入るのは、10歳の時から封印しているはずだろう?」



 「うふふ。今夜だけは、特別です。
 踊り子だって、共同浴場で『私』に向かって、全裸で手を振ったでしょ。
 それから比べれば、露天風呂は真っ暗な闇の中だもの。
 昼間じゃないもの、わたしはぜんぜん大丈夫です。
 あら・・・乗り気じゃないみたいですねぇ、パパは。
 嫌ならいいのよ。別に無理をしないでも」



 思いがけない提案に、幸作の頭が真っ白になっている。
願ってもないことだ。
だがさすがに、3人での混浴となると少しばかり抵抗が有る。
美穂は胸も尻も、もう、大人になりかけている。
42歳になった叔母の俊子は、女としての盛りを迎えている。
幸作にしてみれば、眩し過ぎる2人のハダカを、真近に見ることになる。



 だが美穂はすでに、すっかりその気になっている。
『先に行くわねぇ~』とバスタオルを抱え、元気よく廊下へ飛び出していく。
思ってもいない展開に、幸作の胸が騒ぎはじめてきた。
先着順で利用できる貸切の露天岩風呂が有ることは、到着した時から
気がついていた。


 (しかし、珍しい・・・
 家族ブロでは無く、混浴が出来る、貸し切りの露天風呂が有るとは・・・)



 だが幸作の口から『みんなで入ろう』とは、口が裂けても言い出せない。
足元を見透かされてしまう。
美穂とはもう、4年近くもいっしょに風呂へ入っていない。
美穂に生理が来たあの日。
『パパとはもう、一緒にお風呂には入りません』と絶縁宣言をされている。
あれから4年あまり。子供だった美穂の身体が、大人の女に変りかけている。
その美穂から『露天風呂へ入ろう!』と、突然の誘いがやって来た。



 (なんだかなぁ・・・
 キツネにでも化かされているような、そんな気分がするなぁ・・・)



 幸作が、タオルをふわりと肩にかける。
『娘に頼まれたんじゃ仕方ねぇ。あとに引くわけにはいかねぇな。
しょうがねぇ、久々に一緒に入ってやるか』
と露天風呂をめざし、いそいそと興奮を抑えて廊下へ出ていく。


(63)へつづく


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居酒屋日記・オムニバス (61)       第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ⑦ 

2016-04-29 09:16:02 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (61)
      第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ⑦ 




 天城峠を南に越えると、湯ヶ野へ着く。
河津川に架けられた橋の先に、踊り子の宿として知られる「福田家」がある。
玄関前に踊子の像があり旅館の脇に、文学碑が立っている。
対岸につくられた共同湯から、裸の踊り子が飛び出してくるのを
目撃する有名なシーンは、ここで生まれた。
共同浴場は今も残っている。
しかし地元の方専用で、残念ながら一般には開放されていない。



 「彼に指ざされて、私は川向うの共同湯の方を見た。
 湯気の中に七八人の裸体がぼんやり浮んでいた。
 仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、
 脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、
 両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。
 手拭いもない真裸だ。
 それが踊り子だった。
 若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、
 ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。
 子供なんだ。
 私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、
 爪先で背一ぱいに伸び上がる程に子供なんだ。
 私は朗らかな喜びでことことと笑い続けた。
 頭が拭われたように澄んで来た。
 微笑がいつまでもとまらなかった」



 文庫本を取り出した美穂が、共同浴場のシーンを読み上げる。



 「ほら。やっぱり子供じゃないの、伊豆の踊子は。
 わたしなら絶対に手なんかふりません。
 全裸で男の人に手をふるなんて、破廉恥すぎるじゃないですか。
 どういう性格の持ち主なのかしらねぇ、伊豆の踊り子って?」



 「五目並べが強い。美しい黒髪をしている。
 美しく光る黒眼がちの大きな眼。
 花のようによく笑う。
 尋常小学校二年まで甲府に住んでいましたが、家族といっしょに大島へ引っ越します。
 小犬を旅に同行させています。・・・といったところかしら。
 あなたと同じ14歳ですが、決定的に違うのはすでに社会の
 一員になっていることです。
 旅芸人一座のひとりとして、働きはじめていますから」



 「へぇぇ。14歳でもう、働いていたの、踊り子は!。
 中学でソフトボールをはじめたわたしとは、大違いです・・・
 旅芸人なんて職業が、存在していたんだ。大正という時代には」



 「旅することによって生活していく人々が、たくさん居ました。
 旅役者や、富山の置き薬。布地や瀬戸物の行商人。
 洋傘の修繕やポンポン菓子の商人。
 縁日の香具師(こうぐし)なども、そうした仲間のひとりです。
 昭和の時代に大ヒットした映画、『フーテンの寅さん』の主人公、
 車寅次郎は全国を旅する、テキ屋家業が生業です」



 「あっ、男はつらいよの寅さんよね。
 パパったら寅さんが大好きです。48作のDVDをすべて持っています。
 四角四面は豆腐屋の娘。色は白いが水臭いときた。
 どうだ、おい、よーし、まけちゃおう。
 まかったつむじが3つ、
 七つ長野の善光寺。八つ谷中の奥寺で、竹の柱に萱の屋根。
 手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。
 信州信濃の新そばよりも、あたしゃあなたのそばがよい。
 あなた百までわしゃ九十九まで、ともにシラミのたかるまで、ときやがった。
 どうだ畜生! さあこれで買い手がなかったら、
 あたしゃ、稼業3年の患いと思って諦めます!」



 「まぁ・・・呆れたわ。あんたって子は、なんでもすぐに覚えるのね。
 でもよかったわ。
 買った買った、さあ買った、カタコト音がするのは若い夫婦のタンスの管だよ。
 なんていう、変な口上を覚えなくて」



 「えっ、そんな口上も有るの!。ふぅ~ん、なんだか面白そうです。
 でもさ。どういう意味なの・・・意味がよく分かりませんけど・・・」


(62)へつづく


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居酒屋日記・オムニバス (60)       第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ⑥  

2016-04-28 09:38:11 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (60)
      第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ⑥  



 
 一行が雨宿りした茶屋も、このあたりにあった。
峠には踊子が越えていったトンネルが、そのまま残っている。
そればかりか、いまも通り抜けることができる。
100年前を、そのまま彷彿とさせる姿がそこにある。



 天城隧道は明治37年。3年を費やして完成した石造りのトンネルだ。
全長445.5m。幅は4.1m、高さが3.15m。
昭和45年。下を走る国道414号線の新天城トンネルが開通するまで、
天城越えの主要な交通路として使われてきた。
未舗装のままの曲がりくねった旧道が、当時の姿のまま残っている。



 「道がつづら折りになって、いよいよ天 城峠に近づいたと思うころ、
 雨脚が杉の 密林を白く染めながら、すさまじい速さで
 ふもとから私を追って来た。
 私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり紺がすりの着物にはかまをはき、
 学生カバンを肩にかけていた。
 一人伊豆の旅に 出てから四日目のことだった。
 修善寺温泉に一夜泊まり、湯ケ島温泉に二夜泊まり、
 そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。
 重なり合った山々や原生 林や深い渓谷の秋に見とれながらも、
 私 は一つの期待に胸をときめかして
 道を急 いでいるのだった」



 美穂が、「伊豆の踊子」の冒頭部分を暗唱している。
いつの間に覚えたのだろう。
10歳の美穂は男の子たちにまじり、夢中でサッカーボルを追いかけていた。
セーラー服をはじめて着た12歳の春も、翌日からジャージに着替えた。
サッカーを卒業した美穂が、叔母の俊子の影響でソフトボール競技をはじめたからだ。
美穂が読書している姿など、これまで幸作は見たことがない。



 読書をする子に変えたのも、国語の代用教員をしている叔母の俊子だ。
読書しなさいと強制したわけでは無い。
「今度の旅行は伊豆です」と、川端康成の文庫本をポンと美穂へ手渡した。



 「そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。
 折れ曲がった急な坂道を駈け登った。
 ようやく峠の北口の茶屋に辿りついてほっとすると同時に、
 私はその入口で立ちすくんでしまった。
 余りに期待がみごとに的中したからである。
 そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ」



 つづく文章もスラスラと、美穂が暗唱して見せた。
大した記憶力だ。いつのまに美穂は、文学少女に転向したのだろうか・・・
呆気にとられている幸作を尻目に、車を降りた2人が、
隧道に向かって歩きはじめる。



 日中だというのに、隧道の内部には闇が立ち込めている。
足元を照らすための照明も、まったく見当たらない。
手をつないだ2人が、隧道の前で立ち止まる。



 (おっ、立ち止まったぞ・・・躊躇したかな、内部のあまりの暗さに・・・)
ハンドルにもたれたまま、幸作が2人の様子をのんびり見守っている。
美穂と俊子が、何やら言葉を交わしはじめた。
美穂はサッカーで鍛えた、カモシカのような脚を持っている。
俊子もかつては大学の山ガールして、名を馳せてきた。
全国の名だたる高峰をいくつも走破してきた、強靭な脚力の持ち主だ。




 案の定。「3.2.1・GO」の掛け声のあと、ウオーミングアップもしないまま
2人がいきなり、全速力で走りはじめた。



 (えっ・・・隧道内を、ゆっくり歩くはずだったろう・・・
 それなのにあいつら、いきなり入り口から、全開で走りはじめた・・・
 踊り子のように隧道を、情緒たっぷりに歩くはずじゃなかったのかよ。
 どうなってんだ、いったい。
 これじゃまるで後ろから着いて行く俺は、箱根駅伝の伴走車だ・・・)



 幸作があわてて、ギヤをドライブレンジへ放り込む。
ライトをつけた勇作の車が、子鹿のように引きしまっている美穂の尻と、
脂肪がついて、いくらかふくよかになった俊子の尻を追いかけて、
峠の砂利道を、小石を散らして急発進していく。


(61)へつづく

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居酒屋日記・オムニバス (59)       第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ⑤ 

2016-04-27 09:32:53 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (59)
      第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ⑤ 




 川端康成の旅は、大正7年の10月30日からはじまる。
旧制第一高校の寄宿舎を出発した「私」は、旅の初日、修善寺温泉に泊まる。
旅の2日目。湯ヶ島温泉を目指して、街道を歩きはじめる。



 下田街道を歩いていく途中。
湯川橋を過ぎたあたりで、三人の娘旅芸人と行き会う。
そのうちのひとり、太鼓をさげていた踊子は、遠くからよく目立っていた。
これが「私」と、踊り子の最初の出会いになる。



 湯川橋は、狩野川へ流れこむ桂川に架かる橋で、修善寺橋のすぐ近くにある。
もうすこし綺麗な橋かと思っていたら、意外なほど古い。
ひょっとして『私』が旅した大正7年から、替わっていないのかもしれない。
橋のたもとに、「伊豆の踊子」の紹介看板が立っている。
小さいながら駐車場も近くにある。



 「伊豆の踊子は『私』が、湯ヶ島、天城峠を越えて下田に向かう旅芸人一座と
 道連れになり、踊子の少女に恋心に似た旅情と、哀歓を抱く物語。
 最初の出会いが、この湯川橋。
 でも、どうってことのない、古いだけの小さな橋ですねぇ。
 なぁ~んだ。わたしは、もっとロマンチックな橋を想像していたのに・・・
 現実的すぎて、いきなりの幻滅です」



 湯川橋の上から、狩野川と桂川の合流付近を見下ろして、
美穂が、思わず落胆の声をあげる。
無理もない。田舎ならどこでも有るような、ただのありふれた川の
景観が目の前にひろがっている。



 「ふふふ。旅のはじめから幻滅していたら、先が危ぶまれます。
 ここで出会った踊り子は、『私』には、特別な存在に見えたようです。
 17歳くらいに見える、旅芸人一座の一員。
 古風に結った髪に卵形の凛々しい小さい顔の、初々しい乙女。
 若桐のように良く伸びた足。
 それが主人公が見た、踊り子の第一印象です。
 踊り子はやがて、湯ヶ島温泉の共同浴場から白い裸身のまま、
 『私』に向かって無邪気に、手などをふります」



 「え・・・踊り子が、全裸のまま、共同浴場から男性へ手を振るのですか!。
 破廉恥なのですねぇ、大正時代の14歳は・・・」



 「あなたと違い、天真爛漫に育ったのよ、踊り子は。
 最初の出会いの場を確認しましたので、そろそろ踊り子の足跡を追いましょう。
 てくてく歩くと2日から3日かかる山道ですが、車ならほんの数時間。
 便利になったものですねぇ。あれから98年も経つと、」



 「98年!。川端康成が伊豆を旅してから、今年で1世紀近くになるのですか!」



 「伊豆の踊子が発表されたのは、大正15年。
 名作は6回も映画化されて、たくさんの美人俳優が踊り子を演じました。
 天城隧道へつづく山道で、『私』は旅芸人の一行に追いつきます。
 そろそろ私たちも、天城隧道への山道をたどりましょう」



 「え・・・車で行けるの!。踊り子と『私』が歩いた、天城隧道まで!」



 「いいえ。それどころか、いまでも通り抜けることが出来ます。
 100年以上も前に作られたトンネルが、昔の姿のまま現存しています。
 踊り子が歩いた隧道を、自分の足で歩くのも一興です。
 歩くのが嫌なら、車に乗ったまま、通過することも可能です。
 どちらでも、あなたのお好みでどうぞ」



 「100年も前の隧道の中を、いまでも歩くことができるの!。
 それなら、だんぜん、歩いて行くわ。
 ねぇ、パパ!。
 隧道で14歳の踊子と、42歳の見返り美人の2ショットが、見られます。
 絶好の、願ってもないシャッタチャンスです。
 急いでカメラの準備をして下さいね!」




(60)へつづく

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居酒屋日記・オムニバス (58)       第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ④

2016-04-26 10:09:04 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (58)
      第五話 見返り美人と伊豆の踊り子 ④




 いつの間に俊子のことを、「見返り美人」と呼ぶようになった。
悪気はない。発案者はもちろん、美穂だ。
俊子は20歳の時。大学で出会った男性と、学生結婚している。
東京で教員の資格を取り、そのまま首都圏に残り12年間、
教師と奥さんの2足のワラジを履き続けた。



 破たんした原因は、よくある亭主の浮気。
浮気が露呈した時。相手の女に、まもなく2歳になる女の子が居た。
疑いようのない、れっきとした亭主の子供だ。
「愛より金」と、俊子は割り切る。
高額の慰謝料を亭主から分捕り、母の居る実家へ戻って来た。
それがいまから8年前のことだ。



 「だもの。いまさら東京なんかに、これっぽっちの未練もありません。
 ゆえにわたしは、振り返り美人ではありません」



 うふふと俊子が、後部座席で声をたてて笑う。
2人を後部座席に乗せた勇作の車が、首都の道路を西へ急ぐ。
高層ビル群が小さくなっていくと、前方に東名道の入り口が見えてくる。
高速に乗れば、沼津のインターまでおよそ100キロ。
そこから伊豆縦貫道に乗り換えれば、目的地の修善寺温泉まで、
およそ30キロの道のりになる。



 「そっかぁ~。叔母さまはもう、東京は振りむかないのか、
 残念ですねぇ」


 「振り向いてばかりでは、人生、先に進めません。
 これから行く修善寺温泉は、伊豆の踊子の出発点ですから」



 「えっ?。伊豆の踊り子は・・・
 道がつづら折りになっていよいよ天城峠が近づいたと思うころ
 雨足が杉の密林を白く染めながらすさまじい早さで麓からわたしを追って来た。
 私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり紺がすりの着物にはかまをはき、
 学生カ バンを肩にかけていた ・・・
 という書き出しではじまるわ。
 天城峠を登るところからはじまるのよ、伊豆の踊子は」



 「あら。貸してあげたばかりなのに、もう読んで覚えたのね。
 あなたって、その気になれば出来る子です。
 あ・・・そういえば、あなたも今度の誕生日が来れば、14歳ですねぇ。
 伊豆の踊り子と同じ歳です。奇遇ですねぇ、うっふっふ」



 「え・・・14歳なの、伊豆の踊子って!」



 「大人びて見えたから、最初は主人公の「私」も17歳と勘違いします。
 でも実際には、14歳。
 あなたくらい可愛くて、色白の美人です、伊豆の踊子は」



 「へぇぇ踊り子は、わたしと同じ14歳ですか。
 なんだか、俄然、興味が湧いてきました。これから先の伊豆の旅が!」



 うふふと嬉しそうに、美穂が笑う。
「お天気もいいし、楽しい旅になるわ、きっと」と、俊子も同じように
後部座席で、まったりほほ笑む。
この2人はいつも、後部座席に仲良く並んで座る。



 「どちらが助手席に座っても、不公平だもの」と、美穂が口を尖らせる。
「奥さんなら助手席に乗せても似合うけど、俊子さんは叔母さんでしょ。
叔母さんを助手席に乗せて、パパは楽しいの?
かといって後部座席へひとりだけで座る、というのも哀しいわ。
わたしだってひとりでいるのは、つまらないわ。
不公平がないように、女子2人は後部座席へ座り、パパは最前列で
運転に専念するということで、どうかしら?」



 3人での旅行が始まったとき。誰がどの座席に乗るかで、議論になった。
そのとき採用されたのが、美穂の意見だ。
以来。幸作の助手席は、ぽっかりと空席のままだ。
今回も助手席がさびしく空いている。それもまた、いつものことだ・・・


  
(59)へつづく

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