落合順平 作品集

現代小説の部屋。

農協おくりびと (114)エピローグ・その1 妙子と祐三

2016-01-30 12:22:28 | 現代小説
農協おくりびと (114)エピローグ・その1 妙子と祐三




 不倫は、人が踏み行うべき道からはずれることを言う。
道徳から外れること全般に使われてきた言葉で、日常のすべてに摘要されてきた。
だが最近は配偶者でない者との男女の関係を、特に不倫と呼んでいる。


 「不倫願望があるわけではおまへん。
 かといって、女が枯れたわけでもおまへん。
 33歳と言えば、女の盛り。
 人並みに、それなりの欲望は持ち合わせております」



 「尼僧の発言とは思えないな、妙ちゃん。
 私を口説いて、不倫してもいいと聞こえてきたぜ、たったいま」



 「旅の恥はかき捨て。肯定しませんが否定もしません。うふっ」




 妙子がワイングラスを片手に、はんなりと笑う。
酔いが回ってくると妙子は、妙に女っぽくなる。普段以上に艶っぽい。
口角がきゅっと上に向く。
ひとつひとつの動作が、まろやかになる。なによりも、聞き上手に変身する。
頬杖を突いて、話をうながす。
ちょっとした合間に、さくっと自分の意見を言う。
すこし伏し目がちに話を聞いている妙子に、祐三の警戒心がメロメロになっていく・・・



 「天台宗の尼僧、瀬戸内 寂聴はんは知っとるでしょう。
 初期に書かれた受賞作『花芯』は、ポルノ小説みたいと酷評されました。
 修道女を志すも、教会から拒否されます。
 乳児を残して男性と逐電した過去の行状が、問題になったからです。
 出家を志して今度は、ぎょうさんの寺院をあたります。
 しかし、こちらも拒否されてしまいます。
 そんな寂聴はんが、1973年。今春聴(今東光)大僧正に救われます。
 中尊寺で得度して、法名を寂聴と名乗るようになります。
 尼僧になったのちも、ご自身の欲望を隠しません。
 『僧侶になったあとも肉食しとるし、化粧もしています。
 男もごめんなさいといいながら、肉食しています』と語っています。
 寂聴はんの座右の銘は『生きることは愛すること』どす。
 ウチも寂聴さんのように生きていきたいと、心から願ってるのどす」



 「寂聴の事は知ってる。
 21歳で見合い結婚して、翌年に女の子を出産する。
 夫の任地、北京に同行して、1946年に帰国する。
 だがやがて、夫の教え子との不倫が発覚してしまう。
 夫と3歳になった長女を残して家を出る。その後は京都に住みはじめる。
 1950年。離婚が成立する。
 これを機会に東京へ行き、本格的に小説家を目指す。
 東京に住みはじめたのちも、2人の男性と恋愛関係に落ちたという。
 たしかに恋多き女だ、寂聴という尼僧は」



 「はい。ウチは、恋多き尼僧の寂聴はんに憧れて尼僧の道へ入りました」



 「ますますもって、穏やかじゃねぇなぁ、妙ちゃん。
 俺がその気になったら、あとで困ることになるかもしれねぇぞ」



 「黙っていれば、誰にも分かれへんことどす」



 「墓場まで秘密を守るというのか、君は・・・呆れたな覚悟だぁ。
 そこまで言い切るからには、何か、人には言えない事情があるんだろう。
 言ってみな。俺でよければ聞き役になる」



 「実はな、ウチ、いまんまで人を恋したことがないのどす」



 「なに、今年で33歳になるというのに、いままでに人を好きになったことがない!。
 本当かよ妙ちゃん。・・・
 いやいや。いまからでも遅くない。
 誰かいい人が見つかれば、いまからだって人並みに恋をすることが出来る。
 まずは出会いが肝心だな、どんなタイプがいいんだ。
 俺が、良い男を紹介してやろう」



 「わたしの目の前にいるようなお方が、好みどす」



 「お、俺か・・・じ、冗談も休み休み言え。俺には妻も子供もいる!」



 「不倫はいたしません。奥様が亡くなるまでじっとお待ちいたします。
 ええでしょう、それくらい。
 奥様が亡くなるまでは、仲のええ大人として、若い者の恋愛を見守りましょう。
 うふふ。奥様が早めに亡くなることを、心から願っております」



 「な、なんていう不心得者だ。君と言う尼僧は・・・」



 「ええやないですか、こんな尼僧がひとりやふたり、この世に生きていても。
 うふふ・・・惚れてしもうたんどす、心のそこから祐三はんに」



(115)へつづく

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農協おくりびと (113)貴舟のスナック

2016-01-29 11:58:45 | 現代小説
農協おくりびと (113)貴舟のスナック





 夕暮れからはじまったライトアップが、消えはじめていく。
午後の8時30分を回ったからだ。
この時間帯になると、紅葉の前で立ち止まる人はほとんどいなくなる。
足元から寒さがしのび寄ってくるからだ。
ライトアップを満喫したひとたちが、ぞろぞろと貴舟の坂道を下っていく。


 
 約束のスナックへ先頭で到着したのは、祐三と妙子の2人だ。
軒下にひっそりと看板がさがっている。その下に、古めかしい木製の扉が見える。
木製の扉を開ける。カウンターの中から40代後半にみえる美人ママが、
「おこしやす~」と笑顔を見せる。



 6席あるカウンター席にタバコを吸う先客が、一人だけ座っている。
カウンターの隅に、金魚が泳ぐ大きな水槽が置いてある。
「宿から電話で予約した者だ。あとから3組の男女が来る」と祐三が言うと、
「ボックス席でも、ええどうすか」と、さらに追加の笑顔を見せる。



 ママが、「お好きなお飲み物は、何がよろしいおすか」と問いかける。
「そうだな。ジンをベースにしたカクテルはできるかい?」祐三が、座りながら答える。
だが、「そないなものは、できませえーん!」と瞬時に却下が出る。
「ではウイスキーの水割りを、オールドパーで出してくれ」と祐三が食い下がると
「そないなものも、ありませえーん」とふたたび、即座に却下されてしまう。



 「しょうがねぇなぁ。俺は焼酎は駄目だ。何かないか、飲めそうなウィスキーは」


 「最近はウイスキーは飲む人が少なくて、ほとんど置いておまへん。
 そうどすなぁ、探してみますからちびっと待って下さいな」


 
 美人ママが、ボトルの棚を物色していく。
ようやく、埃をかぶったサントリーロイヤルのボトルを探しあてる。
「これでええどすか?」と美人ママが、艶っぽい視線をこちらに向ける。
「良いも何も、それしかないんじゃ仕方ねぇ・・・それで手を打とう。持ってきてくれ」
憮然としたまま、祐三が納得の仕草を見せる。



 「無いものを無理に出せとは、やっぱりあんたも頑固ジジィやねぇ」
と隣に座った妙子が、(困ったものです)と苦笑いを見せる。



 「お好きなものは何が良いと聞かれたから、ウィスキーが好きだと答えただけだ。
 好きなものは譲れねぇ。
 簡単に譲っていたんじゃ、上州男児に生まれた意味がねぇ」



 「あらそう。あんたはおひとりでウィスキーをどうぞ。
 ママはん。あたしはワインが呑みたいわ。銘柄はママに任せますから」



 「なんだよ、君はワインにするの。それならそうと早く言え。
 よし。俺もワインにしょう。ママさん、悪いがウィスキーは片づけてくれ。
 俺もこちらの女性とお同じ、ワインで良い」


 
 「あら、あんたもワインにするどすか、先ほどまでのこだわりを捨てて。
 ふぅ~ん、優柔不断で単純なのどすねぇ、上州の男の人って・・・」



 「うるせぇ。切り替えが早いと言え。知らない人が聞いたら誤解するだろう」



 「素直ではおまへんなぁ、まるっきしもう。子供みたいどすな。うふふ」と妙子が笑う。
それにしても遅いなぁみんなと、祐三が腕時計を覗き込む。
約束の9時まで、まだ5分ほどある。
散策を楽しんでいる途中なのだろうが、無事な顔を見るまで落ち着かない。


 
 「ええではおまへんの、みなはんは遅くても。
 ここにこうして、いちばんの美女がとなりに居るじゃおまへんか。
 それともなにかしら。ウチでは魅力が不足しとるのかしら?・・・」



 妙子は今年で33歳になる。
33歳は大人の女性らしさと、可愛らしさが同居する年まわりだ。
その一方、18歳~20歳、32歳~33歳、36歳~38歳が女性の厄年になる。
30代で、なんと6年間の厄年がある。
なかでも33歳の本厄は、もっとも気を付けなければいけないと言われている。
33歳前後という年齢は、子育てに忙しく、精神的にも肉体的にも疲れている時期にあたる。
中には33歳を、散々(さんざんな歳)などと言うひともいる。

 

(114)へつづく



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農協おくりびと (112)今日は口説かない

2016-01-28 11:43:45 | 現代小説
農協おくりびと (112)今日は口説かない



 
 「たまたま同じ場所に芽を出した杉の木と、楓の木。
 それが長い年月をかけて、根元を共有しあう連理の木として育つ。
 寄り添ったままここまで大きく育つなんて、誰がいったい想像しただろう。
 スポーツ馬鹿の俺でも、この光景には脱帽します。
 幼い時から、いいなずけとして生きてきたちひろさんと光悦さんのようです。
 この木を見たいと言ったちひろさんの気持ちが、いま、ようやく分かりました」



 「あなたは私のために、6時間もかけて京都まで駈けつけてくれた。
 なんでそんな風に言えるの?。
 傷ついている女は、男の優しい言葉に弱いの。
 優しい言葉をささやいてくれたら、イチコロになってしまう可能性があるわ」



 「俺。相手の弱みに付け込むのは、嫌いです」



 「じゃ、なんでここまで来たのよ、無駄過ぎる努力じゃないの。
 わざわざ群馬から車を飛ばして、6時間ちかくも浪費して」


 「浪費したとは思いません。
 ちひろさんのことが、ほんとうに心配だったからです。
 ただそれだけです」



 「馬鹿じゃないの、あんた。
 付け込むチャンスを見送るなんて、とほうもないお人よしだわ。
 口説けばいいじゃないの、願ってもない好機だもの。
 年上だと思って、手加減しないで」
 


 「催促されて口説く男なんか、この世にいないと思います。
 ほら。いつもの元気が、だんだん出てきた。
 ちひろさんを元気にするため、そのためだけに俺たちはやって来たんです。
 俺たちは全員、仲間じゃないですか」



 「仲間?・・・」



 「友達以上で、恋人未満なら、仲間と言うしかないでしょう。
 もと団長の祐三さんから、高速道路なら目いっぱい飛ばしてもかまわないが、
 恋愛の暴走だけは、くれぐれもするなとクギを刺されてきました。
 チャンスは必ず、また来る。
 だから今回は、手を出すなと言われました。
 ちひろをもう一度、光悦の元へ帰すことがお前の役目だと言われました。
 俺もその通りだと、納得しました。
 だから今日は、ちひろさんを口説くわけにはいきません。
 たいへん不本意なことなのですが・・・」



 「あ~あ、ついに全部、ばらしてしまいました」と山崎が、後頭部を掻く。
「言うなと口止めされていたんです。でも、ちひろさんの誘導尋問に負けてしまいました」
まだまだ経験が足りませんね、と山崎が白い歯を見せて笑う。



 「ふふふ。いろいろ言われたんでしょ。もと団長の祐三さんに。
 白状しなさい、ここで全部」



 ちひろが、山崎の真ん前にすすみ出る。
気迫に押された山崎が、思わず1歩、うしろへ下がる。



 「臆病者のちひろが、ひとりで奈良まで行くなんて、絶対にただ事じゃない。
 あいつのことだ。言いたいことを言ったあと、途方もなく落ち込むだろう。
 人を傷つけることが嫌いだが、自分が傷つくことにも慣れていない。
 のんびり屋に見えるが実際のあいつは、自分の本心を言えない臆病者なんだ・・・
 と、祐三さんが言っていました」



 「それから?、まだ他にも何か言っていたでしょう?」



 「優しくするかわりに、半年だけチャンスをもらえとアドバイスされました」



 「半年だけのチャンス?、なに、それ・・・」



 「光悦さんが群馬へ戻ってくるまでの半年の間。
 真面目に交際する許可を、ちひろから絶対にもらって来いと言われました。
 あいつはお人よしだから、かならず「ウン」と言うだろうと、
 自信たっぷりに断言していました。祐三さんが」


 「なるほど。で、どうしたいの、あなたは?」



 「半年間。まじめに交際してください!、ちひろさん!」



 「よろしい。熱意に免じて許可します。
 とりあえず、セカンド・ラブでいいという条件を呑んでくれるのなら、
 わたしこそ、お付き合いをお願いします」



 「はい。光悦さんに半年後に本当に振られたら、俺ががっちり受け止めます!。
 みんなで行ったあの時の、新潟の海岸の時のように!」


 「馬~鹿。2度と崖からなんか落ちません、あたしは。うふふ」




(113)へつづく

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農協おくりびと (111)丑の刻参り 

2016-01-27 11:39:38 | 現代小説
農協おくりびと (111)丑の刻参り 





 (この恨み晴らさで置くべきかの、丑の刻参りか・・・)ちひろが、つぶやく。



 丑の刻参りは、丑の刻にあたる午前1時から午前3時ごろにかけて、
神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を、五寸釘で打ち込んでいく。
日本に古来から伝わる、呪術のひとつだ。
嫉妬心に狂う女が白装束を身にまとい、ロウソクを突き立てた鉄輪を
頭にかぶり、7か日間、秘密を守って祈祷に通う。
満願の7日目で、相手が死ぬと言われている。
だが他人に見られてしまうと、この呪いの効力は失せてしまう。


 「無理していないですか、ちひろさん」



 「え・・・?」



 「やっぱり変ですから、どことなく」連理の杉を見上げているちひろの背後で、
キュウリ農家の山崎がポツリとつぶやく。



 「元気に見えます。だけどやっぱり、いつものちひろさんとどこかが違います。
 後悔しているんでしょ。光悦さんに絶縁宣言してきたことを」



 「何で知っているの。わたしが光悦に、絶縁宣言したことまで・・・」


 「ちひろさんを見ていれば気が付きます。みんなだってもう、気が付いています。
 だからここまでやって来たんです。全員で。
 まさか。もうひとりのちひろさんに、丑の刻参りをしようなんて考えていないですよね。
 失恋した女は普通、常軌を逸した行動に走りますから、見ていて不安です」



 「常軌を逸した行動に走るような女に、見えますかこのわたしが?」


 
 「はい。見えているから、不安なんです」
ちひろの目を見つめて、4歳年下の山崎がきっぱり言い切る。



 「もうひとりのちひろさんに、罪はないと思います。
 もうひとりのちひろさんが産んだ双子の中学生にも、やっぱり罪はありません。
 長い間。そのことを明らかにしてこなかった光悦さんにも、罪はありません」



 「そんな風に言われたら、悪いのは、わたしだけ・・・と聞こえます」



 「ちひろさんも悪くありません。
 でも、心配なことがひとつだけあります。
 ちひろさんはいま、自分の胸に、後悔の五寸釘を打とうとしています」



 「わたしが、自分の胸に後悔の五寸釘を打つ?・・・どういう意味よ?」



 「俺。野球とゴルフしか知らないスポーツバカの単細胞です。
 男女のこまかい事はわかりません。
 でも俺は過ぎ去ったことに、こだわらないようにしています。
 スポーツの場合。場面ごとに、交互にチャンスとピンチがやって来ます。
 成功してうまく結果を出せることあれば、期待に応えられず、失敗することもある。
 だからといって、いつまでもくよくよしません。
 その場は失敗しても、またつぎの場面で頑張ればいいんです」


 「もう一回、光悦にチャレンジしろと、わたしには聞こえました」



 「そう言う風に言いました。
 30年間もいいなずけとして、生きてきたお2人です。
 一度くらい絶縁宣言したところで、どうこうなるような2人じゃないと思います。
 それどころか。ちひろさんがはじめて、自分の気持を光悦さんにぶつけたんです。
 相手の返事も聞かず、勝手に落ち込んでいる場合じゃありません。
 誰が見ても、変だと思うでしょう」



 その通りだ。まったく返す言葉がない。
しかし山崎のその言葉に、素直に「その通りです」と言えない自分が居る。
(確かにその通りだけど歯がゆいなぁ。年下の男の子に好き勝手に言われて、
反論できないなんて・・・悔しいじゃないの、あまりにも・・・)
ちひろが、そっとくちびるを噛む。



 「馬鹿じゃないの、あんたは。
 光悦と別れてわたしの気持ちは、あなたに傾きかけているのよ。
 絶好のチャンスを、何故見送るの。
 わざわざ敵に塩を送るなんて、若造のくせに生意気すぎます。
 そこまで優しくされてしまったら、遠慮しないでまた未練がましい、
 女々しい女に、わたしは逆戻りしてしまいます・・・」



 「遠慮しないで、女々しい女に逆戻り、してください。
光悦さんにこだわっているちひろさんのほうが、あなたらしいと思います。
生き方を変えないでください。
この木のように、未来を信じてまっすぐ、天に向かって伸びてください。
そんなちひろさんが、俺は、大好きなんですから」



 山崎のきっぱりした目が、真正面からちひろを見つめる。


(112)へつづく


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農協おくりびと (110)夫唱婦随の木

2016-01-26 11:58:43 | 現代小説
農協おくりびと (110)夫唱婦随の木



 貴船神社のお詣りは、本宮、奥宮、結社(ゆいやしろ)の順番でまわっていく。
本宮の祭神は、高神(たかおかみ)。奥宮の祭神は、闇神(くらおかみ)。
ともに水を司る神で水源の神様といわれている。



 1600年前。大阪湾の沖合に、黄色い船に乗った女神の玉依姫が現れた。
玉依姫は淀川、鴨川とさかのぼり水源の地、奥宮で船を留めた。
社殿をここに建てたことから、貴船神社の歴史がはじまった。
きふねという地名は、玉依姫が乗って来た黄色い船に由来している。



 奥宮の境内に、珍しい御神木がそびえている。
杉と楓(かえで)が根元から融合したもので、「連理の杉」と呼ばれている。
どこか、男女が寄り添った姿にも見える。
2つの異なった木が融合していることから、縁結びの象徴とされている。



 連理の杉まで歩いてくると、さすがに人の姿が少なくなる。
紅葉を浮かび上がらせてきた境内のライトアップも、ここにはまったく見当たらない。
足元を照らすのは、ところどころに灯された灯篭だけだ。
本宮で演奏されている太鼓の音も、ここまでは響いてこない。



 すべてを包み込む漆黒の闇。
その暗闇を背景に、ほのかに浮かび上がる奥宮の社殿。
根元のみライトアップされている連理の杉。その3つだけが此処にある。
御神木の杉と楓の大木は、上に行くほど闇の中に溶け込んでいく・・・
うっそうと茂る枝が先端にあるが、ここからはそれを確認することが出来ない。



 「神が住んでいる荘厳さというより、魑魅魍魎の不気味さを感じます。
 周囲が暗すぎるせいです。
 こんな景色だと信仰心より、恐怖心が先に湧いてくるから不思議です」



 「何を言うんですか。ちひろさんがぜひ見たいと言いだしたんですよ。
 奥宮にある御神木で、夫唱婦随の象徴だという連理の杉を」



 「確かに、パンフレットで見たときは素敵だなぁと思ったの。
 仲良く寄り添う2本の御神木なんて、なかなかお目にかかれないもの。
 でもここまで境内が暗いと、好奇心より、恐怖心の方が先に立ちますねぇ・・・」



 「奥宮は神聖な場所です。いわば神様の領域のど真ん中です。
 さぁどうぞばかり、周囲を派手にライトアップするわけにはいかないでしょう」



 「そうね。御神木だもの。闇に紛れた神秘性も魅力のひとつよねぇ」



 ちひろが照らし出されている連理の杉の、根元を覗き込む。
杉と楓の別々の木が、根元から融合している。
(ほんと。まったく別々の種類だというのに、根元から見事に融合しています・・・
仲の良い夫婦だってなかなかここまで、密着しないと思います)



 「ちひろさん。御神木を、熱心に覗き込むのはかまいませんが、
 何か別の悪いたくらみを、ひそかに考えてなんかいませんよねぇ?」



 「悪いことをたくらむ?。何それ?
 わたしはただ夫唱婦随の木に、見惚れているだけです」



 「それだけならいいのですが・・・」何故か山崎が口ごもる。
「何?。何かあるの?、歯切れが悪いわね、あんたも」怖い目で振り返るちひろに、
「実は・・・」と山崎が、自分の頭に指を3本突き立てる。



 「実は、これで有名なんです、ここは・・・」と山崎が声をひそめる。
「何よ、それ・・・」頭上に掲げた山崎の3本の指を、ちひろが怪訝そうに見つめる。



 「キーワードは御神木。白装束の女。頭に3本の火のついたロウソク。
この恨み、晴らさで置くべきか、といえば・・・」
何か思い当たることはありませんかと、さらに山崎が声をひそめる・・・



 「あっ・・・憎い相手に呪いをかける、嫉妬に狂った女がおこなうという、
 深夜の丑の刻参り!」



 「大正解!。その通り!」それが行われたのが、何を隠そうこの場所なんですと、
山崎が不気味にニヤリと笑う。


(111)へつづく


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