落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『ひいらぎの宿』 (9)

2013-11-30 12:46:48 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (9)第1章 2人の旅籠が出来るまで 
・湯西川から、川治、鬼怒川温泉を経て今市へ




 午前10時を過ぎてから、俊彦の車が五十里湖(いかりこ)沿いの雪道を走り始めます。
湯西川をあとにしてまもなく、五十里湖の東岸を走ってきた本線の会津西街道と、
俊彦が辿っている西岸沿いのバイパスの道が、湖畔の南で合流をします。
会津西街道(あいづにしかいどう)は、江戸時代に会津藩主・保科正之によって
整備された、会津の若松城下から下野(栃木県)今市に至るまでの、130キロの街道です。
下野街道(しもつけかいどう)と呼ばれた当時の面影を、そのままに残している『大内宿』をはじめ、
往時をしのばせる町並みや建造物、石畳などが随所に残されています。


 鬼怒沼に源を発した鬼怒川がこの会津西街道と出会い、上流から流れてきた男鹿川と合流し、
南に向かって流れ始めると、ほどなくして川沿いに、10軒ほどの旅館とホテルが立ち並ぶ
川治の温泉街が前方に現れます。

 温泉街に、女陰の形をした霊石の『おなで石』が祀られています。
おなで石とは、鬼怒川の氾濫で流れ着いた女陰の形をした自然石を霊石として祀ったものです。
中央部分に女陰のような縦長の亀裂が入っていて、高さは約60cm、
横45cm、奥行45cmの、立方形をしています。
女陰の亀裂に沿って撫でながら祈願をすると、子宝や縁結び、安産などに霊験があるとされています。


 おなで石は金精神を祀った祠の前に安置されており、まるで女陰であるおなで石の霊験を
高めるかのように、祠やその周りには、多数の石や木の男根が奉納されています。
共同浴場(露天風呂)の薬師の湯と並んで、川治温泉の観光スポットとなっていますが、
女陰であるおなで石よりも、金精神の祠や周りに多数奉納されている石の男根の方が目立っているため、
石の男根がおなで石であると勘違いをして、誤って参拝してしまっている温泉客や観光客などが
たくさん居るという逸話もあります。



 「川治温泉の開湯は、江戸時代の享保年間です。
 男鹿川の氾濫後に、偶然発見されたと言われていますが、会津西街道の宿場町として、
 また、湯治湯としても大いに栄えた歴史を持っています」

 「なるほど。ではこの下にある鬼怒川温泉は?」


 「かつては箱根や熱海と並んで『東京の奥座敷』と呼ばれ、
 年間200万人もの集客力を誇った、鬼怒川上流にある一大観光地です。
 火傷に対する効能があるとされ、北側に位置する川治温泉とともに
 古くから、『傷を癒すなら川治、火傷なら滝(現在の鬼怒川温泉)」と称されてきました。
 発見は1752年と言われ、古くは滝温泉という名前で、鬼怒川の西岸のみに温泉がありました。
 日光の寺社領であったことから、日光詣帰りの諸大名や僧侶達のみが利用可能な温泉として
 長年のあいだにわたり栄えてまいりました。
 明治2年になってからようやく東岸で、藤原温泉が発見をされています。
 その後、上流に水力発電所ができると鬼怒川の水位が下がったため、川底から相次いで新源泉が発見され、
 1927年(昭和2年)に、滝温泉と藤原温泉を合わせて、鬼怒川温泉と呼ぶようになりました。
 その名称が引き継がれ、そのまま今日までいたっております。
 戦後になってから東武特急の「きぬ」の運行などもあり、東京から観光客が押し寄せてまいり、
 大型温泉地として、おおいな発展の様子を見せてきました」


 「ほう。なかなかに名調子だねぇ。
 それならば、この道の突き当りにある、日光の今市は?」


 「天にそびえ立つ緑のカーテン・日光街道の杉並木の由緒から、まずは語るようです。
 徳川家康(1542年~1616年)の忠臣、松平正綱が20年余の年月をかけて、20万本余の
 杉を植え、家康の33回忌にあたる慶安元年(1648年)に、日光東照宮へ寄進をいたしました。
 現在でも、日光、例幣使、会津西の3つの街道の全長37Kmあまりの両側に、
 13、300本がうっそうとしてそびえています。
 平成3年にはギネスブックにより、世界一長い並木道としての認定をされています。
 植え始められてから約380年。高さ約30mにもなった杉の木は今市の歴史を見つめつつ、
 さまざまなエピソードなどを付け加えながら、さらに未来へ受け継がれていきます」


 「凄いねぇ。いい加減なバスガイドさん顔負けなほど、博識だ。恐れ入った」


 「驚くにはあたりません。
 この程度の知識は、地元で働く芸妓としては当たり前の心得です。
 名所や観光地の見所はもちろん、隠れたエピソードなども宴席などで語ります。
 この辺り一帯に分布している街道を守る道祖神の数と、その言われなども存じております」


 「道祖神?。集落の境界や村の中心、 村内と村外の境界線や道の辻、三叉路などに
 建っている、あの石ころで出来た路傍の神様のことかい?」

 
 「はい。その路傍の神様のことです。
 甲信越地方や関東地方に多いといわれておりますが、なぜか出雲神話の故郷である
 島根県には少ないと言われています。
 松尾芭蕉の「奥の細道」では、旅に誘う神様として、その冒頭にも登場します。
 村の守り神や子孫の繁栄を願うものとされ、近世では、旅や交通安全の神としても信仰をされています。
 古い時代のものは、男女の一対を象徴するものとして崇められていたそうです。
 餅つき(男女の性交を象徴する)などに、そうした痕跡が残っているともいわれています。
 うふふ。なにやら、艶かしい話題などが続きますねぇ。」


 「うん。そわそわするような艶めいた話題の選択が気になるねぇ。
 川治温泉の『おなで石』といい、道祖神の『餅つき』といい、なにやら心がざわついてきた・・・」


 「庶民たちの、おおらかな睦(むつみ)ごとのお話です。
 お座敷で、お酒の傍らの話題といたしますので、少々そそるものが有るかもしれませんね。
 道祖神の「祖」の漢字のつくりの「且」の部分は、甲骨文字、金文体上では男根を表しています。
 これに呼応する形で、文字型の道祖神の中には「道」という文字が、
 露骨に、女性器の形をして彫られているものがあるといいます、・・・・うっふふ。
 艶めかしいですねぇ、ほんとうに」




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『ひいらぎの宿』 (8)

2013-11-29 10:53:28 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (8)第1章 2人の旅籠が出来るまで
・山里の暮らしと、山村暮らし 



 
 「田舎暮らしや山里の暮らしを望むのではなく、あえて山村に住むというのかい、君は」

 あきれ果てたように、俊彦が目を丸くしています。
もう、終の棲家としての物件は既に見つけてありますと、清子はいたって涼しい顔をしています。
さらに地番を告げられた瞬間、さすがの俊彦も絶句をしてしまいます。


 日本の国土は大小様々な島から成りたっており、6、852の島で構成されています。
隔離された島国であるとともに、国土の約73%あまりを広大な山地が占めています。
多くの河川はその流路延長に比べ、川床の勾配がきわめて急を保っているため、大陸を流れる河川などとは
大きく異なり一気に海まで流れ下るという、独特の特徴を持っています。
年間を通じての降水量も多く、初夏の梅雨と秋の台風が南北に細長い国土に大量の雨を降らせます。
水の侵食力が強い山地では深いV字の谷を形成し、盆地や平野などの山地からの出口付近に、
広大で豊穣な扇状台地を形成します。


 清子の言う山村とは、平野にある村に対して対義語です。
山間地に点々と形成されていく、きわめて小さな村落や集落のことを指しています。
生活に関しては、地形や自然などから常に大きな制約を受けます。
もともとの生活様式が、森林にある資材を生かした木材の生産や製炭、木工、狩猟などが中心です。
山腹の斜面などを利用した農耕にも多くの制約があり、自給自足にも事を欠きます。


 人が住む農村部と、手つかずの大自然や山岳地帯の境界線に位置しているのが『里山』です。
里山とは、継続的に人間の手が加えられてきた人工の森林のことを指しています。
平坦部が終わり山々の姿が迫ってきても、そこから一気に急峻な山容に変わるわけではありません。
緩やかな傾斜地帯は人の手により開墾がなされ、多くの部分が農地などに変わります。
森林地帯も間引かれて、良質な木材を生産するための林業の一帯に変貌を遂げます。
ここまでが人と自然が共生できる限界点です。これ以上にさらに奥まった部分で点在をしている
集落のことを、麓一帯の利便性から区別する意味あいも含めて、あえて山村と呼んでいます。



 江戸時代に発見され、400年以上の歴史を営んできた足尾銅山の山塊から、
きわめて急峻に谷間をかけ下っていく、渡良瀬川の急流が生まれます。
狭い谷底を急激な流れを保ったまま、扇状台地が出現してくる山麓部までの約50キロ余りを、
ひと時も緩むことなく、ひたすら一気にかけ下っていきます。
そのちょうど中間部に、清子が生まれて育った草木村を呑み込んだ『草木ダム』が存在します。


 清子が告げた『終の棲家』の地名は、まさにこの巨大なダム湖を見下ろせる高所にあります。
ダムへ流れ込んでくる小さな支流のその先に、峠を越えて栃木県へとつながる小さな道があり、
その両脇に、ひっそりとして数軒だけが佇む集落があります。



 「よりによって。・・・・君も、凄いところを選んだね」


 「きっと、そう言われるだろうと覚悟を決めておりました。
 嫌なら別にかまいません。すでに決めたことですから、私一人で住みます」



 拗ねた清子が、布団の中でくるりと背中を向けてしまいます。
常夜灯だけを残した室内に、雪が照り返す明るさだけが障子を通してほのかに差し込んできます。
いつのまにか降りやんでいた雪を、真冬の月が照らしはじめたような気配が漂っています。

 「起きちゃおうかしら・・・・」



 浴衣の襟を掻き合わせた清子が、足からそっと布団から滑り出ます。
ほつれた髪を後ろ手に抑えてから、丹前を引き寄せ、そのまま肩へふわりと羽織ります。
障子に手をかけるとするりと半分ほど開け、ためらいの様子も見せずに、外気からの寒気にさらされて、
凍てついているはずのテラスの床を、素足のままで歩き始めてしまいます。


 「無茶をするねぇ。君も」

 起きだした俊彦も、布団の上で座り直します。
丹前を羽織りつつ、薄明かりの中で、清子が投げ捨てたはずの足袋の行方を探しています。
昨夜、眠りにつく前の清子が『今日は湯たんぽがあるのでいりません』とばかりに、
いきなり両方を脱いだあと、酔いにまかせて乱暴に、隣の部屋まで投げ込んでいたのを
苦笑いの中に思い出しています。


 「風邪ひくよ。そんなところで足を冷やしたら」

 「なら。履かせてよ。持ってきて頂戴」



 一つ目は、隣室の床の間まで飛んでいます。
もうひとつの足袋が見当たらないので、『仕方がないな』と立ち上がって部屋の照明を点けます。

 「清子。もう片方が見当たらないぜ。どこへ隠した?」


 「火照り過ぎていましたので、冷やしたのかもしれません。
 酔いが回りすぎていましたので、昨夜のことは、まったく覚えておりません」

 「冷やしただって?・・・・」


 『まさかなぁ・・・・』と、冷蔵庫を開けた俊彦が
冷えて凍る寸前のような足袋の片方を、渋い顔をして取り出します。
『有ったぜ。どうするんだょ。大事な商売道具じゃないか、芸者のお前さんの・・・・』
と言いかけたところで、俊彦が次に続くべき言葉を飲み込んでしまいます。
(そうだ。清子のやつ、俺のために30周年で芸者を勇退すると決めたんだ。)



 足袋を拾い集めた俊彦が、呆れた顔で窓辺に戻ってきます。
窓側の広縁には、ソファーセットとともにくつろぎ用のマッサージチェアが設置されています。
そこへ横たわったままの清子が『どうぞ』とばかりに、片足を妖艶に持ち上げて見せます。


 「あれ。ここの広縁は、床暖房か。
 どうりで君が、素足のまま平気で平然と歩き始めるわけだ。
 人が悪いなぁ。知っているなら最初から、そう言ってくれよ、君も」


 「ここへ泊まるのが3度目だというのに、いまだに気づいていないのはあなただけです。
 いつも気持ちよさそうに、朝までぐっすりと眠るんだもの。
 ここが床暖房だなんて、知る由もないでしょう」

 「そうだったのか。ということは、君はいつもここから、俺を見ていたわけかい?」

 「そうよ。慎み深い女は、男性に朝の寝顔と素顔は見せません。
 今までもそうしてきましたし、この先も、たぶんそれに変わりはありません。うふふ」






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『ひいらぎの宿』 (7)

2013-11-28 10:48:59 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (7)第1章 2人の旅籠が出来るまで 
・初めての女将さんとの酒宴は、別れの苦い酒になる




 「どうして私を呼び寄せるの。もう2人でとっくにおネンネをする時間じゃないか。
 飲みたいのなら、フロントへ電話を入れて部屋までお酒を届けさせれば、それで済む話じゃないの。
 なんでわざわざ私を指名して、お酒を運ばせるのさ。全く、この子ったら」


 「あら。ごめんなさい。
 せっかくの勇退のお祝いです。お世話になった女将さんと一緒に飲みたかっただけの話です。
 夜中を過ぎていますので、もしかしたら、そちらのほうこそ取り込み中でしたかしら?」


 「あたしはそれで嬉しいが。でも、俊彦さんにしてみたら迷惑きわまる話だろう。
 今日の清子は、まるでサカりのついた子猫だもの。舞い上がったままはしゃいでいるし、
 俊彦さんだって湯西川を訪ねてくるのは、ほんとに久しぶりのことだ。
 今頃はさぞかし、お二人でくんずほぐれつの濡れ場の真っ最中だろうと思って、
 大人の配慮というものをしていたというのに。
 それをシャアシャアとしてあたしを呼び出すんだもの、この子ったら。
 何を考えているんでしょ、いったい」


 「女将さん。プロレス興行じゃじゃあるまいし、私はそこまで乱れません」



 「そこまで乱れないと言い切るからには、そこそこは乱れるという意味なんだろうねぇ清子も。
 たったいま、そんな風に聞こえました」

 「いい加減にしてくださいな、女将さん!。」



 苦笑した清子が、女将の器へ日本酒を継ぎ足しています。
一口で飲み干した女将がその青竹を清子から受け取ると、さっきから黙ったまま女同士の会話に
聞き入っていた俊彦へ、『一杯注がせてください』と目で促します。


 「湯西川一番の売れっ子芸者が脂が乗り切っているいまの時期に、突然引退を決めました。
 なんだかんだといいながら、15歳でやって来たこの清子と、
 2人3脚で女将と芸者のコンビというものを組んでから、気がついたらもうまる30年がたっています。
 清子は、田舎のひなびた温泉地に置いておくのにはもったいないほどの、舞の名手に育ちました。
 面倒見がよくって、華があって気の利く清子は、いつだって宴会の一番の主役です。
 しかし、清子がすごいのは、10代で身ごもった我が子を『なにがなんでも生む』と言い切り、
 泣き言ひとつも言わずに、女手ひとつで見事に育て上げてきたことです。

 女としての生き様の潔さと心根の凄さを見て、私は心のそこから清子に惚れました。
 だけどね。日本中を探したって、こんな馬鹿げた行き方をする女はほとんどいないだろうと思ってます。
 女の20代といえば一番の華があり、放っておいたって男たちが群がってくる時期です。
 それを最初から、棒に振ろうというんだから、この子の覚悟も半端じゃありません。
 お座敷で、舞を通じて艶と粋をさんざん男たちに売りこんできたくせに、男を封印したまま、
 響を一人前にするために、毎日を一生懸命に走り回ってきました。

 『芸者を辞めたい』と初めて言ってきた時、私は何がなんでも引き止めるつもりでおりました。
 だけどねぇ、『やっぱり、枯れる前にひとりの女に戻りたい』と告白された時、
 あたしゃこの子に向かってなんにも言えなかった。
 30年間も封印してきたものを解き放して、トシさんのために、ただの女に戻りたいと言われた瞬間、
 もうこの子を引き止めることは、一切、すべて諦めました」



 そうだよねぇ。こんな風に清子と飲むのは最初で最後かもしれないねぇ・・・
と、女将さんがつぶやいています。


 「清子ももう、45だ。
 咲き誇っているとはお世辞にも言えないが、まだそれなりに華は残っている。
 あんたたちの響も、もう、自分の道を歩き始めている。
 トシさんさえよければ、それでもいいというのなら、二人で暮らしはじめるのもいいことだと思う。
 あたしゃ賛成するし応援します・・・・あれ、どうしたのさ、2人とも」


 うつむいてしまった清子の姿を見て、女将さんが口を閉ざします。
怪訝そうな眼差しで見つめてくる俊彦の様子に、ようやく気がついた女将さんが急に姿勢を正します。



 「なるほど。よくわかりました。
 清子が言うべき話を、勝手に私が先に暴露をしてしまったわけですか。
 そういう事なら、私が清子のために一肌を脱ぎましょう。
 俊彦さん。この子は30年もお座敷に出て、たくさんの男たちを手玉にとってきたくせに、
 本当に好きな人の前に出ると、自分の本心がたったの一言さえも言えない女です。
 母親がわりの私から、どうぞあらためてお願いなどをいたします。
 あなたさえよければ、この子と一緒に暮らしてください。
 『女が枯れないうちに、好きな男と一度でいいから暮らしてみたい』とぬけぬけと
 言われた時には、この私も、心の底から仰天をいたしました。
 30年も一途な思いを秘めながら、あなたのために響も育て上げました。
 最近になってからは、衰えかけた身体に必死になって手入れなども始めたようです」


 清子はうつむいたままで、いっこうに顔を上げません。
『あんたもさぁ、いまさら純情ぶってどうすんのさ・・・・困った子だねぇ、この子も』
どれ、もうお2人さんにはお邪魔でしょうから、私もこのあたりで失礼しますと女将が腰をあげます。

 
 「女将さん。そう言わずに、もう少し飲みましょう。
 俺も無頓着なふりをよそおったまま、清子をほったらかしにしてきました。
 せっかくの機会です。俺の知らない清子の思い出などを、たくさん聞かせてください。
 たぶん今夜は、いい思い出の夜になると思います」


 「そうですか。俊彦さんが是非にと言うのであれば、仕方ありません。
 実は、たくさんあるんですょ清子には。びっくりするほどの、とっておきのお座敷での武勇伝の数々が。
 どれから暴露などをいたしましょうか。
 30年間にわたるこの子の悪行のすべてを、この私が清子に変わってすべて白状をいたします。
 うふふ。なんだかようやくのことで盛り上がってまいりましたねぇ、
 清子の引退記念日が」

 
 「女将さんったら、余計なことは言わないで・・・・」清子が、目を白黒とさせたまま、
俊彦の横顔をハラハラしながら盗み見ています。






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『ひいらぎの宿』 (6

2013-11-27 11:01:13 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (6)第1章 2人の旅籠が出来るまで
・湯船に寄り添うふたり




 檜の湯船に腰を下ろしている俊彦の隣へ、髪を洗い終えた清子が戻ってきました。
ガラスの向こう側では川沿いのぼんぼりが、消えかけていく最後の点滅の様子を繰り返しています。
温かい清子の指先が、冷えてきた俊彦の肩へ軽く触れます。
湯音を立てずになめらかに滑りこんできた清子の白い足は、俊彦の足元で静かに波紋を広げます。


 「京や大坂と比べても、江戸の湯屋の数はとても多かったと言われています。
 江戸時代の末期には、町内に必ず一軒はあったそうです。
 いずこも繁盛していたそうですから、驚きです。
 当時の湯屋は混浴で、町人や下級武士の娘たちも、職人たちと一緒の風呂へ入りました。
 湯屋が流行り始めた時から、混浴が当たり前とされてきたのは日本人が持つ独特の性のおおらかさのようです。
 江戸や大阪などの大都市に作られた、遊郭や娼婦などの売春の制度は、
 性秩序を保つための公のものとして、古くから認められてきたものです。
 地方や田舎においては、そうしたものには頼らず、女性のもとへ男性が通う『夜這い』という
 公認の風習が、長年にわたって続いてきたそうです。
 一夫一婦制という婚姻制度にこだわらない、おおらかな性のありかたを示すひとつの現れです。
 お祭りどきの境内などにおいては、ひと目もはばからずに交わっていたと古文書などにありますから、
 日本人は、性に関してはとても開放的でおおらかな傾向の持ち主とされてきたようです。
 江戸時代の半ばにさしかかると、さすがに風紀上の問題があるとして、寛政3年(1791年)に、
 いちど男女の浴場が別々に分けられています。
 しかしその後にまた、混浴に戻っては再び禁止令が出されるという、くり返しが続きます。


 当時の湯屋の間取りは、今の銭湯とほとんど変わりません。
 番台で料金を払って中へ入ると、男女兼用の脱衣場があります。
 鍵付きの衣棚に衣服を入れてから、男女ともに、鍵を頭の髪にさして洗い場へ入ります。
 板で囲まれただけの浴槽は、灯油皿に火が一つ灯っているだけで、とても薄暗く、
 チカンが出るのも、もっぱらこの浴槽の中だったと言われています。



 わざわざ手や足などを伸ばし、女性の肌に触れようとする不謹慎な男もいれば、
 威勢のいいおかみさんのアソコへ手を伸ばして、怒鳴り返される男などもいたといいます。
 そんな物騒きわまる浴槽に、年若い町屋の娘さんなども一緒に入っていました。
 当の町家の娘さんたちもまた、そうした痴漢被害は、充分に承知の上のことだったようです。
 『物騒と知ってて合点の入込み湯』などという川柳が、当時に流行しています。
 もっとも貞淑な下級武士の娘さんたちの周囲には、こうしたスケベな男たちから
 身を挺して守ろうとする、屈強なおばさんたちが付いていたという逸話もあります。


 江戸ではじめての銭湯は、徳川家康が江戸に入った翌年の、天正19年(1591年)の事です。
 伊勢国出身の与一という男が、銭瓶橋(ぜにかめばし・現在の丸の内)に開業したのが最初です。
 ただしこの湯屋は、ただの銭湯ではなくて、『垢すり女』と呼ばれる女性たちが沢山いて、
 お客の下半身の世話もするという、どうやら新手の風俗店だったようです。
 うふ。お風呂にかぎっては昔から、艶めかしいお話などが多いようです。
 でも当時は混浴といっても、男女ともに素裸ではなく女性は薄い浴衣を着用して入り、
 男性も、褌などをつけていたと言われております。
 『スッポンポン』で入る混浴は、どうやら今風だけの流行りのようです。
 今のわたしたちのように。・・・・ね、うふふ」




 足元の湯がふわりと軽く揺れたあと、火照った清子の身体が湯船の中で俊彦へ傾いてきます。
黙したままガラスの外ばかりを見つめている俊彦の背中へ、清子の柔らかい素肌が触れてきました。
五感のすべてを総動員しながら相手を認識するという、スキンシップのようなほのかなやわらかさが
どこかにそっと含まれています。


 「歳になりましたから刺激的なセクシー路線には、無理というものがあるようです。
 このようなスキンシップで、精一杯です。
 こんなふうに背中合わせになっているくらいが、私たちには丁度いいのかもしれません。
 背中と背中をつけている場合は、ぬくもりを求めている気持ちなどが、
 お互いの奥深い部分に多分に含まれていることが、多いと言われているようです」


 「心理学で、そんな例えを読んだことがある。
 背中合わせで横になっているのは、お互いの気持ちが結ばれていない時の証拠だそうだ。
 何故かそこには、ちょっとした反発の気持ちと、羞恥の心が潜んでいるという。
 女性の場合は、セックスを迫られるのではないかという心理的な恐れなどを持っている。
 男性は、そんな拒む相手に対する反発もあり、欲望を忘れ去っている状態でなければ
 とてもでないが、我慢で寝るどころではないと言う。
 ただし、そのままの状態でもお互いに会話を交わすことはできる。
 むしろそのままの体勢で重要なことを話す場合のほうが、多いと言われている」


 「あら。・・・ということは、横にはなっていませんが、
 こうして湯船の中で背中合わせになっているということは、いまさらながらですが、
 なにか重要なことを、私に語ってくれるのかしら。あなたは」

 
 「君も人が悪い。焦らせるな、あくまでも例えばの話しだ。
 そういえば、こんなふうに君と温泉に入るなんて、何年ぶりになるんだろう」



 「最初が20歳の時の、2泊3日の夏休み。
 私から別れ話を、あなたへ切り出した時のことです。
 あなたには内緒でしたがその時にはもう、私のお腹の中には響がいました。
 2度目は23歳の時。あなたの足の治療をするために私が無理やり湯西川へ連れてきた時。
 すでに生まれていた響は、ちょうど3歳児の可愛い盛りです。
 あれからもう、早いもので22年です。
 ・・・・長かったですねぇ、お互いに。
 もう決して、3度目の機会なんかはないだろうと思っていました。
 でも私の方からまた、未練がましく、新しいきっかけなどを作ってしまいました。
 ちゃんと判るようにあなたに最初から、もう少し説明をしなければいけません、私は。
 もう少し飲むでしょう?。あなた」


 ポチャリと軽く湯音を立てて、清子が湯船から立ち上がります。
あれから数えて、付かず離れずで、まるまる22年が経過をした2人です。
すこしだけ丸みを帯びてきた清子の白い背中が、立ち上る湯気の中を静かに遠かっていきます。





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『ひいらぎの宿』 (5)

2013-11-26 09:23:03 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (5)第1章 2人の旅籠が出来るまで  
・15のときからの清子の想い・・・




 別館『嬉の間』のテラスから見下ろす平家落人の里は、銀世界の下にひっそりと佇んでいます。
朝から降り始めた細かい雪は、夜も更けたというのにいまだに衰える気配をみせません。
露天風呂から立ち上る湯気は、清子がお湯につかりはじめたその瞬間から、またたく間に、
ガラス越しの向こう側の景色をかき消していきます。


 「湯気のせいばかりじゃありません。
 よくできたもので、人の気配と熱をいち早く察知して、こうしてガラスの面が曇りはじめます。
 それだけまだ私たちが、若いということになるのかしら。うふ」


 俊彦に背中を見せたまま温泉と戯れている清子が、声を忍ばせて笑っています。
別館『嬉の間』は10畳と12畳の和室と、6畳あまりの内風呂が連なっています。
もうひとつ、檜の階段を下りたその先に、部屋専用とされる露天風呂が作られています。
湯西川の清流を見下ろす高い位置にあり、100%の源泉が常に溢れています。




 ガラス張りの天井から見上げる、独り占めの夜空の様子は圧巻です。
腫れた日には凍てつきながら澄みわたっていく山間の空に、降るように星がまたたきます。
今日のような雪の日は、鉛色の空からはらはらと舞い降りてくる様子の中に、辺境の地ゆえの
うら寂しさと物悲しさなどを、ほのかに演出してくれます。



 清子は、ここから見る湯西川の四季の景観が大のお気に入りです。
今夜もまた、前も隠さずテラスのまん前へ進み出てガラス越しの銀世界を満喫しています。
『大胆だなねぇ、いつものことながら、君は・・・・無防備なままになっているぞ』、と、
つぶやいた俊彦が、清子の背中を見つめながら『君は、いつでも天真爛漫だ』と言葉をむすびます。


 「あら。背中だけでは不満みたいですねぇ、あなたは」



 湯気に霞みかけていた清子の白い背中が、ゆらりと静かに動きはじめます。
こちらへ振り向いてくる気配を察した俊彦が、慌てて視線をガラスの外へそらします。
大人3~4人がゆっくり入れる大きさを持った露天風呂は、2人で入るには広すぎるようです。
ポチャンと湯音をたてた清子が、湯船の端で首までしっかりと浸かってしまいます。


 「ホント。もったいないくらい広すぎますね、2人では」




 清流に沿って並んでいる氷のぼんぼりを、清子がゆったりと追いかけていきます。
ぼんぼりは、漢字で「雪洞」と書き、「せっとう」と読ませます。
江戸時代、「ぼんやりとしてはっきりしないさま」や、「ものが薄く透いてみえるさま」
の様子として使われてきた慣用句です。
「ぼんぼりと灯りが見える灯具」という意味などに使われてきました。


 「江戸時代の湯屋は、もともとが混浴として始まったそうです。
 庶民が暮らしていた貧乏長屋はもちろん、かなりの規模のお屋敷に住む町民や
 下級武士の家には、内風呂というものがなかったようです。
 自宅に風呂場をつくろうとすると、専用の湯殿と井戸が不可欠となります。
 江戸の町というものは、昔から井戸水の出がたいへんに悪かったと聞いています」


 『珍しくないでしょ、混浴なんか』と、清子が湯船の端から両手でさざ波を立てはじめます。
『それにしても、今日のお湯は少し熱すぎますねぇ・・・・』 小さな子供のようにしっかりと、
首まで浸かっていた清子が火照りを覚えてきたせいか、湯船からゆっくりと上半身を露わにします。
首筋から胸元にかけての白い肌が、見た目にも朱色に染まりはじめています。
隠さないため、清子の形の良い乳房がそのまま俊彦の目の前に、突如として現れます。


 「おい・・・・」


 俊彦がまた、慌てて視線をガラスの向こうへ転じます。
(嫌ならいいのよ、見なくても)と、当の清子は一向に動じる様子を見せません。
湯音を立てて立ち上がった清子が、前も隠さずガラスに向かって湯船の中を歩きはじめます。
体を鍛えるためにトレーニングジムへ通い始めたという清子の身体は、年齢の割に、
ほどよく引き締まった体型を維持しています。



 「はら、取れたでしょ。このあたりに余っていた、タプタプとしていた憎いお肉が。うふふ」

 妖艶に光る清子の瞳が、俊彦を流し目で誘います。



 「女はねぇ、年齢とともに余計なお肉があちこちに増えてきます。
 補正用の下着などが必要なくなりますので、着物を着る際には便利になりますが、
 女の体型が崩れてしまいますと、なぜか殿方たちは、失望と幻滅を感じるとおっしゃいます。
 『ふくよかになるのはよいが、男の夢が壊れたり、幻滅を感じさせるほど肥ると、
 俺の夢が無残に砕けることになる。頼むからぎりぎりのところで、いまの体型を維持してくれ』と、
 急逝してしまった、あの宇都宮の社長さんからもよく言われたものです。
 殿方の目は、着物の上からでも、好き勝手に女性の体のラインを見極めるようです。
 いいか、肥り過ぎるなよと、しつこいほどあの方から言われましたもの」



 「それで、その今の体型を維持するために、トレーニングを始めたわけかい?」



 「今は毎日、運動とダイエットの両方をこころがけています。
 15の時の体型に戻ることはかないませんが、45歳でも、まだまだ捨てたものじゃないでしょ。
 それもこれも、全部あなたのためです。
 15歳の時にあきらめた私の夢を、45歳で取り戻します。
 もう、私はこれから先の人生を、そうすることに決めました。
 といっても、あなたにしてみれば、ただただ迷惑なだけの話です。
 あなたに喜んでもらうために、おばちゃん体型を脱皮して、女に戻るために四苦八苦の日々なのよ。
 でもねぇ。いくら磨きをかけても所詮は、もう、45歳の身体ですからねぇ・・・・
 あら。やだ。なんで私を見ないでよそ見ばかりをしているのさ、あんたって人は」





 
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