落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(72) 函館夜景⑦

2020-01-28 18:12:41 | 現代小説
北へふたり旅(72) 

 
 酔いが回ってきた。やきとりは美味かった。
この店は何を頼んでも旨いので、ついつい長居をしてしまった。
「そろそろ帰ろうか」立ち上がりかけたとき、壁に貼ってある写真に気がついた。


 古い写真が1枚。ずいぶん昔のものだ。
目を細め、黄ばみかけた写真を覗きこんだ。


 「あっ・・やっぱり」


 「なに?。どうしたの?」


 「寅さんとリリー。男はつらいよのロケ写真だ」


 寄り添った寅次郎とリリー役の浅丘ルリ子が、こちらへ笑顔をむけている。
背景に写っているのは、おそらく函館の港。
ということはシリーズ第15作、『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』。
夜明け前。函館のラーメン屋台で、リリーと寅さんが再会をする。


 「来たんですか寅さんとリリーが、こんな場所まで!」


 「こんな場所で悪かったな。
 おう。そうとも。その写真は俺が撮った。
 1975年のことだ。
 寅さんも若かったが、リリー役の浅丘ルリ子はとにかく綺麗で可愛いかった。
 好きみたいだなお客さんも。男はつらいよが」
 
 「好きなんてもんじゃない。全部の作品を見ています。
 リリーが登場する作品は、どれも好きです。
 中でも15作目の寅次郎相合い傘は、最高傑作だと思っています」


 「いいね。気に入った。
 どうだ。こっちへきていっぱいやるかい。お客さん」


 カウンターから大将が身体を乗りだしてきた。
願ってもない誘いだ。
こんな場所で寅さんのファンに出会うとは、夢のようだ。


 「でも、なぜ1枚しかないのですか?写真が」


 「たくさんあった。昔は。壁一面に貼ってあった。
 俺も寅さんとリリーは大好きだ」


 「いつの間にかそれが消えた、ということですか」


 「寅さんとリリーが好きなのは、俺だけじゃない。
 1枚消え、2枚消えて、気がついたらそれが最後の1枚になっていた」


 熱燗でいいかと大将が徳利を持ち上げる。
リリーがはじめて登場するのは11作目の「寅次郎忘れな草」。
旅回りの三流歌手・リリーが、寅さんと北海道の網走で出会う。
みじかい会話をとおし、すぐおたがいを理解しあう。


 「言ってみりゃ、リリーも俺もおなじ旅人さ。
 見知らぬ土地を旅してる間にゃ、そりゃ人に言えない苦労があるのよ・・・
 例えば、夜汽車の中、すこしばかりの客はみんな寝てしまって、
 なぜか俺一人だけが、いつまでたっても眠れねぇ。
 真っ暗な窓ガラスにホッペタくっつけてじっと外を見ているとね、
 遠くに灯りがポツンポツン・・・
 あー、あんな所にも人が暮らしているのかぁ・・・
 汽車の汽笛がポーッ・・・ピーッ
 そんな時、そんな時よ、ただわけもなく悲しくなって涙が
 ポロポロこぼれてきちゃうのよ」


 
 海を見つめながら寅さんが語るこの台詞・・・
いまも耳に残っている。


(73)へつづく


北へふたり旅(71) 函館夜景⑥

2020-01-25 17:16:25 | 現代小説
北へふたり旅(71) 

 
 路地へ入ったところで、提灯を見つけた。


 「やきとり」と書いてある。
カウンターに数人。その奥に空いているテーブル席が見える。
10人も入れば店は満席だ。


 「レトロだね・・・どうする。此処でいい?」


 「地元の人、御用達という雰囲気です。
 いいわ。面白そう」


 カラリとガラス戸を開ける。
「らっしゃい」。すかさず大将の声が飛んできた。
「テーブルいいですか?」。奥を指さす。
「指定席はありません。全席自由席です」。女将が笑顔をむける。


 (打てば響くような対応で、じつに気持ちいいね)


 (あなたは無愛想でしたからねぇ。大違いです)うふふと妻が笑う。


 「え・・・そんなに無愛想だったか?。俺」


 「男は背中で仕事する、を地でいっていました。
 背中を向けて調理している姿を、素敵と言ったお客もたくさんいました。
 あなたくらいです。背中で人気を稼いだのは。うふっ」


 女将がメモを片手にやってきた。


 「なににしましょう?。
 内地からですね。お2人さまは」


 「えっ、どこでわかりました。内地からだって」


 「奥様に栃木のなまりがあります。
 栃木から来た建設員のかたが、ついこの間まで呑みに来ていましたから」


 駅に降りた時の光景を思い出した。
函館の街はいま、ホテルの建設が真っ盛り。
どの方向も工事用のシートに覆われたビルがある。
工事現場から絶え間なく、ドリルの音がひびいていたし、
資材を積んだトラックが頻繁に出入りしていた。


 「尻上がりのイントネーション。それが栃木の人の特徴です。
 旦那さんは違いますね。言葉の尻があがりませんから」


 「おなじ北関東ですが、ぼくは群馬です」


 「ぐんま・・・はて、ぐんまって何処でしたっけ?」


 女将が首をかしげる。
群馬県がどこに有るのか知らないらしい。無理もない。
群馬・栃木・茨木、北関東の3県の知名度は低い。
日光の東照宮や、草津温泉はよく知られているが、それが栃木や群馬に
有ることを知っている人はすくない。




 「とりあえず焼き鳥をください」


 「豚にしますか。鳥にしますか?」


 えっ。やき鳥だから、串に刺さっているのは鶏肉のはずだ。
しかし。道南ではやき鳥といえば、四角にカットされた豚肉の串焼きを指す。


 「せっかくです。豚のやきとりにしてください。
 お酒は地元の物をお願いします」


 「はい」と女将がカウンターの向こうへ消えていく。


 「このあたり一帯のやきとりは、鶏ではなく豚肉なの?」


 妻が小声で聞いてくる。


 「そうらしい。
 あ・・・思いだした。
 札幌には有名なハセストのやきとり弁当がある」


 「はせすとのお弁当? 何それ?」


 「ハセストに注文するけど食べる人いるー?」
お昼時になるとこんな会話が職場で飛び交う。
「ハセスト」は道南に展開するコンビニチェーンの「ハセガワストア」のこと。
このストアの名物が、ソウルフードのやきとり弁当。


 やきとり弁当というものの、ご飯の上にずっしり豚肉がならんでいる。
甘からいタレに食欲がとまらないという。


 (たしか関東にも有ったな。
 やきとりが豚肉というご当地名物が・・・
 何処だっけ・・・。埼玉県のどこかだったような気がするが・・・)
 
 (72)へつづく


北へふたり旅(70) 函館夜景⑤

2020-01-22 18:02:09 | 現代小説
北へふたり旅(70) 


 妻は石川啄木の大ファン。ちかごろは歌も詠む。
啄木のこころのふるさとは生まれ育った渋民村でも、長くくらした
東京でもなく、たった4ヶ月すごした函館だという。
何が啄木をひきつけたのだろう。


 渋民村を出た啄木は、北海道へ行くことを決意する。
妻の節子とまだ5カ月の乳飲み子、京子を盛岡の実家へ戻し、
妹を小樽の姉の家に行かせ、ひとり函館をめざす。
まさに絵に描いたような一家離散。


 北海道へわたったのは明治40年5月。
22歳になった啄木が、函館青柳町・松岡蕗堂の家へ転がりこむ。
居候の身の中、職を転々としていく。
5月。紹介された函館商業会議所を、20日間でやめてしまう。
6月からつとめはじめた弥生尋常小学校の代用教員も、1ヶ月でやめてしまう。
そんな中、7月に節子と京子を函館へ呼びよせる。


 8月。文才を見込まれ、函館日日新聞に勤める。
しかしそのわずか1週間後。
東川町から出火した火がおりからの大風にあおられ、函館の町を焼きつくす。
市内の3分の2が焼失し、新聞社も焼け落ちる。


 いっときの職を求め、多くの人が札幌をめざす。
9月。啄木も札幌へ入る。運よく北門新報の校正係にありつく。
月給は15円・・・という記録がのこっている。


 「函館で過ごした4ヶ月の間に何があった?。
 なぜ啄木は、死ぬなら函館と決めたんだ?」


 「啄木は自信過剰の文学青年。
 小説にも興味をもっていたようです。
 歌人として知られていますが、函館へ来る前は長文の詩ばかり書いています。
 函館で歌人たちと交流していく中、歌への情熱を取り戻したようです」


 「歌人として再出発した地、それが此処なのか」


 「それだけではありません。
 恋多き人生をおくった啄木が、ここでも女性に熱をあげます。
 お相手は教員の橘智恵子さん。
 君に似し姿を街に見る時の こころ躍(をど)りを あはれと思へ
 かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど
 どちらも智恵子さんを歌ったものです。
 一握の砂に智恵子さんを歌ったものが、22首も登場しています」
 
 「妻ある身で同僚の教員に片想いか。やるなぁ。啄木も」


 「啄木の人間性について、とかくの議論があります。
 でも人生は裏と表があるから楽しいの。
 はたらけどはたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
 と歌いながら知人から平然と借金を重ね、そのお金で女を買う。
 まるで詐欺師です。
 信じられない感性の持ち主です。啄木という人は」


 「でも君はそんな啄木が大好きなんだろう?」


 「わたしが好きなのは啄木の歌だけ。
 破天荒で、破滅的で、破廉恥な人生を生きた人です、啄木は。
 女性にはしる男なんて大嫌い。
 日本語を巧みにあやつる、啄木の歌が大好きなだけです」


 青い外灯のなかに、二十間坂が浮かんできた。
石畳のくだりの先。今夜の宿、函館ベイの赤い壁が見える。
妻が南を指さした。

 「この先。啄木が家族で住んだ青柳町。
 ロープウェイ駅から100メートルほど先に、黒漆喰の建物が残っています。
 啄木の妻、節子も通ったという質屋さん、旧入村質店。
 いまは茶房として営業しているそうですが、残念ながら6時でおわりです」


 戻りましょう。妻がわたしの手をひく。
「おう」と答える。青い外灯に照らし出された舗道をくだりはじめる。
こんなにひろいのに、車はほとんど登ってこない。
下に見える交差点で、右と左へ車が消えていく。
はんぶんほど下った時、ようやく一台の車が横を通り過ぎた。
このあたりに住む人だろうか。
ウインカーをチカチカと点滅させたあと、細い路地へ車が消えた。


 
 (71)へつづく


北へふたり旅(69) 函館夜景④

2020-01-19 18:05:14 | 現代小説
北へふたり旅(69) 


 金森赤レンガ倉庫は、港町・函館を代表する観光スポット。
ガイドブックでかならず紹介される
外観はとにかく大きい。迫力もあり、どこか異国情緒がただよっている。
色褪せたレンガが経てきた歳月を物語る。
とにかく写真によく映える。


 しかし。一歩足を踏み入れて驚いた。
ちいさなお店がやたらゴチャゴチャ並んでいる。清潔感がない。
雑貨屋風のお店がやたら多い。


 「雑貨屋さんばかりですねぇ。
 洗練されたお洒落なお店がたくさん入っていると、期待していました。
 あてが外れたと言うのでしょうか・・・
 異空間です。此処は」


 「此処だけかもしれない。ほかの棟を見てみよう」


 手をつないだまま、出口を探しはじめた。
手をつないだまま?・・・
手をつないだままこんな風にあるくのは何年ぶりだろう。
妻はまったく離そうとしない。
それどころか妻の身体が、わたしの左手へ密着しはじめている。


 ようやく出口が見つかった。
表へ出た瞬間。妻が赤レンガ倉庫のはるか上へ目を向けた。


 「函館山の夕焼け」


 函館山の峰に夕日が沈んでいく。


 「いいわね。夕焼け空に向かって散歩しましょう」


 期待外れの赤レンガ倉庫はもう充分・・・と妻がつぶやく。


 「山へむかうぞ。けっこうな傾斜がある」


 「函館は坂の街です」


 「坂の街?」


 「坂から見下ろす海の景色が素敵です。そんな坂が此処には19もあります。
 突き当りまで歩きましょう。
 そこから左へ曲がれば、ホテルから見えた二十間坂へ出られると思います」


 「二十間坂?。窓から見えたあの坂道か?」


 窓から石畳のひろい坂道が見えた。
ひろいのに、車道は1車線だけ。バスが2台並んで走行してもまだ道幅があまる。
さらに緑の植え込みが、坂の左右につくられている。
二十間、36mあるという意味だろうか。
それらしい幅は遠くから見ても、じゅうぶん感じ取れた。
 
 石畳ののぼりを函館山へ向かう。
傾斜がだんだんきつくなる。ここはもう函館山の山麓だ。
このさきに334mの山頂が有る。
 
 突き当りまで歩き、そこからはじめて振りかえった。
「うわ~」と声がでた。
気が付けば手をつないだまま、かなりの高さまで登ってきている。


 あしもとからのびる下り坂の先。
石畳の道路の左右に、ライトアップされてうきあがる赤レンガ倉庫と、
紺碧から漆黒へかわりはじめた函館湾がひろがっている。


 「やはり素敵ですねぇ、港町のこの景色は。
 ぼくは死ぬときは函館で死にたい、と書いた啄木の気持ちがよくわかります」


 妻が指先へさらに力をこめてきた。
ホテルを出て歩きはじめた時から、わたしたち手はつながれたまま。
闇がおりてきた函館の空のした、妻の指がかつてないほどあたたかい。


 「26年のみじかい生涯のうち啄木が函館に住んだのは、わずか4ヶ月。
 函館のなにが気に入ったんだ、啄木は?」
 
 (70)へつづく


北へふたり旅(68) 函館夜景③

2020-01-09 17:21:39 | 現代小説
北へふたり旅(68) 函館夜景③


 
 「あちらは家族旅行。女子の2人旅。遅い夏休みを楽しんでいる学生グループ。
 恋人らしい2人連れ。わたしたちのような高齢のカップル。
 いろいろな国から来た、海外のお客様。
 このあたりまでは普通です」


 「普通でないのは?」


 「例えばあちら。腕を組んで立っている、お歳の離れたあのカップル。
 どう見ても不倫旅行です」


 「ほう。断言したね。根拠は?
 父親と娘が旅行している可能性もある」


 「娘さんと父親でも、腕を組むことはあります。
 でもあんな風に男の人を、熱ぽく見つめたりしません。
 お化粧が濃すぎるのも気になります。
 水商売の女性かもしれません」


 「手厳しいな、君は」


 「こちらのホテルは、335室。
 1組や2組、不倫中のカップルがまぎれこんでも不思議はありません」


 「俺たちはどんな風に見られているんだろう?」


 「誰が見てもどこにでも居る、すこし日に焼けたじぃさまとばぁさま。
 その程度にしか見ていないでしょう。
 誰も気にしていません。わたしたちの存在など。
 さぁ行きましょ。お散歩!」


 妻に促されてホテルを出る。
来た時と逆をたどる。ほどなく海沿いの道へ出る。
左側。車道がくびれた先に、古びたアーチの橋がかかっている。
引き寄せられるかのように、そちらへ方向をとる。
橋まではわずか。
ゆっくりアーチの石畳をのぼりはじめる。


 「あら。素敵!」

 橋の頂点で、妻が声をあげた。
真正面にゴンドラが行きかう函館山がそびえている。
左に赤レンガの倉庫が並び、右に遊覧船の青い桟橋と待合室が見える。
橋のたもとで若いカップルが、記念写真を撮っている。
港町函館らしいスポットが、とつぜん私たちの目の前にあらわれた。



 「自撮りしましょ」妻がささやく。


 「恥ずかしいよ」


 「何言ってんの。旅の恥はかき捨てです。うふっ」
 
 スマホを取り出した妻が、すばやく身体を寄せてくる。
人差し指と小指でスマホをはさむ。
中指と薬指で背面を支える。そのまま腕をうえへ伸ばしていく。
スマホを下向き20度にかたむける。


 「いくわよ。あなた」


 シャッターをあいている親指で押した。


 「撮れました。記念すべき旅の一枚目です」


 呆気にとられている間に撮影は終了した。
石畳をおりはじめたとき。やわらかい感触がわたしの左手へやって来た。
妻の手だ。

 「どうした?」


 「しあわせなら手をつなごう。です」


 「しあわせなら手をたたこうだろう、それって」


 「しあわせでしょあなたも。だってこんなに素敵な景色ですもの。
 わたしは120%しあわせです」


 ひさしぶりに握る妻の手はあたたかい。
握り返すと妻がわたしの指さきへ、さらに力をこめてきた。
こんな風にして歩くのは、いつ以来のことだろう・・・


 (69)へつづく