落合順平 作品集

現代小説の部屋。

舞うが如く 第七章 (7)工女たちの悪戯(わるさ)

2013-02-20 07:53:49 | 現代小説
舞うが如く 第七章
(7)工女たちの悪戯(わるさ)




 先輩にあたる工女たちが、ひととおり持ち場につきました。
新入りである前橋からの見習い工女の20人は、女性の工女副取締りに引率をされて、
繰糸場を一通り見学をして歩きます。

 大音響の蒸気エンジンが唸りを上げて動きはじめました。
ずらりと並んだ灰色塗装の鉄製円形従動輪が、一斉に回りはじめます。
その先にずらりと連なっている、6角形の糸巻き枠を次々に回転をさせていきます。


 その列の下には、工女が整然と並んでいます。
ぴかぴかの真鍮(しんちゅう)製の道具を操りながら、
黙々と、糸繰りの作業をはじめます。
それらの工女たちの間を、フランス人と日本人の指導者男女が
工女たちの手元を見ながら歩きまわっていきます。
それぞれに様子を詳細に見ながら、時には手にとって指導をしたりしています。


 前橋からの新人の一同は、
はじめて見る場内の活気ある様子に、ただただ圧倒をされていました。
目を丸くしたまま、やがて製糸場内を通り抜け、再び製糸の最初の工程となる、
西まゆ倉庫へと到着をします。



 西まゆ倉庫内には、最初の工程のまゆの選別場があります。
同時にここから、工女としての最初の仕事の見習いもはじまります。
男性指導員の高木さんともう一人のベテラン工女が、
まゆの目視による選別法を、詳細にかつ丁寧に説明してくれます。
続いて大きなテーブルを囲んで、早速の実地訓練が始まります。

 新人たちが繭を選別するたびに、
指導員たちが、等級分けした合格品と不良品を見比べます。
些細な見落としなども含めて、指導員たちからは何度も細かい注意が繰り返されます。
選別中は、工女どうしがちょっとでも私語をかわすと
「そこ、作業中は、しゃべらない!」と叱られてしまいます。


 見回り中のフランス人指導者も、片言の日本語です。
「ニホンムスメ、タクサン、ナマケモノ、アリマス」などと叱りつけます。
そのうえ煉瓦造りの窓は、小さ過ぎて風通しが悪いために、
まゆの臭いが立ち込めてくると、場内は
とたんに不快な作業環境に変わりはじめてしまいます。


 単純な選別作業を数時間も繰り返していると、
だんだんと眠気がおそってきます。
午前中には30分の休憩があり、部屋に戻って一時間の昼食休憩もありますが、
午後4時の終業までの一日が、なんとも長く感じられます。



 だんだんと陽気も良くなってくると、
繭選別の作業所内では、蝿が飛び回るようになりはじめました。
みんな田舎育ちのことですから、、そんな蝿を、
ぱっと、素手で捕まえることができてしまいます。



 うるさい蝿を、捕まえているうちに、
誰かが、蝿の羽根をもぎとってしまいました。
その背中へ、小さなワラシベを刺し、不良品のまゆから、より出した糸を
ワラシベにくくりつけてしまいます。
羽根無しの蝿が、不良品のまゆを引っ張って歩き回る姿が完成をします。
選別場の床に離してやると、不良品のまゆがひとりでに動いているようにも見えます。


 おおくの工女たちは、箸が転んでも
可笑しくなるというそんな年頃の娘ばかりです。
これを見つけた娘が、最初のうちは忍び笑いでこらえていました。
このイタズラが、だんだんと広がって密かな楽しみになりましたが、
とうとう指導員の高木さんに見つかってしまいました。


 苦笑しながら
「これは誰がやったんだ?」と尋ねて回りますが、
誰もが下を向いたまま、笑っているだけでその問いかけには答えません。
いつしか、犯人探しもそのままになってしまいました。
しかしその後は、この気晴らしもできなくなってしまいます。

 まゆの選別技術をマスターしてくると、
誰もが、繰糸場に行きたいと思うようになり始めます。
ある日、高木さんに、
「いつ繰糸場に行けるか」と工女たちが尋ねます。
その答えは

「3月20日ごろに、
 山口県から新入者が40名くらい入場して来るから、
 そのときに(繰糸場へ)出してあげる」
と応えて、一同がおおいに喜びます。
毎日、気合を入れて選別作業にいそしみながら、
前橋からの新人20人は、その日が来るのを待ち続けます。


 待ちに待った3月20日のことです。

 山口県からの40人が、富岡製糸場へ来場をしました。
山口県の娘達は、明治維新の中心となって活躍した長州藩士出身にふさわしい
雰囲気を、いかにもというようにその全身に備えています。
身につけた衣服はもちろん、その立ち振る舞いにさえも、
ほどよく洗練されたものがありました。

 これを見た前橋の工女たちは、
いよいよ明日からは、繰糸場に行けるとおおいに喜び合います。
新しい手拭いなども準備して、その身支度を怠りません。
翌朝、期待に胸をふくらませて、まゆの選別場に行きましたが、
昼になっても、なんの示達がありません。

 そればかりか、
ガラス窓をとおして見える繰糸場のなかでは、
来たばかりの山口県の娘達が、器械の前で糸繰りの指導を受けているのが見えました。
余りの光景に、前橋の工女たちが愕然とします。

 しかし、まゆ選別場のなかには、
前橋以外の工女達もたくさん居ますので、ここでめそめそ泣くわけにはいきません。
しかし、20人が打ち揃ってなんとも落胆し、
悔し涙ばかりが流れる午前中のあり様になってしまいます。




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