落合順平 作品集

現代小説の部屋。

舞うが如く 第七章 (4)富岡製糸場

2013-02-17 06:41:40 | 現代小説
舞うが如く 第七章
(4)富岡製糸場




 巨大な敷地に建てられたレンガ造りの赤い工場、それが日本の近代化を象徴する
官営の製糸工場の「富岡製糸場」です。
木の柱と梁(はり)にレンガを積み込んだ、「木骨レンガ造り」のこの建物は、
西洋の建築技術などもふんだんに取り入れています。
木材を随所に使用して、屋根には瓦葺(かわらぶき)を採用するなど、
日本の建築技術とも見事に融合をさせています。


 この建物はフランス人のオーギュスト・バスチャンが設計したもので、
鉄枠のガラス窓や、観音開きのドアの蝶番(ちょうつがい)は
フランスで仕上げたものを持ち込んだといわれています。


 1万5千坪を超える敷地には、東と西に繭(まゆ)倉庫があり、
繰糸場(そうしじょう)を取り囲むように、
事務所、外国人宿舎などの主要な建物がコの字の形に並んでいます。


 富岡製糸場は、明治政府が日本の近代化を推進するために、
全国に先駆けて、群馬県に設置をした官営の模範器械製糸場です。
開国直後の日本にとって、綿(生糸)の輸出は
大きな利益が期待される産業のひとつです。
しかし、繭から生糸をつくりだしていた当時の製糸方法は、
粗雑な器具や手作業に頼っていたために、たいへんに非効率的なものといえます。
そのために、フランスやイタリアの器械製製品に比べても、
品質面では、大きく劣ると評されていました。



 明治政府は、こうした事態を打破するために、
優れた製糸技術を持つフランスやイタリアなどを手本にしました。
ヨーロッパの国々と同様の、大規模な器械を導入した近代的な工場を設置して、
品質の向上と、生産量の拡大をめざしました。

 こうした経緯の中で、1870年(明治3年)、明治政府は
フランス人技師ポール・ブリューナの指導のもとにの、
富岡製糸場の建設に着手をします。

 当時の富岡付近では、養蚕(ようさん)がとりわけ盛んで、
生糸の原料である繭が大量に確保することができました。
また、工場建設に必要な広い土地もあります。
製糸に必要な水を既存の用水から利用できることや、燃料の石炭が、
近くの高崎で採れることなどから、この富岡が建設地に決まったといわれています。


 国によって建設がはじまった製糸工場は、
フランスから輸入した繰糸器や蒸気機関などが導入され、明治5年に完成しました。
大規模な建造物が並ぶ工場の中でも、繭を生糸にする繰糸場は、
長さが140.4メートル、幅12.3メートルもあり、当時での世界最大規模を誇っています。
この工場では、生糸の品質改善と生産量の増加ることと供に、
技術指導者を育成するという役割も担っていました。


 東側から入ると、そこ正面が入り口にあたります。
来訪者たちを出迎えるかのように、アーチが1つ架かっています。

 琴をはじめ、多くの者が生れまて初めて見る光景です。
赤い煉瓦れんが造りの建物に、目を見張りながら案内の者に誘導されて
全員が役所前へと通されました。


 日本側を代表する形で、
場長の尾高、副長の佐伯木や加藤と言った幹部をはじめ、
その他の役人たちが、テーブルに一様に顔をそろえて出迎えてくれました。
簡単なあいさつと、激励の言葉などがそれぞれに済むと、入れ替わりに宿舎となる、
工女奇宿舎の女性取締役が登場をします。





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