迷宮映画館

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帽子箱を持った少女・青い青い海

2012年12月02日 | ロシア映画シリーズ
「帽子箱を持った少女」

郊外に住んでる帽子作り職人のナターシャ。おじいさんと二人で住んでいる美しいナターシャは、駅員の青年に言い寄られているが、彼女にその気はない。今日も出来あがった帽子を持って、モスクワの帽子屋に届けに行くところ。混んでる汽車の中で、無礼な青年と出会う。田舎からモスクワに出てきた青年・イリヤは、住むところもなく、駅に寝泊まりしている。

イリヤに同情したナターシャは、帽子屋に住まわせようとする。帽子屋の住民登録をしているのは、実はナターシャ。帽子屋の主人夫婦は、この部屋に間借り?・・・この辺はよくわからなかったので、解説を待つことに。

イリヤを住まわせるために、ナターシャは結婚を偽装し、部屋に連れてくる。主人夫婦を隣の部屋に追いやって、二人はなんとなくいいムードに。

帽子屋は儲けているはずなのに、ナターシャに対する支払いは渋い。しようがなく、主人はくじ付きの国債を代金の代わりにナターシャに渡す。それが大当たりしたもんだから、大騒ぎ。くじを取り返さないと!!くじを巡って、あっちに行ったり、こっちに行ったり。さあて、ナターシャとイリヤの運命は!!

出演 アンナ・ステン イワン・コワリ=サムボルスキー ウラジーミル・フォーゲリ セラフィーマ・ビルマン
1927年作品 サイレント





「青い青い海」

カスピ海沿岸の漁村のコルホーズに派遣された青年二人、アリョーシャとユスフ。二人はせっせとコルホーズで働くことになるが、その村で幹部として指導していたマーシャに一目ぼれ。強く、美しい彼女にどんどんと惹かれていく。

二人は、それぞれの立場で彼女にアプローチ。機関士であるアリョーシャは、彼がいないと船が動かないのを承知で、彼女への贈り物を手に入れるために仕事をさぼり、みんなに迷惑をかけてしまうほど。

今日もいつものように舟を出して、漁をしていたとき、大嵐に。波にのまれてしまったマーシャは、乗組員たちの必死の救出にもかかわらず、海のかなたに消えてしまった。消沈する二人。彼女を皆で称え、追悼している様子に居たたまれなくなった二人は海岸に出る。そこに打ち上げられたマーシャ。彼女は生きていた!追悼会は一気に彼女の生還パーティに変わる。

マーシャを助けた二人は英雄に!そして、アリョーシャは、マーシャに自分の気持ちを打ち明け、プロポーズする。しかし、帰って来た答えは、意外なものだった・・・・。

出演 エレーナ・クジミナ レフ・スヴェルドリン ニコライ・クリューチコフ
1935年作品 トーキー

と言うことで、伝説の・・・・と言ってもさっぱり知らなかったが、ボリス・バルネットの有名な作品を二本鑑賞した。最初の作品は、いかにもサイレント!で、どたばたのコメディ。とってもわかりやすく、ソ連特有の時代と背景はあったが、普遍なものだった。表情にメリハリがあり、動きが大きく、とにかくはっきりしていた印象。

さて、先生の話によると、1927年と言うのは、NEP(新経済政策)の真っ最中。革命の後、経済的な低迷のあと、新しい政策をとらざるを得なくなって、この政策を推進した。もちろん効果は絶大で、めきめきと経済は上向きになって行った。

当たり前のことなのだが、これが指導者にとってはショック。世界初の社会主義革命を成功させ、革命の力を信じてきた者たちにとって、経済の上向きが国に力を与えて行くと言うことに衝撃が走ってしまったとのこと。さもありなんなのだが、人間の本性と言うものを甘く見過ぎている。

きちきちの社会主義者であったバルネットにとっても失望感が半端なかった。しかし、経済の自由化は、言論の自由化と言うことももたらし、この映画のような自由奔放な感じの映画が出来あがった。

NEPによってある程度経済的に豊かになった層が、帽子屋の主人であり、にわかブルジョア。いわゆるバブル。しかし、住居は個人の所有ではない。いくら帽子屋の主人がブルジョアであっても住居をいくつも持つことはできない。そこで、郊外に住んでるナターシャに、モスクワ市内で住民登録をさせ、そこに住む・・・ということらしい。なるほど。

映画の中に、馬車、車、電車、工場などが映され、モスクワの急速な発達、田舎からどんどんと人がやってきている様子がわかる。イリヤもそうやって、田舎からやってきた青年の一人!と言うことだ。映画自体が、国債を売るために宣伝映画と言うことで、映画ももろにそんなプロパガンダ。それでも楽しく、ほほえましいコメディになってるのは、ソ連の古き良き時代を表しているのかも。

もう一本の「青い青い海」は、白黒なもんで、色は分からず。カスピ海って、こんなに凄い嵐になるんだ!にびっくり。舞台はカスピ海に南部にあるアゼルバイジャン。トルコ系の人々が住むところ。各地にコルホーズが出来、統制経済が行われ、スターリンの独裁が着実に進んでいたところ。

社会主義リアリズムを忠実になぞるもので、先進的な指導者、懸命に働く見本のような労働者、それらが国を動かしてると言うことが見える。途中女にとちくるっても、失敗しても、反省をきちんとして、ガンばろう!!!というもの。

見ていて、変な映画だなあと思った。労働者が懸命に働き、片一方で女を追いかけ、振るにしても婚約者がいたのをちらつかせもせず、とにかく全てが変。先生曰く、何かずれてる。その通り。ずれまくり。でも、それがわざとではなく、いわゆる天然なんでしょうなあ~。それがサイレントだとまだ違和感なく、妙にマッチングがあったのが、トーキーになって、時代が下ってきて、変さはマックス状態に。

そんなこんながわかった次第。時代、国、体制、背景その他もろもろ。映画って言うのは本当にそういったものを見事に映す最高のものなんだと言うことを再確認した。


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