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第527回 マユツバな地名たち

2023-06-09 | エッセイ
 あまりにも信憑性が低かったり、ウマすぎる話は「眉にツバして」聞かねばなりません。本来の意味と違うように言葉を使ったり、意図的に言い換えたり、あえてあいまいな言い方で誤魔化す手口もあります。「検討する」は、「あまり本気でやる気はない」というメッセージだったりする世界もあるようです。そんな言葉を「マユツバ語」と名付けて集めた「マユツバ語大辞典」(塩田丸男 新潮社新書)を面白く読みました。なかでも、マユツバな地名を論じた章に興味魅かれましたので、いくつかご紹介します。

★チバリーヒルズ
 千葉市に、通称「チバリーヒルズ」と呼ばれる高級住宅地があります。「ワンハンドレッドタウン」が正式名称ですが、地元では、マスコミが発信源らしき通称の方が有名です。1989年に売り出され、住宅価格は5億円から15億円だったといいます。ロサンゼルス郊外の高級住宅地ビバリーヒルズにひっかけた通称で、とても手が出ない庶民のやっかみ心に響いて定着しているようです。

著者は、そんな地域の現状を、1995年7月28日付の産経新聞から引用しています。「閑静ではあるのだが、なぜか寂しいのだ。主のいない豪邸の前で門番が所在なさげに立っている。たまには見学者が訪れるのか「家の見学はお断りします」の看板が目立つ。売却の予定が立たず、さら地には雑草が生い茂っている。」開発業者の苦々しい顔が目に見えるようです。
★東京ディズニーランド
 千葉県浦安市にありながら、「東京」を冠しているのがよく話題になります。地名もブランド、とはいいつつも、だいぶ無理があるのも事実。全国に存在する「小京都」とか「〇〇銀座」とかは、著者も許容範囲としているのですが・・・・
 マンションなどの販売戦略として、近隣のイメージの良い地域名を、マンションなどの名前に冠する例を、著者は指摘しています。現に、池袋の名を冠した板橋区内のマンションがいくつかあるとのこと。また、渋谷区松濤(しょうとう)は、美術館、能楽堂などを備えた都内でも有数の高級住宅地ですが、近隣するマンションの中には、松濤を冠したマンションもあるそう。
 不動産の公正な取引を推進するための組織も、開発業者側に釘を刺しているとのことですが、地名のブランド性、イメージ性が厳然としてある以上、絶滅は難しそうですね。
★〇〇が丘
 著者のもとに知人から転居通知が来ました。新しい住所は、「横浜市緑区美しが丘」とあって、「まるでおとぎ話の中の地名のようではないか」(本書から)がちょっと笑えました。
「丘」というのは、高台で、眺望も良さそうなイメージがあり、地名として好まれるようです。本書には、東京近郊の鉄道駅名として、緑ヶ丘、希望ヶ丘、ゆめが丘、富士見ヶ丘、桜ヶ丘、百合ヶ丘、などが挙げられています。ただし、東急線「自由が丘」駅には、ちょっと異を唱えています。
「このへんは昔、谷鷺草(やさぎそう)という地名だった。谷畑一面の低地にサギ草が野生していたからである」(同)というのです。道路が整備され、湿地は改善されましたが、「低地は変わらず、谷底」(同)とあります。まあ、そう目くじら立てることもない、とは思うのですが・・・
★葭原から吉原へ
 吉原は、江戸の代表的遊郭で、現在の中央区日本橋人形町付近に当たります。元々は、葭(よし=イネ科の多年草で、葦(あし)とも)が生い茂っていたことから「葭原(よしわら)」と呼ばれていました。しかし、葦(あし)は、「悪(あ)し」に通じるというので、縁起のいい「吉」を充てたのが由来です。地名へのこだわりは、当時からあったのですね。

 さて、本書では「マユツバ」ではないユニークな地名も話題にしています。2つご紹介します。
★幸福(こうふく)町
 若い方には馴染みがない地名でしょうか。旧国鉄時代、北海道帯広市にある「幸福駅」(現在は、廃駅)があり、2つ隣に「愛国(あいくに)」という駅(こちらも、廃駅)があったことから、「「愛(の)国」から「幸福」行き」の鉄道切符が、結構式のお祝いグッズなどとして一大ブームを巻き起こしました。その切符と当時の駅風景です。

 この辺りは、アイヌ語で「サチナイ」(乾いた川)と呼ばれていたので「幸震」(震(ない)は古語で地震のこと)の字を充てていました。いくらなんでも・・・というので、福井県からの移住者が多かったこともあり、「福」としたのが由来です。駅は無くなりましたが、「幸福町」の地名は存続しています。地元の方々は、きっとしあわせな生活を送っておられることでしょう。
★麻布狸穴(あざぶ・まみあな)
 ロシア大使館の所在地として、比較的知られた都内港区の地名です。「まみ」というのは、雌狸、ムササビまたは穴熊を表す古語だそうで、この辺りの坂の下に「まみ」の穴があったことから、この地名になったと伝えられています。一時、行政が、地名の変更を計画したそうですが、地元の人たちには愛着がある、可愛い地名です。反対運動が起き、存続に至った由。由緒ある地名が残って何よりでした。
 
 地名をめぐる話題をお楽しみいただけましたか?それでは次回をお楽しみに。