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第469回「聞く」から「わかる」への科学

2022-04-22 | エッセイ
 年齢とともに、耳がやや遠くなって、聴覚について、ちょっと関心があります。「読む力・聴く力」(河合隼雄/立花隆/谷川俊太郎 岩波書店)は、「読む」「聞く」をテーマに3人のエッセイ、講演、シンポジウムなどで構成した本です。
 その中で、立花が、音が意味のある情報として、脳で処理されるしくみを科学的に講演で語っています。とりわけ興味ひかれましたので、私なりの理解でご紹介します。

 「音」というのは、物理的には空気の振動です。振動数、高さ、大きさなどの異なる様々な音が、鼓膜を振動させます。その振動を電気信号に変えて、脳に送らなければ、脳は音を認識できません。その大事な役割を担うのが、内耳にある蝸牛(かぎゅう)というカタツムリみたいな形をした器官にある約1万5000の有毛細胞です。図のうす紫色の部分がその器官です。細胞が、空気の振動を電気信号に変換するなんて、その精妙さにまずは驚きます。



 聴覚に障害がある人の場合、この有毛細胞の機能に問題があるケースが多いといいます。それならというわけで、振動を電気信号に変える人工的な装置が開発されました。有毛細胞に電極をつけ、音波を電気信号に変えて、脳に送れるようになったのです。普通の内耳装置からくる信号と情報的に同じですから、音が「聞こえる」ようになります。
 ただし、1万5000もある有毛細胞に対して、電極は22だけです。足らざる情報を補完する必要があります。また、入ってきた音を、意味のある情報として処理し、人間に理解させなければなりません。それらの役割を担うのが、脳の後ろの方にある聴覚野です。「単に音を聞いて、その信号が脳に来ただけではだめで、ほかの経路を伝わってきたいろいろな情報、あるいはその人の頭の中にある記憶、そういうものが全部あわさって、初めて「わかる」ということが成立します。」(同書から)
 小さい頃から、「音」を聞いて、音源、方向、何の音か(言葉も含めて)などを当たり前のように「わかっていた」多くの人にとっては、もう少し説明が必要ですね。

 立花は、途中から耳が聞こえるようになった子供の例を掲げています。有毛細胞の障害で耳が聞こえない子供に対しては、早期に発見し、先ほどの装置を手術によって埋め込むことが可能になっています。手術後のリハビリ訓練に立花は立ち会いました。いろんな音を、いろんな大きさで聞かせ、装置の調整を行いつつ、「音」というものを理解させる訓練です。初め、子供は一様にびっくりするといいます。いままで無音の世界に住んでいたのが、急にわけのわからない信号が脳に入ってきたのですから。
 しばらくそんな訓練に付き合っていた立花は、子供が「音波信号」を「音」として「わかる」瞬間に立ち会うことになります。
 きっかけは、おもちゃの太鼓です。あるとき、医師がトントンと叩いても、きょとんとしていただけだった子供に、それを渡すと、自分で叩き出しました。「ただ音の信号が入るというのではなく、それが「わかった」という感じになった瞬間がきたわけです。それが表情でわかりました。「そうか、わかった」という顔になったのです。」(同)

 その子供は小さい頃、太鼓をおもちゃにしていたといいます。音は聞こえませんから、叩くだけのおもちゃでした。それが今、聞こえてくる音と、自分が太鼓を叩く行為との関係が、はっきり「わかった」ということなのですね。
 「自分の手の運動と耳に入ってくる信号の強さと、そこがフィードバックする、そういう回路が成立したときに初めて「わかった」ということになるのだろうと思います。」(同)

 小さい頃からいろんな音に囲まれて育ってきたことに感謝しながら、耳と脳の実に巧妙な仕組みにもあらためて驚かされます。私の場合、英語は「音」としてはなんとか聞き取れるレベルですが、すべて「わかった」というわけにはいかず、更なる「訓練」の必要性を痛感する今日この頃です。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。