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第464回 「大阪発祥のモノ」語り-2

2022-03-18 | エッセイ
 パイオニア精神が旺盛で、新奇なアイディアを実現させるのが好き、というのが大阪人のひとつの特徴かもしれません。その成果(?)らしきモノ、サービスなどをご紹介するシリーズの第2弾になります(文末に、前回(第327回)へのリンクを貼っています)。ネタ元は「はじまりは大阪にあり!」(井上理津子 清風堂書店/ちくま文庫)です。久しぶりの続編をお楽しみください。

★お得感につながるアイディアで勝負★
 昭和30年代の日常的なお菓子といえば、グリコか、森永キャラメルでした。自分で買う時は、やっぱり「おまけ」に魅かれて、グリコが多かったですね。

 最近はあまり流行らないようですが、フィギュア付きのドリンクとか、お菓子がブームになったことがあります。レアなフィギュアを手に入れるために、「段ボール箱」買いする若者のことが話題になったりしました。
 その元祖とも言えるのが、1922年(大正11年)から、日本初の「おまけ付き」商品として発売を始めた「グリコ」です。

 当初の「おまけ」は、タバコをみならってカードでした。5年後から、豆玩具やメダルが中心になります。メダルは造幣局にも発注していたといいますから、本格的です。その後は、紙、土、ブリキ製の豆玩具を経て、戦後は、独自デザインで、プラスチック素材のミニ玩具へ、というのがざっとした「歴史」です。

 「おまけ」といえば、値段を安くするか、数量を増やしたり(八百屋だったら、「ネギ一束、おまけで、付けときまっさ」のように)するのが普通です。小さいとはいえ、違うジャンルの玩具を付けて、(カネにシビアな大阪の)子供でも分かるお得感に訴える・・・・・いかにも「大阪発祥」にふさわしい商品に懐かしさを覚えます。

★イチかバチかの勝負に賭ける★
 すっかりテレビ離れした私のお気に入りのラジオ番組は、「大竹まこと ゴールデンラジオ」(月~金 文化放送)です。テレビに比べれば注目度が低いということもあるのでしょうが、大竹本人やゲストのホンネトークが、連日炸裂しています。生ヌルイだけのテレビのコメンテーターの発言に飽き飽きしている身にはなんとも新鮮です。

 そんなラジオの世界で、日本初の「民放ラジオ」として、1951年(昭和26年)9月に開局したのが、「新日本放送」(現・毎日放送)です。
 民放開設を巡って、二転三転したGHQの方針が、1947年10月に確定します。そして、16社に予備免許が一斉に下りたのが、51年4月です。

 その中で、「新日本放送」が最初に開局できた「勝因」は、イチかバチかの見切り発車でどんどん準備を進めたことです。スタジオは、なんと、大阪のど真ん中、阪急百貨店の屋上に設けられていた新聞社の伝書鳩用の「小屋」、というのがすべてを象徴しています。当時の写真が残っています。



 いろんなところからかき集めた人たちが、ステテコ、アンダーシャツ姿で汗にまみれて、その「小屋」で準備に奔走したといいます。なりふり構わず、イチかバチかで一番乗りを目指すーーいかにも大阪的な努力が実ったのは何よりでした。

 テレビがなくなっても、いささかの痛痒も感じませんが、私にとって、ラジオだけは、ずっと残って欲しい情報源であり、娯楽です。大阪だけじゃなく、全国の民放ラジオさん、がんばってください。

 いかがでしたか?もう少しネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。なお、前回へのリンクは<こちら>です。
 それでは、次回をお楽しみに。