★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
           毎週金曜日更新

第443回 風雲児たちー歴史ギャグ漫画の世界

2021-10-15 | エッセイ

 去る8月、漫画家・みなもと太郎さんが74歳で亡くなられました。先生(以下、こう呼ばせていただきます)が、40年以上にわたって描き続けてこられた歴史大河ギャグ漫画「風雲児たち」は未完となりました。大ファンのひとりとして、追悼の想いを込め、その壮大な作品世界の一端をご紹介することにします。

 幕末から維新の時代に、風雲児として生き抜いた志士たちが主人公です。「こんな面白い歴史を、学校ではどうしてあんなにつまらなく教えられるのか分からない」との先生の言葉が残されています。(朝日新聞の追悼記事(2021.9.4 夕刊)から)。その熱い想いが、「ワイド版」(リイド社刊全20巻 完結)と「幕末編」(同社刊 既刊34巻未完)の膨大なシリーズとして残されました。画面上がワイド版、下が幕末編の一部です。


 
 1979年に始まった連載は、関ヶ原の戦いから始まります。西軍の一員であった薩摩と徳川家康の怨念、確執が幕末の動乱、維新へとつながる歴史的な戦いです。
 同記事によれば、当初は100ページほどで幕末に行く予定だったといいます。ところが、話は寄り道、寄り道の連続で、最終的には約6000ページにもなってしまいました。
 とにかく綿密な調査、考証で、後ほどご紹介するエピソードを含め、様々な事件、出来事に寄り道し、時にベタなギャグ付きでストーリーが展開していきます。結局、このシリーズは、坂本竜馬が初めて江戸へ旅立つところで一旦打ち切られ、上記のワイド版全20巻として、ひとまず完結しました。

 その続編が「幕末編」として始まったのは、2001年です。弘化2(1845)年、シーボルトとその日本人妻との間に生まれた娘のイネが産科医を目指すあたりから話はスタートします。桜田門外の変や生麦事件などの大事件も丹念に描き込み、昨年8月刊の34巻(おそらく最終巻になるはず)でも、やっと文久2(1862)年あたりです。7000ページを費やしての大いなる寄り道ぶりをまたまた存分に堪能しました。

 その後の予定について、同記事では「「ゴール」と決めていた明治2(1869)年の五稜郭陥落へたどりつくのは20年先かそれ以上・・・・」との講演会(2016年)での発言が引用されています。壮大な構想にあらためて驚きつつ、先生の無念さを噛みしめています。

 せっかくですので、ワイド版3巻から4巻の170ページほどを費やして描かれた「宝暦治水」のエピソードをご紹介します。

 宝暦4(1754)年1月、幕府から薩摩藩へ命令が下りました。濃尾平野にまたがる木曽川、長良川、揖斐川の三川の治水工事をやれというのです。薩摩藩の財力、体力を徹底的に奪おうという企みです。戦も辞さずといきりたつ藩士たちを主席家老が必死に説得し、1000名の藩士を現地に送り込みました。

 藩士たちが戦う相手は自然ではなく幕府でした。工事の材料、人夫の賃金などあらゆる費用は幕府指定の業者に、言い値で払わされます。百姓家に分宿している藩士たちの食事代はもちろん、夜具、薪、茶なども全て有料で、都度の現金払いです。
 また、理不尽な工事のやり直し、昼間働いた人夫に、夜は破壊工作をさせるなど、幕府による妨害工作、イヤガラセは卑劣を極めました。

 そんな苦難を乗り越えて、宝暦5年3月、工事は完成しました。総検分に来て文句を言いかけた役人に向けられる藩士たちの怒りに満ちた目、目、目。結局、役人も、「・・・大変けっこうでござる・・・」と言わざるを得ませんでした。その場面です。

 さて、工事費用の調達です。15万両との約束で始まった工事には、すぐ15万両の追加が求められました。密貿易の収益や砂糖取引の独占権などを担保に、これらの費用を用立てたのが藩の勝手方家老の平田靭負(ゆきえ)です。そこへ幕府はさらに20万両という途方もない追加を要求してきました。
 窮した平田は、個人名での借用書を大坂の商人に差し出します。そして、工事の完成を見届けて自ら命を絶ったのです。命を担保にしての借用を、商人も分かっていました。コゲつき必至の融資を責める番頭に主人がいいます。「生きたはる(生きていらっしゃる)うちから香典として処理しといた」(同書から)
 借り手、貸し手双方の凄まじいまでの気概、気骨、覚悟に圧倒されます。全巻を、もう一度、じっくり読み返したくなりました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。