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第197回 2016年を笑い納める

2016-12-23 | エッセイ

 2016年も暮れようとしています。私の身の回りは、特段変わったこともなく、リタイヤ生活を満喫とまではいきませんが、大過なく送ることができました。

 お店関係も、折々のイベントは相変わらずの盛り上がり。また、開拓団、探検部、狩猟部、山岳部などの部活も活発。句会のほうも、次は、節目の60回を迎えるとあって、慶賀にたえません。忘年会も、参加者が、去年より少なかったのは、ちょっと残念でしたが、二次会込みで、大いに盛り上がって、何よりでした。私のアブない「芸」にご参加いただいた皆様ありがとうございました。

 さて、眼を世の中や政治の世界に転じれば、腹立たしいことだらけ。書くだけで、一層怒りが募るから、いちいち書かないが・・・・・

 さて、当ブログも今年最後のアップになりました。せめて最後は笑い納めということで、格好のネタ本を見つけてきました。

 ちょっと古いですが、「最後のちょっといい話」(戸板康二 文春文庫 1994年)がそれです。著者(故人)は、演劇評論家が本職ですが、演劇関係だけでなく、作家や歌手など幅広く交際してきた人。これは、そんな付き合いの中から拾ってきたエピソードを集めた本で、一連のシリーズの内の一冊です。
 以前紹介した「芸人その世界」(永六輔)とよく似た趣で、手短かで愉しい話題が満載です。折に触れ紹介していこうと思っています。それでは、さっそく、第一弾を。

 桂文楽が新宿の末広亭のトリに出た帰り、大塚の女性の家に立ち寄り、近所でタイヤキを買って帰宅すると、おかみさんが「大塚へ何しに言ったんです」その袋にゴム印が押してあったのだ。
文楽がつぶやいた。
 「風月じゃあるまいし、タイヤキの袋にスタンプを押すなんて、何とも悪いタイヤキ屋だ」

 インテリお笑い芸人として名をなした古川緑波をめぐるエピソードです。こちらの方です。

 

 戦争中、放送局のスタジオにいた緑波の稽古がうまくゆかずに癇癪をおこしたので、局でしか聞けない短波で、アメリカから電波で送ってくる謀略放送を聞かせた。
 「日本の皆さん、降伏したら、うまいチョコレートをいくらでも食べさせてあげます」と日本語で言う。
 緑波が、「ぜひ私にアメリカ向けの放送をさせてくれ」といい、英語で「神よ、助け給え、ルーズベルトが病人なので、無茶苦茶な号令ばかりかけている」といった。
 次の日、アメリカの短波が大まじめで、こういった。「ルーズベルトは、神様のおかげで元気になり、日本の捕虜諸君に楽園を与えています」
 すっかり乗った緑波が「こんどはルーズベルトの声帯模写でやろう」。局は困って、「もう、けっこうです」

 先々代の中村時蔵の娘が、ダーク・ダックスの高見沢という歌手と結婚した。古い歌舞伎の役者は、英語が苦手なので、聟の属しているグループの名前がなかなかおぼえられない。誰かに尋ねられた時、いろいろ考えて、「何でも、汗をかいているような名前でしたな」

 中条静夫という俳優がいる。この姓はチュウジョウと読むのだが、軍隊に入った時、上官がナカジョウと呼び、自分もそう名乗るよう命ぜられた。
 「チュウジョウ(中将)」と叱りつけるわけにゆかないからだ。

 美空ひばりに一度会ってみたいという三島由紀夫を中村メイ子がひばりのパーティーに連れて行った。三島は「長年あなた様にあこがれていました。ぼくは小説を書いている三島由紀夫というものです」と名乗る。ひばりは「まぁそう、よくいらしたわね、小説は御苦労のある仕事でしょうね」といった。三島が「なかなか思うようなものが書けません」という。するとひばりが「くじけちゃダメよ、あんた、へこたれちゃ」

 いかがでしたか?笑い納めていただけましたか?今年もご愛読ありがとうございました。来年も硬軟取りまぜ、「タメになる」話題をお届けするつもりです。

 皆様、どうかよい新年をお迎えください。なお、新年は、1月6日(金)からアップの予定です。引き続きご愛読ください。   芦坊拝