Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

つかまり立ち レベル2

2009-10-25 | 竹斎先生






あれ? 先生...



そこから覗いたんだ?





















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いただきもの

2009-10-25 | ギターの栄養




何でだろう...

ガットギターを無性に弾きたい



ペチカとか弾きたい









今日は、足立区の小学校に、馬頭琴のレクチャーコンサートに行った

小学校からオファーがあると
馬頭琴を弾く妻と「出前授業」という名を付けたレクチャーコンサートに出掛けて行くのだが
妻の出産を挟んでその前後、だいぶ休業していたのが、今日久しぶりの演奏となった

そこで僕は、ギターの伴奏と、お喋りを半分担当し
「スーホの白い馬」というお話を朗読する役まわりになっている

妻と二人だけで進めるのだが
朗読中には馬頭琴でBGMをあてがうために
僕が朗読担当になってしまった、ということなのだ


子供の頃から上がり症だった自分が、人前で演奏をする緊張を
克服するのも随分月日が必要だったけど
MCを振られ、話さなければならないところに追い込まれると
更に演奏時の何倍も緊張する

朗読など...もってのほか

だったのだが...


ただギターが好きでこの道に入っただけ、と思っていたのが
やはり、人前に出る仕事をえらんでしまった、ってことに気付いて、その後
それなりに?..かなり?...かな
上がらない訓練を積み重ねてきたわけで
それは今も修行中で




でも、諦めずに繰り返し繰り返しトライすると
どんなに苦手なことも少しずつ克服出来るもんで
最近は、ステージ上で話すことが大して苦じゃなくなってる


特に、この「朗読」は
僕の中で特別な位置を占めてしまった

「人に伝える」ってことの原点をとても考えさせられる



小学校での朗読を始めた時
「何とかして子供の注意をこちらに持続集中させておきたい」
という思いがあった

登場人物によって声色を変化させたり、「間」を工夫したりしたりした



自分が親になったことで、変化したと感じられることや
自覚しずらいが、きっと変化してるんだろうな、と思ってたことの中で
一番気になってたのが、この「朗読」だった


久しぶりに出前授業に出向き、朗読し
やはり何かが変化したのだと感じた


以前は「子供達から自分に向けられた興味が途切れるのを恐れていた」が
自分の子を持ち、接する中で
まだ7ヶ月の乳児とも話は出来るのだ(言葉は使わなくても)
ということを体験したことが大きかったのだろう
恐れのようなものが殆ど無くなり
以前より自然体で読み聴かせることが出来たように思う


このことはきっと以前にはあった
子供達に対してある種の「押しつけ」
が無くなってゆくってことだろうから
寄り、聴いてくれる、ってことになる



朗読をするための滑舌を訓練した、とか
ギターを弾くための指が速く動いた、とか
そういうものも、ある程度必要だし
ある程度に到着するまでには、かなり苦しい訓練も必要だが
ある程度になったらもう要らないと、僕は思っている


それより今回のような「自分の中の変化」は
人間の能力が無限だという感じられる感覚と、その喜びをくれる

もし、無限なんて大袈裟だというなら
少なくとも生きてる間には、とても開拓し切れないほどの素晴らしい能力を
人間は持っている、と言い換えても良い



今日は、「楽器の音」や「音に託した想い」なんかが
無数の細い光の線みたいに見え
その線が、ずっと遠方まで、伸びてゆく風景を見ながら朗読をした

「その光の線て、どこまでも伸びてゆくことが出来たんだ」

そういう夢を見た一日だった



自分が変わるきっかけ、って
大抵いつも「苦手」な中に隠れてる



今日は、神様からプレゼントを貰った日だと思った










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