Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

ラブヒゲ 秋の大運動会

2009-10-13 | 過去のライブ後記



この、秋のラブヒゲに参加出来たことを、今、沸々と感謝しています






ギックリ腰のプレッシャー

今日の会場でホントに実現可能なの?っていう強引な競技種目

そしてお客さんがちゃんと参加してくださるのだろうか?っていう不安

そういう遊びの部分と真剣な部分の振り幅が大きくとられ
交互に交互に繰り返される、その遠心力に自分が耐えてちゃんと演奏出来るのか...等々




そういう(僕にしてみれば)いくつもの不安を
いつもタカシさんは笑って軽々と乗り切る

タカシさんにとって音楽は「遊び」であり「人生」であり「恋」であり「愛」であり
それら全ては境目が無いものなんだろう


ネタが滑っても、それを面白く感じさせてしまう
アクシデントも逆転して面白くしてしまう
そして、そうこうするうち、気付くとタカシさんの世界に誘われ
腹を抱えて笑い、切なさに涙している自分がいる

それは、揺るぎない人間愛を持ったタカシさんだから生み出せる世界

僕は毎回その懐の中で、まだまだ稚拙な自分の技量で好きに遊ばせていただいてるだけ
そして今回も同じ


誰よりも「おバカ」になれるタカコママの近くにいると
お客さんまで、恥ずかしさを忘れて大きな声を出せちゃったり
普段なら恥ずかしいことを、思いっきり出来ちゃったりするとこってあるんじゃないだろか




やってる最中はもうホントに必死なので
何が何だかわからないで終わっちゃったようなとこあるけど...

僕は、大してそんなに莫大な数の場で演奏してきたわけじゃないけど
自分が体験して来た中で思い返してみて
大人のお客さんがこんなふうに子供のように前向きな無邪気さで参加してくださったコンサートって
滅多に体験したことない


力一杯叫んで参加してくださった方の言霊も
恥ずかしがりながらも参加してくださった方の言霊も
僕の耳に、今もハッキリ残っています

なんて可愛いらしい言霊なんだろう、と





ずっと前から思ってた



無邪気になった人は
その表情も言霊も
幼い子供のようだと


いつだったか昔、たまたまそう感じる体験をしてから、ずっとそれを信じ続けてる


だから日常の対人関係でも
相手の表情や言霊や仕草などの中に、そういうものをつい探してしまう自分が居る

「それ」のオンパレードだった秋の大運動会

幸せを感じられないわけがない






単純に静かな時間があったからって癒されるわけじゃないですよね?
どんなに賑やかだって、そこに「無邪気」が溢れてるから安心する

争いを招かない「無邪気」があるから、安心して
そして嬉しくなって、気付くと癒されている




僕のプレイの技量はといえば、まだまだで
だけど幸せを感じられる時間だった


生きてる間に自分のプレイに100%満足するなんてのは無理なことだから
「技量に満足出来ないのに、幸せを感じられてる」ってことに感謝なのです


タカシさんと、そこに何かを感じて集まってくださった方達とで交わした
(大袈裟かもしれないけど)人間愛の一場面だったんだな、なんて思う
そして僕もそこに混ぜてもらったんだ、って




終わった後、話しかけていただいた事も

それがどんな内容でも、僕は構わないのです


そこに、その人その人の無邪気が見え隠れしていて
そんな空間に一緒に居られることが
僕は幸せ


音楽を続けて来て良かった


沸々とそう思う





ありがとう














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