Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

『Kaolune Cafe 制作日記 2008/8/19』

2008-08-18 | 参加ユニット『Kaolune Cafe』




僕が一つだけやっているユニット
というよりバンドだと思っている「kaolune Cafe」の
配信発売(10/8予定)に向けての
レコーディングとアーティスト写真の撮影にここ数日追われていた


my spaceで視聴出来る「Feel Like Makin' Love」と「I Wish I Knew」の
リテイク、リマスタリングを施し
iTune、mora他、PC、携帯サイトで配信してゆく
というところまでなんとか漕ぎ着けることが出来た



(Kaolune Cafe所属)R-LabのアーチストFields of Gold
も先駆けて08/20より発売開始


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15歳の時にフォークギターに出会い。17歳でエレキを弾き始め
6本の弦さえ張ってあれば、Hard Rock、FORK、JAZZ、BOSSA、etc..と
その時々で、何でも心惹かれる音楽を奏でてきた

その結果、プレイスタイルは、規則性なく広がり
自分が、器用貧乏なプレイヤーなのではないか、というジレンマが
常にどこかでチラついていた

しかし、自分が惹かれる音楽が、複数のジャンルにまたがっていたとしても
その根底には、きっとスピリチュアルな「一貫性」があるはずだと、
それを探し当てたくて
30代の時期に沢山のバンドを、それこそ息も出来ないくらい体験した


その頃出会った沢山のミュージシャンの中で
音楽のバックボーンが自分とは遠く、声量も小さく、派手な押し出しも無かったが
一番にその言霊が沁みたのが「Kaolune Cafe」のVo、矢野かおりさんだった

また、十数年弾いてきたエレキを捨て、ギミックが通用しないアコースティックへと
自分が移行していってる時期でもあった

そしてあるコンサートで生まれて初めて、矢野さんの歌と
自分のガットギターとのデュオを体験した
15年以上前のことである

たった1曲だったが、演奏の間ずっと、自分の足全体がコチコチに緊張していたのを
よく憶えている
それと同時に、今まで感じたことの無い充実感を感じた体験でもあった
その時からずっと、矢野さんとの音楽を育ててきた



チャイルドボイスともいえる彼女の「声」
また発せられる「儚い言霊」のほとんどは、
自身の楽器である「声帯の形が小さなこと」から生まれるものであろう
しかし「人」である以上、野太く「シャウト」したい想いも沢山あるはずだ

自分が与えられた「小さな楽器」と向き合いながら
「大音量でシャウト出来ないこと」と向き合いながら
彼女の「歌」は育ってきた

そんな彼女の葛藤と成長は、
弱音楽器であるアコースティックギターを、自分の「道」に選んだ僕に対し
数え切れないことを教えてくれた


いつの間にやら「矢野かおり」という名を脇に置き、済ました顔で
「Kaolune」と名乗っていることに、可笑しさを感じながらも
彼女の中の「自由への成長過程」なんだろうと思ったりしている





Kaoluneとの長い活動は、全ての贅肉を削ぎ落とした「デュオ」という形を取りながら
「吹けば飛ぶような儚いもの」を、どうやってポップスのフィールドにのせてゆくか
という模索だった





演奏に緩急を持たせるため、ガットギターのCDをコピーしまくり
あらゆるジャンルからの可能性を当てはめてみては失敗を繰り返した

成功したものの一つをあげてみれば
クラシック等の音楽にある「テンポの揺らぎ」という
ポップスフィールドでは、ほぼ使用されない方法論を取り入れたことだと思う


弦楽四重奏やシンフォニー等の、内声ラインやテンポの揺らぎを研究しては
自分のプレイにエッセンスとして取り入れていった

しかしそれを、現実の演奏で生かすために一番難しかったのが
アンサンブルの中に、テンポチェンジを指示する「指揮者が居ない」
ということだった




お互いが、指揮者と演奏者という、二つの立場を瞬時に行き来しながら
今、どちらが演奏のイニシアチブをとっているか、ということを
瞬間瞬間で感じあってゆかなければ成立しない
お互いがこの能力を身につけるために、リハーサルのほぼ全てを費やしてきた


これによって、緩やかな演奏に、緊張と艶が生まれ
少ない音の中でも説得力が失われなくなっていった



残る課題は、緩急の「急」の部分
アップ曲をどう表現するか、というテーマだけが残った


実際レパートリーは、ミディアムから下のテンポが多くなっていたし
スタンダードなプレイスタイルが好きな僕は
タック&パティのようなスタイルは好きになれず、フラメンコをやりたいわけでもなく
デュオという形を取りながらのアップ曲の演奏に限界を感じていた





アコースティックベースと、パーカッションを取り入れることで
そこを打破しようとしたが、面白いくらいに、ことごとく失敗した

そして、その失敗から得たことは
アコースティック楽器を用いることが大事なのではなく
「音色の中にアコースティックな心が織り込まれているか」
ということが大事だという気付きだった


自分たちが音に織り込んだ想いは、ドラムのような強い音には吹き飛ばされてしまうし
ドラムFeelなパーカッションや、エレベFeelなアコベでも同じことだった





この煮詰まりが続く中、ある時ある現場で
美しいパーカッションプレイと出会った

GanzaやSlighBell、 WoodPecker、WindChime等の小物類を複合的に使い
その一つ一つの音の帯は、非常に滑らかなカーブを描き
それら全てが絶妙なバランスの上で、一つの「言葉」になっているのを感じた


そのパーカッショニストと、初めて交わしたメールの内容は、
こんな感じだったのを憶えている

「キミの好きな『儚いもの』の話を聞かせて欲しい」と頼んだ僕に対し
即座に彼は、20個近い回答を返して来た

そのどれもが、淡く静かで、絵画的なものばかりだった


「彼となら、一つのキャンバスに絵を描けるかもしれない」という想いにかられ
近いうちに演奏を共にする約束をした

そしてそのまま彼は、いたって自然な流れで
「Kaolune Cafe」のメンバーになってしまった



そのパーカッショニストは、こんなやつ




そして、こんなやつ








こ~んなやつ





パーカッショニストの「ハーヤン」こと早川智弘くんと
交流を持つようになって、間もなく
僕に会わせたい若いベーシストが居る、とのことで、
ハーヤンに連れられ、ウチに遊びにやってきたのが
「フトちゃん」こと酒井太くんだった





初対面の日から、お互いに全く気を使わない不思議な空気が生まれた


午後2時頃やって来たと思ったら
いきなり観念の世界に片足を突っ込んで
ぼーっとしながら話したり、黙ったままだったり
あっという間に時間は過ぎ、気付くと24時を回っていた

「疲れない子だな...」
それだけでも、僕にとって有り難い相手なのに
深夜の時間帯に入り、僕等は更に深くナチュラルハイになってゆき
最終的には、ぶっ壊れた領域にまで突入し
とても説明不可能な会話で、腹の皮が捩れるほど笑った

初対面としては頂点まで突入した出会いだった





「音楽や楽器の話を一つもせず、こんなに楽しい、ってのが良いやね
むしろ、そんなこと、話さない方が素敵だな」
と言ってはまたゲラゲラ笑った

「楽しいから、そのうちいつか、ついでに楽器で遊んでみようか
何か、やりたくない、ってこととかはあるの?」と聞いたら
「なんにもありません、何でもいいんです」と答えた

「何でもいいんだ?」
「何でもいいんです」
そしてまた笑った

その後、彼とは一番始めに、高齢者施設でのボランティア演奏を一緒にした


もう動くことが出来ない、寝たきりのお年寄りの枕元に立ったまま一緒に演奏したが
そこでの彼の立ち振る舞いも、最初にウチに来た日と何一つ変わらない
ナチュラルなものだった

ハーヤンと同じに、彼もまた、いたって自然に
気付けば「Kaolune Cafe」のメンバーになっていた



そんなフトちゃんは、こんなやつ





そして、こんなやつ




もひとつ







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出来上がったばかりの音源と
撮影したての自分たちの写真を
スライドショウで繰り返し繰り返し流しながら
僕等は疲れてることも忘れ、何時間も黙ったまま時を過ごした

長い紆余曲折を経て出会った
言葉にならぬ大切なものを、空気のように共有しあえる
このメンバーと、このバンドを、心から愛している

そして、この先もまだ成長してゆく「Kaolune Cafe」の音楽を楽しんでいただけるよう
最大の努力を重ねてゆきたい




また、この場を借りて
ジャケットのデザインをしていただいた中川洋子さんと
撮影をしていただいた長井順司さんに、心からお礼申し上げます

ありがとうございました




Kaolune Cafe




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「キミと僕 2」

2008-08-18 | ギターの栄養


言葉で伝えるより
ただ抱きしめる方が何倍もいい


何度、こんなことを思ってきただろう




なのにまた失敗




そして今、隣に居るのは

だいぶ枯れて、艶のなくなったギターの表板と
耳に残った涼しげな音色だけ



それは夜の中に取り残された
キミと僕

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