Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

『アナログ世代の葛藤』

2008-08-09 | ギターの栄養
困ったことに、どうしてもデジタルレコーディングが好きになれない...
(それも自分の仕事の一環だというのに)

紙の上に、ペタペタ色紙を貼付けてゆく感じがして
「音の空間」が平面的で、窮屈を感じ
インスピレーションが湧いてこない

それは、
録音する素材の持つ周波数帯域を
(アナログ機器より)幅広く取り込めるデジタル機器が全盛の今、
どの素材も「聞こえ過ぎ」て、音の奥行きが無くなり平面的になってしまう

その平面的に並んだ音素材に、奥行きを持たすため
更に機械的な処理をして、本来の音とは違う「気持ち悪い物」になってゆく

また、TVのCMの音量が大きくて煩く感じるように
ノイズの多い現代で、「何が何でも聞かせよう」とする作り手の意図が
聞き手に圧迫を与え、返ってアンテナにシャッターを下ろさせてしまう

それらの図式が
(音楽にとっても、日本人であることにとっても)財産である「余韻」
という感覚まで圧迫してゆく





時代劇などのドラマがフィルムで撮影されていた頃、
その画像は粒子が荒く、いい感じに薄暗く「見えない部分」が多かった
その「見えない部分」が、見る側に自由な想像を提供してくれた

デジタルカメラで撮影した時代劇は、「見え過ぎ」て滑稽にすら感じてしまう

「見えないもの」や「聞こえないもの」まで含めて提供することから
受け手側の自由な好奇心を刺激する、という「最大の娯楽」を
作り手たちは、いつから忘れてしまったのだろう

または、後継者に伝承してゆく、という文化は育っているだろうか...





最新機器を、使いこなすだけでなく
いかに「音楽」にしてゆくか、という意味での葛藤が、
それらの作品や行程に感じられれば
そこに、同じ想いを重ねることも出来るのだが...
行間に込められた想いも無く
ストーリーだけを説明されるかのような音場は苦しい

言い尽くされていることかもしれないが
テクノロジーや、システムが発達して
制作行程が便利に分業されてゆく程
返って薄味なものになってゆく


それは明らかに
「人の手作業」が省かれてゆくからなのだ


「人の手作業」とは
作品に関わる全ての作り手、一人一人の「目」が、
最後まで行き届いているか、ということであり
そのためのコミニュケートであり、
そこから生まれるストレスでもあり、知恵であり、葛藤であり
そして『感動』でもある





葛藤を背負う覚悟さえあれば、感動は自然についてくる

そうなれば
『見えなくても聞こえなくても、そこに「想い」があれば、必ず「感じる」喜びがある』
という「文化」が、自然に生まれてくるはずなのだ
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「キミと僕」

2008-08-09 | ギターの栄養
何でキミと関わるかって
それは
ただ楽しいから



キミの中の
僕にとって
楽しくないところは...

関わらない




何故って

そうじゃなきゃ
キミと
「恋」も出来ないじゃない?








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