時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百七十四)

2011-08-14 05:28:16 | 蒲殿春秋
一方、紀伊国の某所である兄弟がほくそえんでいた。
平維盛と平忠房の兄弟である。
平家一門小松家のこの兄弟は一の谷の戦いの前後に平家本軍から離脱していた。
その後維盛はそのまま紀州に入り、弟忠房は一旦甲斐源氏一条忠頼とともに東国に下っていた。
一条忠頼が源頼朝の謀殺された後、いったん鎌倉に連れて行かれたが、
頼朝は忠房と一旦面談した後に一切何も問わず、西国に戻るという忠房を一切引き止めなかった。

この二人はその後紀州で再会した。

頼盛襲撃に失敗した平家郎党がこの兄弟のもとを訪れた。二人は一旦落胆した。
だが、すぐに気を取り直して累代の郎党からの書状に目をやった。
その書状を目にした兄弟はほくそえんでいる。
一方湯浅の家人から瀬戸内の平家本軍の状況も兄弟にもたらされる。

兄弟は顔を見合わせた。
「やるか。」
「そうですね。」
この兄弟のこのやりとりが、また治承寿永の乱の戦局を大きく動かすことになる。
同日この地から畿内各地に向けて使者が数名発された。

一方、任官の儀式を終えた源範頼は着慣れない装束から開放され、自邸でくつろいでいた。
「従五位下三河守」という身分を得た男は自らが得た地位について未だに実感を沸かすことができないでいる。

しかしその翌日から、「三河守殿」は身分上昇の激動に見舞われることとなる。

任官披露の翌日、再び範頼は着慣れない束帯を身に着けることとなる。
今度の行き先は鶴岡である。
氏神である八幡神へ慶び申しを行なうのが鎌倉において任官したものの例となっていた。
一条能保、平賀義信、源広綱と共に鶴岡に詣でる。

帰宅すると今度は歴戦を共に戦い抜いた御家人たちが次々と祝賀に訪れる。
温和で生真面目、そして自分の戦功は後回しにして共に出陣した御家人達の戦功を良く伝えていた範頼は御家人たちから密かに慕われていた。
御家人達は範頼の任官を口々に喜んだ。
中には我が事のように喜びを身に現すものもいた。

御家人たちが範頼の任官を歓迎したのにはもう一つの理由があった。
それは、今回の出陣の軍団構成からきてきた。木曽攻めも福原攻めも鎌倉御家人たちだけで敵を攻めていたのではないのである。
木曽攻めは鎌倉勢と甲斐源氏と旧平家軍の混成軍団、
福原攻めは、鎌倉勢と甲斐源氏、そして鎌倉とは全く関係の無い西国武士団との混成軍団だった。

その中で鎌倉勢を中心とした軍勢を率いていたのは範頼であった。義経も鎌倉勢を率いていたが、大多数は範頼に従っていた。
範頼が任官したということは、鎌倉勢の働きを鎌倉殿、そして院が認めたということに繋がるからである。
そのことを鎌倉御家人たちはよく理解した。

そのようなわけで任官の翌日から範頼の邸には多くの御家人たちが押しかけてきた。

範頼はその都度生真面目に御家人たちに応対した。
だが、その範頼の傍らに控える妻の瑠璃の笑顔が少しずつ引きつっていったのに範頼はなかなか気が付かなかった。

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