時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百四十六)

2009-01-26 23:06:15 | 蒲殿春秋
畠山重忠が武蔵国においてその父に怒られていたその頃、鎌倉の源頼朝は様々なことに苦慮していた。
頼朝を一番悩ませているのが坂東の豪族の間の勢力の変化が起こりつつあることであった。

ここまで頼朝を支えていた主な勢力は誰かと言えば、まず第一は上総介広常である。
広常は上総一国をほぼ従え、その勢威は下総にまで及んでいる房総きっての大豪族である。
次いで足立、河越といった武蔵の諸豪族、そして規模では彼等に劣るものの鎌倉に程近い所に勢力を張る相模の豪族たちである。

だが、寿永三年(1183年)夏、平家都落ちの際にそれまで大番役として在京していた武蔵下野の大豪族の当主たちが続々と坂東に戻ると、彼等とそれまで頼朝を支えていた勢力との間に微妙な力関係の変化が起きる。
戻ってきたのは、小山政光、宇都宮朝綱ら下野の豪族、そして武蔵の畠山重能、小山田有重などである。

その当主らが主だった郎党を殆ど引き連れて在京していた間、彼等の嫡子らは既に頼朝に仕えていた。が、その間嫡子たちは残された少ない郎党たちのみを従えて鎌倉殿に仕えていた。
従って上総介などに比べると若年でなおかつ軍事動員力の低い嫡子たちの鎌倉における発言力はさほど高いものではなかった。
しかし当主たちが坂東に戻ると様子が違ってくる。
その若年の嫡子らと壮年の当主では在地における重みが違う。
当主達の帰還に伴って従って多くの郎党達も在地に戻る。そのことにより在地における小山、畠山らの軍事動員力が圧倒的に強まった。

今までさほど強力と思えなかった当主不在だった豪族達。しかし、その当主帰還によりにわかに鎌倉においてその力が無視できないものとなってきた。
彼等の意向は今後坂東における大きな圧力となろう。

ことに頼朝の頭を悩ませているのが畠山の扱いである。
これまで頼朝が武蔵国において最も頼りとしていたのが乳母子を妻に持つ河越重頼。
が、畠山と河越の間には数十年に亘る確執が存在する。
その畠山が当主重能帰還により武蔵国における重みを増してきた。
しかも畠山重能の嫡子重忠の妻はこれも武蔵の大豪族足立遠元の娘。
一方河越もまた武蔵国総検校職の座にある武蔵国の実力者。
この強大な両者ー畠山と河越の確執に再び火がつけば武蔵国に大混乱が立ち上る。武蔵国は坂東支配の要の国である。
そこに混乱や争いが起きれば取り返しの付かぬ事態となってしまう。
その期に乗じて、奥州藤原氏や義仲勢力が何を仕掛けてくるか判らない。
河越と畠山の扱いは留意に留意を重ねなければならない。

そしてもう一つは上総介広常の扱い。
今までは最大級の豪族として常に周囲からも頼朝自身からも気を遣われていた広常。
彼の発言を止めるもの存在は今まで何一つ無かった。
が、ここにきて広常と拮抗するとまでは行かないが、それなりに発言力を有する豪族が現れてくる。
それを広常はどのように受け止めるだろうか。
これからは広常の思い通りに行かない場面も出てくるかもしれない。が、この先広常の意見のみを重んじるわけにはいなかい時もでてくるであろう。

今まで都にあって平家方についていた諸豪族の当主たちの帰還は有りがたいことではある。
だがこのことは、豪族間や同族間の紛争の火種を常に抱えている坂東の危うい均衡の中に辛うじて君臨している鎌倉殿源頼朝に新たなる困難な課題を突きつけてきたのである。

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