タクシー乗り場には二台のタクシーが待っていたが、先頭のタクシーは既に客を乗せていたので筆者は二番目に待機していた内藤タクシーに乗った。運転手さんに「ホテル大佐度経由で相川の願龍寺の隣にある柴町のお旅所まで御願いします」と言った。すると運転手のおじさんは「おや願龍寺ですか、私は相川の願龍寺のすぐそばで生まれ育ったんです」と言い、「成長してからは山側の家に移り住むようになりました」と続けた。筆者が「山側と言うと大山祇神社の方ですね」と応じたら、「お客さん、良く知ってますねえ~」と感嘆したような声を上げた。筆者は「相川ならその隅々まで知っているんだよ」と答えておいた。「大山祇神社の向こうには総源寺があるよなあ~」と言うと「俺は総源寺の娘さんと同級生なんだよ。彼女は函館に嫁いだが、この間久し振りに逢った」と続けた。さすがと言うか当たり前だがおじさんは相川出身なので相川の事情には詳しい。おじさんに寄ると、佐和田のりき寿司の親方のおやじさんがやっていた相川の佐渡前寿司「りき」は閉店したそうで、相川で美味い寿司屋は銀寿司と五番所橋近くにある「初寿司」だと言った。初寿司の親方は相川のりき寿司で板前として働きながら修行を積んだ後に独立したそうで、味は折り紙付きだから是非訪ねて欲しいとおじさんは続けた。「相川は、つるやさんのスパゲッテイも美味いんだよね」と筆者が言うと、おじさんは「あそこは一度火災の被害を受けたがすぐに復興した。たいしたものだよ」と明かしてくれた。車が佐渡会館前を通過した時、おじさんは「佐渡会館は建設当時アスベストを使用していた事が判明したため閉館した」と説明してくれた。このおじさんは、65歳で内藤タクシー(本社が佐和田で真野にも支店がある)を定年退職した後会社に再雇用され、昼間だけ働いているそうで、佐渡の最年長タクシードライバーは84歳だと言った。佐渡で定年後も働けるのはかなり恵まれた境遇だと思うが、おじさんは佐渡市民税の重税感は筆舌に尽くしがたいとこぼした。そこで筆者が「その佐渡市が税金を注ぎ込んでいる、佐渡汽船の両泊航路は今年中に休止となる見通しだが、航路そのものは廃止されないので格安汽船が参入する可能性がある」と告げると、おじさんは「え~、そんな話初めて聞いた。佐渡の人はそんな事誰も知らない」と驚いた様子で言った。「そりゃそうだ、そんな話を佐渡汽船や佐渡市役所が事前にばらしたら、赤泊地区の人々はパニックになるじゃないか、だから発表直前まで両者共黙っているのさ」と筆者はおじさんに教えてあげた。更に筆者は「2017年に佐渡金銀山が世界遺産に登録されるのは既定路線だから、そうなると観光客が増えてタクシー業界は儲かる。更に佐渡空港の滑走路が延伸され、佐渡羽田線が開設されるのでタクシーはひっぱりだこになる」と続けた。次から次へと夢のような話をばらまく筆者を見ながらおじさんは「お客さんはその筋の方ですか?」と、問うて来たので筆者は「ああ、そうですよ」と答えてあげた。筆者は国交省の官僚との間に太いパイプがあり、その種の情報をいち早く手に入れられる立場にある。それが証拠に筆者がかつてブログで予言した事は全て的中しているではないか。
このおじさんは相川生まれだが、現在は畑野に居住しているそうで、筆者が「畑野にある神楽と言うお店は美味しい」と言うと、「うん、神楽の板さんは羽生さんと言い、真野の歴史伝説館内のレストランで働いていたが、その後東京に出て道場六三郎の下で修業を積み、腕を上げた後に畑野で開業した」と明かしてくれた。どうりで美味しい訳だと筆者は納得した。更におじさんは「両津のお寿司屋さんで食べるくらいなら、まるいしや弁慶などの回転寿司屋へ行く事を勧める、その方が安いし美味いと思う」と佐渡の寿司屋事情を見事に喝破した。筆者がラーメン屋事情に付いてもご意見を伺おうとしたところでタクシーはホテル大佐渡の車寄せに滑り込んだ。
柴町の御旅所にある神輿の台座