昭和33年9月26日、伊豆半島の狩野川流域は22号台風で壊滅的な打撃をうけた。
のちに「狩野川台風」と呼ばれるもので、天城山系に降った未曾有の豪雨は鉄砲水となって両岸を削り 土石流となり、それによる死者行方不明者は1000人を超えた。
そして奇しくも一年後の同日、「伊勢湾台風」は和歌山県の潮岬に上陸し中部地方を縦断して、死者・行方不明5041人、未曾有の大災害を起こした。
当時、気象レーダーは種子島や奄美大島にも設置されていたが、地球湾曲の影響で、その探知距離は300キロ。台風の速度は50~100キロなので日本に接近する台風を探知してから 3~6時間で上陸してしまう。
昭和35年、気象庁に研究班ができ、標高 3,776mの富士山頂にレーダーを据え付ければ探知距離は一気に800キロにまで伸び、はるか南海の鳥島あたりで台風を捕捉できると発表。そうすれば上陸まで半日以上の時間があり防災上の意義は計り知れないものがあると…。
かくして「富士山に台風への砦」を造るという一大プロジェクトは始まった。