ケンペルの約230年後、明治19年、もう一人の外国人が来日した。
ケンペルの「日本誌」に感激したイギリス人貿易商、バーニー(Cyril Montague Birnie1868〜1958)である。
バーニーは、オーストラリア生まれのイギリス人貿易商で、日本の自然、とりわけ箱根の自然や人々をこよなく愛し、大正7年には芦ノ湖畔に別荘まで構えた。
大正11年(1922年)52歳の時に、彼の別荘地の一隅に、ケンペルの「日本誌」の序文「この美しい自然をさらに美しくして子孫に伝えるよう」を引用した石碑を建立し、箱根の自然を称えるとともに自然保護の精神を我々に訴えた。
地元の人たちからは「バーニーさん」と慕われ、太平洋戦争を経験してもなお親日家であり続けたバーニーは、1958年に横浜で死去。横浜の外国人墓地に埋葬された。
彼の言葉は日本の自然保護の原点と言われている。