Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (15) - 日本海

2009-07-25 | 中国
石見地方での代表的な色は、「赤と白」とよく言われる。
赤は、「石州瓦」のことで、白は「石見銀」のことである。
そして、夏、空から眺めていて、最も目を惹くのが日本海の「青」であろう。

古代、北ツ海(『出雲国風土記』には、日本海のことを「北ツ海」と書いている)を媒介として朝鮮半島と日本海沿岸は環日本海文化圏を形成していた。とりわけ韓国との繋がりは深いものだった。

大陸からの文化を吸収する玄関口として北九州とならんで重要な拠点であり、特に朝鮮東部から船で日本海に出ると、海流のおかげで漂流した場合でもこの方面に流れ着くといわれている。玄界灘の潮の流れの激しさを考えると、距離は遠いが石見・出雲の方が朝鮮から容易に渡って来れたともいえるのである。

梅雨明け、真夏の陽ざしを映す「日本海ブルー」はその美しさを増す。

梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (14) - 石見(いわみ)・益田市

2009-07-24 | 中国
日本海の青に赤瓦のコントラストが映える。

出雲地方を過ぎる頃、海岸線の漁村集落の屋根が赤い(赤褐色)のに気が付く。
これは、島根県の石見地方(旧 石見国=石州)で生産されている粘土瓦、「石州赤瓦」が使われているとのこと。
三州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つである。

島根県の石見地方で瓦が焼かれるようになったのは、百済からの帰化人の影響と言われている。朝鮮半島に近いという地理的な条件と共に、よい粘土が取れたことで、1600年ごろから、“赤色の瓦”が焼かれた。

江戸時代の初めに石見国で産声をあげた石州瓦は、400年の時をこえて、現在の島根県西部地方~大田市、江津市、浜田市、益田市~にまたがる地場産業として産地を形成している。
石州の粘土は、鉄分が少なく、高温で焼くため、締まって硬く、水を吸いにくく、寒さに強い瓦ができる。又、海岸付近に多い塩害にも強いという。

石見地方を中心に日本海沿岸の市街地や山あいの集落では、赤褐色の石州瓦の家並みが古くから地域性豊かな景観を形成している。

しかし、近年、銀黒瓦などの普及に伴い、赤瓦の使用量は減少しており、石見特有の景観が次第に失われつつある。


梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (13) - 日御碕(ひのみさき)

2009-07-21 | 中国
島根半島の西部、稲佐の浜から「日御碕」へ続く海岸には奇岩や絶壁が連なる。流紋岩から構成される隆起海食台で、周辺には柱状節理や洞穴が見られ海上には小島や岩礁が点在する。

また、日御碕は八束水臣津野命が他の土地を引き寄せた「国引き神話」の場所としても有名。
岬先端には、1903年(明治36年)初点灯の出雲「日御碕燈台」が立つ。海抜63m、灯塔は43.65mと石作りの灯台としては日本一の高さを誇り、白亜の姿が美しい。

目の前に浮かぶ「経島(ふみしま)」は、経巻を積み重ねたような柱状節理の石英角斑岩からなっており、お経の本を載せる文机のようにみえるので、その名が付いたと伝えられている。
島は、「日御碕神社」の神域として一般の立入りは禁止されているが、年に一度8月7日の御幸祭に宮司だけが渡ることができる。

青森県の蕪島とともに日本でただ2カ所の「ウミネコの繁殖地」として知られ、国の天然記念物に指定されている。


梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (12) - 松江市

2009-07-20 | 中国
It is a sound never forgotten,this pattering of geta over the Ohashi
- rapid,merry,musical,like the sound of enormous dance;        (Glimpses of Unfamiliar Japan)

松江大橋は小泉八雲の作品『知られざる日本の面影』にも登場する松江のシンボルの一つである。
小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn))(1850-1904)は、
明治の日本と、日本人の心のありようを、流暢な文章にのせて全世界に紹介した。
『知られざる日本の面影』には、松江周辺の古い面影が書かれている。また、この中に書かれている随筆の中には、この地方で伝承されていた幽霊やお化けの話も収められている。
 
宍道湖の河口に架けられ、全長134メートル、幅12メートル、八雲は松江大橋からみる大山を絶賛している。また、この橋の様子を「どうしても忘れられぬ音だ、このカラカラと大橋を渡る下駄の音は、早くて、陽気で、調子よく、まるで大舞踏会の足音だ」と語っている。(原文-冒頭)


松江市は大橋川より北の地域である「橋北」と南の地域である「橋南」に市街地が二分され、西側(画面右)から、宍道湖大橋、松江大橋、新松江大橋、くにびき大橋が架かっており、大橋川は宍道湖や中海とともに「水の都」とされる松江を象徴する景観である。

梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (11) - 宍道湖・中海

2009-07-19 | 中国
宍道湖(右)には、斐伊川(ヤマタノオロチとの戦いは斐伊川の水害との戦いでもあった)という大河が流れ込んでいる。その水は宍道湖にいったん溜まったのち、松江市を貫流する「大橋川」となって東へ向かい、約8kmで中海に至る。中海(左)の水は境水道を通って日本海へと出る。
満潮時にはこれが逆流して、日本海の塩水が宍道湖にまで入ってくる。そのため宍道湖は汽水となって、「シジミが湧く」ことになる。海に近い中海は、同じ汽水湖でも宍道湖より塩分が濃い。

中海・宍道湖の大規模干拓および淡水化は、『出雲国風土記』の国引きの神話になぞらえて「昭和の国引き」とも言われ、1960年代に事業が開始された。 
しかし、国の減反政策、そして水質汚染や環境破壊を懸念した反対運動が高まり、40年を経て、中海・宍道湖の淡水化を目的とした大規模干拓事業は2000年、完全中止が決定した。

梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (10) - 皆生海岸

2009-07-18 | 中国
上空から見ると、鋸の刃のような形をした米子市の皆生海岸。
この形状は「トンボロ」といい、約3kmに渡り設けられた12基の離岸堤によってできた地形である。皆生海岸は全国で初めて離岸堤が造成された海岸。
かつては日野川上流の「かんな流し」により、大量の砂が堆積していた。
「たたら製鉄」が衰退し、大正末期から海岸浸食が進行。海岸線は最大で300m後退するほど抉られたが、1971年に最初の離岸堤が完成し、浸食はストップ。トンボロ形状が現れた。
しかし海岸浸食を40年間近く守ってきた防波堤は老朽化が進み、国交省は防波堤から、自然な海岸線ができる「クレスト付型人工リーフ」に改良する工事に着手。
トンボロ形状が見られなくなる日もそう遠くない。

梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (9) - 安来市

2009-07-17 | 中国
鳥取県西部の中心都市、米子市。そして、そのすぐ隣(右-西)は、島根県安来市。
『安来節』、『どじょうすくい』で有名な安来(やすぎ)である。
いにしえの昔から良質の砂鉄が取れ、それを原料とした和鋼(わこう)の生産地としても知られている。
「たたら製鉄」による鉄鋼の生産と、その輸送港として栄えた。明治初期には、全国で生産される鉄の9割以上が中国地方で生産され、とりわけ安来を中心とした島根県一帯は、全国一の生産量を誇っていたという。

中海はコハクチョウの集団越冬地としては西日本最大の飛来地である。
また、宍道湖西岸はマガン、ヒシクイ、コハクチョウの集団越冬地としては国内最南限で学術的にも注目されている。

星野之宣氏は、『宗像教授伝奇考』の中で、「白鳥と鉄産地の関連」を民俗学的に描いていおり、たいへん興味深い。

白鳥はある有毒物質が関与する化学反応を利用して地球の磁場を“見る”ことができ、飛行の進路決定に役立てているという研究結果も発表されている。

梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (8) - 大山(だいせん)

2009-07-16 | 中国
梅雨空の晴れ間、白い雲の隙間に大山の印象的な稜線が見える。
大山は中国地方きっての名山であり、古くから修験の場でもあった。穏やかな準平原状の山が多い中国山地にあって、アルペン的な山容はひときわ異彩を放っている。
大山は通称『大山』という山頂は無く、縦走路西から弥山、剣ヶ峰、槍ヶ峰等のピークが続く。伯耆(ほうき)富士の名も持つが、富士山型の姿は西側から見るときだけで、東西方向に鋭くそぎ落とされた峻険な稜線を持つため、南北及び東面からは荒々しい姿となる。

志賀 直哉は、唯一の長篇小説『暗夜行路』で大山を描いている。
祖父と母との不義の子として生まれた宿命に苦悩する主人公時任謙作が,やがてある平安の境地に達するまでの内的発展の過程を描く。
心身の疲労の果てに迎えた「夜明けの大山」を目にし、謙作は苦悩から解脱し安らぎの境地に入る。

梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (7) - 浦富海岸

2009-07-15 | 中国
鳥取県の東端、陸上岬から西は駟馳山に至る15kmのリアス式海岸を浦富(うらどめ)海岸と呼び、山陰海岸の中で最も優れた景勝地といわれる。日本海の荒波に浸食された断崖、絶壁、洞門、洞窟、奇岩、岩礁は変化に富み、名所に白砂青松の磯があり、別名“山陰の松島”と呼ばれる。島崎藤村は“神秘の幽境”と絶賛した。
100年以上の歴史をもつ浦富海水浴場は、入り江状の遠浅で、約1.5kmに渡って白砂の浜が連なっている。

梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (6) - 新温泉町・浜坂

2009-07-14 | 中国
『夢千代日記』は、NHKのドラマ人間模様で放映された三部作のドラマで、主演:吉永小百合、作・脚本:早坂暁、音楽:武満徹。
被爆二世として、白血病であと3年の命と宣告された夢千代(本名永井左千子)が母の残した山陰の小さな温泉町の置屋を女手ひとつで切り盛りする中、彼女を取り巻く人間関係が多重に交差し、その人間関係を綴った病床日記を通じて物語は展開する。
物語の舞台は兵庫県美方郡温泉町(現:新温泉町)の「湯村温泉」で、「浜坂駅」は、湯村温泉への鉄道での玄関口である。

新温泉町田君を流れる田君川は、浜坂港にそそぐ岸田川の支流で、全長2kmにわたるバイカモの大群落がある。澄んだ水が流れる川面一面に、星砂をまいたように無数に咲き誇る白い花の群は、思わず息をのむほど可憐で美しい光景という。田君川のバイカモは、河口から約4km、標高わずか10数mの水域に群生している。
バイカモは水温の上がらない高山に生育するのが特徴なので、世界的規模でしかも七釜温泉や浜坂温泉の泉源に近い田君川のような地域条件のところに咲いているのは学術的に非常に珍しく貴重。

梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (5) - 余部鉄橋

2009-07-13 | 中国
11月9日、山一つ越えるとやはり天(そら)は鉛色になっていた。わけもなく 寂しい。

 つくづくに
 山陰の天(そら)は
 鉛にて
 誰ぞ明るき
 花を挿してよ

病院帰りの汽車の中で、芸者夢千代はつぶやく。

ドラマ『夢千代日記』。
「余部鉄橋」を通過する列車の中から日記が始まる。
全編を通して、「余部鉄橋」と共に始まる武満徹の哀愁を帯びた音楽が味わい深く、このドラマが、私の山陰のイメージを決定づけたようだ。

さて「余部(あまるべ)鉄橋」(画面左上-小さくて見えない!)だが、明治45年に2年の歳月と33万円の巨費、そして延べ25万人の人夫を投じて開通した高さ41m、長さ309mのトレッスル橋で、当時は、東洋一としてデビュ-し、現在でもトレッスル式鉄橋では日本一の規模を誇っている。 橋の南側は、JR山陰本線の「余部駅」で「鉄橋」は、この余部駅と北隣の「鎧(よろい)駅」との間に位置し、鉄橋を通過する列車が風速25m以上であれば運休することになっている。
昭和61年12月28日、強風の中、回送中のお座敷列車「みやび」が余部鉄橋から転落。 客車7両が鉄橋下の蟹加工場を直撃し、蟹加工場従業員の主婦5名と列車車掌の尊い人命が失われた事故は記憶に新しい。 
この鉄橋は近く壊され生まれ変わるという。



梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (4) - 香住港

2009-07-12 | 中国
香住港は、兵庫県北部の但馬地方に位置し、日本海側における有数の漁港・港湾である。
特に柴山港と二港合わせて「松葉がにの本場」と言われ、漁獲高でも境港港についで2番目という。
因みに、日本海で獲れるカニは「ズワイガニ」と言うが、それぞれ水揚げされる場所で呼び名が変わる。 兵庫・鳥取県は「松葉がに」、京都府では「間人(たいざ)がに」、福井県・石川県では「越前がに」とも言う。

また香住区には、天平17年(745年)開基行菩薩によって開かれたという「大乗寺」がある。
別名「応挙寺」と呼ばれ、江戸時代に再建された古刹で、円山応挙が世話になったお礼に門弟と共に障壁画165面を描いた。国の重要文化財。

志賀直哉は『暗夜行路』の中で大乗寺のことを「応挙がいちばん多く描いていた。その子の応端、弟子で呉春、芦雪もあり、それぞれおもしろかった」と紹介している。
 

梅雨の晴れ間に山陰海岸を飛ぶ (3) - 城崎温泉

2009-07-11 | 中国

ある朝のこと、一疋の蜂が旅館玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。他の蜂が巣にはいった日暮、冷たい瓦に一つ残った死骸に、淋しさと静けさを感じる。散歩のおり、川でみた大鼠は、首に串を刺され、川岸の人たちに石を投げられ、必死に逃げ惑っていた。死ぬに極まった運命を担いながら、全力を尽くして逃げ回る様子が妙に頭についた。
そんなある日、驚かそうと投げた石が小川のイモリに当って死んだ。可愛そうと思うと同時に生き物の淋しさを一緒に感じる。生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。
 
大正二年、文豪・志賀直哉は初めて城崎を訪れた。山手線の電車にはねられて重傷を負いその後養生のために三週間滞在した。小さな生き物に自分を重ね合わせ、生と死を考える。
ここでの体験が、のちに、『城崎にて』や『暗夜行路』を生んだ。

城崎温泉は、兵庫県豊岡市城崎町にある温泉町である。
その昔、コウノトリが傷を癒したことから発見されたと伝えられ、数多くの文人・歌人が好んで訪れるなど、1,400年の足跡が残されている。

石油コンビナートの街 - 周南市

2008-09-20 | 中国
周南市(旧徳山市)には、戦前、海軍燃料廠があり、その縁で石油精製関係の産業の呼び水になった。徳山港の沖合いに浮かぶ大津島は、Y字を少し崩したような南北10km足らずの島で、すぐ北に縦長の仙島、お椀を伏せたような黒髪島と南北に並び、徳山湾を外海から隔て、天然の良港にしている。太平洋戦争末期、日本海軍の特攻兵器の一つである人間魚雷「回天」の訓練基地が設置されたことでも有名である。

米軍基地を抱える街 - 岩国

2008-09-19 | 中国
岩国市は山口県の東端に位置し、名勝・錦帯橋で知られる。中国山地に端を発し広島湾に注ぐ錦川の作った三角州上の岩国飛行場には、在日米軍(海兵隊)と自衛隊の基地が存在する。在日米軍再編に伴う空母艦載機等の移駐が行われると、同基地の航空機数は大幅に増加し極東最大級となり、離発着訓練や低空飛行訓練の大幅な増加でこれまで以上に騒音被害などの多大な負担を強いられることになる。