Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

「川根茶」のふるさと - 大井川中流域

2009-02-28 | 中部
大井川は、静岡県静岡市と山梨県南アルプス市・早川町の境にある間ノ岳にその源を発し、幾つもの渓流を合わせながら、静岡県島田市・金谷町で山峡の地を離れ、以後、島田市、藤枝市、金谷町を南に流下し、大井川町、吉田町にて駿河湾に注いでいる流域面積1,280km2、流路延長168kmの急流河川である。
通常は平野部で蛇行が起きることが多いが、大井川の場合は中流の山地部で蛇行が起きている。これは大井川が流れている赤石山地の隆起が激しく、川の流路が地質構造によって影響されているためで、このようなものを「穿入蛇行(かんにゅうだこう)」といい、通常の平野にできる自由蛇行と区別している。
この地域は、全国的に知られている銘茶「川根茶」の産地でもあり、お茶に代表される農業が産業の中心となっている。

南アルプス - 赤石山脈

2009-02-26 | 中部
南アルプスとは赤石山脈の通称で、長野・山梨・静岡の3県にまたがり、南北120kmの間に14もの3,000m超級の峰々がそびえる日本一の山脈。  中央構造線の東側に位置し、現在でも年間4mmずつ隆起を続けているといわれている。 北アルプス(飛騨山脈)に対して、南アルプスは山懐が深いためになかなか登山客を寄せつけず、今日まで静かで雄大な自然を保ってきた。
北岳・間ノ岳・農鳥岳の白峰三山をはじめ、薬師岳・観音岳・地蔵岳の鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、塩見岳、悪沢岳、赤石岳、聖岳、光岳があり、日本の100名山のうち10座を擁する。
北アルプスが、急峻な山容の山が多いのに対して、南アルプスは北部を除き、比較的なだらかな山容の山が多い。これは、南アルプスが北アルプスより新しく隆起した山であるため、比較的浸食が進んでいないためだと考えられている。

伊豆高原のシンボル - 大室山

2009-02-23 | 中部
大室山(580m)は、伊東市や伊豆高原のシンボルとも言える山であるが、 天城連山などの近隣の山と連なってはいない独立峰である。最新の噴火時期はおよそ5000年前とも4000年前とも言われ、このとき現在の山容や城ヶ崎海岸、伊豆高原や一碧湖など周辺の地形がおよそ形作られたと考えられている。
大室山は、噴火によって、ねばりけの少ない溶岩が噴水のように空高く吹き上がると、空中で冷え固まった溶岩のしぶき(黒い色をした軽石で,スコリアと呼ばれる)が火口のまわりに降り積もってできた火山(スコリア丘)である。プリンを伏せたようなきれいな円錐型の山容で天城富士の異名をもつ。
城ヶ崎海岸は、大半がリアス式海岸となっているが、大室山の火山活動により、溶岩が海岸まで流れたことにより形成された。その距離は十数kmにも及び、断崖絶壁となっている所もある。

天下の険 - 箱根

2009-02-21 | 関東
箱根は、神奈川県南西部にある三重式火山で、カルデラの直径は約11km。中央には、神山、駒ヶ岳など7つの中央火口丘、また西部外輪山との間に芦ノ湖が横たわる。芦ノ湖は、今から約3千年前、箱根火山最後の爆発といわれる大涌谷の水蒸気爆発により、神山の一部が吹き飛び巨大な山崩れとなって湖尻方面に押し出し、早川の流れを塞き止めて出来上がったものである。仙石原湿原、早川や須雲川など変化に富んだ地形が見られ、植物はフォッサマグナの影響を受け、特徴的な種が多く、その名に「ハコネ」を冠するものが多いことでも知られている。また、箱根十七湯といわれるように温泉が多い。日本有数の観光地で、ほぼ全域が富士箱根伊豆国立公園内に含まれる。
江戸時代、大名統制のため、幕府は、大名が領地と江戸の間を1年おきに往復することを強要した。「箱根の山は天下の険」と歌われ、東海道一の難所であった箱根山道を、大名行列が進んだ。


天然の水がめ - 秦野盆地

2009-02-18 | 関東
秦野盆地は、神奈川県の南西部にある内陸盆地。北にそびえる丹沢山地と南の大磯(渋沢)丘陵に囲まれた盆地である。
丹沢山地から流れる水無川と金目川の扇状地からなり、箱根の芦ノ湖を上回るほどの水量の地下水を有しているという。秦野の市街地付近に豊富な扇端湧水がみられ、「秦野盆地湧水群」として環境省の全国名水百選に選ばれている。
江戸時代以降は、盆地内で葉たばこ生産が盛んになり、国分葉(鹿児島)、水府葉(茨城)とともに全国三大銘葉のひとつに数えられた。第二次世界大戦後は東京のベッドタウンとして人口が増加したが、その一方で葉たばこ生産は徐々に衰退していった。明治以後はそれに落花生が加えられ、近年はカーネーションやミカンの産出でも知られる。


展望の山旅 - 丹沢表尾根

2009-02-17 | 関東
丹沢山地は、神奈川県北部、東西24㎞、南北16㎞におよび、蛭ヶ岳(1,673m)を最高峰とし、丹沢山(1,567m)、塔ヶ岳(1,491m)、大山(1,252m)などが連なっている。
最近の学説によれば、伊豆半島が本土に衝突した圧力で高まった山地だといわれている。
丹沢表尾根は、丹沢山地南部の塔ノ岳から南東に伸びる尾根であり、秦野市のヤビツ峠から二ノ塔、三ノ塔、烏尾山、行者岳、新大日、塔ノ岳へと縦走する。塔ノ岳から南に伸びる大倉尾根と共に古くから歩かれてきた登山道で、大倉尾根と比べて行程が長く鎖場やガレ場など所々危険な箇所があるが、表尾根は丹沢屈指の眺望を誇る人気ある登山コースである。

苦難と復興の歴史 - 足柄平野と酒匂川

2009-02-15 | 関東
江戸中期の宝永4年、富士山がおよそ850年ぶりに大噴火、十七日間にわたって降灰などが続いた。
足柄平野の中心部を流れる酒匂川は、火山灰などの堆積でせき止められて文命堤(現南足柄市)が決壊。県内最大級の穀倉地帯をのみ込み、住民は農地を失った。
富士山大噴火から三百年。噴火に伴い、火山灰などで大きな被害を受けた足柄平野の歴史を振り返ろうと、住民らによる時代劇『富士に映える陽』が2月21日、南足柄市の文化会館で上演される。
火山灰の堆積で農地を失い、その後も川の氾濫と戦ってきた苦難や復興に立ち上がる住民の歴史とともに、復旧に力を注いだという八代将軍・徳川吉宗、命を受けた大岡忠相、川崎の名主・田中丘愚の“民活力”をも投入した復興歴史物語となっている。

馬入の渡し - 相模川河口

2009-02-14 | 関東
相模川は、山梨県山中湖と忍野八海を源流として流れ出て、途中で道志川や中津川などの川の水を集め、北から相模野の西側を南に向かい、平塚市で相模湾に注ぐまで、総流長約110kmの大きな一級河川である。
山梨県では桂川と呼ばれているが、中流域の相模原市域では相模川、そして、下流の平塚市では馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれている。これは、建久9年(1198年)頼朝の妻政子の妹の夫である稲毛三郎重成が、亡妻の追善供養のために河口部に橋を架けたが、この時の橋供養の際、頼朝の乗った馬が突然暴れだし川の中に頼朝が落ちたことから、馬入川と呼ばれるようになったといわれている。
相模川は、よく氾濫を起こし、蛇行して、多くの中州を造り、その名残が柳島、中島、丸島、矢島、懐島等の町名が残っている。

オホーツクの冬の使者 - 流氷

2009-02-12 | 北海道
2月10日、北海道、紋別で流氷接岸初日を観測した。平年より5日、昨年より16日遅い。
流氷はロシアと中国の国境を流れるアムール河口、シャンタルスキー湾の付近で生まれ約1,000kmの長旅で成長しながらやってくる。流氷がオホーツク海を埋め尽くすと白い砂漠のような「流氷野」となる。
流氷は“流氷の天使”とも呼ばれるクリオネも含め、大量のプランクトンを運んできてくれる。日本でも有数の漁業資源の豊かな海、豊穣の海オホーツクにとって流氷は、かけがいのない役割を果たしている。
しかし、地球温暖化の影響等により、オホーツク地域の象徴である流氷は年々減少しており、近い将来、この地域で見られなくなる可能性もあるという。
オホーツク紋別空港への着陸態勢に入った搭乗機は、流氷の様子を確かめるかのように、一旦、海上に出て大きく旋回した。

龍と天女の伝説 - 江の島

2009-02-10 | 関東
江の島は、安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三弁天とされる。
昔、鎌倉の深沢山中の底なし沼に五つの頭を持つ悪龍が住んでおり、山崩れや洪水を起こし、村人を苦しめ、子供を生贄にとることから、この地を「子死越(こしごえ)」と呼んでいた。あるとき、子死越前方の海上に密雲が垂れ込め、天地が激しく揺れ動いた後、天女が現れた。雲が晴れると、今まで何も無かった海上に、一つの島が出来ていた。天女の美しさに魅せられた龍は、結婚を申し込むが、悪行が止むまではと断られた。以後、龍は悪行を止め、天女と結婚することができたという。
天女とともに現れた島が、「江の島」、五頭龍が姿を変えたのが片瀬の龍口山だと書かれおり、天女は江の島の弁財天、龍は腰越の龍口明神社として海を隔てて祀られている。

天然の要塞 - 古都、鎌倉

2009-02-08 | 関東
鎌倉の市街地は東・北・西の三方を山で囲まれ、南は相模湾に面した天然の要塞である。東・北・西のいずれから鎌倉に入るとしても「鎌倉七口」と呼ばれる、山を切り開いた狭い通路(切通し)を通らねばならず、防御のしやすい土地柄であった。鎌倉幕府初代将軍の源頼朝がここを拠点としたのは、父祖ゆかりの土地であったこととともに、こうした地理的条件による部分が大きかったと思われる。
頼朝が1182年に京都の朱雀大路にならって作った、由比ガ浜から鶴岡八幡宮(画面右中央)までを南北に結ぶ道が「若宮大路」で、長さは約1800mある。
海岸のほぼ中央に河口を持つ滑川(なめりがわ)を境に、東側を「材木座海岸」、西側を「由比ヶ浜」という。
明治期に海水浴場となり、夏目漱石の『こころ』に描かれて有名になった。

バードアイランド再び - 三宅島

2009-02-07 | 関東
三宅島は伊豆七島のほぼ真ん中、東京から南へ約180㎞の海上にあり、伊豆七島中、大島、八丈島についで3番目に大きい火山島である。自然に恵まれ、緑が多く、バードウォッチングや釣りスポットが数多くあった。しかし2000年の雄山の噴火と、以降も引き続いた火山ガスの噴出により、全島民が島外避難となった。2005年2月、5年ぶりに避難指示は解除され、島民は島に戻り、生活を再開している。島内は復興に向けた工事が進んでいる一方で、生々しい噴火の爪あとが各地に残っている。
2008年4月、運休から8年振りに羽田―三宅島線が運航再開されたが、火山ガスの影響で、現在の就航率は約50%。冬は、西高東低の気圧配置で西風になり、飛行機は欠航することが多くなってしまう。


南海の孤島 - 八丈島 (2)

2009-02-04 | 関東
八丈富士は八丈島の北西部に位置し、標高854.3m、伊豆七島中最高の火山であり、裾野が大きくのびた優雅な姿は、八丈島を代表する美しいランドマークとなっている。最後の噴火は宝永4(1707)年で駿河の富士と同時の活動であった。
火口は、直径約400m、深さ50mで、火口底に中央火口丘がある、いわゆる複式火山で、中央火口丘の上部には直径80m、深さ60mの噴火口がある。
山全体が常緑の樹木や草木に覆われており一年を通じて様々な植物を楽しむことができる。また中央火口丘付近に浅間神社(石室)があり、八丈島でも古くから富士詣でをしていたことがうかがわれる。

南海の孤島 - 八丈島 (1)

2009-02-02 | 関東
東京の南方海上287km、伊豆七島の最南端に位置する八丈島は、三原山(701m)と八丈富士(854m)のふたつの火山が接合した、ひょうたん型をした島である。東京都八丈支庁に属し、西約4キロメートルの八丈小島(無人)とともに八丈町をなす。四国の室戸岬や南九州とほぼ同じ緯度で、近くには暖かい黒潮が流れ1年を通して雨が多く、風も強い。1964年、富士箱根伊豆国立公園に指定され、亜熱帯気候の南国情緒豊かな観光地である。
八丈島空港は八丈富士と三原山に挟まれる形で滑走路が設けられているため、特異な横風が吹き、離着陸の飛行機に影響を与えることが多い。強風、雲・霧による視界不良など欠航率が高い。