Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

春の九州を飛ぶ (14) - 切支丹の里・島原半島

2012-07-28 | 九州

天草四朗率いる一揆団は天草上島・下島を席捲したが富岡城を抜くことができず転進、島原へ渡る。ここで島原勢と合流し、原城にたてこもって幕府側と戦った。一揆軍の総勢は3万7千人。

一方の幕府軍は指揮官・板倉重昌の戦死後、代わって松平信綱が十万の援軍を繰り出して原城を攻めた。

まる三か月の交戦で、幕府側の費やした費用は実に四十万両、死者一万人。最後に幕府はオランダ商館に要請し、海上から16日間砲撃を加えた。そしてようやく4カ月目に落城させたのである。

城内にはまだ十字架や聖像の描かれた旗が翻っていた。彼らは口々にサンチャゴ(勝利の神)を唱え、最後の力をふりしぼった。完全落城まで二日間、あとには老人、女、子供等、非戦闘員が三千人余り残された。彼らに信仰を捨てれば命を助けると布告したが、誰一人として従う者はいなかったという。全員殉教したのである。










春の九州を飛ぶ (13) - 切支丹の里・島原半島

2012-07-22 | 九州


すなわち、一揆に立ち上がるしばらく前に、四郎が居所であった大矢野島で公然と道場をひらいて説法をはじめた。その名と存在が天童、あるいは善か人、天使として知られはじめると天草本島の上津浦に迎えられ、ある豪農の家へ入った。四郎はこんたつ(念珠)をまさぐりながら、
「お前たちはまことにあわれなものじゃ。いま吉利支丹はきびしい禁圧に息をひそめておるが、世の人を救うものはこの教えのほかはなかとじゃ。天主にあるあわれみを乞うことを知らぬものは、近く肥前肥後一円に大事が起こる、その際にはたちどころにいのちをうしなうであろうぞ。ただ一心に天主を奉ずるもののみが、このわざわいからまぬがれることが出来るのじゃ・・・」

とこう言うと、しばらく天を仰いで祈りをつづけた。
と、どこからともなく一羽の鳩が飛び下りてきて四郎の掌にとまった、あれよあれよと思うままに、この鳩が色あざやかな卵をうみ、四郎が静かにこの卵をとって二つに割ると、中からでうすさまを描いた画像と南蛮文字でしるした吉利支丹の経巻があらわれた。鳩は羽音も高く四郎のまわりを三回四回まわったが、やがてふたたび空高く飛び去って行った。
それを目撃した天草の男女数百人は声をあわせて信徒となることを誓い、四郎の前に平伏した―というのである。
(堀田善衛著『海鳴りの底から』より)


天草四郎時貞

本名は益田四郎。洗礼名は「ジェロニモ」または「フランシスコ」。
「天草・島原の乱」の総大将・天草四郎時貞は、元和7年、肥後国南半国のキリシタン大名で関ヶ原の戦いに敗れて斬首された小西行長の家臣・益田甚兵衛と同じく天草大矢野出身のマルタ(洗礼名)の間に長男として生まれた。

生まれながらにしてカリスマ性があり、大変聡明で、慈悲深く、容姿端麗。また、経済的に恵まれていたため、幼少期から学問に親しみ、優れた教養があったようである。さまざまな奇跡(盲目の少女に触れると視力を取り戻した、海面を歩いたなど)を起こした伝説がある。

当時の天草・島原地方は、飢きんや重税とキリシタン弾圧に苦しみ、民衆の不満は頂点に達してた。その不満を抑えていたのが、マルコス神父が追放される時残した予言であることはすでにふれた。予言にある25年目の寛永14年(1637)、長崎留学から帰った四郎が様々な奇跡を起こし、神の子の再来と噂された。四郎の熱心な説教は人々の心をとらえ、評判は天草・島原一帯に広まり、遂には一揆の総大将に押し立てられるのである


春の九州を飛ぶ (12) - 切支丹の里・島原半島

2012-07-17 | 九州


こういう事件というのは陰謀や計画で仕立てられるものではなく、なによりも実態の空気が発火点にまで達していなければならない。爆発には口之津事件のような火花(スパーク)を要するが、広範囲に爆発するには、むろん多少の根廻しは要る。根廻しにはくだくだしい説明よりも、奇蹟と予言力をもったカリスマの存在が必要であった。
益田四郎という少年が、それである。    (司馬遼太郎著『街道をゆく』より)






再び時代は寛永年間に戻る。

島原や天草に凶作と圧政が続いた寛永の中頃、ある一つの「予言」が疲弊した農民たちの間に広まった。
『25年後に天変地異起こり、人は滅亡に瀕するであろう。この時16歳の天童現れ、キリストの教えに帰依するものを救うであろう。』
1614年(慶長19) 、幕府のキリシタン弾圧により、ママコス神父は上のような予言を残し天草大矢野を去った。

そして1637年、
口之津で年貢が納められなかった家の妊婦が、寒中の川にさらされ殺される残虐な事件を機に、民衆の怒りは爆発。

その時、ママコス神父の予言通り、“16歳の天童”が現れたのである。