人は何事によらず、胸の中から忘れきるということができないで、始終それが気にかかるというようでは、そうそうたまったものではない。
いわゆる坐忘といって、何事もすべて忘れてしまって、胸中濶然として一物をとどめざる境界に至って、初めて万事万境に応じて縦横自在の判断が出来るのだ。
勝海舟『氷川清話』より
富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ。
心とは畢竟人格にほかならぬ。それはまた気品であり、気魄である。
富士を描くということは、つまり己を描くことである。己が貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい。富士を描くには理想をもって描かねばならぬ。
私の富士も決して名画とは思わぬが、しかし、描く限り、全身全霊をうちこんで描いている。
大観
富士の美しさは季節も時間もえらばぬ。
春、夏、秋、冬、朝、昼、晩、冨士はその時々で姿を変えるが、しかし、いつ、いかなる時でも美しい。
それは、いわば無窮の姿だからだ。
大観
新年、明けましておめでとうございます。
いつも、ご覧いただきありがとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
I would like to say thank all of you who are watching my ‘Tenkuu Cafe’.
I hope this will be another great year for you.
2014.1.1
sogo