Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

Glimpses of Kyoto - 永遠のモダン”を求めて - (2)

2013-12-19 | Kyoto





間違っているというのも、常識で見て間違っているということで、間違っているということは本当は常識の外にあるもう一つの良さともいえる。


芸術というものを常識的なものさしで当ててみる見方をされたらこまるな。






重森三玲









Cafe belvedere - (13)

2013-12-10 | Cafe 

FyshとMcGinessはブリスベンのクイーンズランド奥地で牧畜を営む富豪、Fergus McMasterに遊覧飛行とエアタクシーのサービスを提供する会社を設立する計画をもちかけた。

McMasterは仕事関連での知人たちに航空サービスへの投資を促し、また飛行機技師には元航空軍曹Arthur Bairdを迎え、FyshとMcGinnessはAvro型飛行機2機を発注、会社名は、Queensland and Northern Territory Aerial Services Limited とし、頭文字をとったQANTASが誕生した。


当初カンタスは、Fergus McMasterを会長としてウィントンを拠点としたが、その後、運航の中心となる160キロ南東のロングリーチに拠点を移した。1929年にブリスベンへ移転するまでの間は、ロングリーチで牧畜用の建物を本社として使用していた。

1921年1月には、機体登録番号G-AUBGのAvro 504kを受領、屋根も窓もないオープンエアーの操縦席の後ろに2人の乗客が乗れるAvro機を使って、後に受領するBE2E機とともに、遊覧飛行、エアタクシーのサービスを提供。

QANTASの最初の定期運航便の乗客で、航空券番号1番を手にしたのは、当時84歳のアウトバックパイオニアのAlex Kennedyであった。搭乗区間は、1922年11月2日、チャールビルからクロンカリーへ郵便を運ぶ最初のフライトのロングリーチ=ウィントン=マッキンレー=クロンカリーの区間であった。







Cafe belvedere - (12)

2013-12-07 | Cafe 


「カンタス航空」は、たった2人のオーストラリア人から始まった。


1919年3月、オーストラリア航空隊の元中尉W Hudson FyshとPaul McGinnessは、「英国からオーストラリアを30日以内に飛行する最初のオーストラリア人に連邦政府が1万ポンド(2万ドル)の賞金を進呈する」という話を耳にした。
McGinnessは、億万長者の事業家であるSamuel McCaughey卿にこのレースに参加するための費用の援助を求め、資金提供の合意を得た。ところが、レース用の機体を探している最中に、Samuel卿が亡くなり、このプロジェクトへの資金提供が不可能になってしまう。


その後、FyshとMcGinnessの2人は、クイーンズランドのロングリーチからノーザンテリトリーのキャサリンにいたる航空レースのコースを計測し、その途中に競技参加者のための備えを用意するという業務を国防省から依頼された。
二人はこれまで自動車が通ったこともない地域を通り抜けて、51日間かけて2,179 kmを走破し、キャサリン川に到着した。

この旅で大変な困難を味わった二人は、航空サービスこそが奥地の居住地を結ぶ鍵になると確信した。