「カンタス航空」は、たった2人のオーストラリア人から始まった。
1919年3月、オーストラリア航空隊の元中尉W Hudson FyshとPaul McGinnessは、「英国からオーストラリアを30日以内に飛行する最初のオーストラリア人に連邦政府が1万ポンド(2万ドル)の賞金を進呈する」という話を耳にした。
McGinnessは、億万長者の事業家であるSamuel McCaughey卿にこのレースに参加するための費用の援助を求め、資金提供の合意を得た。ところが、レース用の機体を探している最中に、Samuel卿が亡くなり、このプロジェクトへの資金提供が不可能になってしまう。
その後、FyshとMcGinnessの2人は、クイーンズランドのロングリーチからノーザンテリトリーのキャサリンにいたる航空レースのコースを計測し、その途中に競技参加者のための備えを用意するという業務を国防省から依頼された。
二人はこれまで自動車が通ったこともない地域を通り抜けて、51日間かけて2,179 kmを走破し、キャサリン川に到着した。
この旅で大変な困難を味わった二人は、航空サービスこそが奥地の居住地を結ぶ鍵になると確信した。