釧路市の北約80km、“霧の摩周湖”、その山麓に広がる“弟子屈”の町。
JR釧網本線、国道241号、243号、391号が通じ、摩周湖、屈斜路湖などの景勝地や、摩周温泉、川湯温泉、鐺別温泉、和琴温泉などの温泉も多く、観光基地となっている。
町名“弟子屈”の「テシカ」とはアイヌ語で岩磐、「ガ」は上という意味だという。
この地は、弟子屈市街にある現在の共同浴場付近の岩磐のところにあたり、かつては釧路川がその岸を洗っており、非常に磐の多い急流であった。ところが又、ここは魚のたまり場のようなところでもあったので、アイヌは何とかこの魚を獲りたいと網をかけようとしたが磐が多く、遂に杭を打ちこむことが出来なかったという。そこでアイヌは、せっかくたくさんいる魚をとる仕掛けもできない「岩磐の上」だと嘆き、弟子屈の語源はこれから生まれたといわれる。
北海道を旅すると、読み方の難しい地名を眼にすることが多い。
上述の“弟子屈”などその典型といえる。
ご存じのとおり、それは北海道のほとんどの地名が先住民アイヌの言葉に由来しているからである。
明治時代以降、本州から開拓民が入るようになって、文字をもたないアイヌがもともと彼らの言葉でその場所を言い表していたのに、その音に漢字をあててしまった結果である。当然本来の意味は消えてしまう。
アイヌの多くは川や湖などの水辺に住んでいたことから、アイヌ語の地名は、その地形の特徴などを語源としているものが多い。その土地に長く生きた人々の知恵と経験が地名には刻印されているのだ。
このように外来者が地名を単なる記号のように扱うことで、地名はその自然の息吹を失ってゆく。
些細なことと思われがちだが、こんなところにもアイヌ文化を軽んじる意識が潜んでいるようにも思えるのだが…