Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

Glimpses of Japan - 永遠のモダン”を求めて - (6)

2014-06-29 | kyushu


心字池にかかる 三つの赤い橋は

一つ目が過去で 二つ目が現在


三つ目の橋で君が 転びそうになった時

初めて君の手に触れた 僕の指


手を合わせた後で 君は御籤を引いて

大吉が出る迄と も一度引き直したね


登り詰めたらあとは 下るしかないと

下るしかないと気付かなかった


天神様の細道












Cafe belvedere - (29)

2014-06-25 | Cafe 



錯乱状態に陥ったジャンヌは、夫の死の2日後、幼い娘を残して、実家のアパルトマンの5階の窓から身を投げた。妊娠9か月だった。


モディリアーニのもとへと旅立ったジャンヌ。

しかしジャンヌの遺族は、ジャンヌの死はモディリアーニのせいだとして
彼女の亡骸をモディリアーニの墓地から遠く離れたバニュー墓地へと埋葬する。


エビュテルヌ家は、ペール・ラシェーズ墓地のモディリアーニの傍らに移すことに同意したのは、それからおよそ10年後のことだった。

ジャンヌは、死後10年、ようやく愛するモディリアーニの傍らで眠ることができたのだ。



モディリアーニが、その多彩で不幸な短い生涯を閉じたとき、妻ジャンヌ・エビュテルヌがあとを追って自殺したことは、あまりにも痛ましい出来事であったが、あとには二歳の娘、母親と同じ名前を与えられたジャンヌがのこされた。


孤児となったジャンヌ・モディリアーニは、フィレンツェに住む亡父の姉妹の養女となった。

その後、彼女は、美術研究の道に進み、特にドイツ表現派とエコール・ド・パリを研究した。

また両親についての調査を始め、1958年に評伝を著わした。



「ジャンヌ・モディリアーニ」(矢内原伊作翻訳、みすず書房)として日本でも翻訳出版されている。











Cafe belvedere - (28)

2014-06-22 | Cafe 

ボヘミアンの画家、モディリアーニは、パリのアトリエで制作に没頭した。

僅か1週間で油彩1点と、4~5点のデッサンを描き上たという。この時期に彼の傑作が集中している。



モディリアーニは画壇を駆け上がり、1919年、ロンドンのマンソード画廊に出品された絵の1枚には1000フランという展覧会の最高値がついた。



長い不安と失望から解き放たれたはずのモディリアーニであったが、以前に増して酒と麻薬に溺れていく。


そしてついに、1920年1月24日、モディリアーニは結核性脳膜炎でこの世を去る。

35歳の若さであった。











Cafe belvedere - (27)

2014-06-14 | Cafe 


アルコール、麻薬に溺れた薄幸な芸術家として知られているモディリアーニ。
彼の人生に大きく影響を与えた、ジャンヌ・エビュテルヌ。


パリの裕福な家庭に生まれた画学生だった。
モンパルナス芸術家村に出入りしているときには、藤田嗣治のモデルにもなっている。

熱心なカトリック信者だった家族の猛反対を押し切り、ユダヤ人であるモディリアーニの元へ行く。

従順な彼女は、彼の意のままに、モデルを続けたという。


1917年の夏、二人は、友人である画商のズボロフスキーの提案で、療養も兼ねて南仏のニースへ。そこで娘ジャンヌ・モディリアーニも生まれた。


ようやくパリで作品が評価されはじめたという知らせを受けたモディリアーニは、パリに戻り、制作に没頭する。










Cafe belvedere - (26)

2014-06-02 | Cafe 




モディリアーニは、ユダヤ系イタリア人で、“エコール・ド・パリ”の一人とされている。

その生涯の後半を支えたのが、ジャンヌ・エビュテルヌ。
当時19才の画学生で、青色の切れ長の瞳が美しかったという。

モディリアーニは33歳。



二人は出会ってすぐ安宿を転々とする生活を始めた。

ジャンヌは、聡明で心優しい女性であったが、モディリアーニは、酒に溺れた生活態度を決して改めようとしなかった。


モディリアーニは、ジャンヌをモデルに多くの作品を描き、モディリアーニの独特の女性像は、ジャンヌの肖像によって完成したとも言われている。











Cafe belvedere - (25)

2014-06-01 | Cafe 





毎日、カフェ “ラ・ロトンド” に集まり、議論に耽る芸術家たちの中に、既に成功を収めていたピカソのほか、全く絵の売れない“異端児” モディリアーニもいた。


モディリアーニといえば、すぐに、あの瞳のないアーモンド形の目、長く伸びた首が特徴の肖像が目に浮かぶ。




モディリアーニの描いた女性の肖像画は数多くあるが、もっとも有名なのは、ジャンヌ・エビュテルヌの肖像画だろう。


いかにこの女性がモディリアーニにとって、大切な伴侶だったかを物語っている。