登山者として最初に丹沢に登ったのは岡野金次郎で、明治24年(1891年)に塔ノ岳に 立っている。
岡野金次郎は明治7年(1874)に横浜で生まれた。
明治35年(1902年)、小島烏水(コジマウスイ・日本山岳会初代会長)とともに、日本人登山家として初めて槍ヶ岳へ登頂を果たした。 その翌年、自分たちより前に槍ヶ岳に登ったイギリス人宣教師で登山家のウォルター・ウェストン(日本アルプスの名付け親)と出会い、日本にも山岳会をつくることを勧められる。 これが日本山岳会の設立につながったという。
晩年平塚に移り住んだ岡野金次郎をたたえ、平塚市の湘南平には彼の記念碑が建てられている。
ちなみに、小島烏水と岡本金次郎は、2009年6月公開された映画『剣岳・点の記』(新田次郎原作)で地図を作るために未踏峰と思われていた剣岳に登った測量官・柴崎芳太郎と剣岳初登頂を争う日本山岳会の登山チームのリーダー(ナカムラトオルとコイチ マンタロウ)として描かれている。