Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

大地の息吹 - 稲作への執念

2009-06-26 | 北海道
久蔵は粗末な小屋に住み、寒さと孤独に耐えながら、寒地稲作に取り組む。
そして1873年、 寒さに強い「赤毛種」の種籾を渡島地方から取り寄せ、1反歩(10アール)の水田耕作を試みる。
水田の水温を一定に保つために、大きな風呂樽を札幌から取り寄せ、大きな石を焼き、それを風呂桶に入れ湯を沸かし、昼夜を問わず風呂の湯を水田に運び、まさに執念ともいえる苦労を重ね、遂に発芽に成功した。
その秋には反当り345kgを収穫し、北海道の米作りの夜明けとなった。
久蔵が育てた赤毛種の種籾は空知や上川の農家に無償で配布され、ここから全道に米作りが拡がる。

 今や北海道は日本一の米の生産量を誇り世界の米作りの北限地となっている。
 久蔵の苦労、そして成功がなければ、今日の北海道の稲作はあり得なかった。



大地の息吹 - 稲作への挑戦

2009-06-25 | 北海道
この頃の開拓使(後の北海道庁、1869年に設置)の方針は、ケプロンやクラークの提言に従い
稲作を中心とした伝統的日本農業からの決別であり、
当時、アメリカ東北部で主流だった家畜と畑作との混合農業の導入であった。

しかし、こうした政府の方針に逆らうように、寒地の稲作に果敢に挑んだ民間人がいた。
明治初期、石狩地方で米作りを成功させた中山久蔵である。


大地の息吹 - 開拓の足跡

2009-06-24 | 北海道
本土とは異なる気候風土の中、北海道では、大型農具によって広大な土地を開拓し、
畑作と畜産を組み合わせて輪作を行うアメリカ型の農業経営を目指した。
しかし、これらは、独特の気象や広大な原野と森林が人の行く手を阻む地理など、
厳しい北海道の経営条件を克服する挑戦の歴史でもあった。
北海道で見られる広大な畑地や、牧場にサイロのある景観などには、
今も、北の大地に繰り広げられた人々の挑戦の足跡が残されている。

大地の息吹 - 奇跡の大地

2009-06-23 | 北海道
原始そのものといってよい広大な大地が、近代まで手つかずのまま残されていた北海道。
開拓が本格的に開始されたのは明治になってからであり、
まだその歴史は120余年と短い。
北海道における農業の開発は、その当初から国家事業として始められ、
アメリカ式畑作の大規模農業を目指していた。
“Boys, Be ambitious!”(少年よ、大志を抱け!)
で有名なウィリアム・S・クラーク博士(William Smith Clark,1826-1886)は、
そのために札幌農業学校に招かれた。


大地の息吹 - キガラシの花

2009-06-21 | 北海道
小雨で煙る地面に、鮮やかな“黄色のパッチ”が視界に飛び込んできた。
菜の花の仲間、「キガラシ」の花である。
キガラシは緑肥と呼ばれ、花が咲いたらそのまま畑に埋められ、次に栽培する作物の肥料となる。
北海道では、夏から秋にかけて、キガラシの花が畑一面に咲き誇る風景が随処で見られる。

大地の息吹 - サイロのある風景 (2)

2009-06-20 | 北海道
サイレージ(silage)とは
青刈りした飼料作物を、サイロ(silo)に詰め、乳酸発酵させたエサのことをさす。発酵によって乳酸、酢酸といった物質が発生し、腐敗菌やタンパク分解菌の活動を抑えるため、飼料の長期にわたる保存が可能になる。また、発酵で生じた有機酸は、牛にとって重要な栄養源であり、その香は、牛の食欲を増進させるという。
良質なサイレージを作ることも酪農家の重要な仕事である。水分量の調整や乳酸菌などの添加物を投入するなど、酪農家毎にさまざまなノウハウが培われている。


大地の息吹 - サイロのある風景

2009-06-18 | 北海道
赤いトタン屋根の牛舎と、タワー型のサイロ。
まさに北海道の原風景といえる。
サイロは牛の飼料となるサイレージ(牧草を発酵させたもの)を貯蔵する施設で、冬、雪におおわれる北海道では欠かせない存在であった。
しかし、今、この“サイロ”が徐々に姿を消しつつある。
北海道各地の草原地帯に、ぽつりぽつりとロール状の牧草が置かれている光景を目にする。
「ロールベール・サイレージ」である。
黒や白のビニールカバーで覆われた、このロール状の牧草は、その中で発酵し、貯蔵される。
この発明で、冬場の飼料を簡単に製造して保存できるようになった。
そして、コストのかかる“サイロ”は姿を消しつつある。

大地の息吹 - 野鳥の聖域 ・ ウトナイ湖

2009-06-17 | 北海道
勇払原野最大の淡水湖「ウトナイ湖」に注ぐ美々川。
ウトナイ湖は、周囲9Km、平均水深0.6mの淡水湖で、美々川、オタルマップ川、勇払川などの清流が注ぎ、その上流部には、ハンノキ林やミズナラ・コナラ林に囲まれた大小の低層湿原が数多く分布する。
湖周辺は野生生物の宝庫で、鳥類はこれまでに250種以上が確認され、ガン、カモ類やハクチョウなどの渡り鳥にとっては重要な中継地であり、マガンやハクチョウの集団渡来地として国際的に知られている。
1981年、日本野鳥の会によって、日本で初めての野鳥の聖域「サンクチュアリ」に指定され、
さらに、1991年には、「ラムサール条約登録湿地」として国内では4番目に認定された。
“ウトナイ”は、アイヌ語の「小さな川の流れの集まるところ」が由来。

大地の息吹 - 原始の流れ・美々川

2009-06-16 | 北海道
北海道の空の玄関、新千歳空港のほど近く、道内随一の交通量を誇る国道36号線の傍らに、「美々川」(びびがわ)という川が流れている。とても短く小さな川だが、その名に違わぬ美しさで、原始の姿を留め、様々な生命に恩恵を与え続けている。
かつて、この一帯は「勇払原野」と呼ばれ、釧路湿原に匹敵する広大な湿原地帯であった。人はこれを「不毛の大地」と呼び厄介者扱いしてきた。開拓の鍬が原野に入り、厳しい環境での農地造成、そして苫小牧東部大規模工業開発の舞台となり湿原は乾いていった。こうして開発が進む中、美々川とウトナイ湖は、かつての勇払原野の面影を残す、唯一の場所となってしまった。

大地の息吹 - 美しき丘の町 ・美瑛 (10)

2009-06-14 | 北海道
“丘の町”= 畑作 のイメージの強い美瑛だが、旭や新区画といった平地の部分では、毎年、沢山の米が栽培されている。 
品種は、北海道米、“きらら”、“ほしのゆめ”、“ななつぼし”、“おぼろづき”など。
美瑛の稲作面積は、約1,000ヘクタール、町全体の農地の約1割を占める。小麦、ビート、ジャガイモ、豆等についで、美瑛の主要な農産物となっている。


大地の息吹 - 美しき丘の町 ・美瑛 (9)

2009-06-13 | 北海道
「初めてこの丘の一角に立って、五体が痺れる程の感激を味わった。」(『丘の四季』序)

その「出会い」の後、前田氏は、この地に足しげく通い始める。
「すみませんね」と声をかけ、カメラをかついで畑のなかを歩く氏の姿がしばしば見られた。
また、三脚を立てて畑のなかでシャッターを切る氏を測量士と間違えていたという農家もいる。
当時も美瑛には写真愛好家たちはいたが、そのレンズは十勝岳を向いていたという。
しかし、前田氏のレンズは「丘」を向いていた。

'87年に町内に個人のフォトギャラリー「拓真館」をオープンさせる。美瑛の丘の中心部ともいえる拓進地区に廃校となっていた旧千代田小学校の跡地があり、町の協力を得て、この土地と建物を利用して完成させた。(画面中央下)
前田氏の写真や拓真館の開館で、美瑛町の農村風景の注目度は一気に高まることになる。